つかの間の平和。という言葉は、つかの間であるからこそ平和が強調されるのだ。と誰かが言っていたような気がする。
そう、平和は突然として崩れ去る、とても儚いものだ。
この戦乱の世では。
「慶! 都からの使者が来たって冥琳が!」
医局へと飛び込んできたのは梨晏だった。いよいよおいでなすったか、洛陽という魔窟への水先案内人が。
「分かった。すぐ向かおう」
一体誰が来たのか。
大将軍の傾や董卓は無いとして、霞か、華琳か。はたまた盧植将軍か皇甫嵩将軍か。
梨晏と共に謁見の間へと急いだ。
「太史慈将軍、劉仁殿、入ります!」
扉で待機していた兵が、入室を宣言する。その声で一斉に注目が集まった。
「久しぶりやなぁ慶! 急がせて悪かったな」
謁見の間で控えていたのは、霞だった。何進の手術以来である。
「すまない、医局に詰めて実験をしていて……元気そうだな、霞」
薬品を作るって大変なんだ。最近は睡眠時間も削って作業することが多い。
「では、何進の
「ウチは副官。名代はあっちや」
恐らく使者であろう赤髪の美女と銀髪の少女が視線の先にいた。
「傾は出て来れへんねや。宦官に睨みを利かした結果、危うい立場におってなぁ」
つまり、洛陽を離れられないということか。
それだけを聞いて、冥琳が立ち上がる。
「慶、席に着いてくれるか……。では、陳公台殿」
呼びかけられて、銀髪の少女が立ち上がった。
(公台……陳……? 陳公台……陳宮だと!?)
滅多に聞かない
ということは、隣にいるのはもしや……。
「大将軍・何進の名代、
(やはり呂布かっ!!)
呂奉先、誰もが認める、大陸最強と言っても過言ではない武人である。頭の中で警鐘の銅鑼が鳴った。
「冥琳、こういうのって兵を並べたりして迎えるもんじゃないのか?」
声を潜めて、冥琳に尋ねた。
「本来はそうだが、略式で良いとのことだったのでな」
呂布に視線を向ける。しかし、その武勇というか、オーラが一切見えない。ずっと寡黙な女性である。
「………………」
「孫文台殿、こちらへ」
「はっ」
炎蓮さんが呂布の前に立つ。
「……………………」
呂布は何も話さない。広間の
「呂布殿は、此度の揚州平定、青州での黄巾党討伐、誠に大儀であった。と仰せですぞ!」
「は……」
陳宮が代わりに話し始める。これではまるでコメディーだ。
「………………」
「大将軍も、その働きに感謝する、と仰せなのです!」
「……ありがとうございます」
本当に喋らないな、呂布。
自分は、呂布の顔をジッと見つめた。
虚空を見つめる不安げな瞳、そして一筋流れる汗。
徐々に青くなっていく顔。呼吸も少しずつ荒くなっている。
「………………」
「今日は貴公らの此度の功績を称えて、揚州牧に任命するという、皇帝陛下のお達しを携えてきた。と仰せなのです。任命式は後日、禁中にて行われる。それまで待機するように」
「……承知しました。謹んでお受けいたします」
呂布の顔色に気付かず、炎蓮さんへと話し続ける陳宮。気付いているのは、炎蓮さんと自分だけだろう。
虚空を見つめていた瞳が、俺の眼を捉えた。
「………………」
「では、要件だけではあるがこれにて失礼させてもらう。と仰せ――」
呂布が、静かに膝から
「恋殿っ!」
炎蓮さんが、優しく呂布を抱き留めた。
自分もすぐに呂布の元へと近寄り、炎蓮さんに手を貸す。
「あなた達がこれから向かうのは洛陽ではない。医局だ。炎蓮さん、後はお任せを」
呂布をこのまま返す訳にはいかない。
「陳宮殿……ここ最近、呂布殿はずっと体調が優れなかったのではないですか?」
「そ、それは……」
「……あとは医局で詳しく検査してみましょう」
炎蓮さんから呂布を預かるため、彼女の腕をとった。
記憶が流れ込んでくる。
曹操、趙雲、張角に続いて、呂布である。
今までにあった頭痛は無い。戸惑いを覚えながらも、呂布を抱きかかえて謁見の間を出た。
後ろからは陳宮を筆頭にゾロゾロと皆が付いてくる。
「ご……ご主人様」
腕の中で、呂布が小さく声を掛けてきた。服を軽く抓まれる。
「静かにしているんだ」
自分への呼び方も、ご主人様というものに変わっていた。つまり、貂蝉たちの言っていた記憶の残滓が呂布にも残っていたことを意味する。他の者に聞かれていないだろうな。
余計なことを考える前に、まずは呂布の治療に専念しなければならない。
医局の扉を蹴り開けて、ベッドに寝かせた。
「呂布殿、ゆっくりでいいから答えてくれ。どこが痛む?」
「お、お腹……」
まともに呼吸をすると痛むのだろう。浅い呼吸を繰り返しながら答え、脂汗がポツポツと浮かんでくる。
「仰向けになってくれ」
腹部の触診を行うと腹部の筋肉が板のように固くなり、
左手で腹部をさすり、右手でトントンと軽く叩いていく。
「横向きに体勢を変えるぞ」
「呂布殿、時折腹の上部が痛まなかったか?」
「……時々。恋、死ぬの?」
呂布は目尻に涙を浮かべている。
「必ず治す。安心してくれ」
「呂布殿に、一体何が起きているのです……?」
診察後、一番心配していた陳宮が声を掛けてきた。
「
「つまりどういうことだ。分かりやすく教えろ」
炎蓮さんも付いてきていて、病状の確認に来ていた。
「胃の腑に穴が空いているんです。そして、内容物が漏れ出てしまってこのような症状が。このまま放置すれば腹膜炎という病気に進行して手遅れになってしまいます」
手術内容の説明を行うと、陳宮は慌てふためいた。
「せ、切腹ですと!?」
「いえ、切腹ではありません」
「以前のオレと同じことを言っているな」
やはり、この時代においての手術の説明は難しいものがある。何進の時もそうだった。気道確保の手術でもそうだった。
いち早く、手術方法を喧伝できるような方法を考えなければならない。
「何進殿も腹を切って治したことは事実……。劉仁殿、恋殿をお願いしますぞ」
「よし、手術の準備だ!」
「苦しいと思うが、唾と一緒に飲み込んでくれ」
経鼻胃管を鼻から挿入して、内容物を抜き取る。
「うぐっ……ぐえっ、ううっん……」
「慶、吸引終わったで」
何進の時と同じように、霞と冥琳が補佐に付く。
「経鼻胃管を抜いて麻酔を掛ける。冥琳、エーテル準備」
「分かった」
「うぅ~、恋殿ぉ……」
ただの上司部下の関係ではなく、より深い絆によって結ばれている二人。
『恋殿がもし命を落とすようなことがあれば、貴様を殺して私も死ぬのです!』
啖呵を切った陳宮に対して、立会を許可したのだった。
「開腹する。上腹部正中切開」
位置で言うと、心臓の少し下から
「手伝わせてすまないな、霞」
「かまへんよ。立派な助手になれてるか?」
「充分に立派だよ。……止血完了。腹膜を切開する」
コッヘル鉗子で腹膜を持ち上げ、臓器と腹膜を離しながら切ってゆく。すると見えてくるのが胃と
その胃には、目視できるほどの大きな穿孔があった。
「胃体部潰瘍穿孔を発見。腹腔内を洗浄し、グラハム手術を行う」
「慶、ぐらはむ手術とは何だ?」
「良い質問だ冥琳。この大網の一部を穿孔口の大きさに形成して挿入する。そのまま針糸を導入して固定し、塞ぐ手術だ」
そう説明しながら、手早く塞いでいく。時間を掛けていては、患者の呼吸は弱くなっていき、手遅れとなってしまう。
「では、ドレーンを開腹部の左右に一本ずつ留置して閉腹する……呂布殿、よく頑張った!」
呂布に繋がれたドレーンは痛々しいものであったが、それも一週間で抜糸。瞬く間に回復したのだった。
しかし、一番大変だったのはこの抜糸までの一週間だった。
手術後、冥琳の部屋に呼び出される。部屋には雪蓮、星、張三姉妹も呼び出されていた。
「慶、呼び出してすまない。呂布殿のことだ」
「何か問題でもあったのか?」
冥琳は首を横に振る。
「呂布殿が、慶のことを“ご主人様”と呼んだことについてだ」
聞こえてたんだな。
よくよく思い出せば、事細かく話していなかった問題である。
誤解を解くためにも、星や天和の言葉も借りながら全てを伝えた。
ここに華琳がいたらどれだけ説明が簡単だろう。
説明が終わる頃には、日も暮れ、真っ暗になっていたのだった。
呂布にも記憶が残っていたとな。
他の恋姫SSも減ってきていて、寂しいですが……例え長引いてもちゃんと完結させる。