かの震災の影響によって機能不全に陥った帝都大学の学び舎にも、少しずつ人の姿が戻ってきているようだった。しかし学生の姿は見えず、全てが帝都大学の教職員であった。
湯川の研究室に向かって歩みを進める間にも、崩れた本の山を片付ける者や、破損した器具を廊下に出す者、新たに書類の雪崩を引き起こす者など……
この国が完全復活を果たすまでには、更に相当長い時間が掛かる事だろう。己の人生が終える時までに果たせるかは定かではない。それほどのダメージをこの国は負っていた。
光に包まれ、近藤は忽然と姿を消した。
薬品庫に指紋こそ残っていたものの、その他の痕跡は皆無である。このような言葉を使うと湯川に笑われるだろうが、まるで魔法のように消えてしまったと、そう思っても不思議ではない状況に首を傾げる事しかできないのであった。
「まさか、本当に消えてしまったんですか?」
「それ以外にどう説明しろって言うんだよ」
何のために湯川に相談したんだ、と内海に返すが……そのような疑問を持っても仕方ないと考えるしかない。
「湯川、戻ったぞ……うぉっ」
「なんですか、この山……」
湯川の研究室は実験機材が押しやられ、空いたスペースに本が山積みとなり、机の上には論文だろうか。紙がそれこそ山のように積まれているではないか。この研究室に着くまでの部屋を
今までにこの研究室の机が器具で一杯だったことはあるが、ここまで書類が積まれているのを見たことがない。
そしてその書類の山の中心にヤツはいた。コーヒーを啜りながら、手に持った紙を穴が開くほどに見つめている。
東京海浜病院にいた美人の看護師のことを伝えようとする気もどこかに消え失せた。
「湯川、この書類の山はなんだ」
「……近藤君が消えた理由が分かるかもしれない鍵だ」
「証明できるのか?」
「どういうことですか? 人間が発光して消えるなんてあり得ませんよ」
「あり得ない」
湯川はボソッと呟いた。
「1593年、当時のスペイン領フィリピンからメキシコに瞬間移動した兵士がいた。もはや伝説化しているが、スペイン帝国の兵士がマニラからメキシコシティのソカロに瞬間移動……つまりテレポーテーションした。兵士はこの瞬間移動の直前に起きたフィリピン提督暗殺を証言し、のちに太平洋を横断した客船の連絡により立証もされている」
「じゃあ、本当にテレポートしたって言うんですか?」
内海はメモを取りながら質問をする。
「この東京から瞬間移動をして、どこか別の場所に出現しているのかもしれない。フィリピンからメキシコまで約14200キロメートル。完全消失と言い切る事は不可能だ」
「発光現象はどうやって起きたんですか?」
矢継ぎ早に内海から質問が飛んだ。確かにこれだけでは近藤の失踪の説明とはなりえない。既に伝説化している時点で眉唾物の情報である。400年も前の話を信じる湯川も湯川だ。
「1943年10月、フィラデルフィアのドックにいたアメリカ海軍の新鋭駆逐艦エルドリッジが光に包まれ、360キロメートル先のノーフォークに瞬間移動した。東京・名古屋間を一瞬で移動したことになる」
「なんだそりゃ。1943年って言ったら太平洋戦争の真っ最中だぞ。どうやって瞬間移動したんだ」
本当にそんな事ができたなら、戦争なんてもっと早く終わってるだろう。
「通称、フィラデルフィア実験と呼ばれているものだ。機雷に対する消磁実験。高周波発電実験。レーダーで捕捉できないステルス艦の開発……それらを目的とするプロジェクトだったとされている。だが、これはあくまで都市伝説だ」
「あくまでって……湯川、お前が都市伝説を言い出すとはな。らしくないぞ」
「私は至って真面目だ。戦後約80年、戦時中の資料は公開されてきているが、全てではない。また……問題の箇所はその実験内容だ」
山積みになった書類の一番上にあった論文の束を草薙に手渡した。
「なんだよコレ……
顎で読んでみろと促される。論文の表紙と湯川の顔を交互に見て、ページをめくる。だが見たことも無い数式が細かく羅列されており、
「このフィラデルフィア実験は、統一場理論の実験だったとする説がある」
「だからその、統一場理論ってなんなんだよ」
「自然界に存在する基本的な四つの力……電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力を全て統一する理論だ。一見異なる物理現象や法則であっても、古くはマクスウェルが電気力と磁気力を統一して電磁気学としたようにな」
と言われて、もう一度論文に目を落とすがサッパリ分からない。弱い? 強い? 重力や電磁気など日本語であることは分かるが、何のことやら全く分からないでいた。
「その統一場理論……てのが証明できたら、この人体発光消失現象が説明できるのか?」
「仮説の段階……と言いたいが、いや……分からない」
紙を見つめたまま返答する湯川。ここまで歯切れが悪い湯川も珍しいなと思ったが、その理由が判明して絶望する。
「何でだ」
紙から視線を外し、しっかりと俺の目を見た。
「この統一場理論は別名を万物の理論……人によっては『神の方程式』と呼ぶことのある、物理学の未解決問題だ」
それはつまり、今ある科学力では近藤の行方を掴めない。と宣言したようなものだった。
「神の方程式、ですか?」
「量子のミクロの世界から、宇宙のマクロの世界までをたった一つの法則で表すことができる数式だ。その中に、彼を見つけ出すヒントがあるかもしれない」
「全てを、たった一つの法則で……湯川、お前ならその理論が組み立てられるのか」
湯川はメガネのズレを直す。周囲の空気が一段階冷えたように感じた。正直俺にはこの未解決問題がどのようなものか全く理解ができていない。隣の内海も似たようなもんだ。何を言ってるのかサッパリ分からない顔をしてやがる。
「数学の未解決問題だったフェルマー予想は証明に330年掛かり、ポアンカレ予想は証明までに102年だ」
「ちょっと、それ遠回しに『無理』って言ってませんか?」
内海のツッコミもごもっともである。
「私ひとりでは不可能だろう。時間はあるが短縮する為に人手が必要だ。それも優秀な数学者が」
一人、思い当たる人物が脳裡に浮かび上がる。
「お前……まさか」
「草薙、石神の出所後の居場所を探してもらうぞ」
このとてつもなく忙しい時に……近藤の捜索だけでも、なぜ俺にお鉢が回ってきたのか分からないのに、新たな依頼をブチ込んできやがったのだった。
歴史モノじゃなかったのか? というツッコミもあろうかと思います。私もそう思います(笑)
想像してみてください。三国志の史料を読んだ後、量子論の本を読むんですよ。
頭が爆発するかと思いましたよ。いや、結果的に爆発してましたね。なので、もしかすると大幅に書き直す可能性があるかもしれません。
そして、この話難しすぎるだろと思った方へ。
ご安心ください。恐らく量子論のお話はこのページだけです。
……たぶん。恐らく。メイビー。