「良くご決断されました。貴女の英断に敬意を」
フォボス内に設えられた謁見の間、そこでモナハン・バハロは大仰に振る舞ってみせる。既にフォボスに備えられていた生産設備の多くは運び出され、共和国の重工業コロニーへと移設されている。
「付き従う民に忍従を強いるのは正しい統治とは思えなかった。それだけの事です」
華美さだけを求めて実用性の無い玉座に腰掛けた少女が舌足らずな声でそう答えた。ミネバ・ラオ・ザビ。かつてジオン公国を率いたザビ家最後の生き残りであり、マーズジオンの指導者である娘。ただ指導者などと言ってもあくまで象徴としてであり本当に彼女が統治を行っている訳では無いであろうし、なんなら目の前の娘が本物のミネバであるかすら怪しいとモナハンは考えていた。
(いや、彼女もミネバで間違いは無いか?)
傅き隠された顔に冷笑を浮かべながら彼はそう考える。前大戦末期、あらゆる物が不足する中でジオンにとって最も深刻だったのが人的資源だった。ありとあらゆる場面において高度な自動化を進めて尚足りぬそれを補うために、ジオン公国は禁忌へも手を伸ばす。その一つが人体のクローニングである。尤も完全なクローニングは制約も多くコストもかかるため、専ら軍が推進していたのは優秀な兵士の遺伝子情報を供出された卵子に組み込むというクローニングの黎明期に用いられた安価な技術であり、どちらかと言えばそうして生まれた子供達の速成に注力していたが。そうした一方で一部の権力者達が、自らの指導者達の血が絶える事を危惧し、極秘裏にそれらの複製を行っていた事は公国の中枢に近い人間ならば知り得る事実だった。当然その中には当時生まれたばかりであったミネバも含まれている。
「それで、この後は如何致しましょうか?」
「ジオン共和国の自治権が失われるまで後13年。ですがその時をただ指を咥えて見ているほど、残られた方達も間抜けでは無いでしょう?」
建前では無く本音を話せ。言外にそう伝えればミネバは先程までと打って変わって酷薄な笑みを浮かべながらそう口にする。アクシズへの逃亡の大半は連邦軍による拘束を危惧した個人が自主的に行ったが、中には共和国が逃がした人員も相当数存在している。それは共和国にしてみれば当然の判断である、抵抗出来るだけの武力という背景を持たない自治権など連邦政府の気分次第で幾らでも反故されてしまう薄っぺらい約束に過ぎないからだ。
「勿論ですとも、物資の備蓄も設備の用意も進めております。後は貴方達の技術を反映するだけだ」
戦後ジオン共和国は地球連邦政府から敗戦国とは思えない寛大な措置が取られている。それが慈悲なのか勝者の傲りなのかモナハンには解らなかったが、保有数と新規開発には厳しい制限が設けられた一方でその他については随分と杜撰なものだった。特に笑ってしまうのが身売りしなかったMIP社とツィマッド社の資産が差し押さえられなかった事と、MSの保守整備を共和国で行って良いという取り決めだ。確かに両社はジオニック社に比べれば規模は小さいがMSやMAの開発能力を備えている企業であるし、大戦中もそれらを製造し軍に供給していたのだ。これに加えて自国内で兵器の保守整備を行うと言う事はそれらの部品製造に関する生産設備の維持だけで無く、製造ノウハウの保持にも繋がる。それが共和国にとってどれだけ重要であるのかを見抜けない連邦政府の交渉人に父達は笑いが止まらなかっただろうとモナハンは思った。そして7年の月日を経てそれらは再び連邦に突き立てる牙となるのだ。
「重畳です。直ぐに量産機の設計データを送りましょう」
「有り難うございます。しかし宜しかったのですか?何も馬鹿正直に貴方達の機体を差し出す必要は無かったのではないですか?」
地球連邦軍、正確にはその治安維持部隊であるUGからの要請によってマーズジオンの機体は武装解除後連邦軍へ引き渡される事となっている。だが総数についてあちらは誰も把握していないのだから大人しく全てを引き渡す必要など無いだろうし、機体数を誤魔化さずとも共和国の旧式と入れ替えて申告するなど幾らでも誤魔化す方法はある。ならば少しでも戦力を手元に残す方が今後を有利にするのではないか?そうした思考から出た言葉は冷笑を湛えたミネバによって否定される。
「構いませんよ、あの様な作業機モドキなど幾らでも持って行かれたところで大した損害ではありません。それよりも今は従順な子羊をしっかり演じるのが重要です」
ミネバは視線を虚空へと移しながら言葉を続ける。
「先の大戦、お爺様や伯父上達が失敗したのは偏に準備を怠ったからです。短期間で講和に持ち込むという自分達にとって都合の良い想定までの準備しかしなかった。だからそのあてが外れた瞬間敗北した。尤もそれは無理からぬ事だったのでしょうけれど」
何しろジオン公国と連邦政府の確執は旧共和国時代から開戦まで20年近く続いていたのだ。寧ろ常に監視を受けていた中で開戦に踏み切れるだけの軍備を整えられた事はザビ家が極めて優秀であった証左だろう。
「前例がある以上、猫を被り過ぎると言う事はありません。深く、静かに、用心に用心を重ねて牙を用意するのです。今度こそ我々の悲願を達する為に」
幼子とは思えない怖気のする笑みを浮かべながら彼女が語るのを、モナハンは釣られるように笑いながら見続けていた。
『今更従順に振る舞って見せるなど連中の欺瞞に決まっております!!』
「全く以て同感だ大佐。私もそう思うよ。だがそれを証明する証拠がない」
大音声が響く通信にグリーン・ワイアット大将はティーカップへ視線を注ぎながら答える。同時に彼は自分の犯した失敗を悔いていた。
一つは後継者の問題。UGの立上げから4年が経ち、連邦軍内における彼の立場は盤石なものとなっている。しかし一方で派閥の維持と運営はワイアットの才覚に大きく依存しており、それを引き継げるだけの能力を持つ者は未だに確保出来ていない。そしてそれが二つ目の問題、グリーン・ワイアット大将の進退についても影響を及ぼしていた。
(ゴップは上手くやったな…)
二年ほど前に退役し、政界へ進んだ元同僚を思い浮かべ彼は小さく溜息を吐く。地球連邦軍はあくまで地球連邦政府の一組織であり、その意志決定は連邦政府によって行われる。そしてその決定は軍の最高司令官になろうとも覆す事は出来ないのだ。
本当に地球連邦軍を意のままにしたいのなら、政界へ進まねばそのスタートラインにすら立てないのである。
『証拠など!私にお任せ頂ければ如何様にも!』
「大佐」
モニターの中で身を乗り出して熱弁する男、バスク・オム大佐は優秀な現場指揮官であるが些か配慮に欠けていた。否、アースノイドの上官からの命令に背くような愚は犯さないが、見下しているスペースノイドに対しては何一つ考慮してやる必要は無いと考えている節がある。彼の経歴を鑑みれば酌量の余地もあると思えるが、だからといってその行動を認める訳にはいかなかった。
「ジオン共和国は公国よりも厄介な相手だよ、連中はザビ家とは違う」
ジオン公国の実質的な指導者であったギレン・ザビは極めて優秀な男だった。だがそれは同時に他の全てを愚かな有象無象に分類させてしまう。ギレンにとってはスペースノイドもアースノイドも、それこそ自国の国民ですら一切の区別無く自らが管理指導しなければならない対象だったのである。故に地球連邦政府へ反旗を翻した際、それが理解出来なかった他のスペースノイドを不要な余剰人口として切り捨てる事が出来たのである。だが、今ジオンを率いている連中は違う。
「彼等は自分達が我々と同じ程度の人間である事を理解しているからね。数を束ねると言う事を知っている」
傑出した個人でないからこそ、数というものの重要性を理解しているのが今のジオン共和国だ。戦後の彼等は地球連邦政府に従順であり、そして他のサイドに対して献身的であった。戦火を広めた張本人なのであるから償うのは当然であると言ってしまえばそれまでだが、真面目に罪を償い続ける相手に怒りを持続し続けられるほど人間は強く出来ていない。まして大戦で悪化した地球環境回復のために宇宙移民を再開させようという流れの中で潜在的な脅威が残り続けているという設定は地球連邦政府としても都合が悪く、ジオンを脅威と扱わない風潮が構築されていく。その中でジオンは周到に周囲と親交を深めている。それこそ、彼等に便宜を図る連邦議員が現れるほどに。
「先の大戦は単純だった。人類の脅威となったザビ家を打倒する戦いだったからね、連邦政府もそれなりに纏まれていた。だが次はそうではない」
既にジオン共和国と蜜月関係にある人間や企業は決して少なくない。特に再建された各サイドの指導者層と積極的に関係を構築している事を考えれば、次の戦争は今度こそ人類を二分した戦いとなるだろう。そうなれば今度こそ人類は致命的な傷を負うことになりかねない。
「動くならば確固たる証拠が必要だ。全ての大衆が我々の正義を一欠片の疑問もなく受け入れられるだけの証拠がな」
『その様に悠長な事を言っていては連中に機先を制されますぞ!』
「ならばその様な事態を想定していたまえ、大佐」
逸って殴りかかってきてくれるならば好都合。その時は大手を振ってジオンは何も変わっていなかったと喧伝すれば良い。そうなればジオンに協力している議員連中も戦争幇助を理由に一掃出来るだろう。
「何があってもこちらから仕掛けてはならない。これは命令だ、大佐」
彼が念を押すと、バスク大佐は憤怒に顔を歪ませつつ敬礼と共に通信を切る。そのあからさまな態度にワイアットは溜息を吐く。
「…さて、どうしたものか」
冷めてしまった紅茶を机に置き、彼はそう呟いた。バスク大佐が我慢の限界に達しつつあるのは誰の目にも明らかだが、その手綱を握れる人間に心当たりがないからだ。さりとて更迭しようにも彼の後任を務められる士官は居ない。正確に言えば居るには居るのだが彼等はエルラン中将の子飼いであり、バスク大佐とは別種の厄介さを持っている。そして後釜が彼等だなどとバスク大佐が知れば、最悪暴走を引き起こしかねないとワイアットは考えていた。
「最悪について想定しろ…か」
自らの発した言葉をもう一度口内で転がした彼は、おもむろに壁に掛けられた時計を見る。複数の時刻が表示されているそれは、UGが駐屯する主要な基地の現地時間を指し示していた。
「難儀なことだ。ジオンめ、一体いつまで我々を煩わせるか」
愚痴を漏らしつつ彼は秘匿回線を操作し受話器を持ち上げる。数度のコールの後、いつも通り人を食ったような声音が耳朶を叩いた。
『やあやあ、大将閣下。一体どの様な用向きで?』
「息災のようで安心したよ中将、すまないがまた頼まれ事をしてくれるかな?」
幾度と繰り返された遣り取りが行われ、幾つかの事が決定する。そうしてUGもまた静かに戦争へと備え出すのだった。