「機関長、左舷エンジンの損害状況は?」
『運が良かったですな。左端の第二エンジンは完全にやられとりますが、一番は無事です、三番と四番も損傷はしておりますが、予備の部品で仮復旧くらいは出来そうです』
機関長の言葉にブライト・ノア大尉は自身の言葉不足を理解した。
「修復まではどの位掛かる?それと仮復旧と言う事だが出力はどの程度出せそうだ?」
『順調に行けば今日中には終わります。出力の方は出せて60%、余裕を見るなら40%位です』
機関長の言葉にブライトは暗澹たる気持ちになる。大気圏突入はジャブローの位置秘匿を考慮して日の入りを狙って行われた。おかげでもうすぐ闇夜に紛れる事が出来そうだが、その間に動けなくては意味が無い。突入後、レーダーが回復した段階で追随するように降下しているコムサイをレーダーが捉えていたからだ。アレン少尉からの報告によればシャアが乗った機であろうとの事だった。どちらにせよ北米のジオン軍に自分達が降下した事は知れ渡っていると考えて良い。捜索部隊が編成されるのは時間の問題だ。
「残念だがとても待てない。修復作業は移動しながらで頼む」
『最善を尽くします』
「頼む。航海長」
通信を切り、近くの席に座っていたワッツ少尉を呼び寄せる。コアファイターのパイロットに配置換えをされていた彼だったが、降下位置がずれた事でブリッジ要員に復帰していた。航路設定を行えるのがブライトを除けば彼しか居なかったからだ。
「現在位置の特定は出来たか?」
「はい、現在我々は北米コロラド州ベルフォード山近傍に居ります」
「…厄介な場所だな」
「前線や敵側の大拠点から距離があるのが幸いですね、逆に言えば味方との距離も離れていて、敵勢力圏のど真ん中とも言えますが」
その言葉に眉間を揉みながらブライトは口を開く。
「最寄りの友軍基地で最も大きいのは…オーガスタか」
「難しい距離です。真っ直ぐ行くには起伏の少ない砂漠地帯が待っていますし、丘陵を利用しようとすればジオンの前線近くを飛び続ける事になります」
「北方に大きく迂回するには物資が心許ない、か」
「…コロニー落としの影響で例年より気温が低下しているとの話もあります。緊急時に民間人を下船させる事すら難しくなるでしょう」
平野部を回避するとなれば数百キロは北上する必要がある。北部の地域は既に秋の様相を呈していて気温も相応だ。当然コロニーの避難民は防寒対策などしていないから、不用意に放り出せば最悪死者が出かねない。
「手詰まりじゃないかっ!」
そう言って頭を抱えるブライトに対して、何かを決心したような表情でワッツ少尉が口を開いた。
「あの、ブライト大尉。提案があります」
「提案?」
「はい、現状を鑑みて我々がオーガスタへ向かうのは現実的ではありません。ならば別の場所を目指すしかないと考えます」
「道理だな、けれど何処を目指す?」
ブライトが問い返すと真剣な表情でワッツ少尉が答える。
「東南アジアです。あの辺りは連邦軍の勢力圏でも陸軍が特に力を入れているエリアですから、逃げ込めれば敵の追撃は減少するでしょう。更に移動経路の大半が海洋ですからジオンの追撃手段も限られます。連中の潜水艦相手ならホワイトベースの推力が40%でも十分振り切れますし、ドップも航続距離を考慮すればガウ無しでの追撃は難しい」
「だが万一の場合洋上で身動きが取れなくなるぞ?」
「…それなのですが、地上の場合艦そのものを拿捕される可能性があります」
ワッツ少尉の意見にブライトは押し黙る。理想としてはホワイトベースがジャブローにたどり着く事だ。しかし敵の妨害がある事が確実である以上、こちらの都合良く物事が進むと考えるのは危険だ。特にガンダムと言う最重要機密を扱っている事を考慮するならば、最悪の事態も想定して然るべきである。
「脱出艇の数は問題無いのか?」
「現在は足りています、ギリギリですが。ですからある程度の覚悟は必要だと」
小声で問い掛けるブライトに対し、ワッツ少尉は顔を暗くしてそう答えた。ギリギリという事は問題があれば不足するという事だろう。どうすべきか悩むブライトに再びワッツ少尉が声を掛けてくる。
「…大尉、ここで避難民を降ろす事は出来ないでしょうか?」
「何を言っている!?ここはジオンの勢力圏だぞ!?」
「南極条約で民間人への攻撃は禁止されています。条約を盾にすれば避難民を降ろしている間は停戦も可能かもしれません。荷物を降ろせばある程度は身軽になれます」
ワッツ少尉の言葉をブライトは検討する。しかし出てきた答えは否だった。
「確かに成功すれば多少は身軽になれるだろう。だが、その為にはあちらがこちらを包囲する時間を与える事になるだろうし、何より向こうが避難民の下船を承諾するとは思えない」
「しかし南極条約では…」
「確かに南極条約では民間人への攻撃は禁止されている。しかしこの艦に乗っている人間を彼等が民間人と認めるかは別問題だ」
仮にサイド7が崩壊などしていれば緊急避難した住民という言い訳が出来る。しかし現状乗り込んでいるのはジオンの攻撃に対し保護を求めてきた一部の人間であり、サイド7自体も健在である。その状況で避難民を降ろすと言って果たしてジオンが信じるだろうか。
「最悪健常者は補充人員にもなるし、艦内の様子をジオンに知られるのも不味い。面倒だろうが現在の人員全員での移動を想定して航路設定を頼む」
「いえ、了解しました」
敬礼して席へと戻るワッツ少尉を見送りながら、ブライトは密かに溜息を吐く。憧れていた艦長席は、想像以上に居心地の悪い場所だった。
「ああ、アレン少尉か、整備状況を聞きに来たのだろう?」
俺の顔を見た瞬間、テム・レイ大尉はそう言った。流石に半年近い付き合いだから、あちらも俺の事を多少は理解してくれているのだろう。
「はい、タンクの方はどの様な状況でしょうか?」
「多少の被弾はあったが問題無いよ。元々コイツのベースは次期主力戦車だったからね、実の所装甲厚で言えばV作戦の機体では最も厚い。とは言え連中のヒートホークに耐えられる程では無いから過信は出来んが」
「単座化はどうでした?」
「装備している火器が多い分少々煩雑のようだが、まあMSの操作に比べれば大した事ではない。問題は重力下での運用がぶっつけ本番になる事だな。今宇宙での射撃データから姿勢制御系をアップデートしている。後は増設したサイドスラスターの撤去だな」
「地上ではタンクにも格闘戦をやって貰う必要が出てくると思います」
「だろうな。やれやれ、今更こいつをここまでいじり回す事になるとはね。本来ならガンダムの様子を見ておきたいんだが」
「その辺りは全員承知済みですよ」
そう言って俺はロスマン少尉から預かっていたタブレットを手渡す。レイ大尉は嬉しそうに受け取ると早速内容を確認しつつ、俺に話し掛けてくる。
「相変わらず君はどうにも白兵が下手だね。伍長と良い勝負じゃないか」
「どうにも機体越しに殴る蹴るという感覚がイメージしにくいのです」
「兵科の問題かね?歩兵出身のキタモト中尉はそれなりに熟して…いかんな、失言だった」
「いえ、中尉の格闘術にはいつも泣かされておりましたから」
けれど今はもう居ない人間を頼る事は出来ない。
「損害を抑える為にもMS隊は徹底して火力の集中と砲撃で状況に対応しようと考えております」
「ガンダムの強みは加速性能と柔軟な運動性なんだがね?」
「勿論存じております。ですが乗り込んでいるのがテストパイロットと素人です。申し訳ありませんが戦場で大尉の理想とするような機動を行えるとは思えません」
「だろうな、だが全くやらんでは教育型コンピューターの育成に支障が出てしまう」
俺は頭を振ってそれでも拒否を示す。
「教育型コンピューターの育成が重要である事は認識しております。シミュレーターでの訓練ではその辺りも取り入れますが、戦場で使うかは私が判断させて頂きます」
俺がそう言うと、レイ大尉はニヤリと笑って肩をタブレットで叩いてくる。
「それはそうだな、MS部隊長。運用は任せるよ、まあ出来るだけ壊さずに帰ってきてくれると助かる」
正直期待に応えるだけの才覚など持ち合わせていないのだが。
「最善を尽くします。死ぬのも死なれるのも、もう御免ですから」
溜息と共にそう言って敬礼をする。いかんな、まだ引きずっている。しっかりしろディック・アレン。死人に引かれて自分までその仲間になるつもりか?
「そうだな。…タンクの方は取り外しも含めて全部で5時間、1号機だけなら1時間後には使える筈だ」
「承知しました。リュウ曹長達に確認しておくよう伝えておきます。ガンダムの方は――」
そう俺が口にした所で特徴的な警報が鳴る。そして敵機接近のアナウンスが流れた。
「クソっもうかよ!」
「このままタンクは換装作業を続ける!艦が揺れるかもしれん、機材の固定に注意しろ!」
走り出す俺の後ろでレイ大尉が整備班に檄を飛ばす。こうして俺達の逃亡劇は幕を開けたのだった。
北米編スタート。
何話で終わるカナー。