時間は少しだけ巻き戻る。宇宙世紀0087年4月2日、ジオン共和国首都、ズムシティ首相官邸においてダルシア・バハロは深々と溜息を吐いていた。
「店じまいの時間だな」
連邦軍による査察が通達された時点で、彼はマーズジオンを切り捨てる事を即座に決める。
「馬鹿共が、燥ぎ過ぎおって」
武力は重要な外交カードである事は間違いなく、その重要性をダルシアも認識しているからこそマーズジオンとの取引も行ってきた。しかし彼等はそのせいで重大な思い違いを起こしていた。
「火星とは、それ程遠い場所なのだろうな」
遠征軍の撃退後、連邦軍はジオンと火星に対し大々的な動きを見せていなかった。それを彼等は自らの実力と認識し、更に連邦の本気がその程度だと見積もった。だからこそのフォボス移動であり、共和国への合流だったのであるが。
「とんでもない勘違いだ」
火星へ派遣されたのは言ってしまえばガス抜きである。スペースノイドを優遇する様な宇宙移民政策の再開とサイドの再建を苦々しく思う連邦軍人は少なくなく、彼等の溜飲を下げる為にも解り易い生贄が必要だったのだ。故に表沙汰にはなっていないがダルシアも情報提供などで秘密裏にこの派遣には協力しており、だからこそあれが連邦でもごく一部の行動である事を理解していたのだ。
「だが、次は違うぞ」
火星での戦いは言ってしまえば連邦政府にとって他人事だ。勝とうが負けようがそれは連邦軍の問題であり、大した事ではない。だが、地球が標的となれば話は全く異なる。既得権益を侵されると判断すれば、ジオンは再び眠れる獅子を起こしてしまうだろう。そしてザビ家という都合の良い旗頭を失ったジオンは今度こそサイド3へ戻る事になる。
「それは絶対に避けねばならん」
コロニーの再建と宇宙移民の再開によって、政治的なバランスは大きく変化している。特に多くの資産家がコロニーへ移る事を選択した事で、地球連邦政府は以前より遥かにスペースノイドを優遇し始めているのだ。勿論それは自らの懐を潤す為という腐敗に根付く行為であるが、それによってスペースノイドの地位が上がっている事も厳然たる事実だ。もしここで再びジオンが立ち上がり連邦を打倒しようと動いたら。その時は間違いなくジオン対地球圏の全人類の戦いになるだろう。いや、ひょっとすれば圏外の人々も争いを起こす災禍として敵に周りかねない。そんな戦いに勝利できると思える程ダルシアは夢想家ではなかった。
「どう言う事ですか、父さん!」
査察の前に何とか全ての問題をマーズジオンに擦り付けるべく彼が思案していると、執務室の扉が乱暴に開かれてモナハン・バハロが部屋に入るなり奇声を上げる。バカ息子を睨みながら、彼は口を開いた。
「何か用か、モナハン外相」
公私の区別がついていない事を言外に注意するが、頭に血の上ったモナハンには無意味だった。彼は泡を飛ばしながらダルシアを責め立てる。
「査察を受け入れるなど!同胞を見捨てるつもりですか!?」
「同胞だと?お前の言う同胞とは都合が悪くなれば逃げ出して、利があると見ればすり寄ってくるあの寄生虫共の事か?」
「軍事力が必要である事は父さんも納得していたじゃないか!」
「勿論必要だ。だがあんなものとは聞いておらん!貴様らは本気であんなものを使う軍隊が受け入れられると考えているのか!?」
革新的なバイオマテリアルを利用した高性能コンピューター。そんな曖昧な言葉を鵜呑みにした事をダルシアは後悔していた。確かに連邦軍に比肩しうる戦力は魅力的だ。だがそれが出来るなら何をしてもいいという訳ではない。
「人間を部品として使う兵器など民衆が受け入れる訳がない!お前達はジオンを人類の敵にするつもりか!?」
「惰弱な民衆など問題ではないでしょう?所詮連中など我々に管理されなければ滅びるだけの愚かな存在です」
その愚かな大衆に敵視されれば管理など夢のまた夢である事にモナハンは気付かない。すっかりギレン・ザビの後釜になったつもりの息子を見て、ダルシアはこの男も切り捨てる事を決めた。
「いずれにしても、もう終わりだ。既に連邦の艦がこちらに向かっている。お前の今後もそれから決める事に――」
「遅いですよダルシア首相、遅すぎる」
その瞬間部屋の扉が開き、兵士が複数人入り込んできた。彼らの手には短機関銃が握られていて、その銃口が素早くダルシアへと向けられた。
「…なんのつもりだ?」
「査察の軍は来ません。彼等には我々の大義になって貰います」
勝利を確信した者特有の笑みを浮かべつつモナハンが朗々と語る。
「我が国へ向かう途中、彼等は不幸な事故で宇宙の藻屑となる。当然連中は我々を疑います。どころか軍を差し向けるでしょうね、それこそ私の目的であるとも知らず!」
信じたくない言葉にダルシアが目を見開くが、モナハンの言葉は止まらない。
「連邦軍による不当なスペースノイドへの攻撃!それだけあれば十分、後は叩き潰すだけで事足りる。それだけで私はこの世界の覇者となる!」
愚か過ぎる。それがダルシアの最初に抱いた感想だった。そもそもその“連邦軍を叩き潰すだけ”が成しえなかったからこそジオンは独立戦争に負けたのだ。だがそんなダルシアの内心を見透かすようにモナハンは口の端を吊り上げる。
「そんな事は出来る筈が無い、とお考えでしょう父上。老いましたね、あの頃と我々が違う様に、連邦もまた違う。この7年で十分に毒は巡りました。貴方の怯える巨象は、今や身動き一つとれぬ死に掛けなのですよ!」
世迷言を喚くモナハンを見て、ダルシアは急速に自らの心が冷えていくのを自覚する。スペースノイドに好意的な議員が増えた事は事実であるし、連邦軍内に彼等の息がかかった人間が送り込まれているのも承知していた。だがスペースノイドとはジオンだけを指したものではないし、軍内の人物であっても組織を采配する側には誰一人入り込めていないのが実情だ。成程確かに独立戦争の頃よりは改善しているだろう、だがそれは大勢に影響を与える程の変化では無いとダルシアは判断していた。しかし目の前の男達にはどうやら全く別に見えているらしい。
「本日までお疲れさまでした、父上。今後の事は私に任せ、ゆっくりとお休みください。連れていけ」
ダルシアは小さく溜息を吐くと自ら席を立つ。既に彼の脳内は戦後を見据えて動き出していた。
「悪い知らせと最悪の知らせが来た」
ブリーフィングルームに集められた俺達を前に、ローランド大佐が苦虫をダース単位で噛み潰した顔で口を開く。
「先程ゼダンの門近海宙域を航行していたバーミンガムが消息を絶った。詳細は不明だが、基地の観測員が予定航路上にて爆発光らしきものを確認している。現在は確認の為艦隊を派遣する予定だが…」
そこまで言ってローランド大佐は溜息を吐く。
「既に一部の将校がジオンの犯行であると断定し、出撃の準備に入っている。また、ワイアット大将の不在により連邦各派閥が付和雷同を始めた。それについて基地司令からお話がある」
そうローランド大佐が水を向ければ、憮然とした表情のエルラン中将が皆の前に立ち、不機嫌そうな声音で話し始める。
「緊急事態に際し、ジャブローの上層部経由で我が隊の派遣が決定した」
その言葉に皆が黙って頷く。元々緊急展開を想定した戦力である俺達はそうした行動に慣れているのだ。
「さらに悪い話とは正にこれだ。どうやら連中はジオンだけじゃなく私達にも危機感を抱いたらしい。そう、派遣先は一つじゃないんだよ」
連邦軍司令本部、ユニバーサルガード宇宙方面司令部。
「そして万一に備えてスノーフレークにも行けとの事だ。悠長な事じゃないか」
見事にバラバラにされる艦隊に艦長たる面々が顔を顰めた。精鋭との自負はあるが、だからと言って態々少数で事に当たりたい物好きはいないからだ。
「万一の予備戦力としてホワイトベースはここに残せる事になった。だが他の艦はそれぞれに出向いてもらう。ヘンケン中佐」
「は、はい!」
唐突に呼ばれた中佐が慌てて立ち上がると、エルラン中将は口元を歪めて言葉を続けた。
「君はまだウチに来て日が浅い。部下も中々に癖が強そうだし、補佐にそれを付ける。上手く使いたまえ」
「つまりアーガマが?」
中将の言葉に困惑するヘンケン中佐に代わってそれ呼ばわりされた俺が問う。
「そうだ、スノーフレークにはアーガマに行ってもらう。…彼等も連れてな」
返ってきた思った通りの言葉に、俺は深く溜息を吐きながら敬礼で応じるのだった。
来年の作者は上手くやってくれるでしょう(願望