バクー。旧世紀における油田地帯の一つだったその都市は、宇宙世紀において化学物質精製を生業とした都市に変わっていた。環境汚染への厳しい対応は重工・化学産業に特区への集約を引き起こす結果となる。バクーはそうした流れの中で西ユーラシアへの化学精製品の50%を占める工業都市として機能していた。
「まあ、その内容は殆どが製薬関連だって話だ」
勿論劇物や爆発物が皆無という訳では無いが、大半は気にせず砲弾をぶち込める場所と言える。
「極力施設は傷付けるな、との事だがまあ極力だ。お前達の命を天秤に掛ける価値もない訳だな。だから構わん、派手にやれ」
『い、良いのかなぁ』
良識派のジョブ・ジョン准尉が少し声を引きつらせながら呟く。良いんだよ、俺が許可してんだから。
『観測データ来ました、いつでも撃てます』
隣に陣取ったニキ・テイラー曹長は一切の躊躇いを見せずにそう告げてくる。その言葉を聞いてジョブ准尉も覚悟が決まったらしい。射撃体勢に入った。
「よし、キャノン隊の先制砲撃と同時に突入する。対象は敵戦力及び防衛施設、突入後は各個の判断で撃って良し。いいな?アムロ軍曹、アクセル軍曹」
『『了解』』
大変結構。
「時間だ、攻撃開始!」
こうしたMSによる攻撃は夜間に行うのが普通だ。ミノフスキー粒子でレーダーが無効化される以上、最も頼れる情報は光学、即ち目視やカメラによる映像になるからである。だがこれは、実のところジオンが連邦を攻略する際に普及した常識である。侵攻当初砲兵火力が不足していたジオンが、如何にMSに負担を掛けずに基地までたどり着くかを考えた際の戦術だ。同じように砲兵を持たない独立機械化混成部隊などでは同じように夜襲が多く用いられているが、ホワイトベース隊にはガンキャノンとガンタンクがある。先制して基地の防衛設備を叩けるならば、観測のしやすい昼の方がやりやすい。そしてこちらの位置が敵も把握できると言うことは、こういうことも起こると言うことだ。
『見つけたぜ』
ノイズ混じりの中でカイ兵長の静かな声が耳に届く。キャノン隊とタンクの砲撃が開始されるのと同時に浮上したホワイトベースの前部甲板上に陣取っていた彼はこちらの砲兵戦力を叩こうと飛び出してきたザクを容赦無く撃ち抜いた。
ミノフスキー粒子の軍事利用について、ジオンは連邦に先行していた。だがそれは連邦がミノフスキー粒子下の戦闘を全く想定していなかったという事では無い。事実宇宙軍ではマゼラン級やサラミス級にミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉を搭載した時点で電波障害については報告がされていて、その対策も進められていた。尤もジオンがそれを積極的に軍事利用し、攻撃を仕掛けてくるなどとは誰も考えていなかったから遅々としたものだったが。つまり何が言いたいかといえば、連邦軍も問題を認識していて、それに対するいくつかの技術開発を行っていたということだ。それが反攻作戦において大きな力となっているこの通信システムの構築だ。ジオンは通信障害を使うことに注力したが、その一方で通信システムについては十分に揃えることが出来ていなかった。これは連中が短期決戦を想定していたことと、単純に国力の問題だ。MSに搭載可能な通信装置の開発にまでリソースが追いつかなかったのだ。この為ジオンは戦闘において短距離通信の通じる範囲での連携しか行えず、必然的に小隊長などに高度な判断を委ねる必要が出てしまった。ジオンが個人の技量を重視するのはこの弊害と言える。
対して連邦はそれよりは上位の通信機能を確保できたために、もう一段上の組織としての行動が可能だ。諸兵科が連携して戦える分、個々の技量で劣ろうとも数の暴力でそれを覆せる。また、今回のような状況でも各隊が勝手な判断で行動する事が避けられるから、今のザクのように不用意に飛び出して狙撃されるといった無駄な損耗も抑えることが出来る。
「よし、突貫!」
俺の宣言と同時に3機のガンダムが駆け出した。即座に102号機が飛び上がり、ビームライフルを連射する。その攻撃が行われる度に基地の方では大きな爆発が発生した。恐らく起動直後のMSを撃ち抜いているのだろう。
『俺たちが着く前に全滅するんじゃないですか?』
基地を呑み込む様な爆発の連続に、アクセル軍曹が呆れたような声音で感想を述べた。お前、そういうことは思っても口にするんじゃないよ。
「それを確かめるのも俺たちの仕事だっと!」
ロックアラートが鳴り、俺は即座に盾を構える。見れば路地から飛び出したザクがマシンガンを俺に向けて構えていた。
『やらせるか!』
だがザクが撃つよりも先に、ビームライフルを構えたピクシーが発砲。上半身への直撃を受けたザクは仰け反るように倒れるとその場で爆発する。
「助かった!」
アクセル軍曹に感謝を告げながら、俺は爆炎の向こうへビームを放った。案の定迂闊に飛び出していた僚機と思われる機体が被弾し、慌てて飛び出した路地に逃げ込む。
『良くわかりましたね?』
「いや、ただの勘だ」
命中したのも思い切り偶然である。まあ隠れて攻撃してくるとすれば、この辺りだろうとは思っていたし、襲撃ならば一斉に掛かる必要があるから同時に飛び出す事は想像に難くない。そして遮蔽物が多い市街地では、通信が確保しにくいジオンが複数に分散して潜伏し、同時に襲撃をする事は困難だから、一カ所に火力を集中するだろうくらいの事である。遮蔽物の陰に隠れた手負いのザクは、再び飛び上がったアムロ軍曹によって建物ごと撃ち抜かれ爆散する。
「良し、このまま前進――」
『攻撃中止!攻撃中止!』
再進撃を指示しようとした俺の言葉は、オペレーターの声に遮られた。
『バクー基地より降伏の通信が発せられています。MS隊は攻撃を中止し、速やかに前進。当該戦力の武装解除を行って下さい』
そんな指示を受け、俺達は困惑しつつも基地へと向かう。そしてそうなった理由をその目で理解した。
「成る程ね」
配置されていたであろう砲台に弾薬庫、そして何より撃破されて残骸となった多数のMS。基地設備の方こそ半数ほどがキャノンとタンクの砲撃による被害だが、MSに関しては完全にビーム兵器による破壊だ。つまり俺達が基地にたどり着くまでのほんの数分で、バクー基地はたった1機のMSによる攻撃で戦力の大半を壊滅させられたのだ。それは降伏もしたくなるだろう。
「俺は歴史の分岐点を見ているのかもしれないな」
誰にともなく、俺はそう呟いた。
「やけにあっさりと降伏しましたね?」
ワッツ中尉が怪訝そうな表情でそう話しかけてくる。ブライト・ノア特務少佐は彼の言葉に頷きつつ、同時にドローンから送られてくる画像を見て答える。
「あれだけ派手に被害が出ては戦いたくても戦えないだろう。賢明な判断に思えるが、確かにお行儀が良すぎるな」
元来降伏と言うのは難しいものだ。余程指揮官が優秀で部隊を完全に掌握出来ているならば話は別だが、それならばこうも簡単に基地が落とせるとは思えない。ならば可能性として残るのは、予め降伏する前提でいたという推測だ。
「しかしどんな意図があればそうなる?」
「バクーはバイコヌールまでの回廊地帯を押さえる為の前線基地ですから、現状では守る価値が無いと考えた…とかでしょうか?」
「中隊規模のMSを駐留させておいてか?守る価値が無いのなら引き払ってしまえば良いだろうに」
貴重なMSを配置している以上、防衛の意図があったと見て然るべきだ。しかしそれにしては降伏の手際が良すぎる。相反する情報に二人が沈黙していると、オペレーター席に座っていたフラウ・ボウ一等兵が報告をしてくる。
「ブライト艦長。アレン中尉から報告です。降伏してきた捕虜の輸送準備を願う、とのことです」
「ん?ああ、捕虜か。そうだな、クラーク少尉にガンペリーを出すように言ってくれ。因みに捕虜はどの位だ?」
「は、はい。えっと、え?」
「なんだ、どうしたんだ?」
ブライトの質問にフラウ一等兵は直ぐに確認をとるが、そこで困惑した声を上げた。いやな予感がした彼が再び問いかけると、フラウ一等兵が困った表情で告げてくる。
「その、少なくとも1000名は超えるとの事です」
「なっ!?」
バクー基地の規模からすれば、確かにその人数は不思議では無い。しかしそれだけ居るならばまだまだ戦える筈だ。事実更に規模の大きいバイコヌールでの戦闘で出た捕虜は100名前後だったはずだ。
「短時間の損害で士気が崩壊したのでしょうか?」
「ならば逃亡兵が出ている筈だ。一体何だと言うんだ?」
「あの、すみませんブライト艦長。アレン中尉から追加の報告が。負傷者が多く基地の医薬品が足りていないそうです」
「っ!?」
南極条約において捕虜の取り扱いについては規定されている。降伏を受理した時点で、バクー基地のジオン兵は全て捕虜であり、その中に含まれる負傷者への責任は連邦軍に帰属する。即ち今現在はホワイトベース隊が彼らの面倒を見なければならないと言うことだ。
「ガンペリーに医療キットも積み込むように言ってくれ」
何とかそれだけを口にして、ブライトは大きくため息を吐いた。味方への被害については検討していたものの、このような状況は想定外だったからだ。
「ワッツ中尉、野営施設はどの位ある?流石にあの人数を艦内には入れられない。オスカー曹長、大至急第2軍に連絡を入れてくれ。捕虜を抱えて作戦行動など取れない」
彼らはまだ知らない。既に自分達がジオン側の術中にはまりかけていることを。
重い話は諦めたぜ!