「なんつーか、拍子抜けするくらい順調っすね」
野戦服姿でヘルメットを弄びながらカイ・シデン兵長がそう話を振ってきた。俺は手にしていたタブレットから目を離して口を開く。
「ジオンにしてみれば多勢に無勢だからな。守りきれんと判断した場所は切り捨てているんだ。つまりこっちの作戦が始まってからが本番だな」
どの拠点も綺麗に引き払われているが、こちらの進撃速度は当初とほぼ変わらない状況だ。それと言うのも、それぞれの拠点にはちゃんと置き土産がされていたからだ。殆どは手榴弾などを使った子供騙しみたいなトラップだが、中には発電施設なんかに仕掛けられた厄介なヤツもある。そして一個でも見つけてしまえば基地全体の安全確認をしなければならない。ホワイトベースはまだしも第2軍は規模相応の物資を消費するため、補給線と中継地点の設置は必須である。たかが数個の爆弾でこれだけ敵を遅滞させられるのだから、敵ながら大した戦術である。
「けれど、どの基地も大した妨害は無かったですよ?それってもう邪魔する余裕も無いって事じゃないんですか?」
そう言って会話に加わってくるエリス曹長に俺は言い返す。
「そうであれば有り難いんだが、何というかな。それにしては逃げ方に余裕があり過ぎる」
それにだ。
「こうした作業となれば工兵の仕事だろうが、殆どが素人じみたものばかりだ。つまりこれらの基地には殆ど工兵が残っていなかった可能性が高い」
そして逃がされた工兵はどこで何をするかと言えば、考えられる選択はそう多くない。
「つまり真っ先に下げられた工兵は、今頃オデッサの要塞化に勤しんでいるんじゃないかと俺は考える」
後はどの程度ジオンがオデッサに固執しているかによる。史実通りなら欧州方面司令のユーリ・ケラーネは地球の戦略的価値が解っていないから、兵士の消耗を避ける為にマ・クベと対立する事が期待できる。一方で既に迎撃に関する権限をマ・クベが掌握している場合は厄介な事になるだろう。
「オデッサの偵察情報は来ていないんですか?」
「偵察自体はしているんだろうがな。随分梃子摺っているようだ」
守備範囲を限定している分防空も十分に機能しているようで、連邦は制空権を奪取出来ずにいる。結果十分な偵察は出来ていないようだ。
「制空権が確保出来ていないと言うのは厄介ですね」
眉を顰めつつテイラー曹長が唸った。制空権が取れていないと言う事は、地上が砲兵同士の叩き合いになると言う事だ。先鋒を務めるMS隊にしてみれば楽しい話ではない。何しろ攻撃側の俺達は身を守るものが無い状態で砲撃に晒されるのに対し、敵は陣地と言う拠り所がある。同じ様に砲撃を受けたら、どちらの被害が大きいかなんて馬鹿でも解るだろう。
「気を付けろよエリス曹長。お前さんのGファイターは滅茶苦茶目立つからな。感覚としては味方の真上だけ飛ぶくらいの気持ちでいろ」
ホワイトベース隊としては唯一の航空戦力となってしまう彼女は、俺達から支援しにくいという問題がある。第2軍の航空戦力は十分な数が揃えられているから孤立するような事は無いと信じたいが、それでも用心に越したことはない。
「はい、気を付けます」
「宜しい。さて、そろそろ全員機体に搭乗待機だ」
時計に目をやってそう告げる。今頃左ハンガーでは第4小隊と第5小隊が機体から降りている筈である。作戦開始前、最後の待機に俺達は向かった。
「アレンってロリコンなのかしら?」
待機解除と共に機体から降りたクリスチーナ・マッケンジー中尉が放った言葉に、セイラ・マス一等兵とハヤト・コバヤシ一等兵は微妙な表情で顔を見合わせた。因みに元凶は至って真剣な顔である。
「あの、マッケンジー中尉。どうしたんです、急に」
セイラやハヤトにとって、アレン中尉は頼れる隊長である。戦闘面だけでなく慣れない軍隊生活において、若い彼らが精神を病まずに居られるのも彼の配慮によるところが大きい。
「エリス曹長との距離よ。近いと思わないかしら?」
「それはバディを組んでいる訳ですし、多少はそうなるのでは?」
「それはそうだけど。なんていうのかしら、こうそれを超えて親しさのある態度と言うか」
「マッケンジー中尉の気にしすぎではないですか?」
「それよ!」
ハヤトの指摘にマッケンジー中尉が声を上げた。
「私やニキはファミリーネームで呼ぶのにエリスやセイラはファーストネームで呼ぶじゃない。これって心理的に近しいと感じているんじゃないかしら」
「僕やアムロ、カイさんもそうですよ?」
「…バイなのかもしれないわ」
真剣な表情で愉快な推論をマッケンジー中尉が導き出すと、後ろを歩いていたクラーク少尉が温和な笑顔で口を開く。
「おや、そうなると自分達も守備範囲と言う事ですね。気を付けなければ」
「その理屈だとホモサピなら何でもよくなっちまうっすよ、マッケンジー中尉」
アクセル・ボンゴ軍曹の指摘に、再び難しい顔をするマッケンジー中尉。その様子を見ていたアニタ軍曹が口を開く。
「案外逆なのかもしれません」
「逆?」
「ええ、アレン中尉は割と思考が幼いので私達には友人感覚なのでしょう。クラーク少尉は同年代ですが同性ですし。対してマッケンジー中尉やテイラー曹長は中尉から見て大人の女性です」
「ああ、だから気恥ずかしさが勝ってファーストネームで呼べないって事ですか」
「そんなハイスクールの学生みたいな…所があるわね、あの馬鹿は」
マチルダ中尉の写真をカイ・シデン兵長と共謀しホワイトベース内で売り捌こうとした悪事は記憶に新しい。整備班のロスマン少尉などは暫く生ゴミを見る目で対応していた位だ。
「そうだとしたらどうなんです?マッケンジー中尉としては」
「タイプじゃないわ」
クラーク少尉が愉快そうにそう聞くとマッケンジー中尉は即答する。それはもう疑問の余地もない発言だった。
「まあ、パイロットとしての腕は評価しているわよ。けど、なんて言うか私生活でアレが同じ空間にいるのは耐えられる気がしないわ」
散々な評価であるが、全員がその言葉に納得できてしまう。悪人では無いが、かといって善人とは言い難い。判断基準も独特で一般的な倫理観と逸脱している所も多々見られる。少なくとも世間一般が期待する普通の家庭を構築する能力には欠けているように思えたのだ。
「でもアイツ後輩には妙に人気があるのよね」
なんとなく理由の解るセイラとハヤトは苦笑した。軍人としてみた場合、アレン中尉はひどく接し方が普通だ。軍人という新しい環境に適応するまで、彼のような存在はとても安心できる事だろう。そこに加えて兵士としての有能さを見せられれば憧れるのも無理はないように思える。
「問題を起こさなければ個人の趣味嗜好には口出ししないのが賢明でしょうね」
クラーク少尉が手を叩きつつそう言って移動を促す。マッケンジー中尉は軽く見回した後、肩をすくめて率先して歩き出した。直ぐ横に並んだクラーク少尉が小声で話す。
「流石と言うべきでしょうか。大規模作戦を前に緊張が見られません」
「規模はともかく命の危険という意味ではもっと危ない状況を経験しているもの。判断力の低下も見られないし、これなら問題なさそうだわ」
唐突な会話は当然本気のものではない。今までの状況と乖離した会話に即座に思考が追いつくか、また不躾な内容であっても冷静に自己を制御できているかを見るためだ。尤も後半は成功しているか微妙であるが。
「親しみやすい上官というのも考え物ですね。あれだけ侮辱されても誰一人問題視しないとは」
「無理もないわ、半分は速成で残りは2ヶ月前まで民間人。それも全員未成年よ?自分達の隊長が副長に侮辱されたと認識できているかすら怪しいわ」
選ぶ会話を間違えたわ。そう呟きながらクリスチーナは苦笑する。軍隊としては間違っているだろう。だがホワイトベースはそれで良いのかもしれない。望んで軍人になった自分達と違い、彼らは才能があるからとパイロットにされたのだ。志願したと軍が嘯いたところで、聞いた限りではそうせざるを得ない状況だったとクリスチーナは考える。
「本当は今すぐ銃を取り上げるべきなんでしょうけど。情けないわね」
彼らの戦闘能力は既にホワイトベースにとってなくてはならない戦力だ。代替の部隊を詰め込んだところで撃沈されるのが関の山だろう。
「アレン中尉ではないですが、今は生き延びさせる事を考えましょう。生きていれば何とかなるものですから」
クラーク少尉の言葉にクリスチーナは小さく頷く。そうだ、先ずは目の前の作戦で彼らを死なせない事だ。後のことを考えるのはこの戦争が終わってからでも遅くない。そう彼女は問題を先送る事にした。それが大きな間違いであったことに彼女が気づくのは、ずいぶん先の話になる。
落ち着いて聞いて下さい。
次からオデッサ作戦です。