一度でも突破を許してしまった前線を再構築するには多大な労力が必要だ。抜けてしまった敵を対処しつつ、綻びを補填するには十分な戦力が必要だからだ。だがそもそも十分な戦力が用意出来ているのなら突破などそうそうされるものではない。故にその破綻はある意味必然と言えた。
『弾をっ!誰か弾をくれ!?』
『増援は!?増援はまだなのか!?』
『第17警戒艦隊壊滅!我に戦力無し!我に戦力無し!』
『新兵共はア・バオア・クーに張り付け!下がるんだ――』
『隊長がやられた!指揮を引き継げっ』
劣勢ばかりを告げてくる通信を溜息と共に意識から追い出しつつ、トワニング准将は命令を下す。
「Nフィールドの残存艦隊を離脱させる。海兵隊がまだ残っていたな?Eフィールドまでの回廊を形成させろ」
「は?しかし…」
戸惑うオペレーターにトワニングは眉間を揉みながら言葉を続ける。
「どのみちSフィールドが突破された時点で水際防衛は破綻している。それにどうせ降伏するのだ、残るのは要塞内の守備隊だけで十分だろう」
格納庫で脱出の準備を進めるザンジバル級をモニターで確認しながら、彼は鼻を鳴らした。
(馬鹿な事をしてくれたものだ。だが責任者には生き残って貰わねばな)
ギレン・ザビはこの一戦を決戦と考えていた。ここで連邦軍の主力とそれを担う主戦派の中核人物を一掃する事で連邦政府をもう一度交渉の席に着かせる。首相であるダルシア・バハロが彼には内密に和平交渉に動いている事を察知していたギレンは、その交渉をジオンの降伏ではなく再度独立承認の場とする事を画策していたのだ。コロニーレーザーの発射も地球への南極条約に抵触しない直接攻撃手段を見せつける事で、再び地球上が何処でも安全地帯では無いと勘違いさせ、交渉を有利に進めるカードとするのが本命であった。しかしこれらの思惑は、キシリアのギレン暗殺によって大きく狂いを見せる。混乱を最小限に抑える為に声を上げたトワニングであったが、キシリアは彼の想像以上に使えない人間だった。偉そうにふんぞり返り命令を下す。きっと彼女の中にある総司令のイメージはその程度のものだったのだろう。自分の望みを口にして後は部下の努力に依存する。結果が伴わなければ、それは指示を完遂出来なかった部下の責任であるなどと考えていたかもしれない。だから自分にも出来ると錯覚したのかもしれない。
「総帥はあまり口数の多い方ではなかったからな」
皮肉に口元を歪めさせながらトワニングはそう呟く。事細かに全てを指示するような命令をギレンは発したことは無い。だがその命令は受けた者が努力すれば必ず実行可能な範囲に収まっていたのだ。膨大な情報量とそれを即座に処理出来る頭脳の持ち主であるギレンが総司令だったからこそ、このア・バオア・クー防衛は辛うじて成立する範囲にあったのだ。だが死んでしまった以上その頭脳に頼ることは出来ない。だからこそこの瞬間に総司令を撃ち殺すなどという暴挙に出た人間を担ぎ上げたが、キシリアに出来たのは司令席にふんぞり返っていることまでだった。挙げ句劣勢と見るや言い訳と共に逃げ出す始末である。だが彼女が口にしたとおり、それはジオンを失わない為に必要な事だった。
(ここで逃げ出す程度の人間に逆転の手段など残っていまい。精々我が国を導いた責任をとって貰うとしようじゃないか)
何しろ彼女はこの戦争を引き起こしたザビ家の最後の一人なのだ。他にもドズル・ザビの忘れ形見である赤ん坊が残っているが、戦争責任を問える立場に居るのはキシリアのみである。まだ彼女はグラナダと本国の戦力で何かが出来ると思っているようだが、そんな事を公国の議会が許すと何故思えるのだろうか。これまで彼等がザビ家に従順であったのはデギン公王とギレン・ザビが抑えていたからであり、決して盲信も服従もしていない。そんな重しが取り払われた相手を御するだけの才覚がキシリアにあるとはトワニングには思えなかった。逃げ帰ったところで精々拘束され、戦争指導者という都合の良い生け贄として連邦との交渉材料に使われるのがオチだ。だが、逆に言えば彼女が生き残ればジオンは全ての責任を押しつけて存える事が出来るかもしれない。
「補給中や後退した部隊は脱出に備えさせろ。一人でも多く本国へ戻すんだ」
トワニングはジオン公国軍人としての務めを果たすべくそう命令した。
「なんだ?戦う気がないのか?」
アムロ・レイはその優れたNT能力で敵の変化を感じ取っていた。尤も彼でなくてもその変化は直ぐに感じ取れただろう。頑強に抵抗している敵は最早僅かであり、大半は攻撃よりも後退を優先している。それも統制の取れた行動とはお世辞にも言えず、敗走と表現する方が正しいと思える動きだ。実際アムロ自身に向けられる敵意や怒りといった負の感情は殆ど感じられず、戦場に広がっているのは混乱と恐怖が大半だ。戦意と呼べるようなものは感じ取れず、逃げ惑う相手を見てアムロは自らの行動に躊躇いを覚える。だが現実は非情だった。
『敵は浮き足立っているぞ!押せ!!』
部隊長のアレン大尉がそう叫び、逃げる敵機を背中から撃つ。
「大尉!敵はもう戦うつもりはありません!」
それを見てアムロは思わずそう制止してしまう。それは相手の感情が見えすぎてしまうNTにして未成年の口から出るには当たり前すぎる言葉だった。敵意を持って自らを害そうとする相手ならばともかく、恐れ逃げ惑う相手を容赦なく撃ち殺せる程彼は人間性を捨てていなかった。しかし返ってきた言葉は無情なものだった。
『なら何故連中は降伏しない?』
「っ!」
射撃を続けながらアレン大尉は冷淡な声音でそう問い返してくる。
『南極条約で降伏は認められているんだ。なのに武器を持ったまま逃げるって事は、後でまた戦うって意思表示だ』
「……」
『お前さんは連中がもう戦う気が無いのか解るかもしれない。だが俺達は行動で示さない限りそれを信じる訳にはいかないんだ』
突き放すような声音にアムロは戸惑いを覚える。行動も言動も冷徹そのものであるが、大尉が発しているのは相手への敵意やそれに付随する感情ではないからだ。負の感情は感じられるが、それはどちらかと言えば嫌悪や忌避といったものだ。
『ララァ少尉、W102を連れて友軍のフォローへ回ってくれ。多分これは勝ち戦だ、死んじまう奴は少ない方が良い』
『了解です。W102、アムロ准尉。聞こえましたね?続きなさい!』
「あ、はい。了解です」
ブライト少佐辺りに聞かれればどやされそうな返事をしつつ、移動を始める翡翠色のガンダムに続く。大尉は勝ち戦と評したが未だ頑強に抵抗を続ける敵は少なからずおり、そうした敵機と交戦する部隊に対し2機は素早く接近すると瞬く間に無力化していく。
『友軍!?』
『何だよありゃ?』
『ガンダム!第13独立部隊の連中か!』
抵抗を続けるだけあって敵の技量は悪くない。だがそれはあくまで普通のパイロットとしてだ。NTの操るMA程の厄介さは無いし、先程まで対応していた専用カラーと思われるゲルググに比べれば大したことは無い。そして何よりも自分を殺そうと向かってくるから銃口を向ける事にも抵抗が少なかった。
『私達は幸運ですね』
友軍の援護を繰り返し、いよいよ敵要塞目前まで迫ったところでララァ少尉がそう口を開いた。一瞬意味が解らずに返答にアムロが窮していると、彼女は笑いながら続きを口にする。
『逃げ惑う相手を撃つよりもずっと気が楽だわ。それをちゃんと命令にしてくれる人の下に付けるって幸運な事よ?』
「…解っていますよ。大尉の下で戦っているのは僕の方が長いんですから」
思わずそうアムロが返すと、ララァ少尉は少しだけ負の感情が交じった声音で応じる。
『あら、なら大尉が何故貴方の意見を取り入れなかったかくらい解るでしょう?』
「それは」
『私達はその人の考えが見えるけれど、それは別に相手を理解した訳では無いわ。戦う気が無くても引き金は引ける。それが何時起きてもおかしくないのが戦場だわ』
ララァ少尉の言葉にアムロは動揺した。自分達だって最初は戦いたくなくてもMSに乗っていたのだ。そしてその状況でも敵に銃を向けてきた。軍人としての立ち振る舞いが当たり前になるにつれ、そんな事も自分は忘れていたのだ。
『もし大尉が准尉の言葉を信じてそれが起こってしまったら、貴方が原因の一端になってしまう。私達には解ることは、私達以外には解らないことだわ。だから大尉は貴方の意見を却下したの』
そんな当たり前を説明され、アムロは羞恥で顔が熱くなるのを感じた。大尉の判断は自分を守るためなのだと今更気が付いたからだ。
『さあ、気遣って貰った分くらいはちゃんと返すわよ准尉』
「了解です」
彼は改めてそう意気込んだが、突如鳴り響いた通信にその気勢は遮られる事になる。
「停戦信号!?」
唐突とも言えるタイミングで鳴り響いたそれに、彼は思わず周囲を見回した。だが機体の誤作動で無い事は、辺りに漂う両軍からの困惑とその動きから十分に感じ取れる。
「こんな、何で急に?」
自身の困惑が思わずそう口から漏れ出す。確かに状況はこちらが優勢だった。しかし連邦軍はまだ要塞に取り付き始めたばかりなのだ。ソロモン要塞攻略よりも呆気ない幕切れは、両軍に困惑以上の消化不良を生み出し、それが暴発へと繋がるまでそれ程時間は必要としなかった。
『待て!停戦信号がっ!?』
止まっていたゲルググへ向けて、1機のジムが銃口を向ける。僚機の制止も届かずに放たれた弾丸が無防備に漂っていたゲルググを火球へと変える。
『散々殺しておいて、今更ノーサイドが通用するかよジオン野郎!』
引き金を引いたジムのパイロットがそう叫び、次の瞬間には撃ち返されたビームに焼かれる。たったそれだけの応酬は燎原の火のように周囲へと伝播する。収まりかけた砲火が再び虚空を染めるのにそれ程時間は必要としなかった。
「クソ、こんなっ」
鳴り響く停戦信号を聞きながらアムロも応戦を開始する、明確な敵意を感じ取ったからだ。彼がトリガーから指を離すことが出来たのは、周囲のジオン軍が文字通り全滅した後の事だった。
多分次で最後。