長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
洞窟の入り口で待機する商人に、シェリルは念の為聖水をありったけ渡しておく。彼に見送られ、アステル達は滑りやすい足元に気を付けながら、洞窟に入った。
ひんやりとした空気が全身を包み込む、そこは鍾乳洞だった。天井から垂れ下がるつらら状の鍾乳石は、絶え間無く冷たい雫を滴らせる。発達した
ここは幾星霜の時をかけ大自然が作り上げた、今もなお成長し続ける美術館。
しかし。そんな神秘的な世界にも、魔王の影は確実に伸びていた。
野犬のゾンビ〈バリィドドッグ〉の群れが涎と腐った臓物を垂れ下げながら、一行に襲いかかる。
「きしょっ!!!」
顔を歪めたシェリルは、槍でそれらを凪ぎ払った。更にアステルもブーメランを投げ放ち追撃する。
石筍の影から新たに紫色のキノコがひょこひょこ現れた。見覚えのあるそのフォルムに、シェリルとアステルは油断してしまった。この紫色のお化けキノコ達も、よちよち歩いて襲いかかってくるのだろうと。
「「いっ!?」」
だが、紫色の茸魔物〈マタンゴ〉達は彼女達の予想を裏切り、とんでもない跳躍力を見せて、あっという間に距離を縮めた。たじろぐ二人を取り囲み、その顔目掛けて一斉に桃色がかった息を、大きく長く吐き出す。
「え!」
「うっ!」
息を止める間も無く、甘い香りをまともに吸ってしまった二人は武器を落とし、その場に倒れる。
「アステル! シェリル!」
眠る二人に長い舌を伸ばそうとしたマタンゴ達に向けて、スレイは刃のブーメランを投げた。蒼白く輝く刃は彼等の笠を綺麗に刈り取る。それが致命傷だったのか。マタンゴ達は、ぼしゅ! ぼしゅ! と、胞子を撒き散らすように消滅していく。
ほっとしたのも束の間。今度は闇に紛れて現れた吸血鬼〈バンパイア〉二匹が、それぞれアステルとシェリルを持ち上げ連れ拐おうとした。
駆け寄ろうとするスレイとタイガに吸血鬼達はしつこく氷刃呪文ヒャドを放ち、行く手を阻む。スレイは舌打ちし、タイガも氷の刃を受ける覚悟で一歩踏み込んだ。が、
「むうっ!? ザぁメっハ~~!!」
洞窟内にマァムの〈力ある言葉〉が響いた。その声は振動を持って空間に響き渡る。
途端、アステルとシェリルはぱちりと目を覚ました。
「きゃあっ!!」
「変なとこさわんな! 離さんかい!!」
アステルとシェリルは、寝ていると油断していた吸血鬼の横っ面を拳で殴り飛ばす。二人が放された所でスレイがドラゴンテイルを吸血鬼達に振るい止めを刺した。
「───二人とも」
武器を収めたスレイは腕を組み、険しい目つきで項垂れる二人を見下ろした。
「ごめんなさい……」
「油断した。すんません」
「まあまあ」と、タイガ。
「今度からは
その言葉にアステルとシェリルも顔を上げ、マァムに微笑む。
「さっきのは覚醒呪文ザメハね。ありがとうマァム」
「助かったわ。おおきになマァム」
「えっへっへ~~!」
胸を張るマァムの肩に、タイガは笑顔のまま、ぽんっと手を置く。
「……でだ。マァム。これからは俺が眠った時も、その呪文を使ってもらいたいんだがな? ……っていうか。いつその呪文覚えたんだ?」
そう訴える彼の顔体には鞭で打たれた痕が。
「む? ……ホぉイミぃ~~」
「違うぞ? 治せばいいって問題じゃないぞ?」
マァムの治癒呪文を受けながら、タイガは恨めしげに突っ込んだ。
実は。タイガの突然の昏倒が、今回の戦闘開始の合図となってしまったのだ。恐らくは距離をおき、姿を隠したマタンゴ達が吐いた〈甘い息〉によって眠らされたのだろう。
「タイガも何気に魔物の特殊攻撃くらいやすいやんな」
シェリルの呟きにアステルは頷き、スレイは額を押さえていた。
「───旅の方ですかな?」
突然聞こえた人の声に全員竦み上がる。特にスレイとタイガの動揺は激しかった。収めた武器を、解いた型をとっさに構える程に。
いつからそこにいたのか。
大きな鍾乳石の影から、柔和な笑みを浮かべた黒の修道服姿の男が現れた。
背は高く細身で、修道服と同色の
「あの……貴方は?」
おずおずと尋ねるアステルに神父はにっこりとし、
「ご覧の通り神父です……と言いたい所ですがまだまだ見習いの身でして。修行の旅の途中なのですが、あまりに楽しそうでしたのでつい声をかけてしまいました。驚かせて申し訳ありません」
彼に近寄ろうとするアステルの手をスレイは引いて、後ろに下がらせる。
「スレイ?」
「……このエルフが支配する森の中をたった一人でか?」
「はい。むしろエルフの聖域なので安心していたのですが……何故かここは魔物達の棲み家に成り果てたようですね。でもまあ……」
そう語った直後。神父の背後から五匹のバリィドドッグが現れ、一斉に神父に襲いかかる。
「危な……っ!!」
「───バギマ」
アステルは剣を抜き放つ前に、神父が涼やかに〈力ある言葉〉を発する。
彼を中心に風が巻き上がり、放たれた不可視の刃がバリィドドッグを容赦なく切り裂いた。
真空呪文バギ。僧侶や神官が得意とする風と空気を操る呪文。神父が唱えたのは中等位のバギマだったのだが、その威力の鋭さ的確さに一行は息を呑む。塵と化した魔物達に向けて十字を切り、胸に手を当て冥福の祈りを捧げ、神父はゆっくりと顔上げた。
「……この通り一人でも大丈夫なんで」
「………凄い」
アステルは剣の柄を握ったまま呟く。
「私を守ろうとしてくださってありがとうございます。お嬢さん」
綺麗な笑みを向けられアステルは思わず頬を染めた。
「ここには体力や気力を回復してくれる聖なる泉がありますよ。私はそこで身を清めた帰りだったんです」
「へえ! それが本当ならそりゃ助かるなあ」とタイガ。
「しかし……どうしてこんな所にそんな泉が湧いたのか……いや、エルフの聖域だからこそか。この聖域自身があるべき姿へ戻ろうとしているのやもしれませんね」
「───アステル」
アステルをふいに呼んだのは、シェリルの手を掴むマァムだった。
「マァム?」
「行こう」
あの底抜けに明るいはずのマァムが見せる暗い瞳に、アステルはびくりとする。
「どうしたの? マァム……」
「早く! 皆も!!」
「えっ!? ちょっ……!!」
「おーい? どうしたんやぁマァム?」
マァムはアステルとシェリルを引っ張っり、洞窟の奥へと走り出す。タイガは「じゃあ」と神父に軽く頭を下げると、彼女達の元へ走り出す。
「マァム! 一人で突っ走っちゃ駄目だぞ」
重い空気を払拭するように、殊更明るい声を出した。
「……どうやら私は、彼女に嫌われてしまったようですね」
神父は眉尻を下げスレイに微笑んだ。
「そして貴方にも」
「嫌うまでもない。あんたとの縁はこれ一回切りだろうからな」
「それは淋しい事です」
胸に手を当て目を伏せる。演技がかったその仕草に、スレイの眉間の皺はより一層深くなる。スレイもアステル達の後を追おうと歩きだす。
「私にはこの奥から悲しげな呼び声が聞こえてきます。……引き込まれませんようどうかお気をつけて」
スレイは視線だけ後ろに向ける。
神父はまだこちらを見て微笑んでいた。
* * * * * * *
「マァム! マァム! どうしたの!!」
「聞こえとるんか! マァム!!」
二人の声が届いたのかマァムは肩をビクリっとさせ、二人に振り返った。
「……ふえん?」
「アステルぅ、シェリルぅ。どぉ~~したのぅ?」
「どうしたの……って、こっちが聞きたいわ!!」
「マァムがあんな態度とるなんて……そんなに嫌な人だったの?」
「誰の事ぉ、言ってるのぉ~~?」
マァムは瞳をぱちくりとし首を傾げる。
「誰って……」
「誰かいたのぅ~~?」
長年の付き合いでわかる。惚けてる風ではないマァムに、アステルとシェリルは絶句した。
「まあ、いいんじゃないか? マァムが知らないって言ってるんだ」
三人の後ろからやって来たタイガが言う。続けてスレイも四人に追い付いた。
「出来ればもう会いたくもないからな」
スレイははっとしてタイガを見た。彼もスレイに苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「どういう事や?」
シェリルは納得出来ず、腰に手を当てタイガに詰め寄る。
「つまり……深く考えるなって事だ!」
タイガは彼女と、ついでにマァムの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ひゃううう~~!!」
「ちょおっ! やめっ! 髪が乱れたやん!!」
アステルはちらっとスレイを見た。スレイは溜め息を一つ吐くと、タイガのように彼女の頭をわしわしと撫でた。
「ちっ、違うから! 羨ましかったんじゃないんだから!」
「はいはい」
アステル達は気を改めて、洞窟の探索に努める。途中、神父が言っていた回復の泉も見つけた。
しかし、それは泉といっていいものか。
十字をかたどるように建つ、四本の水晶で出来た柱。その真ん中にどういう原理か、大きな水球が浮かんでいる。その水球に触れると手が中に入ってしまい、濡れた。途端に体の渇きが一気に潤い、負っていた傷も疲れも癒され理力が回復した。
邪魔をする魔物達を倒しながら、更に奥へ更に地下へと進む。こんなに危険な場所に二人は本当に入ったのだろうかという疑問が頭をもたげたが、なにしろ十年前の出来事だ。
その当時はここまで酷くなかったのかもしれない。アステル達はそう思い、歩みを止めなかった。
そうして最下層の地底湖にたどり着いのだ。
陽の光が届かない場所だというのに、湖は青く輝いている。まるで湖の水自体が発光しているかのようだ。辺りは霧に覆われ気温は格段に低い。エルフの造り出す空間で毎回こんなにも凍えるのは、やはり彼女らが人間を許していない証拠なのかもしれない。
湖の中央には小島がぽっかりと浮かんでおり、そこに渡る為の石造りの橋が架かっていた。アステル達は用心深く渡る。
小島には上の階の回復の泉のように八本の水晶の柱が円を描くように建っており、そこはまるで祭壇の上か結界の中のように思えた。その中心部には、金色に輝く小さな宝石箱が置いてあった。アステルが宝石箱を拾い上げると、カチンという音と共に蓋が勝手に開いた。
その中には、書置きが二通入っていた。
「読めない……」
眉を八の字にしたアステル。スレイは彼女から書置きを受け取ると、
「エルフ文字だな。……これくらいの短い文ならなんとか……」
「わかるの?」
「遺跡で時々見かけるからな」
アステルは顔をぱっと輝かせたが、手紙に目を通すスレイの表情はどんどん険しくなり、最後は瞼を伏せ大きな溜め息を吐いた。
「スレイ……?」
心配げに彼を見上げるアステル。そんな彼女を見下ろし、その後ろに立つ首を傾げるマァムと、既に不穏な空気を感じ取ったのだろう思案顔のシェリルとタイガに向き直り、スレイは手紙を読み上げた。
「『───お母様 先立つ不孝をお許しください。わたしたちはエルフと人間。この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります。───アン』……だ、そうだ」
もう一通は差出人が男の名前で、おそらくは今洞窟の外で待つ商人に宛てた息子の遺書だろう。
* * * * * * * *
生きてて欲しかった。
苦渋の選択だったんだろう。どうしようもなかったのかもしれない。それでも。それでも生きて、エルフと人間は共存出来るのだと二人に証明して欲しかった
幸せではないのかもしれない。それでも、生きているだろうと信じて疑わない二人の親の気持ちを考えると、アステルの胸は締めつけられた。手紙を丁寧にたたみ宝石箱にしまう。
「これを女王様と商人さんに渡さなきゃね」
「きっついな……」とシェリル。
「………でも、終らせなきゃ」
アステル達が踵を返し、祭壇の外に一歩踏み出した次の瞬間。地面を走る黒い影が、アステルの持つ宝石箱目掛け、手を伸ばしてきた。
「なっ!!」
アステルは宝石箱を抱き締め守ったが、黒い手はかわりに彼女の左腕を掻き抉る。
「あぅ……っ!」
「アステル!!」
「────終らせぬ……」
地面からひょろりと黒い影が立ち上がる。
「エルフの女王ほどの嘆き怒り憎しみは魔王様の最高の贄となる。邪魔はさせぬぞ……その手紙と共に湖の底に沈むがいい!!」
まるで羽根の生えた悪魔の影のような魔物〈妖しい影〉は、口を開き氷の
「…っ……こいつっ!!」
シェリルは槍を、タイガは爪を構え妖しい影に攻撃を仕掛ける。影は薄っぺらく細くなって、のらりくらりとシェリルの突きをかわす。かと思えば、突然巨大化して怪力のタイガの攻撃を真っ正面から受け弾くほど強硬にも変じた。
タイガは顔を
「……シェリル! 油断するな!」
「わぁっとるっ!!」
「アステル! 大丈夫か!?」
「大丈夫……
切り裂かれた袖口から、流れる血と鎖帷子が見える。吹雪からアステルを身を挺して守ったスレイは彼女を起こすと、マァムが駆け寄った。
「ベ~ぇホぉイミぃ~~!!」
いつの間に覚えたのか。
マァムは初等治癒呪文ホイミより上の、中等治癒呪文ベホイミでアステルの傷を跡も残さず完治させた。
「……ありがとう、マァム。これをお願い」
「んっ!!」
マァムは宝石箱を受取り、力強く頷く。アステルは立ち上がると鋼の剣を鞘から引き抜き、敵に向かって走り出す。スレイも左手にドラゴンテイル、右手に刃のブーメランを構えた。
「はああああ!!」
アステルが斬りかかる。それを避けた妖しい影に、スレイの投げた刃のブーメランが迫る。ブーメランを払うその隙をついてタイガが影の懐に、シェリルが影の背後に回っていた。三人が攻撃を繰り出そうとした、その時。
妖しい影の腕のみが巨大化し、轟音をたてて大きく円を描くように振るわれる。タイガ、シェリル、アステルを打っ飛ばし、距離のあるスレイには氷の息を吹きかける。スレイはそれを横に飛んで避け、落ちていたブーメランを拾うと直ぐ様投げつける。
そして間を置かず、素早く距離を詰めアサシンダガーを影の胸辺りに突き立てる。
だが手応えがない。
スレイは舌打ちし、影は嗤った。スレイはダガーを影から引き抜くと、その場にしゃがみこむ。
背後から跳躍したアステルが上段切り、影の左脇にタイガが蹴りを繰り出し、右脇からシェリルが槍を突き下ろす。しかしあまりの固さに攻撃が通じない。再び影は腕を巨大化させスイングする。
アステル達は叩き落とされ、殴り飛ばされ、凪ぎ払われる。ならばと、アステルは火球呪文メラを放つ。顔部分に命中すると影は少したじろいだ。効いたと思ったのも一瞬間。影は再び吹雪を吹き散らす。
「ホぉイミい~~ホイミぃ~~ベぇホイミぃ~~ベっホぉイミ~~!! ……ぜぇぜぇ……!」
仲間四人に対し、一人で治癒呪文を唱え続けるマァムは次第に息を切らし始める。
「───小賢しいわっ!」
「ひゃんっ!!?」
遠く離れたマァムにまで伸びた黒い影の魔手は、彼女の体を乱暴にわし掴み、湖に叩き落とした。
「マァム! ……きゃあっ!!!」
湖に落ちたマァムに駆け寄ろうとして隙ができたアステルを、妖しい影は見逃さなかった。
* * * * * * *
湖の底にマァムは為す術もなく沈んでいく。
水面に叩き付けられた衝撃は、体がバラバラになってしまうかと錯覚してしまう程。更に水は刺さるように冷たく、直ぐ様凍えてしまった。息が続かない。それでもマァムは宝石箱をぎゅうっと抱き締めた。
(守らなきゃ。あたしが守るの。アステルがあたしに頼んだの。守らなきゃ!)
そんな彼女の意思に反し、肺の中の空気は底尽き、意識は霞始めた。
────紅い光を感じた。
マァムは閉じた瞼をなんとか上げる。
水底で宝石箱に呼応するように紅く輝く、それは四枚羽の小さな妖精が閉じ込められた六角柱の
体がそれに引き寄せられ、手が紅玉へと伸びる。宝石は周りの青に抗うように紅く、更に大きく、暖かく輝きだした。
紅玉の中の妖精とマァムの視線が交わる。
あの日の妖精の記憶がマァムの脳裏で甦る。
───アンは思い詰めた面持ちで、宝石箱から自分を取り出し、宝石箱だけを持って宝物庫から出ていった。
その後、誰かが自分を持ち出したのだ。
目を覆うように持ち出されたので、何者かはわからない。
次に視界が広がり見えた光景は、この地底湖と遠巻きに見えた祭壇に立つアンと人間の青年の姿。
二人は宝石箱に遺書を入れると、抱き合い、重なったまま湖に身を投げた。
二人は上がってくる事はなかった。
自分を持つその手は二人の結末を見届けると、アン達が眠るこの湖に自分を投げ捨てたのだ。
───その刹那に見えた楽しげに嗤う口元を、妖精は。マァムは。見た。
* * * * * * *
「うアアアア………っ!」
妖しい影がアステルの体を両手で掴み、握り潰そうとする。アステルは
「「「アステル!!」」」
スレイがドラゴンテイルを振るい、シェリルが槍を突き出し、タイガが拳を繰り出す。
しかし妖しい影はびくともせず、羽虫を払うが如く彼等を片手で凪ぎ払った。
「そう慌てるな。一人ずつ確実に仕留めて湖に沈める。……先程の娘のようにな」
その言葉にカッとなったシェリルは吼え、槍を構えて突進する。
「シェリルっ! ……待てっ! スレイ!」
タイガが叫ぶすぐ隣で、スレイもアサシンダガーと刃のブーメランを手に既に走り出していた。体当たりにも近い二人の同時攻撃を妖しい影は、地面に伸びる《ただの影》へと変化する事で回避した。
「んなっ!……がっ!」
即座に地面から起き上がった妖しい影は、勢いのあまり体勢を崩したシェリルの鳩尾に拳を突き入れ、そのまま壁まで吹っ飛ばす。
一方スレイは、投げ出されたアステルに、反射的に手を伸ばしてしまう。妖しい影はそれを見逃さず、鋭く伸びた鉤爪で彼の背中を深く切り裂いた。
くずおれるスレイに再度、振り上げられた爪をタイガの飛び蹴りが弾いた。着地と共にタイガは飛び、後ろ回し蹴りを繰り出す。
しかし。その足は容易く捕らえられた。
影は足を掴んだまま彼の体躯を持ち上げ、ぶんっ!と、振り下ろし地面に叩き付けた。タイガの口から鮮血が溢れ出る。
動く者がいなくなると妖しい影は満足気に目を細め、再びアステルを拾い上げ締め上げる手に力を込めた。
「───アステルをおぉ放せえええぇ!!」
煩わしそうに妖しい影はそちらに視線をやる。タイガ、スレイ、シェリルも頭を上げると、そこには眦を吊り上げた、ずぶ濡れのマァムが立っていた。
「マァム……っ!」
友の生還に思わず涙ぐむシェリル。マァムは白い息を吐き、がちがちと震えながらも、左手で宝石箱を抱き、右手で赤い宝石を掲げた。
「その宝石は〈夢見るルビー〉!?」
妖しい影が驚愕の声を上げ、名を呼ばれた宝石の中の妖精は瞳を開き、紅い光を発した。光は青の空間を紅く染め上げ、妖しい影に向かって濃縮される。
光が止み、気がつけばアステルは放されて地面に伏し、妖しい影は紅く輝く光の鎖に縛られていた。
「………っ、みんなぁああぁ!! 今だよううぅぅ!!!」
膝を着き、声を限りに叫ぶマァムに、全員の士気が一気に高まる。腕や足膝を叱咤し、歯を食い縛り、手にある武器を杖に、立ち上がった。
「………うおりゃあああああっ!!」
ルビーの力で弱体化した妖しい影に、タイガは腰を落とし、掛け声と共に殴打を何度も繰り出し、最後は渾身の力を持って蹴り上げた。
続け様に飛び出したスレイが、仰け反る影の額にアサシンダガーを突き立てる。着地と共にドラゴンテイルを腰から素早く抜き放つと、影と地面の接地部分を鋭く打ち払った。
光の鎖の効果か。影は地面から切り離されて転倒する。
己は物体のない影。地面とは切って離れられぬ筈の闇。───だのに殴られ、刺され、転がされるという、有り得ない事態に混乱する妖しい影に更なる追撃ちが迫る。
「ハアアアアアっ!!」
助走をつけて、めいいっぱい跳躍したシェリルが槍を横たわる影の胴目掛けて突き下ろす。重力と体重と力、全てをかけて深く深く槍を突き刺し、地面に縫い付けるとその場から離れた。
「ぐくっ! くぅっ!?」
完全に動きを封じ込まれ悶える妖しい影。
自分の姿を掻き消すような光にはっとし、視線をそちらに向けた。
体を極限まで締め上げられ、息も絶え絶えだった筈の人間の娘が、眩い白光をその身に纏って立ち上がる。苦悶の表情を浮かべながらも、こちらを見据えるその瞳は熾烈な青に燃えていた。
ゆっくりとその手を掲げ己に定める。
「───ベギラマぁぁあっ!!」
全身の光が掌に集約され、放たれた眩い閃光は、影に触れると大きな炎と化す。
その中で影はのたうち回りながら、やがて萎み、炎と共に消えた。
………鈍く輝く原石のみ残して。