長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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抜け路

 

 

 アッサラーム東には、山岳地帯が広がっている。それを越えた先には黄金に価するという〈黒胡椒〉の産地バハラタがある。

 そのバハラタから山沿いに北上すると辿り着く岬にはその昔、大きな港街があった。以前はここから黒胡椒は海を渡って世界各地の王公貴族へと広まり、街は富を得ていたのだ。

 しかしそこにはもう、その影も形もない。海の魔物の凶暴化により、廃れたわけではない。

 

 一人の女性の怨念により、街は滅びたのだ。

  

 今は聖地ダーマの神官達が建立した名ばかりの慰霊碑があるのみ。

 

 「こんなもので彼女の憎悪を祓うなど出来ないというのに……」

 

 黒の修道服の神父が微笑みを湛え、慰霊碑に触れる。

 

 「人とはなんと可愛らしく───……そして愚かなんでしょうね」

 

 潮騒に紛れて、女性の声が聞こえる。魂を凍てつかせるような、怨み辛みを乗せたその歌声は、彼にとっては甘く安らぐまるで子守唄のよう。

 

 視線を海峡を超えた遥か西へとやる。

 

 金色の瞳が捕らえたのは大きな湖に浮かぶ、小島。そこにある牢獄は、七年前を最後に今は使われていない。

 

 いや、使えないといった方が正しいか。

 

 「貴方にも聴こえますか? この甘美なる歌声が……勇者よ」

  

 

* * * * * *

 

 

 

 ───日の光も届かない黴臭い地下牢で。

 

 『この名を貴方から頂いたその時から心に誓っていました。この命、貴方の為に使おうと』

  

 銀髪の少年は向かい合う黒髪の少年に頬笑む。

 

 『そんなの駄目だっ!』

 

 覚悟を決めたかのように目蓋を閉じる銀髪の少年のその肩を掴もうとした、その時。

 

 黒髪の少年の手は背後から伸びた大きな手に掴まれ、引っ張り上げられる。

 

 『……もう行かないと。時間がありません』

 

 焦る声と同時に、黒髪の少年は男の大きな背に担がれた。

 

 『離せっ! くそっ! 離せよっ!!』

 

 少年は男の腕の拘束から逃れようともがくが、びくともしない。

 

 『お願いします。……どうか御無事で』

  

 銀髪の少年は男に切なる願いを託す。

 

 ギリ……と。

 

 歯を食い縛る音を少年達が耳にした途端、背後を振り切るように男は黒髪の少年を連れ、牢から出る。 

 

 そして来た時と同じ様に、牢の鍵を閉めた。

 

 『待て! 待てよっ!!』

  

 牢に取り残された銀髪の少年の姿がどんどん遠のく。

 

 『なあ! 頼むから……っ!!』

 

 男は立ち止まる。

 

 思い直したかと、少年がホッとしたのも束の間。

 

 男は黒髪の少年の口に布を当てた。

 

 甘い香りを吸い込んだ体は、少年の意思とは正反対に力が抜けていく。

 

 『────ス…レ……イ』

  

 名を呼ばれた銀髪の少年は、鉄格子越しに琥珀の瞳を細め、穏やかに微笑んだ。

 

 

 届かない。

 

 

 意識が闇に落ちるその間際まで、黒髪の少年は彼へ手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 「───レイ、……スレイ!」

  

 体を揺すられ、意識が浮上する。

 目蓋を上げると、白む空を背景に心配げに揺れる深い青の瞳が覗きこんでいた。

 

 「……アステル? ……朝か?」

 

 意識が覚醒して感じるのは朝露で湿った緑の空気。木にもたれて眠っていたスレイに、アステルは「良かった、起きた」と、ほぅっと息を吐いた。

 

 「……大袈裟な」

 「だって、スレイ。珍しく深く眠り込んでたから」

 

 呆れた様子の彼に、アステルはむくれる……が、眉を下げ再度彼の顔を覗きこんだ。

 

 「顔色悪いよ。どこか具合でも悪いの?」

 「普段からこんなものだろ?」

 

 野宿で凝り固まった首や肩を鳴らす。

 

 「いつもより白い気がする。……羨ましいくらい」

 「なんだそれ」

 

 冗談か本気か。真顔で言うアステルに、スレイは吹き出した。

 

 「……そういえば、皆は?」

 「沢で水汲むついでに顔洗いに行ってる。皆が戻ってきたら私達も行こう?」

 

 そう言ってアステルは暖かい湯気のたつお茶をスレイに差し出した。

 スレイは朝食の準備に勤しむアステルをぼんやりと眺める。アッサラームでの使い魔の一件は一昨日の事。しかしそれ以来、アステルはなにかと自分の事を気にしていると、スレイは思う。

 

 (───怖がらせたのは自覚しているが……)

 

 心配される覚えはないんだが。と、朝日を浴びつつ受け取ったお茶を口に含んだ。

 

 

* * * * * * *

 

 

 小悪魔との一騒動の後。

 

 王の元教育係の老人に、了解も得ず自宅に踏み入った謝罪とその理由を王の書簡を見せつつ説明をした。

 

 「……ふむ。そういう事情なら致し方ないとしよう。お主ら地図はもっておるかの?」

 

 スレイは自分の鞄から〈妖精の地図〉を取り出しテーブルの上に広げた。ピョコンと立ち上がる羽ペンに、老人は目を丸くして驚く。

 

 「これは変わった地図じゃな。……む? なんじゃ。この地図ちゃんと場所を記載しとるぞ」

 

 「「「「え?」」」」

 

 アステル達は驚きの声を上げ、皆地図を覗き混む。老人はアッサラームから北の森、山脈の麓に位置する所を指差した。そこは立ち入ったことがない為、色づいてはいないが確かに洞窟印がある。

 

 「ここがノルドの住み処で〈バーンの抜け道〉の場所でもある」

 「〈バーンの抜け道〉?」

 

 アステルに老人は頷く。

 

 「〈バーンの抜け道〉は太古の昔、大地の女神ガイアの眷族、ドワーフ族が堀った抜け道でな。西部と東部を彼らが行き来する為に掘ったものを、人があやかって利用してたんじゃ。

 以前は聖地ダーマ巡礼の旅路として大地の神に感謝しながら静かに使われていたものじゃが、東部で香辛料の栽培や持ち運びが盛んになった事で、人の往来も激しくなった。

 大地神を敬うことも忘れ、我が物顔で利用する者達に子孫のドワーフは腹をたて、眷族の力を以て道を閉ざしてしもうたんじゃ」

 「それが、ノルドさん?」

 

 老人はこくりと頷く。

 

 「じゃが、ポルトガ王の頼みならばノルドは動くじゃろうて」

 

 

* * * * * * *

 

 

 「おっ、目が覚めたか」

 「おっはぁよぅ~」

 「おはようさん」

 

 恐らく水を汲んだ水筒が入っているであろう〈大きな袋〉を担いだタイガ、それに首にタオルを引っ掛けたシェリルとマァムが戻ってきた。

 

 「珍しくお寝坊さんやったなぁ~」

 「おっ寝坊さぁ~ん」

 

 スレイの隣に腰掛けるシェリルとその隣に腰掛けるマァムは、同じ様なニンマリ顔。

 

 「なんでそう得意気なんだ」

 

 少々ムッとするスレイ。

 

 「いつもドヤ顔でウチらより早う起きとるスレイに、やっと勝てたわぁ」

 「ゆぅ~えつかぁ~んっ!」

 

 きゃっきゃとはしゃぐ娘二人に無視を決め込み、スレイは鞄からタオルを抜き取り立ち上がる。

 

 「顔洗ってくる。……アステル行くぞ」

 「あ、うん」

 

 返事をしてアステルは丸パンにナイフで切れ込みをいれ、野菜や炙った肉を挟んだサンドイッチをタイガ達に差し出した。

 

 「ポットにお茶が入ってるから。先食べてていいからね」

 「ああ。ありがとう」

 

 タイガが笑顔でサンドイッチを受け取ると、アステルはタオルを持ってスレイに駆け寄った。二人の後姿が森へと消えると、シェリルは笑みを引っ込めた。

 

 「……普通やな。スレイ」

 「やっぱり気にしてたのか」

 

 優しいなシェリルは。と、タイガが頭をわしわし掻き撫でる。

 

 「だから、髪が乱れるからやめいっ!」

 

 シェリルはタイガの手を払いのけ、乱れた前髪を整える。

 

 「あん時は情報を聞き出す為の芝居みたいな事言っとったけど……ウチもそれに話し合わせたけど」

 

 マァムは会話そっちのけで、サンドイッチに手を伸ばした。

 

 「スレイ、ガチでキレとった。……アステルが止めへんかったら、えげつないもん見せられてたような気ぃするわ」

 「ああ。魔物の言葉で確かにスレイは豹変した」

 

 と、タイガもサンドイッチを頬張る。スレイは怒ると暖かみのある琥珀の瞳が、すとんっと温度をなくし、あからさまに表情に出すのでわかりやすくかわいいもんだ。

 

 (……だが、あの時のはそんなものとはかけ離れていた)

 

 「……ウチも腹立ったけど、スレイの比やなかったな」

 「……勇者……か」

 

 ぽつりと呟くタイガ。シェリルは〈勇者〉が作ってくれたサンドイッチをはむっと噛み締めた。

 

 

 戻ってきたアステル達が食事を終えると、一行は出発する。アッサラーム北の深い森に入って二日と半日。平原を歩くより魔物の出現は多かったが、ここら一帯の魔物達はもはや見慣れ、戦い慣れた。油断はしないが、軽くあしらいつつ先を急ぐ。

 辿り着いた洞窟の入り口は、木々に隠されるようにあった。

 でこぼこした入り口に更にそれを塞ぐように置かれている岩々。どかせられる岩はタイガとスレイでどかす。頭を低くし、体を屈めたりしてやっとの思いで入ると、そこは広く、路は整えられ、辺りを照らす為の蝋燭(ろうそく)には火が点っていた。

 進んでいくと、鍵の掛かった大きな扉が現れた。

 

 「凄い……これもノルドさんが一人で作ったの……?」

 

 腐りにくい木材を使用した扉は大きいだけでなく、大地の女神と花々の見事な飾り彫りも施されてある。見蕩れるアステルの隣で、スレイは扉の鍵穴を覗く。

 

 「ドワーフ族は怪力な上に手先が器用なんだ。鍵は……〈盗賊の鍵〉で開きそうだな」

 

 「「「…………」」」

 

 相変わらず悪びれもせず言うスレイに、

 

 (((うん。いつものスレイだ(や)))

 

 アステル、タイガ、シェリルの心がひとつになる。マァムは笑っていた。またしても闖入しなければならない事に、アステルは良心の呵責に苛まれながらも、彼の言う通り〈盗賊の鍵〉を腰ポーチから取り出した。

 扉を開け、道なりに進むと天井の高い広い空間に出た。

 

 「行き止まりか?」と、シェリルは辺りを見回す。

 

 「いや。こっちに道がある」とスレイ。

 

 壁を堀抜いて造ったであろう隧道(トンネル)は、幅は広く天井が低い。アステルとマァムの背丈で屈まずに済むギリギリの高さ。スレイ、シェリル、タイガは常にしゃがんでなければ頭をぶつける。

 

 「こんなに低い天井でここの住人は頭ぶつけんのか?」

 

 一番立端があるタイガが、中腰で歩きながら苦笑う。

 

 「……ドワーフ族は屈強な体つきだが、背丈はあまりない」

 

 同じく屈みながら進むスレイが説明を付け足した。

 

 「詳しいね、スレイ」と、こちらはきょときょと辺りを見回すマァムと並んで歩くアステル。

 

 「……ドワーフ族の知り合いがいる」

 「ハーフエルフといい、スレイは変わった知り合い多いなぁ。……たっ!!」

 

 油断したシェリルは天井に頭をぶつけた。

 

 隧道を抜けると、天井の高さはそのままに、住居空間らしき場に出た。地下水を汲み上げる為の井戸に、小さな釜戸。背の低い箪笥にベッド、テーブル、一対の椅子。その椅子の一つに座る目付きの悪い男が、こちらに睨みをきかせていた。

 背丈はアステルの肩に届くくらい。しかし肩幅は極端に広く、胸板はがっしりと厚い。肌は濃い褐色。短い首や四肢には筋肉がもりもりと付いている。

 豊かな髪と口髭は暗褐色。フンと荒い息を漏らす鼻は丸くて赤い。

 

 「ちっちゃぁいおっちゃぁん!」

 「マァム、待った……あだっ!!」

 

 かぁいい~と、男に駆け寄ろうとするマァムを、シェリルが慌てて捕まえようとしてまた天井に頭をぶつける。頭を押えて唸るシェリルのかわりに、タイガがマァムを確保した。

 

 「……なんだね。お前さんらは」

 

 男は不機嫌を露に、傍らにある棍棒を手に腰を浮かす。

 

 「まっ、待ってください! ドワーフのノルドさんですよね!? 黙って入ったりしてごめんなさい! 私達はポルトガ王の使いの者です!!」

 

 畳み掛けるように話すアステルの姿を視界に捕らえると、男……ドワーフのノルドは慄くように呟いた。

 

 「〈天の愛し子〉……!」

 「え?」

 

 アステルは瞳をぱちぱちと瞬く。

 

 (それ、どこかで聞いたような……)

 

 「ああ……いや、なんでもないわい」

 

 何故かノルドは慌てた様子で椅子に座り、棍棒を置いた。

 

 「で、ポルトガ王がどうかなされたか?」

 「あっ、はい。実は……───」

 

 アステルは腰ポーチから王の書簡を取り出し、ノルドに手渡した。

 

 

 「───……ふむ。悪事を働く海賊のせいで船を出せない故に、この〈バーンの抜け道〉で東側へ渡りたい、と」

 

 読み終えた王の手紙をテーブルに置き、ノルドはアステル達を見渡し、重々しく確認するように言う。

 

 「諸悪の根元を叩くために」

 

 それに、アステル達は大きく頷いた。ノルドは物思いに更けるように瞼を閉じ呟く。

 

 「……大地への畏敬を忘れた人間共を通さぬよう抜け道を塞いで、はや数十年。されど悪を滅する為、他ならぬポルトガ王の頼みとあらば……」

 

 閉じた瞼を上げ、彼は椅子からのそりと立ち上がった。居住空間から外に出ようとするノルドに一行は慌てて体を後ろに引き、その道を譲る。ノルドは一旦立ち止まり、彼女らに振り返った。

 

 「……ついてきなされ」

 

 

 案内された場所は先程の天井の高い空間だった。

 

 「そこで見ておれ」

 

 それ以上アステル達を近寄らせず、立ち止まったノルドの目の前にあるのは、なんの変哲もない壁。アステル達が不思議そうに顔を見合わした。

 

 その時。

 

 「うおおおおおおおおおっ!!」

 

 低い唸り声と共に、洞窟が大きく揺らいだ。

 

 「ふっおっおっおっおっおっ♪」

 「「じっ……地震っ!?」」

 「静かに」

 

 揺れるのに合わせて声を上げて楽しむマァム、慌てるアステルとシェリルに、スレイが短く叱声し、タイガがマァムの口に手をやって塞いだ。

 

 「ふんっ!!!」

 

 ノルドが気合いと共に両手を壁に叩きつけると、壁がボロボロと崩れ落ち始めた。

 やがて地鳴りが治まり、ノルドが額の汗を拭いながらふうっと息を吐き、アステル達に振り返った。

 

 「これが〈バーンの抜け道〉だ」

 

 壁には人一人が通れるくらいの穴が開き、その先には通路が続いていた。

 

 「今のは魔法ですか?」

 

 アステルの問いに、ノルドは首を横に振る。

 

 「……似て非なるものだ。大地に頼んで今しばらく結合を解いてもろた。お前さんらが入ったら再び閉ざすから、そのつもりでな」

 

 「出口は?」と、スレイ。

 

 「東側の出口に仕掛けは施しておらん。ちゃんと開いとるから安心せい」

 

 スレイは頷き、穴の中へと歩み出す。続いてアステル、マァム、タイガと。

 しかしシェリルは立ち止まり、ノルドの方へ見向く。仲間達も何事かと足を止めた。

 

 「……ちょいとお訊ねしても?」

 

 彼女の問いかけにノルドは目で先を促した。

 

 「なんでポルトガ王の事は、んな信用してはるんです?」

 

 それは皆気になっていたので、一緒になって答えを待つ。

 久しく純粋な若者達の視線を受け、ノルドは暫し沈黙するが、やがてぼそりと言った。

 

 「儂は人間は好きではないが、ポルトガ王は気に入っとる。あやつは自然界への……海への畏敬と感謝の念をしっかり持っとる。それにあれほど純粋な心を持つ人間は珍しいからの」

 

 「純粋な?」と、タイガ。

 

 「初めて会ったあの時。あやつは魔物に襲われながらも、アッサラームへ向かおうとしていた。ベリーダンスを見る為だとか熱心に言っておったな」

 

 「はあ……」と、アステル。

 

 「儂は呆れながらも、こう言った。『王族なら、踊り子を国に呼び寄せれば良かろう』と。そうすると奴は穢れのない瞳と笑顔でこう言ったんじゃ。

 『ベリーダンスはアッサラームの空気があってこそ、楽しめるものだ。それに自分達の力で苦労して得た喜びにこそ意味がある』と、力強くな」

 

 「穢れのない瞳と笑顔」と、シェリル。

 

 「あそこまで己を包み隠さない、嘘偽りのない気持ちを吐露する人間はそうそういない」

 

 ノルドは腕を組み、うんうんと感心するように頷くが、こちらは理由が理由だけに、どう返していいやらわからない。

 

 「………いくぞ」

 

 半眼のスレイが疲れた声で先を促し、歩み始めた。

 

 「……えっ、あっ、ありがとうございました!」

 「うむ」

 

 アステルはノルドにお辞儀をして彼の後を追う。シェリルは「……どうも」とこめかみに手を当てて溜め息を吐き、タイガは「それじゃあ」と喉の奥でくくくっと笑い、マァムは笑顔で「ばぁ~いばぁ~~い」と手を振ってノルドの前を通り過ぎ、穴の奥へと消えた。

 

 人の気配が完全になくなると、彼は無意識に詰めていた息を大きく吐いた。

 

 「〈天の愛し子〉が、今生では勇者の道をゆく者とは……。これも運命か」

 

 ノルドは穴の前に両手を翳す。

 

 崩れ落ちた壁の欠片は時間を巻き戻すように、積み上がり、合わさり、一瞬で穴は塞がった。

 

 

 

 〈バーンの抜け道〉は不思議と魔物は住みついていなかった。暗闇の中、松明を翳して一本道をただひたすら歩く。恐らくは二~三時間程度歩いたのだろうが、変わらない風景にそれ以上歩いた気分になる。出てきた場所は西側と同じ様に山脈の麓……ではなく、山の中腹。急勾配な山道を降りきった頃にはとっぷりと日は暮れていた。

 森の手前で一行は野営の準備を始める。竈を組み、火を起こし、干し肉や野菜を煮込んだスープを作り、固パンと一緒に食す。

 アステルは竃の火の明かりを頼りに、スレイから借りた〈妖精の地図〉を、隣に座るシェリルと共に覗きこんだ。〈バーンの抜け道〉東側出口から、目的地バハラタまでは、南下するだけなのだが、道程が険しい。今目の前にある光も通さないような鬱蒼とした大きな森の中を、何日もかけて歩かなければならない。

 

 「確かに……船があるんなら利用しようとは思わんルートやな」

 

 シェリルがげっそりとぼやきながら、スープを啜った。

 

 「ここから北に行ったら、何かあるみたい。……なんだろう」

 「んん?」

 

 アステルが頭を傾げ、シェリルが再び地図を覗きこむ。

 

 「祠の印やな。なんでんなとこに?」

 「オリビア岬だ」

 「「オリビア岬?」」

 「対岸の海峡も含めてその地形一帯はオリビア岬と呼ばれている」

 

 二人は声を揃える。スープを飲み終えたカップを地に置いて、スレイは答えた。

 

 「………今から五十年程前か。その岬の近くにはバハラタの香辛料を世界に広めて賑わっていた大きな港町があった。その町長の娘の名がオリビア。

 オリビアにはエリックという恋人がいた。だが、オリビアの父親は身分の低いエリックとの結婚を認めなかった。

 ある日、町長の館で窃盗騒ぎが起きた。その犯人にエリックの名が挙げられた。彼は無実を訴えたが、聞く耳持たない町長によって引っ捕らえられ、その賠償の為に奴隷船へと乗せられたんだ」

 「え?」

 「それ親父にとったら好都合やないか」

 

 二人は胡乱な表情を浮かべ、スレイは頷く。

 

 「ああ。その窃盗騒ぎはオリビアとエリックを別れさせる為に起こした町長の自作自演だったと、のちに当時の関係者は証言したそうだ」

 

 「そんなの酷い……!」アステルは眉を寄せる。

 

 「……オリビアはエリックが戻ってくるのを待ち続けた。父親が執拗に持ってくる縁談に見向きもせず、いつ帰るとも知れない恋人を、日が昇る前から暮れるまで、港に入ってくる船を岬から眺めて待ち続けた。

 だが数年後。彼女の元に届いた報せは、エリックの乗っていた船が嵐によって沈没したというものだった。そして、その報せを受けたその日の内にオリビアは岬から身を投げたそうだ。───それからだ」 

 

 スレイの声が一段低くなった。

 

 「北の海峡に船が近付くと、悪天候になり、海が荒れ狂い、沈没が相次いだ。町では夜な夜な聞こえてくる女性の啜り泣く声、悲しげな歌声に発狂する者が現れた。船乗りや住民はそれがオリビアの呪いだと恐れ、町から離れ始めた。

 町長は己の行いを悔い、ダーマに助けを求めた。幾人もの聖職者が祈りを捧げたが結局治まらず、やがて港町は機能しなくなり、廃れ、滅んだ」

 

 誰かが息を呑む。

 

 「今でも海峡や岬に近付くと、彼女の歌や泣き声が聞こえてくるらしい」

 

 森の木々のざわめきがやけに耳に響く。

 

 「それがオリビアの名の由縁だ」

  

 竃の炎がバチンッと爆ぜた。

 

 「───……だっ、」

 

 「シェリル?」

 

 ハッとして、アステルが隣を見やる。

 

 「誰が怪談せいゆうたぁぁぁ!!!」

 

 シェリルは青い顔で、スレイの胸倉を掴み激しく揺すった。

 

 「お、落ち着いて! シェリル!!」

 「怪談じゃない。説明だ」

 

 揺すられ頭をかっくんかっくんさせながらも、しれっと言うスレイ。だが、顔には底意地悪い笑みがハッキリと浮かんでいる。

 

 「シェリルぅ。今の話ぃ怖かったんだぁ~~?」

 

 マァムはニヨニヨしながら、シェリルににじり寄る。シェリルはぱっとスレイを離し、腕を組み、はんっ! と鼻で笑った。

 

 「こっ、怖かあらへんわ!! こんくらいどうって事……「あぁ~~シェリルの後ろぉ~~」

 

 ひぎゃぁぁぁ!!! と叫び声を挙げてシェリルはマァムに抱きついた。

 

 「スレイ………」

 

 アステルがジト目で睨むと、彼は引っ張られて依れた服を整えながら肩を竦めた。

 

 「嘘は言ってない。あの岬にあるのは慰霊碑と〈旅の扉〉のある祠だけだ」

 「〈旅の扉〉……?」

 「今は封印されていて使えない」

 「どこと繋がってるの?」

 「さあな」

 

 話は終いと、スレイは近くの木に凭れ瞼を閉じた。アステルは溜め息を吐き〈妖精の地図〉を閉じた時、ずっと黙っていたタイガと視線が合う。恐らく彼もスレイを見ていたのだろう。困ったような笑顔を彼女に向けた。

 

 スレイはうっすらと瞼を上げて、再び閉じた。

 

 それ以降、北の岬の事は話題にあがる事はなかった。

 

 

 

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