長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
北上して森を抜けたアステル達は、古く小さな橋に辿り着く。橋を渡った先はまたしても森。その手前には最後の連絡係が待機していた。
「ここからは徒歩で。奴等に気づかれますんで」
皆頷き、馬番に子分を数名残してアステル、カンダタらは森に入った。暫く歩くと、先頭の連絡係が振り返り、「静かに」と、手振りでこちらに伝える。木々や岩影に身を隠しつつ、体を低くして進むと、蔦や苔で覆われた小さな石造りの建造物が見えた。手前には幌馬車と見張りが二人立っている。
カンダタが顎を上げると、子分達が頷き、二手に分散する。ガサッと鳴る草むらに、見張りの二人が反応する。その隙を突いて音もなくその背後に移動したカンダタ子分が、二人の首の後ろに手刀を落とす。気を失った見張りに素早く
近づき中を覗くと、暗い地下へと伸びる階段があった。
「馬車は空です」
馬車から顔を出した子分に「だろうな」とカンダタは短く返事する。
「いくぞ」
向かい合うカンダタに、アステルは頷いた。
そこは迷宮だった。アリアハンとロマリア、イシス地方。最近ではバーンの抜け道と、これまでにいくつかの洞窟や塔を攻略してきたアステル達だが、ここはどこにも当てはまらない、独特な洞窟だった。
飾り気も異なる部分も全くない、同じ造りの空間が連なり続くそんな洞窟だった。扉を見つければ、その隣の空間にも全く同じ扉ある。その隣も、その隣も。
素人が不用意に歩けば、あっという間に迷ってしまうだろう。
(……自分も含めて)
アステルはぶるっと震え、見失わないように前を歩くスレイの背中に目をやった。
「……こりゃあ。ここは牢獄か」
「……だろうな」
「え?」
呟くカンダタに応えるスレイ。それにアステルが首を傾げた。アステルを振り返り、カンダタが扉の鍵を指差す。
「似通った数多くの小部屋に、扉の鍵が全部外側だ」
「……言われてみれば……!」
「……あと、ここの造り。単純に見えて、一度入ったら簡単には出られないよう工夫を凝らしてある」
スレイは空間を見渡しながら言う。
「バハラタとダーマの中間にある事を考えると、どちらかの牢獄だった可能性があるな」
ああ、そういえば……と、殿《しんがり》を歩くタイガが思い出したように話す。
「昔、黒胡椒やその売り上げを狙った盗っ人を罰する為の牢獄が街の外のどこかにあったって聞いた事あるな。ここかもしれん」
「へ? せやけど、この洞窟は全然話題に上がらへんかったで。こんなんアジトにぴったりやんか」
魔法のそろばんを肩に担ぎ、シェリルは辺りを見回した。
「今のバハラタには定期船乗り場近くに、牢獄がちゃんとある。盗っ人達は捕えられたらそこに放り込まれて、ポルトガ王国の役人に引き渡されるようになっているんだ。使われなくなって忘れられてたか……あるいは」
タイガは背後から飛び掛かってきた複数の緑の影に、回し蹴りを放つ。
ドサドサドサッと落ちたのは三匹の猫。その背中には蝙蝠の羽を生やしている。アッサラーム近辺で現れるキャットフライによく似ているが、その毛並みの色は鮮やかなオレンジではなく、
「魔物の住み処と成り果てたこの場所を、アジトにするとは思いもしなかったか、だ」
洞窟奥から、新手の猫蝙蝠〈キャットバット〉の群れが現れた。襲ってくるかとおもいきや、猫蝙蝠達は甘えるような鳴き声を発し、身体をくねらせ、尻尾を揺らす。赤い目を爛々と輝かせ、その不思議な舞をアステル達に見せつけるように洞窟内を飛び交う。
「う……あっ!?」
体の力が一瞬抜け、剣を取り落としそうになってアステルは慌てる。キャットバットの一匹が隙の出来た彼女に向かって滑空し、その鋭い爪を降り下ろした。しかしアステルの前に躍り出たシェリルが、頭上に両手で翳した魔法のそろばんでそれを受け止めて、払う。
「なにぼうっとしてるんや?!」
「ごめん、急に力が抜けて……!」
「〈不思議な躍り〉だ」
刃のブーメランを投げ放ちながらスレイは鬱陶しげに言った。
「おかしな動きでこちらの理力を奪い取る、魔物の特殊攻撃の一つだ」
「見ないようにしてても、効果がある厄介なヤツだ! さっさと倒して躍りをやめさねぇと、理力があっという間に底突くぞ!」
カンダタも戦斧をブーメランのように投げ放つ。轟音と共にキャットバットが次々に切り裂かれ、塵となる。
「なっ、なにをすんだ!」
「おい、やめろ!!」
カンダタ子分達から悲鳴が上がる。アステルがそちらに目線をやると、なんと、仲間に対して武器を振り回す者達が。それもどんどん増えていくではないか。
((この状態は……!))
なにかを察したスレイとシェリルの顔がサッと青くなる。〈星降る腕輪〉の力を借りたタイガが疾風のごとく駆け抜け、錯乱した者達に軽く衝撃を与えて、我に返らせた。
「魔法でおかしくなったのか?」
「混乱呪文メダパニだ! タイガ、お前は絶対にかかるなよ!」
「後生やから死んでも混乱はなしやでっ!!」
スレイとシェリル両方の脅しに近い懇願に、タイガは口元をひきつらせて笑う。
アステルは慌てて辺りを見回す。際限なく現れるキャットバット。闇の中を瞬く禍々しい赤の星々のその中に、怪しげに浮かぶ黄の星。
「そこっ!!」
アステルがその一角にブーメランを投げた。
キャットバットと共に倒れるのは、黄色の眼に
ダガーは見事幻術士の眉間に刺さり、魔物は叫び声をあげる間も無く、塵と化した。
「ギラっ!」
ブーメランで卒倒していたキャットバットが気が付き、再び宙を舞おうとするのを、アステルの初等閃光呪文が焼き尽くす。
魔物の群れを一掃し、ほっとしたのも束の間。また新たな魔物がこちらに向かってやってくる。はじめは魔物の煩わしい特殊攻撃や呪文に遅れをとったものの、今の一行はカンダタ一味も加えた大所帯。
警戒を怠らなければ、そう何度も苦戦を強いられる事はなかった。
* * * * * * *
「……ったくよぉ~~。こんなに女達がいるってのに、一人も手ぇ出しちゃならないなんてよぉ」
そう言って見張りの偽カンダタ子分は、だらしなく椅子の背凭れに体をもたせかけて、牢の中の拐ってきた娘達を物欲しげな目で見遣る。
「生娘かどうかなんて、ヤらなきゃバレないだろうになぁ」
その発言に残りの三人は目を丸くし、それからその内の一人がああ、と声をあげた。
「お前、最近入ってきたばっかでしらんだろうが、取り引き先の奴等はわかるらしいんだよ……においでな」
「はぁ? におい~~?」
訝るような声に、「本当だって」と、別の子分が言う。
「まあ、頭に殺されたくなけりゃ諦める事だな」
「へいへい……」
古株の忠告に、新入りはぶすくれる……と。
「ねえねえぇ~~!」
場にそぐわない、緊張感の全くない間延びした声に盗賊達は揃って顔を顰めた。
「ねえったらぁ~~!!」
「……それにしてもよぉ。アイツらを解放しに行った奴ら遅くねえか?」
「ねえねえねえぇ~~!!!」
「あれは普通じゃねぇからなぁ。
この間なんか、餌をやりにいったら指を食いちぎられそうになったわ」
「ねえねえねえねえねえねえぇ~~!」
「アレも、その取り引き先から譲られたモンだろう? 頭はなんだってあんな」
「ねえねえねえねえねえアホねえねえねえねえねえね「「「「だぁっ!! 喧しいわっ!!!」」」」
盗賊達は立ちあがり、牢屋の中のマァムに怒鳴り付けた。
「しかも、然り気無く〈アホ〉言いやがったなっ!!」
「無視ぃするからぁ、耳がぁ遠いのかとぉ思ってぇ」
牢屋の中のにいてもなお、不遜な態度のマァムに、歯噛みする子分達。
「くっ……! このアマぁ、調子に乗りやがって」
「そんな事よりもぉ! いい加減縄を解いてよぅ!!」
「ああっ?! 『転がったままじゃ髪が汚れる、頬が傷つく、背中が痛いっ』って散々喚くから、ちゃんと座らせてやったじゃねぇか!」
上半身を縛られたままでありながらも、壁に背を預けるように座るマァムは拘束を解かれた足をばたつかせ、叫んだ。
「違ぁ~うぅ!! これぇ解いてくれないとぉ、パパやグプタの怪我ぁ治せないでしょぉがぁ!!!」
「ああんっ? なにほざいてやがる。そんなん許すわけねぇだろうが」
「むうううううぅっ!!!」
ゲラゲラ嗤う盗賊に、マァムは顔を真っ赤にして膨れる。
「マァムちゃん。ワシらは大丈夫やから……「いいえ」
エルトンの言葉を涼やかな声が遮る。
その声の主は、怯え固まる娘達を支えるように中心に座る紺の修道服姿の女性だった。
「あぁ~? なんだ? 尼さんよぉ。まぁた説教かぁ?」
嘲るように言う盗賊に動じず、シスターはエルトンを見た。
「先程から気になっていたのですが、頭を怪我されてますよね。頭の怪我は見えない所で出血している可能性があります。……それに、彼も」
そう言って、グプタに視線を移す。
「あれから大分経つというのに、一向に目覚めない」
そして、再び盗賊達を静かに見据えた。
「あなた方はこの方に今、死なれては困るのでは? それにこちらの彼も、確か近々大きな老舗に婿入りされる方。御身内からもお金を要求できる筈です。……生きていればの話ですが」
「く……っ」
「ほらほらぁ! だからぁ! さっさとぉこの縄解いてよぅ!!」
「うるせぇっ! てめえは駄目だ! てめえさっき足の縄を解いてやった時、俺の顔に蹴り入れやがったの忘れたとは言わせねぇぞっ!!」
「忘れたっ!!」
「てめえっ!!」
「……おい、落ち着け」
鉄格子をガンっと蹴る血気盛んな新入り盗賊を、古株盗賊が宥める。
「ならば、わたくしが」
シスターは立ち上り、鉄格子に近付く。それに古株盗賊は眉を顰める。
「あんたは僧侶呪文が扱えるんだ。その手の攻撃呪文も当然会得してんだろうが」
「はい。ですがこれまで人に向けた事は神に誓って一度もございません。そしてこれからも」
古株盗賊は威嚇するようにシスターを凝視する。彼女は怯えもせず、真っ直ぐにその視線を受け止めた。
「………後ろを向け」
折れたのは盗賊の方であった。
「いいんっすかぁ!?」
新入り盗賊が非難の声を上げる。
「死なれちゃ意味ねぇからな」
そう言って腰から抜き放ったナイフで彼女の両手首を戒める縄を切った。
「おかしな真似をしたらどうなるか……わかってるな?」
彼女は縄の跡がついた両手首を擦り、盗賊に向き直るとひとつ頷く。
そしてグプタに近付き、彼の前に膝まずくと自由になった両手を翳した。
「………
手から放たれた白き光がグプタの体を包み込み、傷を癒していく。意識はまだ戻らないものの、顔色は幾分かましになった。グプタの傍で瞳に涙を堪え「ありがとうございます」と何度も頭を下げるタニアに、シスターは「大丈夫ですよ」と穏やかに微笑んだ。
「では、次は貴方です。頭の怪我ですから念入りに診ないと」
そう言ってシスターはエルトンに近寄りその頭に触れると、彼にそっと耳打ちした。
「……治癒呪文をおかけしますが、善くなっても暫くは具合いが悪そうに装おっていてください」
エルトンは盗賊達に気付かれぬよう、治療を受けるそぶりで頷いた。
* * * * * *
「───ホイミ」
アステルが唱えた初等治癒呪文の光が、カンダタ子分の傷を癒した。
「ありがとよ。助かった」
「どういたしまして」
「次、俺もお願いしていいか?」
「あ、はい」
「あ、俺も」
俺も、俺も、と次々に挙手する子分達。カンダタ一味の中にも、治癒呪文を扱える者がちゃんといるのだが、どうせ治してもらうのなら可愛い女の子がいいらしい。
「おまえらぁ、大概にしろよ。嬢ちゃんの理力が尽きちまったら、洒落にならんぞ」
「あ、スンマセ……」
呆れたように言うカンダタに顔を向けた子分達は、その隣にいるスレイの冷淡な視線に貫かれ竦み上がった。
『調子にのってスンマセンっした!!』
彼に向かって一斉に起立し深々と頭を下げる子分達に、アステルは「はて?」と、首を傾げる。
「ここを出る頃には、カンダタ子分改め勇者アステルファンクラブにでもなってそうだなぁ」
薬草を使って手当ての手伝いをするアステルに、嬉しそうにする子分達を眺め、にやにや笑うカンダタをスレイは無視する。
「……それより。おかしくないか?」
「魔物の事か?」
苦笑しつつも真面目に答えるタイガに、スレイは眉を顰めつつも頷く。
「これだけ魔物がいる洞窟をアジトにするのもだが、非力な人間を大勢連れてまわれるなんて、いくらなんでもおかしい」
「なんか
「と、すればだ。その絡繰りってのは、魔物を自分達の都合のいいように操れるものになるなぁ」
「そんな事、人の出来る事じゃ……」
言いかけて、アステルははっとする。そんな彼女を見てカンダタは頷いた。
「この先出てくるのは人より、魔物より。おっかねえモンかもしれねぇな」
治療を終えたアステル達は再び、洞窟内の奥を目指して探索する。引っ切り無しに襲いかかる魔物達を撃退し、ひとつひとつ確認する小部屋の中には、宝箱などもあったが、スレイとカンダタは一瞬だけ見て、それからそっぽ向く。
彼らの後方を歩く子分達は見向きもしない。そんな場合ではないのだけど、盗賊らしからぬ行動ではとアステルとシェリルが頭を傾げると、殿を歩くタイガが「流石だなぁ」と呟いた。
「どういう事や?」
「今まで無視した宝箱は全部魔物だよ」
「え……?」
人を喰らう宝箱……それはピラミッドで遭遇した
三人は知らない。
ここにいる盗賊達は盗賊であるがゆえに、宝箱に擬態する魔物と数多く遭遇し、その度に死物狂いで戦うか、逃げるかを経験しているという事を。
だからこそ魔法使いが扱える危険探知呪文インパスに頼らなくとも、彼らはその経験から奴らを感知できるのだ。そしてその大体は正解なので、頭のカンダタや自分達より格上のスレイが無視したものを、子分達はわざわざ確認しようとは思わない。
「それにしても。タイガはなんでハズレなヤツがわかるんや?」
「俺の場合は〈氣〉を感じ取ってるから。普通宝箱にそんなものは感じないしな」
「きぃ?」
「気配の事?」
タイガは眉を下げて困ったように笑う。
「う~ん。ちょっとだけ違うかな。〈気配〉ってのは生物の視線、動きや呼吸、心拍といったものから発するもので、〈氣〉ってのは生物が内から発するエネルギー、生命力っていったらいいかな。俺はそれを色や熱で感じ取っている」
「生命力……?」
「アステル達がよく魔力を感じるとか、理力がどうのとか、言ってるだろう? それに種類は違うが似てるかな」
「わかったような……」
「わからんような。まぁ、元々ウチには魔力は感じひんし、理力もないからなぁ」
「けど、そういう武術や体術に秀でてる人間の方が〈氣〉の流れを読む事に長けるって、俺の師匠が言ってたぞ」
「そうなん? じゃあ、やり方がわかればウチも……」
ふいに、先を歩く盗賊達が立ち止まり、スレイが振り返る。
「タイガ」
喋り過ぎたか。説教が来るかとアステルとシェリルは身構えた。
「その〈氣〉とやらで、今の異常さがわかるか?」
「「え?」」と、予想外の言葉に娘達は間の抜けた声を上げる。タイガは顎に手を当てて、辺りを見回す。
「そうだなぁ。あれだけ蠢いて近寄っていた氣が遠ざかって鳴りを潜めてる。……まるで何かに怯えてるみたいだ」
「どういう事や?」
「魔物が現れねぇ」
訝しむシェリルに、カンダタが簡潔に答えた。
「どうして……?」
「理由はわからないが……道は間違ってはいなさそうだな」
呟くアステルに、スレイが前方を見つめたまま答えた。その先に広がる空間にぽつんとあるのは、下へ降りる階段。アステルが前に出ようとしたその時、スレイに手を引っ張られ引き戻された。
「スレ……」
彼の顔を見上げかけてアステルも
(………誰かがこちらに来る)
皆、武器を手にいつでも動けるよう構えて様子を窺う。
やがて地下への階段から、巨大な斧を持ち覆面を被った巨漢が、重たい靴音を響かせ、ぬっと姿を現した。
その数は三人。
「……ポカパマズ?」
「ちっ! 偉大なるポカパマズの姿でよくも俺の前に現れやがったな」
アステルがきょとんと呟き、カンダタは怒りに顔を歪ませ盛大に舌打ちをし、残りの連中はげんなりとする。子分の一人がハッとして、カンダタに叫んだ。
「頭! もしかしてこいつらが頭の格好で
「………かもな」
「え……!?」と、アステル。
そんなのは初耳だ。スレイも目付き鋭くカンダタに問う。
「どういう事だ。カンダタ」
「俺の名を騙った騒動がもう一つあんだよ。ロマリア地方の名もない集落の幾つかがそいつらに襲われた。〈殺人鬼カンダタ〉とその手下は娘子供を拐い、男や老人はすべて皆殺しにしたそうだ。
……同じ人攫いとはいえ、やり方が違うんで別件かと思っていたが」
「本当は俺らそっちを追っかけてたんっすよ」と、子分。
「けど、途中でバハラタの人攫いの話も出てきて、そいつらも頭や俺達と同じ格好をしてるってんだから……」と、別の子分が溜め息混じりに言う。
覆面ビキニマッチョが三人。血走ったその目玉がこちらを捉えるとにたりと笑う。そのおぞましさ不気味さに総毛立った。これ以上向き合いたくない。出来る事なら逃げだしたい。
「だから、なんでその格好……」
こめかみに手を当ててシェリルは頭を振る。
「……危ない」
「そりゃ危険やろ。こんな格好の奴」
「違う」
呆れ口調で突っ込むシェリルに、アステルは巨漢に視線を逸らさずに否定した。
「……アステル?」
「違うの。格好とかそういう事じゃなくて、この人達……!」
「来るぞ!」
スレイの警告と同時に巨漢……〈殺人鬼〉の一人が動いた。
その早さは尋常じゃなく、あっと言う間に彼女達の間合いを詰め、その巨大な斧を振り下ろす。アステル達はその場を跳んで攻撃をかわし、分散した。
殺人鬼の振るった斧は床を割る。その威力にアステルは息を呑んだ。殺人鬼は割れた床を不思議そうに眺め、頭を捻らせ、そして再びこちらを見た。目がにやあっと笑う。
床に深く突き刺さった斧を、そのまま抉るように掬い上げ、破損した床の破片をアステル達にぶつけるように放った。
「くっ!」
思わず腕で顔を庇うシェリル。ハッと目を見開けば先程とは別の殺人鬼の顔がそこにあった。覆面越しに腐臭まじりの熱い息が、彼女の前髪を揺らす。
頭が真っ白になり、固まった。
「うらあああっ!!!!」
横からカンダタの斧が巨漢向かって振り下ろされた。殺人鬼はそれを自らの斧で受け止め、弾き、彼らから間合いを取る。
「なぁにぼやっとしてんだぁ? お嬢様。びびっちまったか?」
「だっ、誰がっ!!」
シェリルは慌てて魔法のそろばんを構え直す。
「余計な事すんなっ!」
「へいへい……とっ!」
二人纏めてその首を刈らんと殺人鬼が薙いだ斧を、シェリルとカンダタはしゃがんでかわした。
アステルに振り下ろされた斧を、タイガが風神の盾で受け止め、押し戻した。よろける殺人鬼の懐に素早く入り、とんぼ返りの要領で顎を蹴り上げた。星降る腕輪に念じると途端に体が羽のように軽くなる。
「ハアアアアアッ!!!」
タイガは目にも止まらぬ速さで殴打を繰り返し、最後は掌底打ちで殺人鬼を壁まで突き飛ばした。
「ありがとう、タイガ」
駆け寄るアステルに頷くが、珍しく彼の顔に笑みが浮かばない。
「アステル。さっき奴らが危険だと言っていたな?」
「…え、うん」
「どんな風に? なにを感じたんだ?」
「え?」
アステルは頭を傾げる。
「アステルの直感は無視出来ないからな。それに俺もあいつらからは異様な〈氣〉を感じる」
「異様?」
聞き返したその時、壁まで吹っ飛ばされた殺人鬼が首を鳴らしながら、けろりとした様子で立ち上がる。それにタイガは眉間に皺を寄せた。
「人の顔をした魔物……みたいな。はっきりしない〈氣〉だ」
その剛腕から繰り出される斧の一撃はいちいち重く、風圧は凄まじい。スレイはそれを冷静にいなしながら、ドラゴンテイルを振るう。
鞭は殺人鬼の足を捉え、
しかし、その刃は殺人鬼に握り止められた。
スレイは舌打ちし、ダガーを退こうとする。が、刃を握りこむ力は固く、むしろどんどん強くなる。大きな手から血が滴り落ちる。地面に触れると、シュワッと蒸気を立てて消えるのにスレイは目を見開く。斧を掴んでいる手が、彼の背後でゆっくり振り上げられる。
スレイはダガーから手を離し、殺人鬼から離れた。
間合いを取り、敵の様子を窺う。
殺人鬼は立ち上がろうとするものの、再び腰をつく。アサシンダガーの刃をいつまでも強く握り締めていたが、やがてそれは手から滑り落ちた。鋭い刃によって、切り裂かれ赤黒く染まった手指は辛うじて繋がっている状態。
しかし殺人鬼は他人事のように、不思議そうに動かない手や足を眺めている。
そのしぐさは、さながら赤ン坊のようだった。
「ぐぎっ……がああああああっ!」
それはいきなり洞窟全体に響き渡るような咆哮を上げた。釣られるように残り二人も絶叫する。
「今度はなんや……うわっ!!」
シェリルの目と鼻の先で斧が薙いだ。殺人鬼の目が充血を通り越し、真っ赤に染まる。いきり立った二人の殺人鬼達は、近くにいるもの手当たり次第に斧を振りまわし始めた。アステル達は斧の餌食にならぬよう慌てて距離を取る。そうすると殺人鬼の一人の視線が、手足を負傷し、動けずぼんやりとしている己の仲間に移った。
まさかと思ったのも一瞬。
殺人鬼は仲間の脳天に斧を振り下ろした。
「「ひっ…!」」
戦闘中ゆえ、瞳を閉じるような愚行はしなかったが、アステルとシェリルは思わず短い悲鳴をあげる。
しかし。想像するような凄惨な光景を目にする事はなかった。
斬られた殺人鬼の体は直ぐさま塵と化して消えたのだ。
そして残されたのは黒い石。
それは魔物が絶命する時のそれと、全く同じだった。
「やっぱりか……」と、スレイ。
拾い上げたアサシンダガーにも血の汚れは一つもなかった。
「こいつらは人じゃない……魔物だ」
「人型の?」
尋ねるアステルにスレイは頷く。
「恐らくは。血が消え、遺体が消えた。それがなによりもの証拠だ」
「こんだけしっかりした人型やったら、〈魔法使い〉や〈ベビーサタン〉みたいな魔族なんちゃうんか?」と、シェリル。
「いや。魔族にしては知能が低すぎるからな。人型の魔物だろ」
「そういうもんなんか」
「魔物の氣を感じたのはそういう事か……?」
そう呟くタイガだったが、まだどこかなにかが納得できないのか、歯に物が詰まったような難しい顔をしている。
「……しかし。そうとわかれば、手加減の必要はねぇわけだな」
カンダタはギラリとした笑みを浮かべ、戦斧を構えて一人、斧を振り回す殺人鬼の前に進み出た。
「おいっ! お前っ!!」
無謀だと、シェリルが焦って声を上げた。が。
カンダタは殺人鬼の振り下ろした巨斧を、斧片手で受け止めた上に、軽く払い飛ばした。轟音を伴い自分達の方へ飛んでくる殺人鬼の斧をカンダタ子分達は慌てて避ける。その斧は壁に深くめり込んだ。
「目障りだ。失せろ」
武器をなくし呆然とする殺人鬼に低く囁き、カンダタの戦斧が閃いた。黒い石が転がるのを見て、「やるな」とタイガが感嘆の声を、子分達は歓声を上げる。ぼんやりとこちらを見るシェリルに気づき、カンダタが首を傾げる。
「どうしたよ?」
「べっ、別に!!」
ハッとしてシェリルは慌ててそっぽを向く。カンダタはキョトンとし、それから意地悪い笑みを浮かべた。
「もしかして見惚れたか?」
「なっ、んなわけないやろぉお!!!」
声を荒らげるシェリルに、カンダタが高らかに笑った。
皆が〈人〉との戦いから〈魔物〉へと意識を切り替える中、アステルだけが転がった黒い石から目が離せなかった。この目で見てなお、彼らがただの魔物には思えなかった。人型の魔物と戦った事はあるが、それは全て死人だった。
ここまで人に近い存在は初めてで。
(だから、こんなに怖いの?)
なにが?
彼らの力が?
彼らの存在が?
人に手を掛けてるような、この気持ちが?
それとも………
「────アステルっ!!」
スレイの声に我に返ると、最後の一人の殺人鬼がこちらに向かって来ていた。
「メラっ!」
アステルの初等火球呪文が、振り上げられた斧に炸裂する。斧は持ち手まで恐らく鉄製。溶かす事は出来なくとも、熱さで持てなくする事が出来るだろうと踏んでいた彼女だったが。
殺人鬼は赤々と輝く斧を平然と持っていた。
「……ギラっ!!」
掌から放たれる閃光を、殺人鬼はまともに浴びる。人の肉が焼ける匂いとそれでも消えぬ殺気にアステルは顔を顰めた。皮膚を焼かれ、煙を立ててもなお、こちらに向かってくる殺人鬼。
覆面が黒くポロポロと焦げ落ち、火傷を負った顔が現れる。大きく見開かれた眼は澱んでおり、口は笑みを浮かべ、人の血肉を求める様はもはや魔物そのものだった。
スレイのドラゴンテイルが、彼女に迫る殺人鬼の足を絡め捕った。
「アステルっ! 躊躇うなっ!!」
スレイの声に、彼女はゾンビキラーを素早く抜き放ち、掛け声と共に袈裟掛けに振り下ろした。
三人目の殺人鬼が塵と消える。その一瞬にアステルが見た彼の最期の笑みは不気味なそれではなく。
安堵しているかのように映った。
足元に転がった黒い石を見下ろし、それを震える手で拾い上げた。
「怪我はないか……アステル?」
近寄るスレイに、アステルは驚愕の表情のまま彼を見上げた。
「どういう事……? あれは魔物じゃなかったの?」
「なんだと?」
スレイが眉を顰める。
「───いいや? あれは正真正銘魔物だぜ」
彼女のその問いに答えたのは、つい先程塵と消えた殺人鬼と、同じ格好をした男だった。