長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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注意:残酷表現、欠損描写があります。


荒ぶる魔力 千早振る聖力②

 

 

 

 ───洞窟内の気温が一気に下がった。

 

 

 「さっ、寒っ!! なんやっ!?」

 

 シェリルは、思わず二の腕を擦る。吐く息が白くなるほどの冷気の原因を慌てて探し、結局はその前に見ていた場所へと視線を戻す。

 そこには両手をだらりと下げ、うつむき様に立つスレイと、その前で彼に斧を振り下ろさんとするシュウの姿。

 しかしその腕は斧ごと氷で覆われ、凍てついていた。

 

 「……これってまさかスレイの仕業か?」

 

 あまりに異様な事態に困惑し、敵味方ともに戦闘を中断してその原因に注目する。

 

 「アステル」

 

 タイガはこの場で最も魔法に詳しい彼女に説明を求めた。しかし、彼女も戸惑い首を横に振る。

 

 「……わからない。氷刃呪文(ヒャド)系だと思うけど、こんな(あらわ)れ方見た事ない。それにスレイがなんで?」

 

 彼は攻撃呪文は扱えない筈だ。

 

 「くっ、くそっ! どうなってやがる!」

 

 シュウは感覚のない氷結した腕を無理矢理動かそうとし、それにカンダタが声を張り上げた。

 

 「よせっ! 腕が落ちるぞっ!!」

 「ぎゃあああああっ!!!!」

 

 警告も虚しく、完全に凍てついていた右腕は動いた衝撃で根元からぽきりと折れ、床に落ち、巨大な斧共々粉々に割れた。

 シュウは絶叫を上げ、無くなった右腕を押え踞る。傷口が氷結しているせいか、出血は見られなかった。

 

 パキリと。

 

 目の前の砕け落ちた己の腕の一部を踏み潰した音に、シュウは恐々と顔を上げる。見上げた先には白く整った美麗な顔が、一切の表情を無くして彼を見下ろしていた。

 

 琥珀の瞳は冷たく、もはや金色に近い。

 

 屈み緩やかに差し出されたグローブを嵌めた手は、シュウの口を塞ぐようにがしりと掴み、そのまま立ち上り高く持ち上げた。細身の男が片手で巨漢をすんなりと持ち上げるその光景に、カンダタ子分達は息を呑み、そして敵である甲冑達は、恐怖で動けずにいた。

 スレイの細腕を引き剥がさんともがき、暴れるシュウ。

 

 「……だっ、駄目っ!!」

 「アステルっ!?」

 

 ハッとして、アステルは彼等の元へ駆け出した。同時にスレイの手から再び強い冷気が漏れだす。

 

 「スレイがあの人を殺してしまうっ!!」

 

 (この感じ、アッサラームの時と同じ……!)

 

 「スレイ駄目! ……つぅっ!?」

 

 触れた腕のあり得ない程の冷たさに、アステルは痛みを覚え、思わず手を離す。霜の付いた手袋を外すと、掌はみるみる間に赤く腫れ上がる。それは……凍傷。

 

 「……これってまさか、魔力の暴走?」

 

 魔力を持つ者が稀に起こす〈暴走〉。主に心因的なものが原因で起こるもので、理性の箍が外れ溢れだした魔力が周囲を破壊する。

 

 (だったらこれは呪文による冷気じゃない……)

 

 魔力を持つ者には得意とする属性というものを持っている。風・火・氷・光・闇……アステルの場合なら火や光だが、おそらく呪文を知らないスレイは魔力を冷気として顕現(けんげん)しているのだ。

 しかし、このままではシュウは、スレイの魔力によって全身を氷漬けにされてしまう。

 

 (それにこんな冷気をひたすら放出し続ければ、スレイの体だってもたない!)

 

 「スレイ! 意識をしっかり持って! ねぇ! スレイっ!!」

 

 手が、体が凍てつくのも構わずアステルはスレイの体を揺らし、叫ぶ。しかし彼はそんな彼女に全く反応を示さず、自分の掴んだ敵だけを見据えている。

 

 (なんでこんな事に……! どうしたら……どうしたらっ!!)

 

 焦るアステルの脳裏に新しい〈力ある言葉〉がハッキリと思い浮かんだ。

 今この時に必要な呪文。

 アステルは一瞬だけ、ぱっと表情を明るくさせたが、次の瞬間には引き締めて声高らかにそれを唱えた。

 

 「呪術封印呪文(マホトーン)ッ!!」

 

 紫の光の帯が発生しスレイを包み込む。続けてヴォンッという、低い耳鳴りのような音が辺りに響き渡った。

 

 

 ───しかし、それだけだった。

 

 「え……!?」

 

 スレイの凍結は収まらない。アステルはもう一度マホトーンを唱える。呪文は発動しているものの、全く効果がない。スレイの瞳も冷たく虚ろなままだった。

 

 「どないしたんや! アステルっ!!」

 

 (たま)らずシェリルが叫ぶ。

 

 「……マホトーンッ! ……駄目、止まらない! スレイの魔力を封じ込めないっ!!」

 「落ち着くんだアステル。心が乱れてちゃ成功するものも成功しない」

 

 狼狽(ろうばい)するアステルに、タイガは出来る限り平静な声で諭す。呪術封印呪文(マホトーン)を必死に唱え続ける少女を、カンダタは険しい表情で見詰めた。

 半分といえどエルフの血で視る双方の魔力の輝き、大きさ、質。そしてその違いを。

 アステルの魔力が低いわけでも、その呪文を扱うには実力不足なわけでもない。

 スレイの魔力が桁外れなのだ。

 そして今もまだ高まり続ける魔力が、彼女の呪文を(ことごと)く弾いているのだ。

 

 「あーーーっ!! だったらもう、いっそ気絶させてしもうたらどうや?! タイガなら上手い事出来るやろ!?」

 「無駄だ」

 

 シェリルの提案に、カンダタは首を横に振った。

 

 「やりもせんと否定すんなや!!」

 「気絶で済む話なら、とっくの昔に俺がどついてやってるっ!!!」

 

 (わめ)くシェリルに、苛立たしげに声を張り上げるカンダタ。

 

 「どういう事だ?」

 

 問い掛けるタイガの冷静な声音に、カンダタは肩を怒らせながらも声低く説明する。

 

 「……今のスレイは既に我を失ってる。体が動いた状態で気絶してるようなもんだ。急所を突いて体の自由を奪ったとして。スレイから引き離されたシュウは助かるだろうが、スレイのあの魔力はあいつが息してる限り垂れ流れた状態のままだ。

 それじゃなんの解決にもならん」

 

 「? ちょっと待ってくれ。今放出してるのが魔力として、理力? はどうなる? 呪文使う時の源は理力だろう?」

 

 理解が追い付かず、タイガが手を上げる。

 

 「あ~~っ! 取り合えず今は魔力と理力は別物だと思っておけ」

 

 カンダタはがしがしと頭を掻く。

 

 「魔力の放出には別に理力だけを必要とするわけじゃねぇ。それが無くなったら別のもので補えばいい」

 

 「……別のもの?」とシェリル。

 

 「生命(いのち)だよ。だが普通は意識下で行えるもんじゃねぇ。そんな芸当が出来るとしたら賢者って呼ばれる奴等か、頭が真っ白になるくらい追い詰められた時ぐらいだろうよ」

 

 タイガとシェリルは瞠目する。

 

 (────そういや……)

 

 と、シェリルはエルフの里での一件を思い出した。地底湖の洞窟でアステルが限界以上の魔力を発揮した末、起き上がれない程疲弊した事を。

 

 「それだけじゃねぇ。これだけの冷気だ。スレイの体に負担がかかってねえ訳がねえ。なんとかしてスレイを止めねぇと。頼りは嬢ちゃんのあの呪文なんだが……」

 

 恐らくは止められない。奇跡でも起こらない限り。

 

 (その奇跡に頼るしかねぇ!)

 

 カンダタはギリッと歯を食い縛った。

 

 ───だが。

   

 「マホトー……」

 

 何度目かのマホトーンでアステルは顔を上げ、青ざめた。

 

 理力が、底を突いた。

 

 「そんな……っ!」

 

 相変わらずスレイの表情は凍ったまま、こちらを見ない。彼が掴んでいるシュウも低体温に陥り、抵抗する力も無くしたのか、ぴくぴくと体を痙攣させている。

 

 「やだ……もう止めて。殺しちゃうよ」

 

 凍傷を確かめた後、手袋をはめ直さなかった手は先程以上に腫れ上がり、皮膚が裂けて血が滲んでいる。その手でアステルは必死にスレイの凍えた体を揺する。

 

 「このままじゃ死んじゃうよ!! スレイも死んじゃうよっ!!!」

 

 大きな青い瞳から溢れる涙は、赤い頬を滑り落ちる前に凍てつき、氷った。

 

 

 「こっち見てよ!! スレイっ!!」

 

 

 

 

 ───万事休す。そう思われた。その時。

 

 軽い足音。

 

 それはどんどん大きくなり、こちらに近付く。

  

 階下への階段から桃色の影が飛び出し、

  

 黄金の巻き毛を靡かせて、手にある杖を振りかざした。

  

 

 「アステルをぉ~~っ! 泣っかせるなぁ~~っ!!!」

 

 張り詰めた空気を切り裂くような、力強く明るい声とスレイの頭を杖の先端で打った音が空間に高く響き渡った。

 

 同時に杖の骸骨が吐き出した怪しい霧が辺りに充満する。

 

 「なんだ!? この霧はっ! 今度はなんだ!?」

 

 視界を遮られ当惑するカンダタ。

 

 「この紫の霧は……!」

 

 シェリルは霧を取り払おうと手うちわで扇ぐ。

 

 やがて霧が晴れ見えたのは、床に倒れているシュウ。崩折れてきたスレイを抱き止めて膝をつくアステル。

 そしてその彼女の近くにいるのは。

 手にある魔封じの杖で床を突き、もう片方の手は腰に当てて仁王立ちをし、紅玉髄(カーネリアン)の瞳を煌々とさせて小さな鼻の穴からふんっと息を漏らした……

 

 「「マァムっ!」」

 

 シェリルとタイガの声が綺麗に揃う。

 

 「……マァム?」

 

 しゃくりあげながらアステルは目の前に立つマァムを見上げた。

 

 「スレイでもぉぅ! アステルをぉ泣かせる奴はぁ許さないだからねぇ!!」

 

 その言葉にアステルはくしゃりと顔を歪ませて、彼女の首っ玉にしがみついた。

 

 「マァムぅ~~~っ!!!」

 

 ぼてっとスレイを床に落として。

 

 「アステルぅ~~! べぇホぉイミぃ~~!」

 

 抱き合いながら、マァムはアステルに中等治癒呪文をかける。暖かい白い光がアステルの凍え傷ついた体を癒した。

 

 「ありがとう、マァム」

 「へへへぇ~~~」

 

 はにかむマァムから離れて、足元に転がるスレイに気付き、アステルは再び青ざめた。

 

 「ご、ごめんスレイっ!!」

 

 アステルが慌ててしゃがみこみ、彼の銀色の頭に触れると大きなタンコブが出来ていた。失神しているものの魔力の暴走は治まり、ちゃんと体温を感じる。

 もう冷たくない。

 彼のぬくもりにアステルは安堵の涙を溢した。シェリルも近付き、魔法のそろばんでつんつんとスレイの体をつつく。……本当に異常は治まったようだ。

 

 (マァムの使(つこ)うたんは呪術封印呪文(マホトーン)の効果のある魔封じの杖。そいつで思いっきり殴られて気絶。ついでに魔封じの霧で魔力の暴走も治まった……と)

 

 ふむ。とひとつ首肯き、スレイの扱いに顔を引きつらせる男二人に振り返り尋ねた。

 

 「これって杖の魔法効果のお陰や思う? それとも物理効果?」

 「……両方じゃないのか?」

 

 カンダタは深く深く溜め息を吐き、タイガが苦笑って答えた ───と。

 

 

 「ぐうっ……」

 

 その呻き声に、緩んだ空気が再び張り詰めた。

 あれだけの怪我を負ってもなお、片手を伸ばし、立ち上がろうと足掻くシュウの姿に誰もが息を呑んだ。

 

 「また、まただ……」

 

 ぼそぼそと呟く声は小さくか細い。

 

 「お前はまた俺を追い詰める……お前はまた! ……聞けっ! 勇者アステルっ!」

 

 いきなり名指しされ、アステルはびくんっと肩を竦めた。

 

 「そいつはお前の仇も同然だ! なぜならそいつは……ぐっ!!」

 

 と、話の途中でシュウは胸を押え、頭を掻きむしり苦しみだす。

 

 「な、なんや!?」

 「近付くなっ!」

 

 呻く男の様子を覗こうと一歩前に出たシェリルの手を、カンダタが掴んで引き戻した。

 

 「グハアアアアっ!!!」

 

 絶叫と共に目から口から耳からと、体の穴という穴から大量の黒い靄が溢れだす。そしてその体は風船が空気を漏らすように急速に縮んでいく。その場にいる者達は驚愕のあまり、ただただその様子を見ている事しか出来なかった。 

 やがて全ての靄が体から出ていき、残ったのは。片腕を無くしたひょろりとしたノッポの男が一人。

 

 男は力なく再び地に伏せた。

 

 「……シュウだ」

 

 カンダタ子分のひとりが気の抜けた声でぽつりと呟く。

 恐らくこの姿が本来の彼なんだろう。

 黒い靄は人間達の頭上でぐるぐるぐるぐると渦巻き、一瞬で背中に巨大な蝙蝠の羽を生やした獅子の形へと変じた。

 

 「ガアアアアアア………っ!!!!」

 

 黒獅子の咆哮は洞窟全体に轟き、そこに立っている者達全てを震撼させた。

 人間同士の戦いを遠くから覗き見していたこの洞窟に住み着く魔物達は、慌ててその場を離れ、身を潜める。カンダタ子分や人攫いの甲冑盗賊は巨大な魔物を前に戦意を失い、武器を落とし、腰を抜かす。

 シェリル達もまた、背の翼をはためかす黒獅子の圧倒的な力と邪気をその身に受け、武器を取り落とさずに立っているのがやっとだった。

 しかし黒獅子は、彼女達には見向きもせず、(くれない)に輝く目は気を失っているスレイを捉えた。咆哮をあげて彼に飛び掛かる。獅子の狙いに逸早く気付いたアステルは、咄嗟に横たわるスレイを覆い被さるように抱き締めた。

 彼の服を掴み、胸の上でアステルは来るであろう衝撃を覚悟し、固く目を閉じる。

 

 「「「アステル!! スレイっ!!!」」」

 

 シェリルは、タイガは、カンダタは。

 武器を、拳を握りしめ床を蹴って……踏みとどまった。三人の目に飛び込んできた光景に驚愕し言葉を失う。 

 彼女達に触れる一歩手前で、黒獅子が何かに大きく弾かれたのだ。

 黒獅子は空中で一回転し、唸り声を上げ再び二人を襲う。が、まるで二人の周りに透明で堅固な壁でもあるかのように黒獅子の侵入を防いでいる。

 体当たりを何度か繰り返して、突然黒獅子はなにもない天井を見上げた。

 その格好のまま暫く低く唸っていたが、やがてグルゥ……と不満げな声を漏らし、姿を黒い靄に戻した。

 

 靄は人の頭上を走り抜けて、そして、去った。

  

 

 

 押し潰されそうな空気が完全に消えた。

 

 金縛りが解けたように、シェリルはよろけ、詰めていた息を思いっきり吐いた。そして肺一杯に空気を吸い込む。それを繰り返してなんとか平静を取り戻した。魔法のそろばんを握っていた手は汗で濡れ、今もかすかに震えている。

 密かに手を服で拭いながら周囲を見渡して危険がないか確認する。敵だった大男は萎んでしまい、その手下だった甲冑達は完全に戦意を失っている。

 今更ながら気付いたのだろう。

 自分達がついていた存在の巨大さ、邪悪さ、恐ろしさを。 

 シェリルは軽く息を吐き二人に近付く。今だスレイの上で固まっているアステルの頭に手を伸ばした。

 

 「アステル~~。黒い化けもんはもうおらへんで」

 「え?」

 

 ポンポンと頭を軽く叩かれ、アステルは瞳を開いて、がばっと体を起こす。アステルは辺りを見回し、しゃがんでこちらを見ている彼女と目が合う。

 シェリルは白い歯をみせて、にかっと笑った。

 

 「まさか本当に魔物……いや、魔族も一枚噛んでたとはな」

 「ああ」

 

 カンダタが疲れた声でぼやき、タイガがそれに答えた。カンダタは頭を掻きなら、溜め息を吐く。

 

 「……まあ、いつまでもここにいても仕方ない。

取り敢えずは撤収とするか。

 おいっ! てめえらいつまで腑抜けてやがる! それでもカンダタ盗賊団員かっ!!」

 

 『へっ、へいっ!!』

 

 カンダタの一喝で、へたり込んでいた子分達は慌てて立ち上がる。

 

 「人攫いどもを縛り上げろ! あと地下には拐われた娘達がいるはずだ! 救助に向かうぞ! 分担して取り掛かれ!!」

 

 『へいっ!』

 

 綺麗に揃って返事をし、子分達は素早く作業に取り掛かった。

 

 「あ、ウチも地下に行く」

 

 地下へ向かおうとするカンダタと子分数名の元へシェリルが駆け寄ると、カンダタが目を丸くした。

 

 「あ、あんたらだけやったら、人攫いと勘違いされかねへんからな。親父もおるやろうし、仕方なくや!」

 

 そう言ってそっぽ向くシェリルに、カンダタは数回瞬きをし、それから声を上げて笑った。

 

 「笑うなっ!!!」

 

 シェリルとカンダタのやり取りを目を細めて見ていたタイガの腕に、ポスンっという軽く柔らかい感じ馴れた感触が伝わる。ずるりと前に倒れそうなその細い肩を支えてやると、彼女はそのままタイガの方へもたれ掛かる。

 体重の掛け方に彼女が疲れきっている事が伝わり、タイガは眉を顰めた。

 

 「やっぱり、さっきアステルとスレイを助けたのは君か。マァム=ノーラン」

 

 タイガの言葉に、深紅の瞳のマァムはこくりと頷いた。あの時急に姿を消したのは、見えない所でもう一人のマァムと入れ替わり、その力を行使する為だったのだろう。

 

 「その前のスレイを元に戻したのも?」

 

 こくんと頷く。

 

 「あと、牢屋、から、出る、時、も〈あたし〉に、気付かれ、ないよう、に。最後のは、交代、しないと、流石に、無理」

 「頑張ってくれたんだな。ありがとう」

 

 うとうとと、今にも眠りそうな少女に微笑むと、彼女は肩にかかるタイガの手を握る。

 

 「理力、使い過ぎた。それに、聖力は、元々〈あたし〉の、担当。〈わたし〉苦手。だから、〈わたし〉は、魔力を、担当、してる」

 

 片言でゆっくりと話す暗い瞳のマァムは、溜め息を吐く。元々喋るのは苦手そうだったが、これは相当消耗しているからだろう。

 

 「……大丈夫か?」

 「眠、れば、治る。……大丈夫」

 

 表情を曇らせて尋ねるタイガにマァムは瞳を見開き、それからうつむいて首肯く。

 

 「……けど。この、ままじゃ、いけない。〈あたし〉は、今の、ままじゃ、守れない。笑顔、守れても、生命、守れない」

 

 かくんと膝折れる。タイガは素早くその膝裏に腕を通してマァムを持ち上げた。

 

 「ダーマ……悟りの……書」

 

 目蓋がゆっくりと閉じられ、静かな寝息が聞こえ始めた。

 

 

 「あれ? マァムも寝ちゃった?」

 

 眠るスレイに自らの外套をかけるアステルの元に、マァムを横抱きしたタイガが歩み寄る。

 

 「元気に振る舞ってたけど、本当は疲れてたんだろう。俺達の知らない所で呪文とか使ってただろうしな」

 

 そう言って、マァムを抱いたままアステルの隣に胡座をかく。

 

 「うん。色々あったしね」

 

 アステルは頷き、スレイへと視線を移す。

 

 (本当に、色々あった)

 

 人攫いを捕縛し、拐われたマァムを、エルトンを、バハラタの人々を救出する。カルロスとサブリナの呪いの真相を調べる。

 

 (それが当初の目的だった……のに)

 

 まさかのカンダタとの再会。父オルテガの仲間、勇者サイモンの祖国サマンオサの黒い噂。人攫いの主謀はカンダタとスレイの元仲間で、彼らに強い怨みを抱く者だった。

 

 人間が操る人型の魔物。

 

 人間を強化させるだけじゃなく、見た目も変えてしまう黒い靄。……黒獅子。

 

 そして……スレイの魔力暴走。

 

 『聞けっ! 勇者アステルっ!!』

 

 『そいつはお前の仇も同然だ! なぜならそいつは……』

 

 (あれは一体どういう意味なんだろう……)

  

 アステルはそっと、スレイの頭を撫でる。 

 

 怨讐の籠った男の叫びがまるで呪いのように、いつまでも耳から離れなかった。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 アステル達の前から飛び去った黒い靄は、洞窟から飛び出し、空高く昇ると、夕日を背景に再び背中に蝙蝠羽の生えた黒獅子の姿に具現化する。

 ぶるるっと体を振るわすと黒い靄が硬質化して、獅子の体を覆う黒い殻となり、パリパリと剥がれ落ちた。

 そこから現れたのは灰色の毛皮。

 鬣と尾の先は真紅。脇腹から左右に更に二本、足が生え合計六本に。一際大きくなった翼を羽ばたかせ、体に残る黒い殻を払い飛ばした。

 開いた眼は紅から紫色を帯びた暗い青へと変化する。

 

 「───ラゴンヌ」

 

 そう名を呼ばれた獅子が振り返ると、そこには空中に浮かぶ一人の男。フードから覗く整った顔。常に微笑んでいるような糸目は金色。

 紅蓮のローブを風にはためかせて、男は獅子に近寄った。

 

 「デビルウィザード」

 

 獅子の口は言葉を紡ぐ。

 

 「……なぜ、止めた。我の闇を与えれば間違いなくあの者は堕ちていた。我を拒む聖なる幕も、あと数回の衝撃で破れた」

 

 不機嫌な獅子……ラゴンヌに、デビルウィザードは眉を下げ困ったように微笑んだ。

 

 「まだ、その時期ではないのですよ。それに我々が必要以上に目立つ動きをすれば、あの者の管理を任じられている彼も気分が悪いでしょう?」

 「……あやつは、みすみすあの者を取り逃がして行方を未だ掴めておらぬぞ」

 「それを言いますか。あの者の関係者に取り憑いておきながら……貴方も人が悪い。いや、獅子が悪い?」

 

 クックックッと笑うデビルウィザードに、ラゴンヌはふいっと顔を背ける。

 

 「……たまたまだ。そもそも、あやつが宛がったのだ。強い羨望と怨みの籠った魂だと。だがその矛先の相手がまさか《器》だったとは」

 

 ───《器》。

 

 その言葉にデビルウィザードの目が鈍く輝く。

 

 「兎に角。ラゴンヌ、今暫くはこの事は彼にも内密に」

 

 「何故だ?」

 

 ラゴンヌは目を眇める。

 

 「ついさっき貴方もぼやいたではありませんか。彼の職務怠慢さを。そんなに捕まえたくば、自ら見つけ出せばいい。………それに」

 

 デビルウィザードはニッコリと微笑む。

 

 「貴方が心配せずとも時期がくれば、あの者自身が《深淵》へとやって来ますよ。

 ……《器》はその《持ち主》の手から逃れられない。その繋がりを断ち切る事など、決して出来ないのですから」

 

 それを羨むように恍惚と言うデビルウィザードに、「グルゥ……」とラゴンヌは溜め息が入り交じった声で唸った。

  

 「……それよりも。どうです? ここはあちらと違って豊富な種類の負の感情があるでしょう?」

 

 「……うむ」と、頷くラゴンヌ。

 

 「あちらでは最早、絶望か怠惰ぐらいしか味わえぬからな。不味くはないが飽きが来る。先程喰らったのもなかなかの美味だったぞ。憎悪に隠れた憧憬と嫉妬。……流石は《光在る世界》だな。そこから出づる影も様々だ」

 

 満足げに語るラゴンヌに、デビルウィザードはフフッと笑う。

 

 「では我はあちらに戻るとしよう」

 「もう?」

 「充分満喫できた。それに長い時間あれから目を離すのは、気が気でない。……忌々しい事にな」

 

 「………御苦労様です」

 

 労いの言葉に獅子はフンッと失笑する。翼を悠然と羽ばたかせ、上昇するラゴンヌを見上げるデビルウィザード。

 方向を定めると、獅子はあっという間に黄昏の空に消えた。

 

 やがて山岳を茜に染めていた夕陽が海へと沈む。世界は紫、紺青そして、黒に覆われる。

 

 

 

 ………魔の者達の時間が訪れる。

 

 

 

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