長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
───走れ。止まるな。振り返るな。
そう、自分に強く言い聞かせながら子供は足を動かす。
頬に小枝が当り、闇の森を飛び交う羽虫が当たる。
涙で濡れた頬に虫はへばりつきもがく。それを乱暴に拭って、走る。
泥に足を取られ、転びそうになりながらも、持ちこたえ、再び走り出す。
先の見えない闇をひたすら走る。
走る。
走る。
何処まで? 何処まで逃げればいい?
何時まで? 何時まで逃げ続ければいい?
どうして? 何故逃げなければならない?
自分は何一つ悪い事などしていないのに。
自分は、なにも。
……そう、なにも、出来なかった。
そうして、生き延びた事。
それこそが罪なのか。
『世界と勇者を裏切った大罪人』
───子供は大人になっていた。
その場に跪き、耳を強く塞ぎ、固く瞼を閉じた。
暫くそうしていると、ふいに頭を優しく撫でる手の感触に気付く。
慌てて瞼を上げ、体を起こす。辺りを見渡すが誰もいない。
しかし、その見えない手はいたわるように頭を撫で続けていた。
不思議と不快や恐怖は感じない。
強張っていた体の力を抜き、零れそうになる涙を堪えるように再び瞼を閉じ、
その手がもたらす安らぎに身を委ねた。
* * * * * *
「───あ、気が付いた? スレイ」
自分を見下ろす位置にあるサークレットをしていないアステルの顔に、スレイは思わず固まった。
そして、自分の頭を撫でてる手が彼女のもので、枕にしているのが彼女の太股だとわかると、バッと体を起こす。
「くっ………!?」
途端、頭に鈍い痛みが襲う。それに加え酷い倦怠感。ついでに自身の姿も確認すると身に付けていたはずの革の鎧や黒装束、グローブ、ブーツ、武器が収納されている革ベルトも全て外され、黒のインナーとズボン姿だった。
「こ、こは……?」
なんとか頭を上げ、スレイは辺りを見回す。
どこかの邸宅の一室のようだ。置かれている家具は飾り気はないがどれも質が良く、そんなテーブルの上に飾られている花が少し萎れているのが不自然だった。
なにがどうなってこの場所にいて、あろうことかアステルに膝枕などされる状況に至ったのか全くわからない。経験した事のない事態に、スレイは混乱していた。
答えを求め同じソファーに腰掛けているアステルを見た。彼女も旅装ではなく、今は白のブラウスにズボン姿だ。
アステルはきょとんとし、それから「ぷふーーっ!」と盛大に吹き出した。
「あ、アステル……っ?」
「スレイ……今の顔、情けなっ、おかし、……ぷふっ! ……だ、だめ、アハハハハッ!」
しまいには腹を抱えて笑い出してしまった。そんな彼女にスレイは額に青筋をたてて、口許をひくつかせる。
説明をろくにせず、人の顔見て笑い出す奴があるか。
「アステ……っ!」
怒鳴ろうとするも、再び襲った頭痛にスレイは頭を押さえた。
「ごめん。マァムも近くで寝てるのに私ったら……」
アステルは笑いを収め、そんな彼の頭に触れる。
「………いつものスレイだ」
静かにそう言ってスレイの頭を優しく撫でた。目を上げると、先程まであんなにバカ笑いしていたのに、今は泣き出しそうな微笑をこちらに向けている。やめろとその手を払いたいのに、何故だかそれが出来ない。………してはいけない気する。
騒ぎ出す己の胸に戸惑い、スレイは瑠璃色の瞳から視線を逸らした。
「ここはタニアさんの家だよ。ちゃんと説明するから、取り合えず横になって。座ってるのも辛いんでしょ?」
アステルはソファーから立ち上がると、スレイの体を横に倒し、備え付けのクッションを彼の頭の下に手早く敷いた。
そして自分は、少し離れた位置にある椅子をソファーの近くまで持って来て、そこに腰かけた。
「頭痛いでしょ? マァムが杖で打った所は、シスターが治癒呪文でちゃんと治してくれたから、その痛みの原因は魔力暴走の影響だと思う」
「……マァムが打った? 魔力暴走?」
「スレイ。どこまで覚えてる?」
「どこまでって、……洞窟で人攫いと戦闘になって、それから……」
『……世界と勇者を裏切った大罪人……』
思い出した言葉にスレイは肩をビクンッとすくませた。しかし、そこから先がぽっかりと抜け落ちている。
次に思い出すのはさっきのやり取りだ。
額に手を当て黙りこむスレイの様子を、窺うように眺めたアステルは口を開く。
「そこから先は覚えてない……?」
スレイは黙って頷いた。
「その後、スレイは魔力暴走を起こしたの」
スレイは眉間に皺を寄せる。
「オレは魔力を持ってるが、暴走させる程のものなんか持ってないぞ?」
疑いの目を向けるスレイに、アステルは首を横に振った。
「スレイが気付いてないだけ。けど、スレイは呪文を知らないから、その魔力を冷気として顕現させて放出したの」
信じられず再び否定の言葉が出そうになるが、やめた。彼女の眼差しが事実である事を物語っている。
「……じゃあ、人攫いは? 直前まで戦ってた首領の男はどうしたんだ?」
尋ねられて、アステルは思わず口ごもる。言い辛そうなその様子を察して、スレイが口を開く。
「オレが、殺したのか?」
それを聞いたアステルは、首がもげそうな勢いで頭を横に振った。
「しっ、死んでない! ………酷い怪我してるけど、大丈夫とは言えないけど、それでも生きてるから!」
それを聞いたスレイは、我知らず息を吐く。
「そうじゃなくて。スレイが倒したって、言っていいのかどうか……」
アステルは語った。
暴走したスレイは人攫いの首領シュウの右腕を奪い、殺してしまう一歩手前で、マァムと彼女が持つ魔封じの杖によって食い止められた事。その後に起きた異変。シュウから飛び出した黒い靄。
倒れるシュウ。その靄が巨大な獅子の魔物になり、スレイに襲いかかるも、結局なにもせず消えてしまった事。
「……シェリルの話では、黒い魔物は私達を襲ったんだけど、なにか壁みたいなものに防がれて手が出せなかった……とか」
「……私達……?」
スレイの剣呑な目付きにアステルはギクリとする。あの時、思わず武器を放り出してスレイを庇った。スレイがこの事を知れば絶対に。
(………間違いなく叱られる)
「で、その後は拐われた人を見つけて合流したの!」
内心汗だらたらで、アステルは話の方向を元に戻した。スレイの訝しげな目は無視する。
「その中に教会のシスターもいて、怪我人は全員シスターの治癒呪文で治してもらったの。……人攫いの首領も。だから、大丈夫」
「……そうか」
「洞窟の魔物達はあの巨大な魔物に怯えたせいか、全然出てこなくて無事に脱出出来たんだけど、
今度はそこから街までがね………
* * * * * *
「アステル嬢ちゃんはスレイを連れて
カンダタは言った。
洞窟を出た頃には、外はとっぷりと暮れていた。誘拐された上に、慣れない洞窟の移動に疲れ果てた町娘達の為に、しばし休息を取ることにした。少し広まった場所で火を起こして、今後の計画をたてる一行。
娘達とグプタ、エルトンはアステル達とカンダタ達が持つキメラの翼で町に戻ってもらうとして、捕まえた盗賊団はそうはいかない。
キメラの翼を使ったとしても、彼らは素直に同じ行き先のイメージなどしないだろう。そしてその首領も未だ目覚めていない。そうなると徒歩と馬を使って町に戻るしかないのだ。その道中魔物が襲って来ないわけがない。アステルはその護送に付き合うつもりでいたのだが、突然のカンダタの言葉に彼女は首を傾げる。
カンダタは彼女の傍らで眠るスレイの頭を軽く小突いた。
「……もうないとは思うが。暴走のきっかけがシュウなら、こいつが目覚めた時、奴は近くにいない方がいい」
「あ………」
シュウは馬車の中にいて、シスターが治療を続けている。もちろん見張り付きでだ。
カンダタはおもむろに懐を探って取り出した物を、アステルに手渡した。
「これ……指輪……?」
金の土台に丸い青玉が填まった簡素な指輪。エルトンとシェリル商人父娘が興味津々でアステルの手を覗きこむ。
「祈りの指輪やな……! こいつの製法はエルフ族にしか伝わっとらん。指にはめて祈ると失われた理力が回復すると云われとる」
「ごっつ珍しいで! それ!」
「説明ありがとよ。お二人さん」
カンダタは薄く笑い、そしてアステルを見た。
「あの洞窟で理力が底突いたんだろ? そいつを使え。運が悪けりゃ一回で壊れちまうが、良けりゃ何回でも使える。………で、どうだ? やれそうか?」
アステルは拳を口に当てて考え込み、そして顔を上げた。
「意識を失ってる人を運んだ事はないけど………人数を制限したらいけると思う」
「マァムも一緒にいけるか?」
タイガの問いにアステルは頷く。
「なら、俺はカンダタ達と一緒に護送に回るとしよう」
「ほんならウチも」
シェリルも護送組に立候補し、それにエルトンが慌てふためいた。
「シェリル! なに言うとんのやっ!!」
「なにって。護送やねんから戦える人間は多い方がええやろ? 親父はキメラの翼で先に町に戻ったらええで」
「アホかッ! こんな狼がうじゃうじゃおる中に娘を放り出せる父親がどこにおるっ!! 絶対にあかんっ!! 許さへんでっ!!!」
(((((狼………)))))
それを聞いてシェリルは半眼になり、アステルは目をぱちくりとし、タイガは苦笑し、カンダタは溜め息を吐く。
「……お嬢様。あんた親父さんと先にキメラの翼で町に戻れや」
見るからに迷惑そうなカンダタの態度に、シェリルはカチンときた。
「なんでお前の言う通りにせなあかんねん。ウチは仲間のタイガを一人にするんが嫌なんや。あとお嬢様言うなっ!」
「俺は別に大丈ぉ……──」
タイガの口をぱしぃぃんっと音をたててシェリルの手が塞ぐ。(……痛そう)と、アステルは思った。
「それに今更やろ。ここに来るまで、アステルもウチもずーっとこいつらと一緒におったんやで」
「せやかてこれからも無事やとは限らんやろっ! 兎に角許さんっ!! どうしてもゆうんやったら、ワシも一緒に残るっ!!」
その発言にシェリルは「えーーーっ」と不平の声を上げる。彼女の手が離れ、タイガが赤く手形のくっきりついた口元を開く。
「だけど、親父さん……」
「心配御無用や。ワシも戦える。それともなんや? ワシがおったらなんや都合悪いんか?」
「……いや。それなら心強い……です」
ずずいっと前に出て顎を上げてねめつけるエルトンに、タイガは両手を前に苦笑を浮かべて背中を反らす。カンダタはこめかみに手を当ててもう一度長い溜め息を吐いた。
「いちいち溜め息吐くなやっ!!」
「吐かずにいられるかっ!!」
四人のやり取りにタニア、グプタをはじめ、拐われた恐怖と緊張で固まっていた娘達の表情も綻んだ。
「楽しそうですね」
「シスター」
いつの間にか馬車から降りてきたシスターは、アステルの隣に座る。
「わたくしも護送される方と一緒に町に戻ります。怪我人の回復役が必要でしょうから」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
* * * * * *
……で。私達は一足先にバハラタに戻ってこれたの。
宿屋に行こうとしたんだけど、タニアさんが『うちに来ればいい』って言ってくれてお言葉に甘えたの。シェリルやカンダタさん達は洞窟の入り口の前で一晩明かしてバハラタに向かうって言ってたから、到着するのは早くて明日の昼過ぎかな」
「マァムは?」
「そこの衝立の向こう側にあるベッドで寝てる」
そういってアステルは部屋の奥に立つ木製の衝立に視線を向けた。
「……タニアさん、家が目茶苦茶にされてた事忘れてたらしくて。二階の無事だった部屋を使わせてもらってるの。狭くてごめんなさいって謝られたけど、私からしたら広くて綺麗だし。けど、ベッドが一つしかなくて。
結構大きいからマァムと一緒にスレイを……」
「やめろ」
スレイは思わず低い声が出てしまう。アステルはぴっとすくんだ。
「う、うん。タニアさんとグプタさんにも止められた……けど、そうなるとソファーしかなくて……」
「それで充分だ」
呆れとも安堵ともいえない溜め息をこぼすと、ふと思い当たる。
「まさか、それであんな事したのか?」
「あんな?」
「…………………膝枕」
頭を傾げるアステルに、スレイは酷く言いにくそうにぼそりと口にする。
「あ、うん。寝苦しそうだったから、枕が低いのかなぁ……って」
「………枕に拘るような体質じゃない。そんな奴が野宿なんて出来るか」
「でも、その後眉間のシワが取れて、寝息が穏やかになったよ?」
「……………………」
(…………やめよう)
これ以上話を掘り下げたら墓穴を掘る事になる気がする。黙る事で話を打ち切ったスレイは、飾棚の上に置かれている重厚な時計に目をやった。
針は夜半を指している。
「アステル。オレはもう大丈夫だから、マァムの所で横になれ」
「え? でも……」
「気づいてないだろうが、おまえ顔色が悪いぞ。少しでも休んだ方がいい」
「え、」とアステルは自らの頬に手を当てる。話を聞く限り、彼女は理力を使い果たしたようだし、祈りの指輪を使って少しは回復してたとしても、初めて気を失った人間を二人も連れてルーラを行使した。
いつも以上に神経を使って疲れているはずだ。
(なのに、オレの看病なんかして……)
アステルがなにか言う前に「おやすみ」とスレイは彼女に背を向ける。後ろで戸惑うアステルの気配を感じ取るも、無視を決め込む。
やがて彼女は溜め息混じりに「なにかあったら声かけてね」と言い置き、椅子から立ち上がった。
部屋の明かりが落とされ、彼女の気配が遠退く。暫く経ってから、スレイは仰向けになり、額に右腕を乗せてうっすらと瞳を開いた。
(……そう。アステルは理力を使い果たしていたんだ)
自分が意識があった時にはまだまだ余裕があったというのに。彼女はまたなにか無茶をしたのだろう。そして、そうさせたのはおそらく暴走したという……自分。
己に対して舌打ちしたくなるのを、スレイはぐっと堪えた。アステルに聞こえてしまう。
(……それに……)
あいつは。………シュウは。オレが意識を飛ばしている間に、彼女や他の皆になにか言ったのだろうか。
気にはなるが、聞くのは躊躇われた。余計な事を聞いて、逆に問い質されるような事態を招くのは避けたかった。
(……たとえ話せなくとも、嘘だけは吐きたくはない)
ガイアの剣を求めて彼女達と旅をしている以上、いずれは明かさなければならない時が来るだろう。
(………けど、それまでは。今はまだ……)
スレイは固く瞼を閉じた。