長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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夢②

 

 

 ────少女が走る。

 

 訓練の時は常に結い上げて飾り気のない革紐で結んでいる髪は、今は下ろされ風に靡く。背中まで伸びた少々癖のある黒髪は父譲りだ。

 正直言うと髪は母のような真っ直ぐで柔らかな髪が良かったのだが、そう言うと大好きな父が『すまん~っ!』と泣き出したので、それ以来言っていない。

 その父がこの世からいなくなった、その後も。

 髪のサイドの一房を三つ編みにし、飾る真珠色のリボンもまた、父が旅先で買ってきてくれたお気に入りのもの。久し振りにスカートを履いて、心も息も弾ませて駆ける。

 会いたいのは小さい頃からの友達の女の子。

 名はアニーといった。 

 アリアハンでは珍しい赤毛を三つ編みにしていた。色白の肌は陽の光に弱く、唾の広い帽子を深々と被り、鼻の頭に散らばるそばかすをいつも気にしていた。

 アニーの父親と、少女の父は王国兵団時代の同期で、親友で。その子供であるアニーと少女もまた親友となるのも自然の流れだった。

 アニーはとても気が弱く大人しい、けれどとても優しい子で、少女ととても仲が良かった。少女の父の訃報に、泣けない少女の分まで泣いて、瞼を腫らしてくれたそんな子だった。

 少女はアニーが大好きだった。

 けれど。

 父が死に、その父の後を継ぎ、少女が勇者になると決めてから、剣術の稽古やら、呪文の勉強やらでアニーと遊ぶ機会はめっきり減ってしまった。

 そんなある日。剣術の師である祖父が用事で出掛け、その日の稽古は休みとなった。

 

 『久し振りに羽を伸ばしたら?』

 

 そう言う母に、少女は大きく頷いた。

 アニーの家を訪ねると彼女の母親が、公園にいると少女に告げた。

 

 『あの子、あなたに会いたがってたの!きっと喜ぶわ』

 

 頬笑む母親に少女は礼を言い、ペコリと頭を下げると、再び住み慣れた街並を駆け出す。

 少女が公園に辿り着くと、アニーは公園の花壇の前で別の女の子達とお喋りに興じていた。少女は一瞬躊躇うも、友の周りにいる女の子達も知らぬ顔ではない。

 声を掛けようと口を開いた、その時。

 

 『あの子も薄情だよねぇ~!』

 

 アニーを囲む女の子の一人がおもむろに声高にそう言い、少女は足を止めた。

 

 『だって、そうでしょ?』

 『次期勇者だとか言われて、大人達にちやほやされて、あんたの事は放ったらかし。あたし達がいなかったら、あんたずぅ~と一人っきりだったのよ? 酷いよねぇ』

 『でもさぁ。皆あの子のお父さんの事、勇者だ、英雄だって騒ぐけど結局なぁんにもしてないじゃない?』

 『だよね~~』

 『知ってる? そういうのって犬死(いぬじに)っていうんだって! お父様が言ってたわ!』

 

 ───犬死。意味のない死。

 

 少女はその言葉を知っていた。父の葬儀中、数々の功績を褒め称え、早すぎる死を惜しむ人々の一方、影でそう囁く大人達がいる事を、少女は知っていた。

 甲高い笑い声が、公園の遊具で遊ぶ他の子供達のはしゃぎ声を掻き消すほど、少女の耳にはっきりと響く。

 

 『あんたもそう思うでしょ?』

 『え?』

 『ねえ?』

 

 表情を覗きこむように再度尋ねられて、アニーは肩をすぼめる。俯き、目深に被られた帽子で少女からはアニーの表情はわからない。

 少女は固唾をのんで見守る。

 お願い。否定して。そう、祈りながら。

 

 『……う、……うん』

 

 あの日泣いてくれた友は、か細い声でそれを肯定し、頷いた。

 ふっ、と。眩暈に襲われた少女の体がふらりと傾ぐ。しかし持ち前の反射神経でなんとか踏ん張ると、ザッと靴底が鳴った。

 その音にアニーは、女の子達は一斉に視線を少女に向けた。

 

 アニーの顔がさあっと青ざめた。

 

 『ア、アステル………!?』

 

 皮肉な笑みを浮かべる女の子を押し退けて、アニーは少女の元へ駆け寄り『ち、違う! 違うの!』と、涙を浮かべてアニーは彼女にすがる。

 しかし、彼女の謝罪の声は、まるで耳に水が入ったかのように、遠く、聞こえ辛い。

 なのに、女の子達のけらけらと嗤う声だけはハッキリと聞こえる。

 ついには泣き出した友に、少女は大丈夫だからと、気にしてないからと、

 

 私の方こそごめんね、と。

 

 そう言おうと口を開くが声が出ない。

 なぜ私があやまらなくてはいけないの? 

 ならば、せめて笑おうと………

 

 (あれ………?)

 

 

 笑うって、

 

 

 

 どうやるんだっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………つんと焼き焦げた匂いが鼻につく。

 

 

 その異臭を放っているのは彼女自身で。 

 見下ろすと服は所々焦げていて、

 頬に触れる髪はちりぢりの感触。

 身体中がひりひりと熱く痛む。

 手を上げて見ると、火炎呪文を失敗した時のような火傷があり、赤く腫れ上がっていた。

 いつの間にか三つ編みはほどけ、父がくれた真珠色のリボンは何処かにいってしまい、 

 少女が立つ鋪装された地面は黒く焼き焦げ、煙が燻っている。 

 公園は親と子供達の悲鳴と泣き声で騒然としており、少女に向けられる視線には恐れと憤りが籠っている。 

 少し離れた位置で少女の母が必死に治癒呪文を唱えている。

 そのすぐ傍には友の母親。 

 しかしその表情は、先程見送ってくれたような笑顔とはかけ離れていて。 

 悲痛な声でひたすら友の名を叫び続けている。 

 膝をつく母のスカートの裾から見えるのは。 

 

 火傷で爛れた

 

 

 ぴくりとも動かない小さな手。

 

 

 

 

 

 「…………………っ!!!」

 

 

 眼前にマァムの涎を垂らした安らかな寝顔が飛び込んできた。

 ベッドの中で彼女と向かい合うアステルは、硬直し、瞳を見開き、早鐘のように打ち鳴らす心臓の音をただ、ただ聞いていた。

 

 (……落ち着いて……落ち着いて……)

 

 そう自らに言い聞かせて、息を整える。

 やがて心音は緩やかなものとなり、体も緊張から解放される。アステルはゆっくりと起き上がり、ベッドから抜け出す。マァムのはだけた掛け布を整えると、彼女はむぐむぐと口元を動かして、にまぁっと笑った。

 ごちそうでも食べている夢でも見ているのだろうか。

 アステルは頬笑むと、ナイトテーブルの上に置かれている明かりの消えている灯火(ランプ)を見詰めた。

 唇を舐めて湿らせて。

 緊張した面持ちで《力ある言葉》を呟く。

 

 「メラ」

 

 指先に現れた小さな小さな火の玉。それをそっと火心に移すと、静かに燃える。硝子のほやを下ろしアステルはほぅっと安堵の息を漏らした。

 日頃気軽に行っている事も、あの夢をみた後は流石に緊張してしまう。近頃は夢にみる事のなかったあの日の出来事。それをみたその理由はわかりきってる。

 

 (魔力暴走、か………)

 

 自分を(さげす)み、父の死を(けな)し、それを友に強要したあの女の子。名前は忘れた。あれ以来会っていないし覚えてる必要もないと思ってる。 

 あの子は貴族の出で、少し傲慢な性格で。だからなにかと目立つ自分の事が気に食わなかったらしく、自分に対して常に対抗意識を燃やしていた。

 そしてとても優しい、けれど、とても気の弱かったアニーは私への嫌がらせの出しに彼女に使われたのだ。 

 頭でわかっていても、それをいなすにはあの頃の自分は幼すぎた。友への失望と哀しみ、私達を嘲る声への怒りを抑えきれないまま溢れた魔力は、炎に顕現されてアニーを襲った。

 あの時。

 母が久しぶりに遊ぶ娘の姿を見ようと思い立たなければ。

 母が元僧侶でなかったら。

 暴走する娘に呪術封印呪文マホトーンを唱えていなければ。

 治癒呪文の最高位ベホマの使い手でなかったら。

 おそらくアニーは助からなかっただろう。

 けど。

 体の傷は癒せても、心の傷までは癒せない。

 

 ───友に殺されかけた心の傷は。

  

 軽く頭を振り、アステルは衝立の向こう側に視線をやった。ランプを手にアステルは足音を殺してソファーに近付き、眠る彼の顔をそっと覗きこんだ。

 

 (あ、また)

 

 眉間に皺。最初と違い魘されてはいないが、難しそうな顔をして眠っている。

 

 (まだ頭が痛むのかな……)

 

 テーブルにランプを置き、アステルは暫し考えるとそっとスレイの上半身を起こして、空いたスペースに座る。そして彼を再び横たわらせ、自らの太股の上にゆっくりと頭を乗せる。

 

 (こんな事してても全然起きないんだもん)

 

 大丈夫と言っていたが、あれだけの魔力を放出した疲労はそう簡単には回復しないだろう。熱がないか確かめる為に彼の額に触れ、右手の指に嵌めたままにしていた祈りの指輪の存在に気付く。

 

 (成功するかわからないけど……)

 

 少しでも理力が回復すれば、体の不調も和らぐかもしれない。そう思ったアステルは、指輪を外しそれをスレイの指に嵌め、その手を両手で握りこんで祈る。

 

 (……どうか。スレイの痛みが。苦しみが。消えてなくなりますように)

 

 祈りの指輪は淡い光を発し、それから音もなく崩れ去った。

 

 「あ、え?」

 

 思わず狼狽えるも、カンダタが《運が悪ければ壊れる》と言っていた事を思い出す。

 

 (でも、少しは効いたかな?)

 

 真っ直ぐでさらさらの銀色の髪を()くように何度も撫でてると、強張っていた彼の体の力が抜けていく。眉間の皺が取れるとアステルはほっと息をついた。

 

  

 『泣いてもいいんだよ?』

 

 鏡の中の鋏を持ったルイーダさんは困ったような笑みを浮かべて、そう言ってくれた。

 

 『でないと、今回みたいに爆発しちまう。

 あの炎はあんたの心の叫びだ。

 オルテガの死。

 周囲の期待の重圧と緊張。

 勇者としての孤独。

 それらに対してずっと我慢して抱えてた感情なんだよ』

 

 ショキ、ショキ、ショキ、と。

 

 焼き焦げてチリチリとなってしまった髪は、軽い音をたてて切り落とされていく。鋏がいれられる度、この髪を撫でてくれた父との思い出も奪われてくようで苦しくて、悔しくて、悲しくて。

 けれど、これは罰なんだって。

 人を傷付けた罰なんだって。

 だから、泣かない。

 

 刈布(カットクロス)で隠れた拳を膝の上でぐっと握りしめて。

 

 鏡に映る唇を固く結ぶ自分を睨み続けてた。

 

 

 

 

 「……あの氷もスレイの心の叫びなのかな」

 

 その冷気で近付く人を傷付け遠ざけて。自分さえも凍てつかせる堅く鋭い透明な氷。

 彼は今までずっと一人で抱き続けてきたんだろうか。

 これからも抱き続けていくんだろうか。

 

 「………ううん。そんな事させない」

 

 だって私達はもう出逢ったんだ。 

 大切な仲間。 

 離れるつもりなんてないから。 

 またあの氷が彼を覆ったその時には。

 

 「今度こそ。……私が、助ける」

 

 その為にももっと強くなりたい。 

 ならなきゃいけない。

 決意を新たに彼女は右手を握り締める。と。 

 

 「ん……っ」

 

 呻くスレイにアステルがハッとした次の瞬間。

 寝返りを打ったスレイがアステルのその右手を掴んで引き寄せた。

 

 「……つっ!」

 

 上げそうになった悲鳴をアステルはなんとか飲み込む。スレイは掴んだアステルの手を握ったまま、彼女の腹に頭をぐりぐりと押し付け、くっ付けて寝姿勢が定まると再び安らかな寝息をたて始めた。

 まるで大きな猫のようだ。

 何故だか顔が熱くなり、汗も吹き出る。何故かとてつもなく恥ずかしくなり、助けを求めるようにアステルはわてわてと頭を左右に振った。

 

 (なにこれ? なにこれっ!? さっきまでどうもなかったのにっ!??)

 

 取り合えず落ち着けと深呼吸して、空いている左手で彼の頭を撫でる。その髪の手触りの良さにちょっとだけ落ち着きを取り戻して、恐る恐る目線を下に遣った。

 いつも率先して行動し自分を守ってくれる彼が、今はこうして自分に身を委ねてあどけなく眠っている。

 それがくすぐったいような。困るような。

 

 ………嬉しいような。

 

 なんとも言い難い感情に、アステルは顔を真っ赤に染めて眉を下げた。

 

 

 

* * * * * * *

 

 

 

 ────この手の感触、は。

 

 

 ああ、そうか。これは夢だ。 

 いつもの夢だとわかる。 

 何故なら。いつもどうしようもなく沈んだ時、必ずと言っていい程この夢をみるから。 

 

 その度にオレは救われたから。

 

 

 執拗な追っ手を巻く為に乗り込んだ船の行き先は、世界の中心と云われる聖地ランシールから海を渡って東。ロマリアからは遥か南に位置する島国だった。

 深夜。

 人目を盗んで船を降り、港に積まれた木箱の影にその身を隠す。夜が明けたら道具屋でキメラの翼を買って師匠の元に帰ろう。

 どんなに離れていようが、《神木》を着地点にすれば、キメラの翼の力は増幅され、本来なら越えられない海も越えられる。

 

 きっとカンダタもそこにいるはずだ。

 

 (………暑い)

 

 夜が明けると、一気に気温が上がる。

 西大陸ロマリアでは今は真冬だが、ここらじゃ真夏に当たるらしく、その暑さは半端じゃない。

 よりにもよって一番苦手な気候。

 しかも、船に乗り込んでからというもの、ろくに飲み食いしていない。

 密航は大罪だ。

 海の上で見つかれば、船から落とされかねないし、そのまま奴隷として捕らえられ売られる可能性も大いにある。

 これ以上の面倒事は御免だと船での盗み食いを諦め、船底に身を潜めながら、時々漂う香ばしい料理の香りに耐え、手元にある僅かな水と携帯食で一週間食い繋げた。

 渇きと空腹と照りつける強烈な太陽の光に眩暈がする。ふらふらと大通りを歩く自分は悪目立ちしているだろう。

 

 『兄ちゃん、大丈夫かい? ほら』

 

 庭先で水を撒いていた婆さんが見かねて、水の入った柄杓を手にこちらに声を掛けてきた。オレはそれを引ったくるように奪い、一気に飲み干す。

 

 『ぷはっ! ……あ、ありがとうございます………』

 『大丈夫かい? えらい白い肌しとるのう。旅人さんかの?』

 『はぁ、まあ。……あの、この町の道具屋はどこにありますか?』

 『道具屋かい? それならこの通りをまっすぐ行って、酒場の……って、兄ちゃん?』

 

 最後まで聞けなかった。

 

 婆さんに柄杓を押し付けて走り出す。

 途端、背後の素人のそれとは違う気配もこちらに向かって動き出した。 

 

 (追っ手か! 先回りされてた……!?)

 

 ()うに限界を越えた足を叱咤し、走る。

 狭い路地に入り、曲がり角を曲がった所で大きな民家の庭に飛び込んだ。(まま)よと薪小屋に駆け込み、扉を閉める。棚に収まる薪を一本抜き取り、(かんぬき)がわりに取っ手に差しこむ。

 肩で息をし、扉にもたれ、ずるずるとくずおれた。

 

 『……だ、誰……?』

 

 その声にばっと顔を上げると、小屋の奥にいた声の主もびくりと肩を竦み上がらせた。

 一瞬、男子(おとこ)かと見間違えるほど髪が短く刈られているが、どうやら女子(むすめ)のようだ。

 つぶらな瞳は暗い場所にいるにも関わらずはっきりとわかる鮮烈な青。そして濡れていた。子供特有のふっくらした薔薇色の頬にも涙の線の跡。

 と、こちらの視線に気付いた娘は慌ててそれを拭い始める。

 どうやら隠れてこっそり泣いていた所にオレは乱入したようだ。ばつが悪そうに睨む娘に『悪い』と、取り合えず謝る。

 

 『頼む。少しの間でいい。ここに……』

 

 『いさせてくれ』と、最後まで言い切れずに意識が暗転する。

 

 傾ぐ風景。

 

 こちらに駆け寄る娘の足が見えた。

 

 頬をぺちぺちっと軽く叩く小さな手の感触。

 

  

 ────この子との出会いこそが、始まり。

 

 

  

 

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