長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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五章 神の塔
神殿①


 

 

 

 「───スレイ=ヴァーリス。良い名じゃないか」

 

 少年は俯いていた顔を上げた。その瞳は新月の夜のような漆黒。

 

 「闇を背負いし者。安心おし。

 おまえさんはその名に愛されておる。

 その名は必ずお前さんを守ってくれる。

 

 そして、導いてくれるだろうよ。

 

 天に愛され、星の輝きを抱く者の元へと。

 その者は冥き途をゆくお前さんを照らす一条の光。

 

 ……大丈夫。出逢えば、わかる」

 

 老婆は皺だらけの手を少年の黒髪の頭に翳し祝福の印を与え、身に纏うローブを飾る空色のリボンのひとつを外して彼の手首に巻き結ぶと、にっこりと微笑んだ。

 

 

 「名前の守りがあらん事を……」

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 体を起こしたスレイは立て膝をつき、少し伸びた銀色の前髪をくしゃりと掻き上げた。

 

 (………体がだるい)

 

 眠りは深かった。なのに、疲れがあまり取れていない。昨日は海賊の強襲があったものの、第三者の介入のお陰でアステル達が手を出すまでもなく解決した。町へ戻ると船着場から逃げた町民達に、どうなったかのと質問攻め。事件の完全終結がわかると、町を挙げての宴へとトントン拍子で事が運び、是非参加して欲しいと乞われ、結局その日のうちにバハラタを出発出来なかった。

 

 そう。特に疲れが溜まるような事はしていないのだ。

 

 窓に視線をやる。レースカーテン越しに見る外の風景は薄暗い、日の出前。今度は自分の隣、タイガが使っているベッドを見た。しかしそこには彼の姿はない。日課の早朝鍛練に既に出掛けたのだろう。

 

 首に下げている革の守り袋から青い石を取り出して、祈るように両手に包み込んだ。暫くそうしていると、少し体が軽くなった。掌を開く。

 息づく様に仄かに輝くそれは、気遣うようにこちらを見上げて揺れる彼女の青の瞳を彷彿とさせた。手にある石を見詰めたまま、スレイは眉間に皺を作って固まる。

 それに気付いてしまったら、いつも当たり前のように行っていた感謝の口づけが何故か出来ない。

 「ありがとう」と囁くだけにして、守り袋に石をしまう。

 

 身支度を整えると世話になっている胡椒屋の階下、食堂へ向かった。

 

 

 食堂の隣り合わせにある厨房からは暖かな湯気と香りが立ち込めている。何気なく覗くとそこにはアステルとタニアが楽しげに朝食の準備をしていた。  

 予め陶器のバットに流し込み、発酵させたパン生地の上に、ボウルに混ぜ合わせた調味料、刻んだチーズ、そして黒胡椒をたっぷり満遍なく広げて乗せた。

 それを見てアステルは目を丸くする。

 

 「うわぁ。パンにも黒胡椒使うんですね……朝から贅沢」

 「ふふっ。このパン料理、生地を捏ねたり、伸ばしたりしなくていいから、とっても楽なの」

 

 そう笑って、タニアはそれを窯の中に入れた。

 

 「はい! これで四半時したら出来上がり」

 「時間もそんなにかからないみたいだし、上手くしたら野営でも作れそう」

 

 言ってから、思い当たりアステルはむぅっと眉を寄せる。

 

 「……でも匂いに釣られて魔物が寄ってくるから、やっぱり無理か」

 「あら。この先、船で旅する予定なんでしょ? だったら船旅中に作ればいいじゃない」

 「あ、そうか!」

 

 ころころと表情を変えるその愛らしさに釣られて、タニアも微笑んだ。

 朝食の準備を手伝うと言ってきた彼女に、タニアは気を遣ってるのかと思ったが、

 

 (……ううん。それもあるんでしょうけど)

 

 その手際の良さや表情から、この少女が本当に料理をするのが好きなのだという事が伝わる。

 

 「スープも、サラダの準備も出来たし。もしよかったらパンが焼ける間に他の胡椒レシピ教えましょうか?」

 「いいんですか!?」

 「ええ。お土産の胡椒だって奮発しちゃうから。どんどん料理で使ってね」

 「ありがとうございます!!」

 

 そうしてテーブルに向かって振り返ったところで、アステルとタニアは戸口に立つスレイに気づいた。

 

 「あ、スレイ! おはよう」

 「おはようございます。よく眠れましたか?」

 「おはよう。悪いがコーヒーを貰えるか?」

 「はい。ちょっと待っててくださいね」

 

 そう返事してタニアは食器棚から豆挽き器を取り出す。

 

 「楽しそうだな」

 「うん!」

 

 厨房の暖かな空気に充てられてか、それとも楽しくてか。頬をほんのりと桃色に染めたアステルは元気良く返事した。

 思わずスレイは目を張る。

 

 「あ、」

 

 彼のその様子に、はしゃぎ過ぎて引かれたかとアステルはばつが悪そうに目を逸らした。スレイの方も何故かしゅんとなってしまった彼女に、顔には出さないが内心慌てる。

 どうしたものか。スレイは取り合えず彼女の頭に手を置くと、アステルは目を上げた。

 

 「色々教えてもらえ」

 「スレイ?」

 「お前の料理旨いからな。旅の楽しみが増えてオレ達も助かる」

 

 アステルは目をぱちぱちと瞬き、それからまた満面の笑みで「うん!」と頷いた。

 椅子に腰かけて料理の話に盛り上がるアステルとタニアを眺めながら、スレイはコーヒーを傾ける。

 そうしてるうちに、タイガが朝の鍛練を終えて食堂に。

 続けて昨日の宴で調子に乗って呑んでいたシェリルが頭を押えながら渋面(しぶづら)で現れ、逆に朝から元気一杯なマァムは「おっはよぅ~~っ! お腹空いたぁ~っ!」と食堂に飛び込むから「マァム……後生やから、声、抑えて」とシェリルがテーブルに突っ伏す。

 店の仕込みを終えたグプタと店主である祖父が最後にやって来ると、

 

 賑やかな旅立ちの日の朝食が始まった。

 

 

 

 

 

 

 晴れ渡る青空の下。勇者一行の出立に救われた娘家族は勿論の事、町民達は声を掛け合わせ、こぞってその見送りに町一番の胡椒屋に集まった。

 

 「はい。今朝言ってたお土産の胡椒。それでおいしい料理を作って、しっかり食べて。これからも元気に旅を続けてくださいね」

 「わぁ、ありがとうございます!」

 

 タニアから黒胡椒がたっぷり入った袋をアステルは受け取って頭を下げた。

 

 「今は()()()()()それだけね」

 「取りあえず?」

 

 意味深なその言葉にアステル達は頭を傾げるが、タニア、グプタ、店主、バハラタ町民達はにんまりと笑ってそれ以上は答えなかった。

 

 「勇者殿がたのお陰で娘達も町も救われました。本当にありがとう」

 「今はこんなですが、事件解決が知れ渡り港が解放されれば、町は再び観光地として活気付くでしょう。ありがとうございました」

 

 町長と救われた娘の家族を代表してタニアの祖父が頭を下げる。

 

 「いいえ。……カン、じゃない。《旅の傭兵さん達》のお力添えもあったお陰ですから」

 

 アステルがそう言うと、頭を上げた町長はうんうんと頷く。

 

 「あの方達も殊勝で気持ちのいい方達でしたなぁ。御礼をと何度も申し上げたのですが、『なら一晩の酒代で充分だ』と仰られて、気持ちの沈んでいた我々までも巻き込んで大いに盛り上げてくださって……」

 

 目を細める年老いた町長に、アステルは眉を下げて頬笑む。それが本来のカンダタ一味の姿であり、やり方なのだろう。

 カザーブの村では義賊として知られた彼等だが、しかしここバハラタでは《カンダタ》の名はもはや、大悪党以外の何者でもない。

 

 《幾つもの顔を持つ大盗賊》

 

 彼の二つ名はこうした事が重なって、出来上がったに違いない。

 ふいに肩を叩かれアステルが振り返る。

 

 ───余計な事は言うな。 

 

 目でそう言うスレイに、彼女は溜め息交じりに頷いた。ふと気が付くと魔法のそろばんと大きな袋を肩に担いだシェリルが、ムッスリと不機嫌顔になっている。

 真っ直ぐな性格の彼女だから。いくら仲が悪くとも、カンダタがやってもいない悪事で誤解されたままにしておくのは納得いかないのだろう。と、アステルはそう思った。気を取り直し、笑顔でバハラタの町民達を見回す。

 

 「……それじゃあ、皆さん。私達はこれで失礼します」

 「達者でな。親方にタニア、グプタ」

 

 タイガが手を上げると、胡椒屋の三人は頷いた。

 

 「うむ」

 「ありがとう。タイガ、勇者さん達」

 「知ってるだろうが、ダーマの神殿は北の山奥だ。気を付けてな!」

 

 

 町の入り口近くに建つ教会を通りがかると、教会の門の前にシスターが立っていた。会釈をすると、シスターは小瓶を手に彼女達の前に進み出る。

 一行は心得顔で頭を垂れ、瞼を閉じると、シスターは小瓶の蓋を開けて聖水を彼女等にパラパラと振り掛け、十字を切って旅の無事と成功を祈った。

 

 「ありがとうございます」

 

 頭を上げたアステル達に、シスターは微笑む。

 

 「勇者様。ダーマの神殿に辿り着かれたら、是非大神官ナディル様をお訪ねください」

 「大神官ナディル様?」

 

 シスターは胸の前で手を組み、頷いた。

 

 「ダーマ神殿の頂点に立つ御方。勇者様が知りたい事にも、そして、知るべき事にもお答えくださるでしょう。……それと」

 

 シスターはマァムの方を見向く。

 

 「マァムさんが宿す聖なる力は類い稀なもの。かの御方ならその力をよき方向へと導いてくださるはず」

 「「マァムが?」」

 

 アステルとシェリルは声を揃えた。当の本人は話を聞かず、自身の金髪の巻き毛に指をくるくると絡ませて弄んでいる。

 

 皆の視線に気付くと、へらぁ~っと笑った。

 

 

* * * * * * *

 

  

 

 巡礼の最終地とも云われる聖地ダーマの神殿への道程は、容易いものではなかった。

 バハラタの町を出た一行は橋を渡り、東に向って草原を歩き続ける。人攫いのアジトの洞窟がある森を脇目に更に東へ。幾つものなだらかな丘を越え、徐々に北上すると森に辿り着く。ここら一帯の木々には精霊が宿るとされ、伐採を固く禁じられている。故に整備された道などはなく、文字の掠れた案内板が点在するのみ。

 それらを頼りにでこぼこした地面や木の根に足をとられぬよう、また足元に気を配りすぎて逸れたり、魔物達の不意打ちに遭わぬよう、注意深く進む。

 野営を繰り返し、何日もかけて抜けた森の向こう側には、高く険しい山々が待ち構えていた。

 緑の少ない剥き出しの赤褐色の岩肌の山道を今度はひたすら登っては、下る。今いる場所は斜面ではあるものの、森と比べれば拓けていて足場も然程悪くはない。が、その分、身を隠すような場所も少ない。

 それはすなわち魔物達の格好の的となるという事だった。

 

 「まあ、こっちも襲って来るんが丸わかりなんやけどなっ!」

 「うん!」 

 

 人の丈を遥かに越える紫色の毛皮を持つ大猿……アッサラーム付近に生息する〈暴れ猿〉の進化系〈キラーエイプ〉が振り下ろした剛腕を、アステルは横に跳んで避ける。腕が地面にめり込んでいる隙を狙って大きく跳躍し、掛け声と共に剣を振り下ろす。ゾンビキラーの聖なる刃は、易々と大猿の固い毛皮共々皮膚を斬り裂く。先ずは一匹。

 シェリルに対し二匹の大猿が挟み撃ちにせんと同時に襲い掛かるも、彼女は手を地に置いて姿勢を低くしてそれをかわす。大猿達はがちんっと互いの額をぶつけ合った。

 

 「お熱いことで」

 

 そう嘲ると、体を起こして二匹の大猿に魔法のそろばんを打ち据える。二匹。三匹。

 武器を構え背中合わせになった彼女等を凶悪な形相の大猿の群れが囲む。息を整え、アステルが剣の束を握り直す。迫る魔獣達を威圧するように、シェリルが魔法のそろばんを勢いよく振り下ろす。

 じゃらんっ! と、打ち鳴らされた算盤玉の音を合図に二人は地を蹴った。 

 

 その大猿達の向こう側にいるのは。

 ヒツジのような外見を持ち、闘牛のような体格と気性の荒らさを併せ持つ〈マッドオックス〉の群れ。それと相対するのはスレイとタイガ。側頭部に生えた立派な渦巻き状の二本の角を振りかざし、突進してくる。

 

 「ふんっ!」

 

 迎え撃つタイガは両手でその角を掴み、その場に踏ん張る。双方押し合いの力比べとなるも、ふいにタイガは顔の近くに熱を感じた。マッドオックスの二本の角の間に、高温度のエネルギーが丸く圧縮して光を放っている。

 

 「うわっと!!」

 

 タイガは角をぐんっと下に押しやり、マッドオックスの顔を地面に向き合わせた。それと同時に放たれた初等閃光呪文(ギラ)は岩肌を焼く。顔面直撃は避けられたものの、角を握っていたおかげで火傷を負い「あちちっ!」とその両手を振る。

 一方、マッドオックスの方は顔が煤だらけになるも、ダメージを受けた様子はみられなかった。鼻息荒く固い地面を削るように前掻きし、頭を振りかざす。

 角と角の間に再び生まれるのはギラの光球。

 

 「せっえぇのぉぉぉっ!!」

 

 マァムの気合いと共に発生した紫色の霧がマッドオックスを包むと、ギラの光球が音もなく儚く消えた。

 

 「ホぉイミぃ~~っ!」

 

 マァムは右手に魔封じの杖を掲げたまま、左手を翳して治癒呪文を唱える。火傷の癒えた拳を握り締めたタイガが、マッドオックスの横っ面に強烈な裏拳を放つ。吹っ飛ばされた魔物は崖下に敢えなく落ちていった。

 

 「……すまんな! マァム」

 「いいって事よっ!」

 

 雄々しく答えて突き出したマァムの左拳に、笑って拳を合わせるタイガ。

 その二人に忍び寄る小さな影。なにもない所に突如現れた二つの黄色い目は、ニヤリと細まり、不可視の杖を振るおうとした……ところで、油断している筈の人間達は笑顔のまま、ぐりんっと彼の者に振り返った。

 

 影はびくりっとない肩を竦める。

 

 「甘い」

 「ちょろあまぁ~~♪」

 

 マァムは魔封じの杖を振り翳す。近付いていた影は魔力を封じ込まれ、なにかの術で風景と同化していたのだろう姿が露となる。タイガはそれをボールのように天高く蹴り飛ばした。

 空に軌跡を描くのは緑色の肌をした一頭身の魔物。〈幻術士〉である。

 

 次々に襲いかかるマッドオックス達の体当たりをスレイは軽やかに避け、擦れ違い様に左手のアサシンダガーと右手の毒針で的確に急所目掛けて翻しては突く。魔物の群れをひとりで難なく倒していく。楽勝かに見えた。が。

 

 突然、彼の体が傾いだ。

 

 「………っ!?」

 

 警戒して距離を取っていた頭のいいマッドオックス達が、好機とばかりにスレイ目掛けてギラを合唱する。

 

 「呪術封印呪文(マホトーン)っ!!」

 

 ヴォンっ!!という、耳鳴りのような音が辺りに響き渡り、紫の光の帯に包まれたマッドオックス達の呪文攻撃が不自然な形で止まった。すかさずスレイは腰から刃のブーメランを取り出し、膝を着いたまま投げ放つ。刃は魔物達を次々と捕らえるが、最後の一匹がそれを角で弾く。そしてまだ立ち上がれないスレイに向かって角を突き出して突進してきた。

 しかし。素早くその前に躍り出たタイガの風神の盾が、敵の頭突きを弾く。衝突のダメージで蹌踉(よろ)めく魔物に、鉄の爪を填めた右拳を抉るように突き上げる。喉笛を掻き切られたマッドオックスは、悲鳴を上げる事なく、茶色の宝石となって地面に転がった。

 

 「大丈夫か?」

 

 タイガは振り返り、座り込むスレイの前に跪く。「ああ。すまない」と頷く彼だったが、顔色がいつもより一段と青白く感じられた。彼の体内の《氣》を確認したタイガの表情が険しくなる。

 

 「スレイ!!」

 

 一帯に敵の気配が無くなったのを確認して、剣を収めたアステルは血相を変えてスレイに駆け寄る。 

 その後をシェリルとマァムも追った。タイガは場所をアステルに譲って立ち上がり、彼女はスレイの体を注意深く診る。

 咄嗟(とっさ)のマホトーンはちゃんと間に合ったようで、彼の体には閃光呪文による火傷も焦げ跡もひとつもない。

 

 「怪我は無さそうだけど……」

 

 取りあえず初等治癒呪文(ホイミ)を唱える。手から放たれた癒しの光が、彼の体を包み込む。

 光が消えるとスレイは細く息を吐き、顔を上げた。

 

 「……さっきは助かった。新しい呪文覚えてたんだな」

 「うん。それよりも大丈夫? マァムに中等治癒呪文(ベホイミ)もかけてもらう?」

 

 アステルの後ろでマァムが魔物の〈まほうつかい〉のマネをしてるのか、両手を怪しげに動かしている。

 

 「………いや。いい。大丈夫だ」

 

 出番をなくしたマァムはぴたっと動きを止め、「ぶーっ」とふくれっ面になった。

 スレイはまだ不安げに眉を寄せるアステルにちゃんと立って見せ、更にしゃがんだままの彼女の手を掴んで引っ張り上げて立たせた。

 

 「ほらな」

 

 しかしアステルは曇った表情のまま、スレイを見上げ続けている。

 

 「なんや珍しい。魔物の術でも受けたんか?」

 

 拾った刃のブーメランを差し出しながら尋ねるシェリル。スレイは短く礼を述べて、それを受け取り腰ベルトに収めた。

 

 「違う。……情けない話だが多分山酔いだ。さっきの治癒呪文(ホイミ)で楽になったから、本当にもう気にするな」

 「でも……「せやったら」

 

 シェリルの明るい声が割って入る。

 

 「ちょいと早いけど、今日はここらで(しま)いにせえへん? ちょうど野営に良さそうな場所あるし」

 

 そう言って、斜面を登りきった少し先に見える風避けになりそうな岩影を指差した。空は茜差すものの、まだ辺りは明るく普段ならもう少し距離を稼げそうだが。

 

 「魔物達も追っ払った事やし。日の出前から歩きづめでウチも流石に疲れたわぁ」

 「そうだな。山酔いなら水分をしっかり取って、一晩体を休めれば症状も落ち着くだろう」

 

 タイガも彼女の提案に頷き同調する。

 

 「……うん、そうだね。そうしよう! じゃあ、私達は準備するからスレイは今日はもう何もしないで。夜中の見張りもいいから、しっかり休む事! マァム、スレイの事見張っててね」

 「いえっすっ! まむっ!!」

 

 軍人さながらにびしっ! と、アステルに敬礼するマァム。

 スレイは顰めっ面でそっと息を吐いた。

 

 (………見張るってなんだ)

 

 「……なんや。スレイの心配症がアステルにも、うつってもうたようやなぁ」

 「だなぁ」

 

 溜め息混じりに皮肉るシェリルに、面白そうに頷くタイガ。

 そんな二人をスレイは睨んだ。

 

 ここら一帯は岩ばかりで薪となるような木は一本も生えておらず、水源も勿論ない。普通ならばこの場所に至るまでにそれらを確保し、背負い持ち歩く所だろう。

 だが、アステル達にはなんでもいくらでも入り、重さも感じない〈大きな袋〉がある。予め森で拾い乾燥させた大量の枝木や、沢で汲んだ水袋の一つを袋から取り出す。

 

 「〈大きな袋〉様様やな」

 「だねぇ」

 

 有り難や~~と、袋に手を合わすシェリルとアステル。袋に拝む二人の姿に、石を組み上げ竈を作るタイガは吹き出した。

 タイガが火を起し、アステルはバハラタの特産品干し牛肉の塊と黒胡椒を表面に軽くまぶしたパンを焼く。更にきのこのコンソメスープも作った。料理の香りに魔物達が寄って来ぬよう、シェリルは炎を中心に円を描くように聖水を撒く。

 アステルの言う通り、大人しく鞄を枕にして横になるスレイ。そんな彼を片時も目を離さず、凝視し見張るマァム。

 目蓋を閉じても感じるその視線に堪えきれず「休めるかっ!」と、スレイは起き上がって突っ込んだ。

 

 やがて夕陽が沈み、辺りが闇夜に包まれ気温がぐんっと下がる。夕食を終えた一同は、焚き火を囲むように身を寄せ合う。

 「熱いから気を付けてね」とアステルが配るのは、暖かな甘さが疲れた体にじんわり染み渡るはちみつ生姜湯。ふぅふぅと息を吹きかけ、同じタイミングで口に含んだシェリルとマァムは「「はあ~~っ」」と、ほっこり緩んだ顔で長い息を吐いた。

 

 「しっかし。ダーマへの道程がこんな険しいもんやなんてなぁ。観光地や思うて甘くみとったわ」

 「観光や参拝目的ならロマリア、バハラタ経由で海路を使うのが一般的だからな」

 

 シェリルのぼやきにそう答えるのは、今は起きて会話に参加しているスレイ。

 

 「そうなんだ?」

 

 湯気の立つカップを両手に握りこんだアステルが顔を上げた。「ああ」と、彼は手にしたカップを地面に置き、鞄から〈妖精の地図〉を取り出し皆に見えるように開く。

 羽ペンが元気よく立ち上り、ちょこちょこと本日分の足跡を色付けていく様をマァムが楽しげに眺める。ペンが止まるのを待ってスレイが指差したのは〈ダーマの神殿〉。

 そしてそこから南東に離れた位置にある祠印だった。

 

 「ここに定期船乗り場と宿泊施設がある。こちら側から伸びるダーマの神殿への山道の方が緩やかでちゃんと整備されてるし、辻馬車も出てる。

 わざわざ未開の陸路を選ぶのは大地神の洗礼を受けたい信心深い巡礼者か、修行目的の〈物好き〉くらいだろ」

 「〈物好き〉ねぇ……」

 

 と、シェリルは半眼でちらりとその物好きを見やる。

 

 「若いうちの苦労は買ってでもしろってな。高山地帯での旅や戦闘は経験しておいて損はないぞぉ」

 

 ダーマまでの先導役を買って出たタイガはニッと笑い、彼女の頭をわしわしと掻き撫でる。

 

 「だぁかぁらぁっ! 髪が乱れるから撫でるのやめいっ!」

 

 すかさずシェリルはその大きな手をはたいた。

 

 「まぁ、タイガの言葉にも一理ある」

 「でぇ~、それにぃ一番にぃ音を上げたのはぁ誰だっけぇ~?」

 

 意地悪い笑みを浮かべるマァムに、スレイは額に青筋を立てる。

 

 「………言いたい事があるなら、はっきりと言え」

 「きゃぁ~ん!」

 「お、落ち着いて。体に良くないから。ね? スレイ」

 

 なだめるアステルの背後に隠れてほくそ笑むマァム。

 スレイは盛大に舌打ちをし、彼女達に背を向けて横になった。アステルは眉を下げ、それから後ろのマァムをちらりと見ると、不貞寝するその背中に向かって「あっかんべー」をしている。

 

 「……マァム。具合が悪いのをからかっちゃ駄目」

 

 頭を軽く小突いて嗜めるとマァムは舌を仕舞って、アステルの腕に抱き付くように腕を絡めてふくれっ面になる。

 

 「だってぇ~~スレイったらぁ、まぁたアステルに心配かけるんだもぉん」

 

 彼女のぷっくり膨らんだマシマロ頬っぺを指先で押すと、可愛らしく尖らせた口からぷしゅっと空気が漏れた。先日から何故かシェリルよりもスレイをからかう頻度が増したマァムに、どうしたものかとアステルはそっと嘆息を漏らす。

 

 見上げた夜空にはくすくすと此方を笑うように数多の星が瞬いていた。

 

 

 ───翌日。昨日の不調を感じさせない足取りのスレイに、アステルは意固地になっているのではないかとはらはらするも、以降、特に問題は起こらなかった。

 そして。一行がバハラタの町を発っておよそふた月が経過した頃。岩肌の露出した山の風景が次第に緑に色付けられる。やがて森に辿り着き足を踏み入れると、そこは清浄な空気に包まれており、気が付けば魔物達の気配は遠退いていた。

 ここには魔王の息のかかった邪悪な輩は立ち入れない。

 

 なぜなら。ここはもう聖域の内にあるからだ。

 

 

 

 

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