長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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命名神の審判

 

 

 

 掃除と整頓が行き届いた部屋は持ち主の少女の性格を表していた。

 ただ、娘の部屋にしては質素で飾り気がない。ベッドの枕元にちょこんと鎮座している、首に空色のリボンを巻いた小さなシロクマのぬいぐるみだけが唯一の娘らしさか。シロクマのその黒い(つぶら)な瞳が映すのは、机に向かって真剣な表情で訓練用の銅の剣の手入れに取り組む少女の姿だった。

 

 軽いノックの音に少女がハッとして振り返ると、元々開いていた扉の前に立つのは少女の母親だった。

 

 『なに?』

 

 少女が剣を机の上に置くと、母親はすまなそうに微笑を浮かべる。

 

 『邪魔してごめんなさいね。ルイーダの所におつかい頼まれてくれる?』

 『いいよ。何買ってくるの?』

 『料理酒切らしちゃって。あとお義父さんのいつものワインも頼める?』

 『わかった』

 

 椅子から立ち上がり、洋服掛けからコートを手に取る。ちらりとシロクマに向かって少女は心の中で『行ってくるね』と話しかけた。

 少女は背を向け部屋を出る。

 クマの首に巻かれていたリボンがほのかに虹色に輝いていたのは誰もしらない。

 

 家を出た途端襲いかかってくる冷たい空気に少女はぶるりと震え、肩を竦めた。吐き出された息は白く、見上げた空の色は灰白色。髪を短くしてから初めて迎えた冬の寒気は、晒らされた耳と首筋を容赦なく襲った。

 少女は母が編んでくれた耳当て付きの毛糸の帽子を深く被り直し、肩に掛けてた買い物かごの取っ手を手に握ると、自宅向かいにある馴染みの酒場へと小走りで向った。

 

  (この空……もしかして今夜辺り雪でも降るかも?)

 

 少女がもう一度空を見上げたその時、キラリとなにかが光った。

 思わず足を止めて、少女は瞳を凝らす。

 

 『……星?』

 

 今は昼だ。一番星が見える時刻でもない。しかし輝きは大きくなる一方で。

 

 (しかもどんどんこちらに近付いて来ているような……)

 

 『ようなじゃなくて、ホントに近付いてるーっ!?』

 

 少女の叫び声に他の歩行者もなんだなんだと空を見上げ、落ちてくる光を目にすると驚愕の声と悲鳴が上がる。

 

 そのまま激突……と、思いきや。

 

 光は地面に近付くにつれ、その速さを落とし、少女の目の前にふわりと着地する。

 

 輝きは徐々に弱まり、やがて、消えた。 

 

 

 『うちの店の前でなに騒いでんだ! ……って、なにしてんだい? アステル』

 

 バンっと店のドアを開いて怒り顔で現れた酒場の女店主が、眼前の状況に目をぱちくりとさせた。

 

 『る、ルイーダさん! 空から女の子! 空から女の子がっ!!』

 『へ? 空から?』

 

 常連客の孫娘が真っ青な顔で慌てふためいて抱えているのは。

 

 血塗れ泥塗れの、けれど、とても愛らしい顔立ちをした金髪の女の子だった。

 

 

 

* * * * * * *

 

 

 

 神殿の入り口から足早に立ち去るスレイを慌てて追ったアステル達だったが、神官の姿が見えない位置までくると彼は立ち止まり、仲間達が追い付くのを待っていた。

 

 「スレイはさっきの神官さんや命名神の巫女姫様の事、知ってたんだね?」

 「……ああ。子供の頃、師匠とカンダタに連れられてな」

 

 尋ねるアステルに、スレイは不承不承答えると再び歩きだした。

 

 「そんな昔からの付き合いだったんだ」

 

 嘆息を漏らすスレイに「そんなに会いたくないの?」と、アステルは眉を下げた。

 

 「……タイガ? どないしたん?」

 「どないしたん~?」

 

 その声にアステルが後ろに目を向けると、顎に手を当てて考え込むタイガを中心に、挟んで歩くシェリルとマァムが彼の顔を覗き込んでいた。

 

 「いやぁ、な? 俺も以前ここの本殿にいる大神官に祝福を受けた事があるんだが、その時は普通に入れたのになぁ……って」

 「はぁっ?」

 「扉の守護とか、命名神の事も今日初めて知った」

 「どういうこと?」

 

 シェリルが訝しげな声を上げ、アステルも小首を傾げた。

 

 「当然だ」と、スレイが億劫そうに口を開く。

 

 「本来ダーマの神殿は誰でも入る事ができる。むしろ資格が必要なのはマリナンの神殿のほうだ。

 ……オレが立ち寄らないのを見越して、ババアが神殿の扉を閉ざしたんだ」

 「でも神官様は物事には順序が……って、」

 

 言いかけて、スレイの拗ねたような表情にアステルはハッとする。

 あれは私達にじゃなくて、スレイだけを指して言ってたんだ、と。

 

 「あのおっさん、(たばか)ったんかっ!?」

 

 「それは違うな」と、苦笑を浮かべるタイガ。

 

 「己の巫女の願いとはいえ、神殿の扉を守護する神が俺達が通る事を認めなかったのは確かだからな」

 

 どうやら彼も神官の言わんとする事を察したらしい。前を歩く白銀の頭に視線を向ける。

 

 「そんな事をしてまで、巫女姫はスレイに会いたかったって事だ」

 

 彼の声は聞こえていただろうに、当の本人は反応ひとつ返さない。アステルがそろっと隣のスレイの顔を窺うと、眉間の皺が更に深く刻まれていた。

 

 「……つまり。スレイがその巫女姫から逃げてたせいで、ウチらまでとばっちり受けたって訳やな」

 「とばっちりぃ~~」

 

 納得したように頷くシェリルと、下唇を突き出すマァム。スレイはそれらを無視した。

 

 木々と本殿の外壁に挟まれた細道をスレイは黙々と歩き、アステル達はその後を付いて行く。本殿前と違って人の声や気配はなく、鳥のさえずりと木々のざわめきだけが辺りを支配する。

 ……と。こちらに向かってやってくる者が現れた。長いローブを纏い、顔をフードで隠すようにしている。

 

 「あまりジロジロ見るな」

 

 そう言って、スレイは道を譲るように端に寄る。アステル達もそれに倣う。近付いたフードの人物は、こちらに軽く頭を下げて謝意を示し、素早く通り過ぎ去った。

 

 「今のは?」

 「マリナンの洗礼を受けた奴だろ」

 

 囁くように尋ねたアステルに、スレイが答える。

 

 「えらいこそこそしとったなぁ」

 

 シェリルも声を潜めて呟く。

 

 「ダーマが人生の転機を迎える者に祝福を与える地ってのは、わかってるよな? マリナンは人生の再生を望む者に祝福を与える。命名神の前で過去の名を捨て、新たな名を名乗り、それを赦された者は過去の名の柵に捕らわれる事なく、真っ当に生きていけるらしい」

 

 「人生の再生、か」

 

 右目の眼帯に触れてタイガが独りごちた。じっとこちらを見上げてくるマァムに気付き、曖昧に笑う。

 

 「わけあって過去の自分と決別したいと強く願う者が、マリナンの神殿に導かれ訪れるんだ。その必要のない者に神殿は見つけられないし、立ち入れない。普通の参拝者がマリナンの神殿の存在を知らないのはそれが理由だ」

 「でもスレイ達は知っとるんやな」

 

 何気無く発したシェリルの一言だったが、スレイは僅かに眉を顰める。

 

 「……師匠は色々と規格外なんだよ。それに盗賊ギルドでは有名な話だ。盗賊には俺のような発掘や調査専門の奴もいれば、表沙汰には出来ない仕事を請け負う奴も多くいる。そういった奴等が足を洗う時に世話になるんだそうだ」

 「ちょい待ちっ! それって罪を重ねた悪人にも御加護があるんかっ!?」

 「言っただろ。強く願い、導かれ、命名神に赦された者って。誰にでもって訳じゃない。

 ……万が一。これを悪用しようものならそれこそ天罰が下るだろうな」

 

 スレイは口の端を持ち上げるも、その目は笑っていない。

 

 一行は本殿裏手にある森に足を踏み入れた。

 

 

* * * * * *

  

 

 「───魔物の気配はない、な」

 

 タイガは歩みを止めず、気配を窺う。森に入ってから随分と経つが、まだここはダーマの聖域の内にあるらしい。

 

 「不思議な感じ……なんだかエルフの森を思い出すね」

 「ほんまや」

 

 アステルの呟きにシェリルはぶるりと体を震わせ、隣を歩くマァムの手を握る。

 

 「シェリルぅ~。怖いのぉ~?」

 「こ、怖かあらへんっ! マァムが迷子にならんようにやっ!」

 

 前を歩くスレイの足に迷いはない。

 

 暫くして聞こえてきたのは微かなせせらぎの音とふわりと水の匂い。樹木で遮られていた視界が開け、みえた光景は。真っ青な空と周囲の山々や森を鏡のように映す大きな湖。

 その中央に浮かぶ真っ白な円形神殿だった。

 

 「こっちだ」 

 

 絶景に惚ける仲間達にスレイが声を掛ける。神殿から延びる白い石橋を、興味深くまたは楽しげにまたは夢見心地で歩く。途中、マァムが湖を覗きこむ。湖の水は何処までも透明で水底がはっきりと窺えた。

 神殿内へと入るも、通路はなおも続く。奥の間まで、窓一つない真っ直ぐ延びる通路の両脇には、清流がさらさらと外へ向かって流れ落ちる。水路の底に等間隔で埋め込まれた光を放つ夜光石が、薄暗い足元を淡く照らしていた。終着地点であろう小さな光を目指し、歩を進める。

 辿り着いたその場所の眩さに、アステルは咄嗟に片手で庇を作った。

 そこは聖堂だった。

 天井は高く、丸い天窓は丁度真上にあるのだろう陽光を受け入れ、広く白いドーム状の空間を照らす。一番奥の小高い位置に御神体の女神像が片膝を立てて座し、その背後には清水が滝のように流れ落ち、像の足元で左右に分かれ壁に添うように通路に向かって流れていく。

 女神は左掌に歯車を乗せ、右手に羽ペンを握る。此方を見下ろすその面差しは母親のように優しく暖かった。

 

 『ようやく来たね』

 

 アステルは目を(みは)る。女神像が話したかと錯覚した。そんな馬鹿な、と、辺りを見回すも聖堂内に声の主の姿は見当たらない。

 

 「しょうもない小細工すんな。招いたんならさっさと姿現せ。クソババア」

 

 柳眉を釣り上げ、不躾な物言いをするスレイ。だが《声》の方は少しも動じる事なく『はんっ』と、鼻で笑った。

 

 『小童(こわっぱ)が粋がるんじゃないよ。こっちはわざわざお前達の手間を省いてやったてのにさ』

 

 アステル達は訳が分からず顔を見合わせた。

 

 『どうせ『嫌がらせされた〜!』……とか思ったんだろう? こちとらそんなに暇じゃないんだよ。まぁったく。相変わらずの自意識過剰な構ってちゃんだねぇ』

 

 ヒーヒヒヒッと童話に出てくる年老いた魔女の様な嘲笑が聖堂内に響き渡る。

 

 「なっ!!」

 「ぷぷっ! じいしきかじょぉだってぇ! はっずかしぃ〜っ!!」

 

 《声》の尻馬に乗り、からかうマァムをスレイはギッと睨んだ。

 

 「あ、あの! もしかしてあなたが命名神の巫女姫様ですか?」と、アステル。

 

 《声》の主が女神像ではないのはわかっているが、なんとなくそちらに話してしまう。

 

 『……こっちに来たら教えてやるよ。自己紹介ってのは互いに顔を見てするもんだからね』

 

 《声》が笑いを収めてそう言うと、女神像の御前にある祭壇が音をたてて横へとずれた。現れたのは下へと続く階段。

 

 『ここは名前の神の神殿。真名を偽る者に道は開かれない。……さあ、命名神の許しを得てこっちにおいで。お前達が探している、お前達に会いたがっている《奴》はここにいるよ』

 

 ぶつりと会話が絶たれた。聖堂は静寂に包まれる。

 

 「……えーと? つまり、どういう事……」 

 

 苛立ちを隠す事なく冷たく見下されたアステルは思わず竦み上がる。スレイは大きく溜め息を吐くと、突然彼女の頭を腹いせとばかりに両手で乱暴に掻き回した。

 

 「やーめーてーっ!」

 「この下に巫女姫と一緒にダーマの大神官もいるって事だ」

 「な、なんで?」

 「知るか」

 

 素気無く答えたスレイは彼女の頭を離し、階段を指差す。

 

 「アステル、そこの階段下りてみろ」

 「? ……うん」

 

 アステルはぼさぼさの頭を傾げ、階段の一段目を降りようとした。

 

 「わっ!? なにこれ!?」

 「なっ!?」

 「ふぉ〜っ! アステル浮いてるぅ〜!」

 

 シェリルは驚きの声を上げ、マァムは不可思議な現象に手を叩いてはしゃいだ。

 アステルは階段の真上で浮いていた。

 ……いや、浮いているのとはちょっと違う。階段の上を歩き回る。(はた)から見れば宙を歩いてるように見えるが。

 

 「……これ、階段の上を透明な蓋が覆ってる?」

 

 アステルはその場を足踏みしては、軽く地を蹴ってみる。その感覚はやはり硬質ななにかの上に乗っている、それ。

 

 「へえ〜面白いな。どうなってるんだ?」

 

 タイガも階段に近付く。やはり彼も階段を下りる事はできず、宙を立っているような状態。

 

 「もしかして階段は幻か?」

 「いや。ちゃんと階段はある」

 

 首を捻るタイガの隣を今度はスレイが進む。彼は階段の一段目を普通に下りて見せて仲間に振り返った。

 

 「これは命名神の結界だ。ここから下は自分の巫女姫の寝起きする居住空間でもあるからな。巫女姫が招いたとしても、命名神の許しがなければ進めない」

 「どうしたらいいの?」

 「女神像に真名、自分の名前を告げればいい」

 「それだけで入れるの?」

 

 どんな難題を突き付けられるのかと身構えていたが、拍子抜けだった。

 

 「マリナンは名前を知るだけで、その者の《全て》を見通す力がある。名を偽ったり、命名神や巫女姫に害を成す意思がなければ問題ないだろ……って、待「アステル=ウィラント」

 

 ハッとして慌てて止めたスレイだったが、名前に反応して女神像の眉間に嵌った水晶がキラリと光った。

 

 「────きゃっ!」

 

 透明な蓋が突然消え、バランスをとる暇なく、アステルは階下へと吸い込まれる。が、スレイが素早い動きで彼女の腕を取り、引き寄せた。

 

 「あ、ありがと」

 「ちょっと考えればこうなるってわかるだろ。たまに考えなしになるよな。お前は」

 

 呆れたように言うスレイに『自分だってさっきは大人気なく八つ当たりしてきた癖に』……とは怖くて言えず、アステルは半眼で見上げるに留めた。

 

 

 「───シェリル=マクバーン」

 

 固い声で名乗ったシェリルに、女神像は先程と同じく眉間の水晶をキラリと光らせて応える。

 恐る恐る足を階段へと伸ばした。

 

 「お。下りれた」

 

 緊張を解いて、トントントンと軽い足取りで階段の踊り場で待つアステルとスレイの元へ向かう。

 次にタイガが階段の前に立ち、女神像を見上げる。

 

 「タイガ=ヤクモ」

 

 女神像になんの変化も現れ無かった事にタイガは「ん?」と、片眉を上げた。階段に一歩足を踏み出したが、やはり透明な蓋に阻まれた。

 

 「タイガぁ! まさかの偽名かぁ?」

 「いやいや。俺に名前を偽る理由なんかないぞ」

 

 シェリルの冗談混じりの言葉に、タイガは困り顔で頭を掻く。

 

 「でも。だったらどうして?」

 

 アステルがスレイを見上げる。彼は顎に手を当てて少し考えてから、視線を上げた。

 

 「タイガ! もしかして洗礼名や秘匿とされた名前とかあったりするか? あとは本来は名と姓が逆だとか。発音とか。故郷に合わせて名乗ればいい」

 「ああ、成程」

 

 タイガは一つ頷いてから、再び女神像を見上げた。

 

 「八雲大河(やくものたいが)

 

 女神像の眉間がキラリと光ったのを認めると、階段へと踏み出す。

 透明な蓋はちゃんとなくなっていた。

 

 「タイガって本当は名前が後にくるんだね」と、アステル。 

 

 「名と家名が逆さになるだけで、発音もなんか違うて聞こえるんやな。……にしても。別に嘘ついてた訳でもないのに融通きかんなぁ」

 

 シェリルはジト目でぼやいた。

 

 「《名前の神》だからな。そこの所は妥協しないらしい」

 「まあまあ。名前を答えるだけで入れるのな……」

 

 不自然に言葉を途切れさせたアステルを、スレイは訝しげに見る。彼女は神妙な面持ちで固まっていた。

 

 「アステル?」

 

 階段の途中で足を止め、タイガも真顔で階段上にひとりいる彼女を見上げた。

 

 「………マァム」

 

 彼女は彼と階下にいる心配げな眼差しをこちらに向けるアステルにへらりと笑った。

 

 「マァム=ヴェルゼムぅ」

 

 女神像に向かって名を告げたマァムだったが、女神像はなんの反応も示さなかった。試しに階段を下りようとするも、透明な蓋が彼女を拒んだ。

 

 「やっぱりぃ〜、だめかぁ〜」

 

 「ケチぃ〜」と、マァムは女神像に向かってあっかんべーをして、それから下にいるアステル達になんでもないように、にぱっと笑った。

 

 「アステルぅ〜! あたしぃ、ここでお留守番してるねぇ〜!」

 「何言ってるんや? 多分発音でひっかかったんやろ。その間延びした言い方やめて、もう一回試してみいや」

 

 苦笑を浮かべるシェリルに、けれどマァムは首を横に振った。

 

 「多分〜何回やっても駄目ぇ! 時間のムダムダ〜! あたしのぉ名前はぁマァム=ヴェルゼムだけどぉ、ホントのぉ名前はぁわかんないからぁ!」

 

 軽く告げられた重大な事実にシェリルとスレイは息をのんだ。

 

 「私もマァムと上で待ってる!」

 「え、ちょおっ、アステルっ!」

 

 伸ばしたシェリルの腕を躱して、アステルは階段を駆け上がる。

 しかし、途中でタイガに腕を捕まれ止められた。

 

 「アステルが行かないわけにはいかんだろう」

 「でもっ!」

 「俺がマァムと待ってる。アステルは下の二人に説明してやるといい」

 

 焦燥に揺れていた瑠璃色の瞳が大きく見開き、朗らかな笑みを浮かべるタイガの顔を映した。

 

 「タイガ……知ってたの?」

 「ルイーダ(マダム)から聞いた。俺も()()だからな」

 

 タイガは彼女の腕を離してその肩にポンッと手を置く。

 アステルは目線を上に遣ると、マァムはいつもと変わりない笑顔を二人に向けていた。 

 

 

* * * * * * *

 

 

 ちらちらとこちらを気にしては振り返るアステルに、マァムは見えなくなるまで笑顔で手を振り続けた。

 彼女達の姿が消えるとマァムはふっと無表情になる。

 瞳は暗い紅へと変わっていた。

 

 

 「───空から、落ちてきた?」

 

 怪訝な顔するスレイにアステルは頷く。

 暗闇の中で延びる螺旋階段は、下へ下へと進む程仄かに光を放ち始める。夜光石の階段を下りる道すがらアステルは重い口を開いた。

 

 「六年前の冬にね。マァムは突然、空から落っこちてアリアハンにやってきたの。ルイーダさんの見立てでは恐らく、強制転移呪文バシルーラで飛ばされてきたんじゃないかって」

 

 「バシルーラ……って。タイガがアリアハンに飛ばされたあの呪文か?」と、シェリル。

 

 「うん。あの酒場には強制転移呪文(バシルーラ)で飛ばされた人を保護する魔法陣を展開してるってルイーダさんが言ってた」

 「マダム・ルイーダがか?」

 

 目を丸くするスレイに、アステルは少しだけ頬を緩ませた。

 

 「ルイーダさんは元宮廷魔術師だったの。しかもとびっきり高位な、ね。それと私の魔法のお師匠でもあるんだから」

 「……人は見かけによらないな」

 

 だが。さすがは旅人ギルドマスターに選ばれるだけある。

 スレイは感嘆の息をもらした。

 バシルーラで飛ばされるのはなにも人だけではない。魔物だって飛ばされる事があるのだ。それを選別し、保護する魔法陣を編み出し、展開し続けるなんて。

 そんな事を可能にする魔術師は世界でも数える程度しか存在しないだろう。

 

 「……ただ。その時のバシルーラは奇妙な点が多かった。強い光を纏ってた事とか、落ちる時の被害の少なさとか。ルイーダさん首を捻ねってた。魔法陣で緩和されるとはいえ、それでもそれなりに衝撃があるらしいから」

 

 それに関してはスレイも頷く。経験者であるタイガも地面に叩き付けられたと顔を歪めて語っていた。

 

 「マァムの怪我は全部かすり傷程度で、服も大量の血で染まってたけど、多分……誰かの返り血だろうって。意識が戻るのを待って話を聞こうって事になったのだけど。

 三日後、やっと目覚めたマァムは名前以外の事はなにも覚えていなかった。マァムを診た神父さんの話では心の問題なんじゃないかって。なにか悲惨な事件か事故に遭遇したショックで記憶喪失になったんじゃないかって言ってた。

 もしかしたらアリアハンに身内がいるかもしれないって念の為捜索はされたんだけど、結局見つからなくて。

 本来なら孤児院に預けられる所を、保護したルイーダさんがそのまま引き取って、養子にしたの」

 

 話し終えたアステルは長く息を吐き出す。息を詰めていた事に今更自覚した。

 

 「それがアステルとマァムの出会いやったんやな」

 

 「聞いた事なかったのか?」と、スレイ。

 

 「家が近くて、親同士が仲良いなら普通に幼馴染みやと思うやん」

 

 ムッとして答えるシェリルにアステルは視線を足元に落とした。 

 

 「……今まで黙っててごめんね」

 「何言ってんねん。ウチが聞いた事ないんやから、わざわざする話でもないやろ」

 

 「でも」と、項垂れるアステルの頭をシェリルはこつんと小突く。

 

 「友達やからって、なんでもかんでも秘密明かさなあかんもんちゃうやろ?

 そりゃ、マァムやアステルがそん事で悩んでて、聞いて欲しいってんなら喜んで聞くけど、そやないなら無理して話す必要ない」

 「シェリル」

 「あーもう! いつまでも湿気た顔しんときっ!」

 「……っとぇ!? いひゃいっいひゃいっ!」

 「おー相変わらずいい肌触り。よぅ伸びるわ」

 

 アステルの頬をシェリルはぐいぐいと引っ張っる。

 

 「もうっ! スレイは髪グシャグシャにするし、シェリルはほっぺたつねるし、さっきから私の扱い酷くないっ!?」

 

 抓る手を振り払い、赤くなった頬を守るように手を当てるアステル。シェリルはニシシッと笑い、スレイは「そういえば」と、しれっと話を変えた。

 

 「上に残ったタイガはマァムの事情を予め知ってたようだが?」

 「あ、それウチも気になってた」

 

 便乗するようにその流れに乗るシェリルだったが、気になってるのは本当だ。アステルも話を本筋に戻された以上、文句をぐっと堪えるしかない。

 

 「……ルイーダさんから聞いたって。それと自分とマァムは同じって言ってた」

 「同じ?」

 「多分バシルーラで飛ばされた者同士って事じゃないかな」

 「ああ、そういう事な」

 

 納得してシェリルも頷く。

 

 「ルイーダさん、マァムの事情を知ってるのが私だけじゃ不安だったんだと思う」

 「んな事ないやろ」

 

 そう言うシェリルに、けれどアステルは寂しげな笑みを浮かべて首を横に振った。

 

 「現に今、マァムの傍に私はいられないから」

 

  

* * * * * *

 

 

 女神像の足元、階段の手前に立つマァムの後ろ姿に、もう一つの小さな小さな背中をタイガは重ね見る。 

 姿形、髪の色、歳も十以上違う。

 けれど纏う空気は。

 孤独のにおいは。

 眼帯で秘された右目が鈍く疼くのを無視して、その背中に声を掛けた。

 

 「大丈夫か?」

 「………」

 

 正面に回り込み、膝を着いたタイガはマァムの顔を覗き込んだ。

 

 「……大丈夫じゃないか」

 「…………」

 

 ぽすんっと。マァムはタイガの肩口に額を当てた。

 

 「……〈あたし〉は悪くない。〈あたし〉にとって、ヴェルゼムは大切な家族の名前。……悪いのは〈わたし〉。〈あたし〉は知らない……〈わたし〉の……もう一つの大切な家族の名前を……告げられない……〈わたし〉の心を……マリナン様に見抜かれた〈わたし〉が「マァム=ノーラン」

 

 いつもより強めの声で名を呼ばれ、マァムはびくりと肩を竦ませた。タイガはマァムが喋っている時に遮った事はない。いつもならゆっくりと待ってくれる筈なのに。

 

 「俺は怒ってる」

 

 その一言に更に小さな体は強ばる。

 

 「シェリルの言う通り、名前の神はもうちょっと寛大になってくれてもいいんじゃないか……ってな」

 「………?」

 「勇者アステルの為に。もうひとりのマァムの為に。君が影に徹し()()()を護っているその意志を汲んでくれてもいいのにな、って」

 「………だめ」

 「ああ、そうか。名前の神ってのは真名がわからないとなにも出来」

 

 「ないんだな」と続く所を、マァムが慌ててその口を両手で塞いだ。

 

 「タイガ。駄目。不敬。神罰下る」

 

 珍しく焦り、目を釣り上げたマァムだったが、タイガの片方だけの瞳は何故だか楽しそうに細められていた。それに気付いたマァムは再び表情をなくす。顔を逸すその様はどこか不貞腐れているように感じられた。

 

 「……冗談じゃない……から」

 「わかってる。悪かった」

 「謝るのは……マリナン様に」

 「だな」

 

 タイガは背後にある女神像に振り返ると床に坐り、両拳を床に着けて、深く低頭した。

 その背中を見詰めるマァムの表情はやはり乏しいものだったが、

 

 

 その眼差しは先程と違って柔らかく、孤独に彩られてはいなかった。

 

 

 

 

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