長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
螺旋階段を下り、四つある扉のうちの一つをスレイは開く。彼に続いて中に入ったアステル、そしてシェリルは飛び込んで来た光景の美しさに目を奪われた。
空間一面に広がるのは幻想的な湖底世界。目にも鮮やかな青と、苔で覆われた緑の
水中の崖から飛び出して来た小魚の群れは、透明な天井越しに彼女達の頭上を泳ぐ。水面から射し込む光のカーテンを浴びて魚達は虹色銀色にきらきらと輝く。
「わぁ………」
感嘆の声にスレイが振り返ると、アステルは夢見るように光景に見入っていた。
あどけない笑みを浮かべて見上げる大きな瑠璃の瞳は、水越しの柔らかな光を受けてまさに今見ている景色の色、
「………どうなってんのや。これ」
シェリルはというと、この美しい景観を可能としたこの空間の造りに興味を移していた。白い床を除き、壁も天井も
「水晶? ……いや。やっぱ硝子やな? けどこの形に大きさ透明度はなんなんや?」
しかもこうして触れているのに何故か指紋が付かない。外側も苔などが一切付着していないようだ。
「ダーマ神殿といい、どんな技術でこんな加工を……」一人ブツブツと呟く。と。
「この部屋を気に入ってもらえたようだね」
「もっとも、一人は部屋とは別のものに見惚れとったようだがな」
それぞれがはっと我に返り、声のした方に視線を遣った。部屋の正面奥に声の主は腰掛けていた。一人は小柄な老婆だった。虹色に輝く空色のリボンが幾重にも重なり飾る薄紫のフード付きローブを纏い、手には命名神の持つ神器、羽根ペンと歯車を融合したような意匠の杖をもっている。
大理石で出来た丸テーブルを挟んで、老婆と向かい合って座っているもう一人はひょろりと背の高い
恐らく老婆が《命名神マリナンの巫女姫》で、老翁が《ダーマの神殿の大神官》なのだろう。
二人の存在に今初めて気付いた事に恥じ、膝を突こうとしたアステルだったが、それをスレイが腕を取る事で止めた。
「スレイ!?」
「必要ない」
(必要ない事はないでしょう!?)
見上げるとスレイは何故か苦虫を噛み潰したような顔をしていて、アステルは目を瞬く。
なんだか。とアステルは思う。
この数時間で初めて見るスレイの顔をたくさん見てる気がすると。
(……ほとんどが不機嫌な顔だけど)
「よいよい。そう固くなるな。ここを出会いの場とした意味がなくなる」
「こっちはほんとに迷惑な話さ」
のほほんと言う大神官に対して、巫女姫は迷惑そうにふんっと鼻を鳴らす。
「だが、おかげでいいもんが見れただろう?」
「まあねぇ。あの惚け顔は見てるこっちが恥ずかしくなったわ」
老翁がほっほっほっと笑い、老婆もヒッヒッヒッと笑う。アステルが頭を傾げると頭上から低く少し震えた声が響いた。
「ジジイとババアの与太話を聞く為にここに来たわけじゃないんだが」
スレイの声の変化にアステルは顔を上げようとしたが、彼の手が彼女の頭を押さえつけ、それを許さなかった。
「相変わらず口の聞き方がなってない小僧だね。久し振りに顔を出したってのに、まともな挨拶も出来やしないのかい」
目元に手をやり、よよよっと嘆く老婆。
「小さい頃は素直で優しくて妖精のように可愛かったってのに。おむつを替えてやった恩も忘れて」
「過去を捏造するなクソババア。オレがダーマに初めて来たのは十二の頃だ」
「え? 嘘なの?」
「お前も本気にするなっ!」
聞き返すアステルにスレイはがなる。二人の老人は肩を揺らしほっほっほっ、ヒッヒッヒッと楽しげに笑う。
「……まあ、小僧で遊ぶのはこれくらいにしておいて」
老人達は座ったまま体を正面にして、改めてアステル達に見向いた。
「私は命名神マリナンに仕える巫女ナンナだよ」
「わしが全能神奉るダーマの神殿の総括を担う大神官ナディル=ウル=ノーランだ」
アステルとシェリルが名を告げると、ナンナは口に含む様に二人の名前を繰り返し呟いた。
「……シェリルは先に生まれた娘に因んで父親が名付けたようだね。姉妹共に可愛らしく健やかであれと願いを込めて」
「そんな事までわかるんか?」
シェリルはうへぇ〜と、感心して呻る。
「……アステルは古代語で〈星〉という意味だねぇ?」
そこでナンナは何故かスレイに目を向け、含みを帯びた笑みを浮かべる。それに気付いた彼はばつが悪そうに顔を逸した。
「名付けは確かオルテガだったか。髪や目の色は
そう答えたのはナンナではなく、大神官ナディルだった。
「大神官様は父と会った事があるのですか?」
「うむ」
胸元まで伸びる顎髭を捻ってナディルは思い出すように目を細めた。
「なんせオルテガは旅する上で必要な呪文の習得の為に、ここダーマの神殿に来たのだからな」
「オルテガはその修行中にこの神殿にもやって来た」と、ナンナ。
「え、なんで?」
アステルは素で聞き返してから、しまったと口を押さえる。しかしナンナは特に気分を害する事なく、逆に楽しげにこちらを見た。
「そう。『なんで?』だ。ここは知っての通り、不要な者、資格なき者は立ち入れない。初めて奴が現れた時には、有名に成り過ぎた勇者の名に嫌気が差して、名を捨てる為に訪れたのかと思ったよ」
あの父に限ってそれは有り得ない。そう思いつつも黙って話を聞く。
「……なにを願ったと思う?」
にやりと笑うナンナに、アステルは首を横に振った。
「あいつは……自分の靴やら兜やら荷物袋やらに名前を付けに来たんだと! 『大事な仲間だから』って大真面目に私の前に武器、防具、旅道具一式を綺麗に並べて差し出してね!
生まれてからずっと巫女をやって来たが、あんな面白い出来事はなかったねぇ! お前さんの父親は本当に愉快で面白い男だよ!」
ヒーヒヒヒッとナンナは腹を抱えて笑う。
「アステル?」
硬直してしまったアステルの表情を窺うようにスレイが声をかけると「思い出した!」と、ポンッと手を合わせた。
「父さんの愛用の道具には全部名前がついてたの!」
「そう、なのか?」
「父さん、お手入れしながらよく話しかけてたなぁ。一人旅が寂しいのかなって一時期母さんとお爺ちゃんが本気で心配してたっけ」
「……そうか」
明るい笑顔でそう明かすアステルにナンナは更に吹き出し、スレイは頬を引き攣らせる。
知りたくなかった。英雄のそんな裏話。
「……それで勇者オルテガの道具達は名前の祝福を授かったのか?」
「もちろん」
「それでいいのか命名神」
胸を張って答えるナンナに、スレイはジト目で突っ込む。
「あ! もしかして!」
閃いたとばかりにシェリルは目を瞠った。
「その祝福っちゅうのには威力や防御力が上がったりとか、特別な性能が備わるとか効果があったりするんちゃうんか!? オルテガさんはきっとそれを見越して……」
両拳を握り締め、したり顔で力説するが。
「そんなのありゃせんし、あいつはただ単に道具に名前を付けたかっただけだよ」
「……あ、そう」
武器防具のパワーアップの期待が外れ、シェリルはがくっと肩を落とした。
「この神殿を訪れる者は大なり小なり辛い過去を背負い、救いを求めやって来る。あんなに前向きな気持ちで神殿を訪れ、迎えられたのは奴が初めてだったよ」
楽しげに語り、細められた
「……さて。上で待ってる連中の事も気になるだろう。さっさと本題に入るとするかね」
その言葉に目を丸くするアステルに、ナンナがニッと笑う。
「真名が答えられなかったからと言ってそれが罪なわけではない。私が言うのもなんだが、気にする事はないよ」
「……はい」
その言葉に胸の内にあった
「シェリルよ。おまえさん……いや、おまえさん達はポルトガの勇者とその恋人の呪いの謎を解く為、ここダーマを訪れた。そうだね?」
「へ?! なんで知って……」
「命名神マリナンの御力だ」
狼狽えるシェリルに、椅子から立ち上がったナディルが答える。
「マリナンが司るは名前と宿運。生を受け、名前の加護を受けたその時から、今この時まで全てを見通せると謂われている。これまでの行動。降りかかる幸運厄運全て……な」
「つまり。オレがここにいる時点でババアとジジイに目的が筒抜けっだって事だ」
ナンナに名前を知られているスレイは憮然として言葉を続けた。
「……面倒くさい事を」
不貞腐れる彼の隣に移動してきたナディルがホッホッホッと笑う。
「そう苛々するな。呪いだぞ? 解くにしても、掛けた相手を探るにしても、それなりに危険が伴う。安全にそれを行うには、ここマリナンの聖域の中心部が最も適しておる」
「だから私達はここに来る必要があったのですね」
「うむ。……理由はそれだけではないがな」
後ろの言葉をスレイに聞こえぬように囁かれ、アステルは頭を傾げた。
「───さあ。シェリル=マクバーンよ。呪われし者達の真名を答えよ」
フードから覗く銀灰色の瞳から発せられる気迫に飲み込まれそうになるも、ぐっと堪え、生来の負けん気を奮い立たせてシェリルは答えた。
「ポルトガの勇者カルロス=ディンガとその恋人サブリナ=ハースや!」
杖を両手で握り締め床を突く。瞼を閉じ、祈りを捧げる命名神の巫女姫。シェリルはアステル達の所まで後退し、見守った。と。
水面の光が陰り始める。先程まで部屋を包んでいた澄んだ青が、紫に、群青に、そして最後には黒闇へと染まった。
* * * * * * *
「──ん?」
階段の前でマァムと並んで腰を下ろしていたタイガは、天窓から降り注ぐ光が突然途絶えたのを不審げに見上げた。
ただ単に太陽が雲に覆われただけ……ではない。突然夜の帳が落ちたかのような暗さ。気が付けば女神像の背後を湧き出ていた清水の流れは止まり、空気がひんやりと冷たくなる。漂い始めた不穏な雰囲気に、マァムが胸の上でぎゅっと拳を握り締め、そしてハッとして立ち上がった。
「────いけないっ!」
真っ赤な閃光が天窓を突き破って落ちた。
辺り一面、
なにもかもが、
紅に染まった。
「────……え?」
タイガはしきりに片目をしばたたかせる。
なにが起こったのか、理解が追い付かない。
なにも。
なにも、起こっていないのだ。
聖堂は穢なく白く、天窓からは暖かな陽光が降り注ぎ、女神像から涌き出る水の流れは清らかなまま。
(幻、か?)
─────違った。
真白な聖堂の高みから此方を見下ろし穏やか笑みを浮かべる女神像。その美しい貌に、額から右頬かけて一筋の大きな傷が刻まれていた。呆然とするタイガの隣で、マァムは眦を吊り上げて女神像を見上げる。
「マァム=ノーラン!」
マァムの悲鳴に近い名乗りに女神像の傷付いた水晶はか細い光を零して応えた。その様子にマァムは痛ましげに顔を歪めたが、すぐさま階段を飛び降り、跳躍しながら下へ下へと降りる。
「待て! マァム!!」
(一体なにが起こった?)
混乱する頭を苛立ちのままガシガシと掻き、タイガは彼女の後を追った。