長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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ふたつの心

 

 

 祭壇の天窓から降り注ぐ月光が、再会を果たした祖父と孫娘を祝福するかのように包み込む。

 

 抱き締めた体をそっと離し、ナディルはマァムの羽毛のように柔らかな金髪を優しく撫でた。その心地好さにマァムもされるがままになっていたが、猫のように細めていた瞳をハッとして大きく見開いた。

 

 「……お祖父様。お尋ねしたい事が、あります」

 「む?」

 「悟りの書について、聞きたいです。ガルナの塔に、悟りの書は、ひとつしか、ないの、ですか?」

 

 ナディルは目を丸くする。

 

 「……悟りの書とはの。血族以外の存在が賢者として神の目に止まったその時、天からの啓示と共に降りてくる。

 今、ガルナの塔にあるのはスレイの為の悟りの書のみ」

 

 俯き、無表情ではあるものの明らかに沈んだ様子の孫にナディルは頭を傾げた。

 

 「どうした? 我らに悟りの書は必要なかろうに」

 

 その言葉にマァムは表情を変えぬまま、更に空気を重くさせた。

 

 「………魔法を、うまく、使えない」

 「ほう?」

 「あたしの方は、攻撃呪文が、使えないし、わたしは、回復呪文が、使えない。かろうじて、補助呪文なら、使えるけど」

 「《あたし》?《 わたし》?」

 「昼間のが、《あたし》。今、話してるのが、《わたし》」

 「なるほど、なるほど」

 

 ホッホッホッと白い髭を撫でながらナディルは笑う。

 

 「しかしそれは仕方なかろうに。あの方には攻撃呪文は扱えぬ」

 

 「あの、方?」

 

 マァムは首を傾げる。その様子にナディルは眉間に皺を寄せ、彼女の肩に手を置く。

 

 「マァムよ。……神鳥ラーミア様を忘れたわけではあるまいな」

 

 「神鳥、ラーミア、様」

 

 ドクリッと心臓が大きく不快に鳴り、思わずマァムは胸を押さえる。その胸が淡く緑色の光を放つのをナディルは見た。

 

 「……そうか。覚醒せぬよう封印を施されたか」

 

 ────魔王からその魂を護る為に。

 

 胸の光が治まりマァムの身体が傾ぐ。ナディルはその身体を抱き止め、目を上げた。

 

 

 「そこにおるのだろう? タイガよ」

 

 神域を護るように建つ四体の闘神像の一体から、頭を掻きながらタイガは姿を見せた。

 

 「ばれてましたか」

 「わからいでか」

 

 タイガは二人の元に歩み寄り、ナディルの腕の中にいるマァムを覗き込んだ。完全に意識を失っているマァムに眉を顰める。

 

 「大丈夫なのですか?」

 「問題ない。(ふせ)ぎが働いたのであろう」

 「禦ぎ?」

 「この子に二つの人格が存在しているのは理解しとるか?」

 「はい。主だって(おもて)に出ているのは明るい方の人格で、裏方に徹しているのは……」

 

 タイガは眠るマァムに目線を遣る。

 

 「………タイガよ。マァムになにがあったのか、聞かせてはくれまいか?」

 

 マァムの祖父だというナディルの願いを断る理由はない。タイガはマァムの義母ルイーダから聞いた、そしてタイガ自身がこれまで見てきたマァムについて語り始めた。

 

 

* * * * * *

 

 

 タイガがもう一人のマァムと出会ったのは本当に偶然だった。

 

 魔物との戦闘の際に受けた強制転移呪文(バシルーラ)により、アリアハンへとやって来たタイガ。更に運悪く、財布を落としてしまった彼に救いの手を差し伸べたのが、旅人ギルドのマスターであり、酒場の女主人あるルイーダだった。

 

 酒場を仮宿として幾日か過ぎた頃。

 

 夜も更け最後の客も店を出て。店内の清掃を終え、掃除道具を片付ける為にタイガが裏庭に出ると《彼女》はいた。

 寝巻きの裸足姿でぼんやりと天を見上げるその姿は、深紅の瞳は。昼間の太陽のように明るい朱色のそれとは大きく異なっていた。

 本来の彼女を知る者ならば、その異変に気付き違和感を感じるだろう。

 彼女に善からぬ存在が取り憑いたのでは、と、思う者さえいるかもしれない。

 

 だがタイガには。

 

 月のない朔の暗夜を哀しげに、けれど懸命に見上げる彼女が。

 その《姿》と《魂》が。

 違和感なく正常に重なり映って見えたのだ。

 

 故に。

 

 『君は誰だ?』

 

 こう尋ねた。

 

 『マァムだが……マァムじゃないな?』

 

 ……と。それを聞いた彼女……マァムは驚いたように瞳を見開き、否定する事なく、ただ黙って頷いた。

 その夜をきっかけに、夜が更けると暗き瞳のマァムはタイガの前に姿を現した。

 だが彼女からタイガに話し掛ける事はない。ただ。閉店後の後始末、もしくは休息中の彼の傍らにいて、夜が明ける前には姿を消していた。タイガの方もそんな彼女を特に問い質すような事はせず、挨拶を交わし、日常の他愛のない話や自分がしてきた旅の話等をして、彼女はそれを黙って聞いて。そうして彼女との時間を過ごしていた。

 酒場の手伝いや外に出て魔物を倒す等してある程度金が貯まり、仮宿をルイーダの酒場から町の宿屋に移したその後も、彼女は度々タイガの元に訪れた。

 そんな日々の中、ふと彼女は己の名を口に出した。それは《マァム=ヴェルゼム》ではなく、《マァム=ノーラン》だった。

 夜に現れる自分の事はそう呼んで欲しいのだと理解出来た。

 それからはタイガは彼女の事は必ずそう呼ぶようにしている。

 

 アリアハンに来て半年が経過しようとした頃。マァムの友人であり、アリアハンの次期勇者であるアステルの旅立ちが迫っていた。

 

 『私達と一緒に旅をして欲しいの』

 

 ある日、緊張した面持ちでアステルにそう誘われた。

 魔王討伐の旅。目の前の彼女の父親も含め、様々な英雄が志し旅立ちながらも、未だ誰もそれを成し遂げてはいない、険しく果てしなき旅路。

 勇者として挑む彼女の旅の同行者は、幼き頃に共に在ると誓い合ったマァムとシェリル。しかし旅慣れていないアステルとマァムに、少しは心得のあるシェリルでは心許ない。

 タイガの旅に特別な目的などはない。強いて言うならば研鑽と見聞の旅。

 マァムに紹介されて以降、気さくに話し掛けられ、今では顔見知りとなった娘達の頼みを蹴るほど自分は薄情者でもない。

 タイガは笑顔で了承すると、アステルの強張った顔がほっとほころんだ。

 

 ───その夜。酒場の閉店作業を終え、帰路につこうとしたタイガは、その店主であり、マァムの母親であるマダム・ルイーダに呼び止められた。

 酒を飲み交わしながら、明かされたのはマァムは己の実の子ではない事。自分と同じく転移魔法によってこの地に飛ばされた娘。そして彼女にはアリアハンに来る以前の記憶がないという事だった。

 

 『何故その事を俺に?』 

 

 タイガはつまみに出されたチーズを一切れ取って口に放り投げた。ルイーダはうっすらと笑みを浮かべる。

 

 『どの口が言うのかねぇ。親の目盗んで、うちの愛娘と夜な夜な逢い引きしてる奴が』

 

 飲み込んだチーズを喉を詰まらせ、苦し気に胸を叩くタイガに、ルイーダはクックックッと喉を震わせた。そんな彼女をタイガはじとりと見上げる。

 

 『(やま)しい事はない』

 『わかってるよ。あたしが言いたいのは、大親友のアステルとシェリルにも、母親のあたしにさえ姿を見せないもう一人のあの子が、あんたの前でだけ姿を現してる事実さ』

 

 その言葉にタイガは目を丸くした。

 

 『彼女の存在を知っていたのか』

 『バカにすんじゃないよ。あたしはあの子達の親だよ』

 

 ルイーダは手にしたグラスを傾けワインをちびりと含んだ。

 

 『……けど。あたしが気付いて声をかけるとあの子はすぐ引っ込んじまう。あんたに対して姿を見せてるのがホントに不思議なくらいさ。……どうやってあの子を口説き落としたんだい?』

 『……人聞きの悪い事を言わんでくれ。俺は別に特別な事はしてない』

 

 ニヤリとして尋ねるルイーダにタイガは困り顔で頭を掻いた。

 

 『まあそれは置いといて、だ。あたしがあんたにマァムの事を話したのは、あんたにあの娘達を頼みたいからだ』

 

 笑みを消したルイーダに、タイガも眉をひそめる。

 

 『もう一人のマァムの存在はあたしとあんたしか知らない。あの子が慕っているアステルも、幼馴染みのシェリルも知らないんだ』

 

 真夜中の酒場に一つだけ灯されている灯火(ランプ)の火が揺れ、ジジッと音を響かせた。

 

 『魔女のカン……ってやつかね。わかるのさ。マァムにはとてつもない力が宿っている。いずれ魔王打倒の鍵となる力が。

 もう一人のあの子はそれをたった一人で抱え隠している。こーんな小さかった頃からね』

 

 そう言ってルイーダは出会った頃のマァムの背丈を、真紅で彩られた爪が光る手で示した。 

 

 『自分の存在そのものと共に。それがどんなに辛く孤独なものか……』

 

 切な気に伏せられた瞳がふいに上がる。紫紺の瞳が妖しげな紫に輝き、正面に座る男の姿を、そしてその腰に下げられた固く封印されている剣を捉えた。

 

 『……マァムがここに現れ、勇者であるアステルに出会ったのはきっと偶然なんかじゃない。必然なんだろう。……タイガ、あんたがここにやって来た事もね』

 

 ルイーダにはアリアハン入国滞在の手続きの為に出身地のみ明かしはしたが、その瞳と言の葉は、己の内の秘とする全てを見透かしているようでタイガは思わず身構えた。

 だが、次の瞬間には酒場の女主人はふっとその瞳を和らげた。

 

 『……これからもあたしの《娘達》の支えになってあげておくれよ。引き篭もりのもう一人の娘を引き出したあんたになら。安心して任せられる』

 

 柔らかく微笑む彼女のその表情は先程までの魔女のそれではなく、娘を気遣う母親のものへと戻っていた。

  

 

* * * * * *

 

 

 タイガの話を聞き終えたナディルは大きく息を吐いた。天窓から覗いていた月は既に姿を消しており、代わりに神殿内に配置された燭台(しょくだい)の灯りが三人の姿を照らし出していた。

  

 「なるほど。主人格が入れ替わってしまったというわけか」

 

 その場に腰を下ろし、己の膝を枕にして眠る孫娘の頭を撫でながらそう溢すナディルに、向かい合って座るタイガは眉を寄せた。

 

 「それはどういう……」

 「説明する前にまず、もうひとりのマァム……おぬしが言う明るい方じゃな。そちらはマァムではない。別の魂だという事を理解してほしい。そしてその魂は深い眠りにあった筈なのじゃ」

 「マァムじゃない? 眠っていた魂?」 

 「本来、(おもて)に出るべきはこちらのマァムじゃという事だ。恐らくは幼い頃の強制転移による影響で、眠っていたもうひとつの魂が半覚醒し、本来のマァムの記憶と混じり合い、混濁(こんだく)した事が今の状況を生み出しておるのじゃろう。

 更には護るべき存在を主人格と勘違いしておる。仮人格である自分では賢者の力を操れる存在ではないと思い込んどる。(ゆえ)に悟りの書が必要と思い至ったのであろう。………この状態は非常にまずい」

 「まずい……とは?」 

 「このまま主人格のマァムの己が仮人格であるという思い込みが強まれば、やがて身体の主導権の全てをもうひとつの魂に(ゆだ)ね、遠くない未来消滅するじゃろう」

 「……マァムと混じり合う別の魂とは、一体な、………っ」

 

 タイガは苦し気に言葉を詰まらせる。

 

 あの明るいマァムの存在を否定するような言葉を紡ぐ事が出来なかった。ナディルは彼の心中を察し、続く筈だった質問の答えを述べた。

 

 「我ら賢者ノーランの一族は、代々神鳥の魂を守護する使命を受け継いでおる」

 「………神鳥?」

 「出雲の民よ。神珠(しんじゅ)と言えば理解出来るのではないのか?」

 「───っ!」

 

 息を飲んだタイガの脳裏にはっきりと浮かんだのは。長い黒髪を一つに束ね、白の巫女装束に身を包んだ小さな娘の後ろ姿。

 祭壇に奉られた《紫》に輝くそれを手にし、胸に押し当てる。やがて光は止み、そして此方を振り返ったのは。

 

 

 ───この世で何よりも大切な

 

 

 ───美しくも儚い笑み。

 

 

 

 知らぬ間に腰に下げた(つるぎ)の束を握り絞めていた。

 

 「マァムも、そうなのですか?」

 

 呻くような声で尋ねるタイガに、ナディルは目を伏せた。

 

 「神鳥の魂の欠片。テドンの民《緑》の守護者だ」

 

 タイガは剣から手を離し、胡座をかいた膝の上で拳をぐっと握りこむ。目を閉じ、大きく深呼吸する。そして目を開いた。

 

 「……マァムを。マァムを守る手立てはあるのですか?」

 「マァムに己の存在を自覚させる事。身体の主が自分である事を自覚させるんじゃ。タイガよ。ガルナの塔の最上階にある、銀細工の髪飾りを探しだして欲しい」

 「髪飾り?」

 「マァムの父エルドアンがその昔、マァムの母セファーナに贈った品じゃ。この子の瞳の色と同じ赤色の宝玉……紅玉髄(カーネリアン)が填まっておる。

 セファーナが亡くなった後、エルドアンはガルナの塔にそれを隠した。両親の形見に触れれば、自らの素性(ルーツ)を見出だせる筈」

 「わかりました」

 

 頷くタイガに、ナディルは目を伏せた。

 

 「……しかし。あのルイーダがマァムの養母となっておったとはな」

 「ナディル大神官はマダムの事をご存知で?」

 

 懐かしげに目を細め、真白い顎の髭を撫でるナディルに、タイガは頭を傾げた。

 

 「うむ。ルイーダは若き頃知識を求め、このダーマにやって来た。十年間寝食すら忘れ、古代図書館の本を読み漁り、膨大な知識を小さな頭に詰めに詰め込んでアリアハンに帰りおったわ。

 あれは稀代(きだい)の魔女よ。高い魔力と知性を備えとったが、驚異とする点はそこではない。古代より伝わる魔法陣や結界術を解明解析する理解力、更には新たな陣を編み出す発想力は大神官であり、賢者である儂をも凌駕(りょうが)する程じゃ」

 「な……っ、」

 「アリアハン大陸に住まう魔物が他大陸に比べ脆弱(ぜいじゃく)なのは、あやつが彼の地の王城に眠る古代の巨大結界魔法陣を復活させたからに他ならない」

 

 つまり。あの女店主は魔王の力から大陸一つを守った。いや、今も護り続けているという事か。

 明かされた酒場の女店主の過去とその力に、タイガは頬を引くつかせる。

 ルイーダが元は王宮魔術士だとい事は聞いてはいたし、底知れなさは肌身で感じてはいたが。

 

 「《神剣》に選ばれし者タイガよ。お主が勇者アステル、そして守護者であるマァムと出会い、共にあったのは運命られたものだったのかものう」

 

 稀代の魔女と同じ事を言う大神官にタイガは苦々しく笑う。

 

 「俺はそんな大層な存在ではありませんよ。

 

 ………それに。俺にはもう草薙(くさなぎ)を扱う資格はない」

 

 

 眼帯に触れてタイガは(ひと)()ちた。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 「朝起きたら、ウチ一人しかおらんしっ!ほんまにびっくりしたんやで!!」

 

 翌日。朝一番、シェリルの怒声がマリナンの神殿に響き渡った。

 

 「ご、ごめんね、シェリル……」

 

 マリナンの神殿の居住区、あの美しい湖底が一望できる空間に皆揃っていた。

 謝罪しながら、アステルは大理石のテーブル席に腰掛けたシェリルの前に朝食を並べる。

 焼き立てのパンとハムエッグ、簡単スープ、アステルが急拵えで用意した朝食だ。ナンナとスレイも席について黙々とフォーク、ナイフを動かしている。

 

 昨夜一人でこの神殿を訪れたアステルは、帰りの際スレイと『送る』『平気』の押し問答となった。 

 身体を癒す為にこの神殿にいるというのに、アステルを宿屋まで送ると言って聞かなかったのだ。『逆の立場ならお前は気にせずぐっすり休めるのか?』というのがスレイの意見。

 結局は居住区の階段からぴょこりと頭だけ出したナンナの『あーうるさい! もうあんたもここに泊まっていきなっ!』の、鶴の一言で収拾がついたのだが。

 

 置き手紙は書いておいたが、宿屋に一人きりの状態で目覚めた時、置いてかれたとシェリルは大層慌てたらしい。

 

 「……だって。まさかタイガとマァムまで出掛けてたなんて思わなかったから……」

 

 と、アステルはテーブルに並び切れなかった朝食をマットを広げた床に並べ、それを物凄いスピードで平らげるタイガとマァムを見下ろす。

 口一杯頬張っていたパンを飲み下すとタイガは目を釣り上げるシェリルに苦笑う。

 

 「いやぁ。あの後ナディル様に一杯誘われてだな」

 

 そしてタイガはダーマの神殿で夜を明かしたという。

 

 「ウチもそれ呼んで欲しかったっ!!」

 

 バンッ! と、テーブルを叩くシェリルにタイガは悪い悪いと謝る。

 

 「マァムもタイガに付いて行ったのね?」

 「んふ? んぐんぐ……よくわかんなぁい!」

 

 普段なら神殿なんてつまらないと言い出しそうなものなのに。

 そう思いながらアステルが尋ねるも、マァムは首をこてんと傾げ、再びパンに齧りついた。

 

 

 

 

 朝食を済まし、出発準備を整え終えた一行はマリナン神像の座する間に集まった。

 

 「持っていきな」

 

 そう言ってナンナがぞんざいに放り投げた物を、スレイは危なげなく受け取る。

 

 「これは……」

 

 〈魔法の聖水〉を原材料とし、エルフ族のみがその製法を知るという、理力を回復させる貴重な品〈祈りの指輪〉。

 

 「前にエルフがここの水を汲み取る代わりに置いてったやつだ」

 「なんやてっ!?」

 

 その言葉にシェリルが食い付く。

 

 「どうやって!? どうやってこの魔法の聖水持ち出したんやっ!」

 

 そう。ここの清水はどういう理由(わけ)か汲み取る事が出来ないのだ。手で掬い取れば直ぐ様蒸発する。器や瓶、袋などを使ってもそれは同様だった。

 

 「知らんよ」

 「ああーーっ! 目の前にお宝があんのに、指咥えて見てる事しか出来んなんて………っ!」

 

 さらさらと神殿内を流れる清水を恨めしげに見詰めるシェリルに、ナンナは白け顔を浮かべ、改めてスレイを見上げた。

 

「……とにかく。体に異変を感じたらさっさとそいつを使いな。仲間の足手まといになりたくないならね」

 「……助かる」

 

 そっぽを向きながらも、短く礼を告げるスレイをアステルが微笑ましく見上げてると、

 

 「笑うな」

 「ひゃ!?」

 

 頭を乱暴に下へと押さえつけられた。

 

 「あと……タイガ。ちょっとしゃがみな」

 「ん? ……てっ!?」

 

 素直に言う通りにしたタイガの頭をナンナは持っている杖で突然叩いた。

 

 「な、なにを……」

 「ちょっとした〈有難(ありがた)いまじない〉さ。

 タイガ、ガルナの塔を思い浮かべながら森を歩きな。お前達はタイガから絶対に離れるんじゃないよ」

 

 頭を擦るタイガと、首を捻る面々にナンナは含みのある笑みを浮かべて、旅立つ一行を見送った。

 

 タイガを先頭に、朝露に濡れ濃い霧に包まれた幻想的な森を歩く。

 タイガ曰く。ダーマの神殿からガルナの塔までは山を三つ程越え、最後に岩壁登攀 (いわのぼり)した先にあるらしい。

 

 「まあ、ひと月はかからんと思うが、それなりに過酷である事は覚悟しておいてくれ」

 「……迂回路とかあらへんのか?」

 「残念ながらないなぁ」

 

 げんなりとするシェリルに、溜め息を漏らすスレイ。霧が薄れ、奥から光が見える。森が切れる、と。

 

 「───わっ!?」

 

 突然の強く冷たい横風に一行は襲われた。

 バサバサッ! と、外套が大きく煽られ、油断しきっていたアステルは飛ばされそうになる。それをスレイがすかさず捕まえて抱き寄せた。

 

 「あ、ありがとう……?」

 

 気恥ずかしさにアステルは慌てて離れようと両手で突っぱねるも、肩を抱く力は弱まらない。訝しげに彼を見上げると、スレイの見開いた瞳は前方に釘付けとなっていた。

 

 アステルもその視線の先を追うと。

 

 「え」

 

 目前には天を貫く程の巨塔が聳え立っていた。

 

 「……あの、タイガ? もしかしてこの塔が?」

 「…………」

 

 アステルが尋ねるも、タイガは口の端を引き攣らせたまま固まっている。

 

 「ねえねえ~~! 森がぁなくなってるよおぉ~~!」

 

 マァムの言葉に皆一斉に背後を振り返ると、そこにあるのは広大な山岳風景。今立っているその場は、それらを見渡せる断崖絶壁といった所だった。「ひえっ!」と短い悲鳴を上げて、シェリルは慌てて崖っぷちから離れる。

 

 「……なるほど。確かにこれは〈有難いまじない〉、だな」

 

 タイガは乾いた声で笑った。

 

 どうやら命名神の御加護によって、約ひと月はかかるという険しき道程のなにもかもをすっ飛ばし、小一時間で目的地へと辿り着けてしまったようだ。

 

 

 







この物語での賢者は神に愛された血筋より生まれる者とされています。ですので例え魔法使い系と僧侶系の魔法が使えたとしても賢者とは呼べません。アステルはこちらに当てはまります。
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