長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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神の塔《琥珀の涙》

 

 

 

 アステルを拒む柔らかな壁となった美しい光の幕。

 スレイがあんな柔らかな表情で、アステルに頼み事をするのは初めてで。

 ………嬉しくて。

 だからこそ。アステルは願った。

 

 (……私も一緒に通らせて……!)

 

 と、何処かで誰かがくすっと笑う声が聞こえた。

 それは嘲るようなものではない。

 例えるなら。

 母親が我が子の仕出かしを『しょうがないわね』と、赦し包み込むような声。

 アステルは思わず閉じていた目蓋を上げた。

 

 「あ………」

 

 そこは真っ白な空間だった。

 文字通りの白の世界。床も天井も存在しない。自分が立ってるのか、浮いてるのかすらわからない。立っているという事を意識してなければ、途端に底のわからない白の世界に落とされるような。

 落ちて、墜ちて、何処までも落下して。

 そのうち、本来在るべき世界さえ見失い、己の存在自体がこの白い世界に染まり、溶け合い、無へと還されるような。

 そんな感覚に襲われた。

 不安に駆られ、繋いでいた手に思わず力が籠ると、同じ様に握り返された。

 アステルが顔を上げると、隣にはスレイがいた。スレイも今立つこの場所に驚いたのだろう、その瞳は見開かれていた。が、アステルと視線が合うと落ち着きを取り戻すように、目元が緩まった。

 

 その時。

 

 白の世界に異変が起こる。

 何処からともなく現れた虹色の光が、彼女達の元……いや、スレイの前へと降りてくる。

 

 「スレイ……」

 

 呼び掛けるアステルにスレイは頷くと、その虹色の光に手を伸ばした。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 ───吹雪の森の中を一人の娘が歩いていた。

 

 薄汚れた外套を羽織る娘のその下の衣服は、今の環境にそぐわない柔らかく透き通るような薄絹のドレス。いや、あれは寝間着かもしれない。

 震えるか細い腕で必死に抱えるのは、一振の細身の剣。黄金の拳護鍔(フィストガード)柄頭(ポメル)には紅の飾り房が揺れている。炎を象った模様が施された真紅の鞘に収まった宝剣。

 一際強い風に頭巾(フード)を剥がされ、現れた長い絹糸のような銀髪がさらさらと靡く。

 

 雪道を歩く裸足は、凍傷で青黒く傷付き、冷たさを通り越してもはや感覚がなくなっていた。

 それでも娘は歩いていた。

 溢れる涙が頬で凍てつき、元より白かったであろう肌は、更に青白い。

 妖精のように可憐な美貌は殴られたのであろう、片頬は腫れ、口の端には切れて滲んだ血がこびり付いている。

 そんな貌が乗せる表情は、怒りか、悲しみか、それとも屈辱か。

 

 殺して。助けて。殺して。助けて。殺して。助けて……。

 

 正反対の願いに葛藤し、呼吸をする事さえ苦痛だった。

 娘は遂に、積った雪に埋もれるようにして倒れた。

 

 疼く下腹部を娘は雪に押さえる。

 服が濡れ、身体が更に凍えるのも気にせず、押し付ける。

 そこに灯った小さな火を消すつもりで。

 しかし。気が付くと、生命よりも大切な宝剣を手放し、唾棄したい程の存在が息づく下腹部を両手で覆って護っていた。

 娘は自分自身に対して絶望し、打ち拉がれ、咽び泣いた。

 

 ───と。前方から誰かがやって来る。

 

 娘の脳裏にあの悪魔の姿が浮かぶ。

 娘の故郷を滅ぼした元凶。

 

 何食わぬ顔をして、父に近付き、信用を得て。

 そして裏切り、甚振り、殺し、全てを焼き払い、そして───。

 

 前方からやって来る者も倒れる娘に気付き、歩を早めて此方に近付く。

 

 娘にはもう、指一本動かす気力は残っていなかった。

 

 

 

 気が付くと娘は暖かな暖炉の傍で、毛布や外套、そこらにある布という布をかき集め、くるまれた状態で抱え込まれていた。

 

 娘は自分を抱えたまま、うつらうつらする男の顔を見た。

 暖炉の炎に照らされた柔らかな茶色の髪、固く生真面目そうな顔立ちの男だった。

 娘ははっとして腕の中を確かめる。そこには生命よりも大切な剣がちゃんとあった。恐らく男は娘の意思を汲んでそのままにしてくれたのだろう。

 と、男が気付き、寝惚け眼のまま娘を覗き込んだ。

 優しい若草色の瞳は、暖かな春の大地を思い出させる色だった。

 

 途端、ほろほろと娘の瞳から安堵の涙が溢れた。

 

 男は驚き、眠気は完全に吹き飛ぶ。慌てるも今だ凍える娘を離す訳にいかず、背中を優しく叩いて宥めた。

 

 

 男は行く宛のない娘を、自分の屋敷へと連れて帰った。

 男の故郷では、彼は名の知れた騎士だった。

 魔物討伐任務の帰り、男は行き倒れた彼女を見つけたという。

 庶民の暮らしを知らぬ、訳ありの娘を、男は見捨てず、甲斐甲斐しく助け導いた。

 此方の事情に敢えて踏み込まぬ、男の包み込むような大きな優しさに触れるうち、娘は男に淡い恋心を抱く事となる。

 男も儚げな見た目にも関わらず、強気で芯の強い娘に。警戒心を露にしていたのが、徐々に和らぎ、そして花開くような笑顔を向けてくれた瞬間、恋に落ちた。

 

 されど。

 

 娘は早々にその恋を諦めた。

 

 娘は身籠っていたのだ。

 

 望まぬ子。望んでは、決して愛してはならぬ子を。

 

 堕す事も自害する事さえ赦されない。そういう呪いをかけられた。

 

 己は穢れている。彼には相応しくないと。諦めていた。

 

 けれど。

 

 男は優しいだけでなく、諦めの悪い男だった。

 誰との子かは知らない。

 だが、彼女が赦してくれるならば。

 腹の子の父親になる覚悟が、彼女と共に腹の子を愛する覚悟が男にはあった。

 娘が断る為どんなに訳を連ねようが、果ては心を鬼にして男を罵ろうが、男は諦めなかった。

 

 そんなある日。

 

 腹の子が成長するにつれ、娘の体が衰え弱っていくのに男は気付いた。娘を心配する男に止めとばかりに、娘は真実を打ち明けた。

 

 これを語れば流石に男も諦めるだろうと。

 

 『この子は悪魔に孕まされた子だ』

 

 腹の子は娘の魔力と生気を吸い尽くして誕生する。子は世界の脅威と成る為に誕生する。子は魔王の《器》と成る為、そう運命られているのだ。と。

 

 涙ながらに語る娘は、どこか狂気じみていた。正常のままで語る事など、とても出来なかったのだろう。

 

 『どうせ自分は死ぬ。だから今のうちに、この子諸とも殺してくれ』

 

 と、逃げ出す際に取り戻した家宝の神剣を差し出し、男に乞うた。

 

 神の剣ならば、呪われたこの身を貫く事も可能な筈。元々そのつもりで逃げ出したのだから。  

 

 誰かにこの生命を断って貰う為に。

 

 ───それでも。

 

 男の意思は変わらなかった。それどころか涙して彼女とその腹の子ごと抱き締めた。

 

 『世界がどんなに望まぬとも、俺は君と君の子を愛する』───と。

 

 娘は泣いた。

 

 声が枯れんばかりに、泣き叫んだ。

 娘は嬉しかった。

 厄災を孕んだ己と、厄災そのものである哀れなこの子を。

 それでも男は愛してると言った事。

 愛してくれた存在があった事に。

 

 根負けした娘は、男の求婚を受け入れた。妻として、夫として、夫婦として。家族として。ささやかな幸せを尊びながら、日々を過ごし、娘は産み月を迎えた。

 

 娘は痩せ衰え、出産に耐えられるとは到底思えない状態だった。

 涙する夫の手を弱々しく握り返し、娘は虚ろな瞳で願い乞うた。

 

 『───神よ。母なる大地の神よ』

 

 琥珀の瞳に涙が浮かぶ。

 

 『我が生命と引き換えに。どうかこの願いを聞き届け給え』

 

 涙が頬を伝い、すぅっと流れ落ちる。

 

 『お腹の子を、この人と、私の子を。どうか───』

 

 娘の目蓋が閉じたと同時に産声が響き渡った。

 

 しかし。

 

 娘の守護神である大地の神ガイアはこれに応えなかった。

 大地神(ガイア)信仰の聖国グランディーノ。その民の愛姫(まなひめ)の頼みといえど、応える事が出来なかった。

 太陽神(ラー)の双子神である大地神(ガイア)は、闇に触れる事は出来ない。

 

 それこそが悪魔の魂胆。

 

 他の神……特にこの大地神を警戒し、赤子に手出し出来ぬように。

 赤子はいずれここに訪れるであろう悪魔の手によって、《器》として彼の者達の王へと献上されるであろう。

 

 だが。

 

 光でありながら、闇に最も近き神族がこの世には在った。穢れなき哀れな娘の切なる願いはこの神に届いた。

 

 神は出産の場に降臨した。

 

 生まれたばかりの子を抱き、息絶えた妻を抱き締め涙する男に、神は涙した。

 

 『暫しの時、妾がこの子の闇の力の半分を引き受けよう』

 

 元気な産声を上げる赤子の額に神が手を当てると、赤子を覆う闇がその手に吸い込まれた。

 

 『子は時が来るまで妾が隠し護ろう。……安心して眠るがよい』

 

 その白く清らかな御手で、娘の涙の痕に触れ、痩けた頬を労るように優しく撫でた。

 

 

* * * * * *

 

 

 アステルの瞳から涙が頬を伝い落ちた。

 

 それを合図に元居た真白き世界へと意識が還る。

 

 「今のは……」

 

 ……一人の、いや、二人の。過去の追体験から解放されたアステルは改めて戸惑う。

 

 (あの二人は……、それにあの女性(ひと)は。あまりにも……似すぎてる)

 

 

 スレイが手にしていた七色の光は一冊の本へと変じていた。本を握る手は小刻みに震えている。

 アステルはゆっくりとスレイを見上げた。

 

 スレイに表情はなかった。

 

 しかし。

 

 琥珀の瞳から、止めどなく涙が溢れていた。

 

 それを目にした瞬間、弾かれたようにアステルはスレイに抱き付いた。

 首に手を回し、その肩口に頬を擦りつけ、強く、強く、しがみつく。

 

 本が彼の手から離れ、宙を漂う。

 

 何故、アステルにもあの情景が見えたか、わからない。わからないが。

 

 彼がどう思ってるか知れないし、自分に知られたくなかったかもしれないが。

 

 それでも。と、アステルは思った。

 

 スレイが一人でさっきの情景を見なくてよかった。と。

 

 

 ───心から、そう思った。

 

 

 

 








《グランディーノ》とはバラモスによって滅ぼされたゲームには出てこないオリジナル設定の国です。
この国の跡地にバラモスは居城を構え、この大陸は《ネクロゴンド》と呼ばれるようになりました。(序章参照)
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