長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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神の塔《悟り》

 

 

 

 一体、どれくらいの時間そうしていただろう。

 

 

 白い空間の中で、気が付けば二人の体は浮いていた。

 二人の周りを《悟りの書》は、仄かな虹色の光を溢して漂う。

 手が頭に乗る感触に、アステルは体を少しだけ離して目を上げる。ぼんやりと遠くを見詰めたまま、スレイは彼女の髪を梳いていた。

 

 「………知ってはいたんだ」

 「え?」

 「オレが魔王の《器》だって話」

 

 半信半疑だったけどなぁ。と、疲れたように笑うスレイ。

 

 「《器》ってのが、どんな意味か正直わからない。オレに初めてそれを教えた奴はさも愉快そうに教えなかった。ナディル(ジジイ)ナンナ(ババア)に尋ねた事もあったけど、今のオレには教えられないって言われた。まあ、それで(ろく)な事じゃないってのは、わかったよ」

 

 信じたくなかった。あんなもの知りたくもなかった。

 

 「お袋がオレを生んだ時に死んだのは、親父から聞いていた。産後の肥立ちが悪かった、って……けど」

 

 と、今にも泣き出しそうな歪んだ笑みを浮かべた。

 

 「お袋はオレに殺されたんだな」

 

 痛々しいその表情に、アステルの瞳にまた涙が盛り上がる。

 

 「親父は実の子でないオレを守り育ててくれたんだな」

 

 「スレイ……それは、知ってたの?」

 

 ゆっくりと。首を横に振るスレイに、アステルは息を飲んだ。

 

 これもそれも《悟りの書》を得る為の試練だというのか。

 

 (こんなの……こんな知り方、あんまりだ……っ!)

 

 

 ぼんやりとしか思い出せなかった父親。

 ……いや。思い出す事を拒絶していた。でないと《あの時》の事が否応なしに思い出されて。

 あまりに……辛すぎて。

 正義感に溢れてて、困った人を見過ごせない、そんな男だった。国の誰からも知られ、慕われ、頼られ、尊敬された騎士だった。

 だが、スレイにとっては。

 ただ真面目で融通のきかない、上手く立ち回れない不器用な父親だった。やれ任務だ、やれ遠征だと日々駆け回りがちな父。子供の頃はなかなか構って貰えず、寂しくて「父さんなんて嫌いだ」と拗ねて叫んで困らせた事もあった。

 広い背中。抱き上げ、頭を撫でる暖かい大きな手。驚く顔。照れ笑う顔。叱る時の顔。此方の視線に気付いて固かった表情が緩んだ瞬間。今でははっきりと思い出される。

 

 「けど、父さんも……、オレのせいで」

 

 ぽつりと漏らしたその言葉にアステルは瞳を見開く。スレイはアステルから手を離し、両手で己の顔を覆った。

 

 「オレなんかが生まれたせいで……っ」

 

 「違うッ!!」

 

 一際大きくアステルの否定の声が白い空間に響き渡った。スレイの手を退()かし、涙に濡れたその頬に両手を伸ばして包み込む。彼女の青い瞳の中には情けない程歪んだ己の顔が映っていた。

 

 

 ───それだけは違う。違うのだ。

 

 アステルは確信してる。

 彼の母親は最後の最後で、お腹の子を悪魔の子ではなく、愛する人との子だと言っていた。

 彼女は悪魔に課せられた残酷な運命に殉ずるのではなく、ただの母親として産みの戦いを乗り越え、母親として我が子の幸せを祈り、逝ったのだ。

 

 「スレイのお母さんはスレイを愛してた。

 スレイはお父さんとお母さんの子だって、あの時、お母さんが言ってたでしょう? ……お父さんも」

 

 びくりと、スレイの体が大きく強ばったのに、アステルはまた確信する。

 

 理由はわからないが、彼の父親もまた、無事ではないのだろう。

 

 まさかそれさえも彼の出生と関わるものだとしたら。もしそうだとしたら。

 涙が溢れそうになるのをアステルは必死で堪える。泣き出したら言葉が出なくなる。

 

 「お父さんだって、スレイを自分の子だって、愛してるって、抱き締めてくれたでしょう? 今のスレイを見たらわかるよ? あの後もお父さんはスレイをちゃんと愛して育ててくれたのでしょう?」

 

 アステルは呆けるスレイの頬の涙を優しく拭う。

 

 「だから。スレイがそんな事言ったら駄目だよ。お母さんとお父さんが抗った運命なのに、スレイがそれを受け入れたら駄目だよ」

 

 その昔アステルが幼かった頃。怖い夢を見て夜中に泣いて目覚めた時、母がそうしてくれたように。

 アステルはスレイの額にそっと唇を寄せた。驚き見開かれた琥珀の瞳を覗き込み、微笑んだ。

 

 「オレなんかが、なんて言わないで。

 私はスレイと出逢えて良かったよ?

 スレイを命懸けで生んだお母さんに、育んでくれたお父さんに感謝したい」

 

 「~~~~っ!!」

 

 スレイは声にならない声を上げ、アステルの腕を引き、掻き抱いた。アステルはそんな彼を宥めるように、震える背中を優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『人生とは悟りと救いを求める巡礼の旅。───悟りとは。己を顧みて知る事により、開かれる』

 

 声にアステルとスレイは顔を上げると、二人の周りを漂っていた《悟りの書》が静かに語り出した。それは気品と慈しみに溢れた声。

 

 そしてこの声に二人は聞き覚えがあった。

 

 「赤ちゃんのスレイを……守ってくれた神様?」

 

 アステルの呟きに、光は優しく応える。

 

 『───妾は光でありながら、闇に最も近き存在。スレイ。そなたの母の祈りに応えし存在』

 

 本が発する光がドレスを纏った背の高い女人の姿を象る。《悟りの書》を媒体とし、女神が此方に語りかけてくるのが二人には解った。

 

 その光景は正に───天啓。

 

 あまりにも神々しく、恐れ多くて。

 本能で膝を着きそうになる二人を、光がそっと支え立たせてくれるのが、わかった。

 

 『この《悟りの書》には、妾が見たこの世の全てが記されている。そなたが望むもの、望まぬもの、知りたい事、知りたくない事───全てが』

 

 《悟りの書》がすぅっとスレイの前へと移動して止まる。

 

 『それらを手にした時、理解した時。そなたは先のように、苦悩し、己が《闇》に染まりきり、《深淵》へと誘われるやもしれない。

 だがそなたは《星》をみつけた。そなたの《闇》と唯一寄り添える、強く光り輝く《星》を』

 

 ぼんやりとした輪郭がアステルの方を見て、ふわりと優しく微笑んだ気がした。

 

 『   』

 

 女神が甘やかに誰かを呼んだ気がした。聞こえた筈なのに、アステルにはそれが言葉として聞き取れなかった。

 しかし。スレイにはちゃんと聞こえたのか、己の名を呼ばれたように肩を跳ね上がらせた。

 

 『悪しき者の思惑により産み出された、深淵の主の《器》となる為の存在。

 されど。そなたの父母が、そなたにその名を与えた瞬間。そして、ありのままのそなたを望む者が現れた瞬間。

 彼の者達の用意した道筋より、そなたは着実に外れているのだ』

 

 《悟りの書》が発する光が強まった。

 

 神の姿が光に掻き消え、虹色の光は更に増し、周りの白と同化する。その余りの眩しさにアステルとスレイは光を手で遮るように目元に当て、目蓋を閉じた。

 

 『それを決して忘れるでないぞ』

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 次に目蓋を上げたら、二人は破壊され荒らされた部屋にいた。目の前の御影石の床が抜け落ち、大穴がぽっかりと空いているがらんとした部屋。ガルナの塔二階の大部屋。

 

 「戻ってきた、の?」

 

 アステルは辺りを見回す。光の幕はそこにはなく、大部屋は薄暗く静寂に包まれていた。

 夢のような時間だった。いや、あの場所は時間が流れていたのかすらも微妙だった。

 

 「スレイ、悟りの書が!」

 

 アステルは彼の手に何も無い事に気付き声を上げたが、スレイは落ち着いた様子で首を横に振った。

 

 「ちゃんと有る。……ここに」

 

 そう言って、彼は自分の胸に手を当てた。その言葉に一瞬呆けるも、アステルはまたハッとして声を上げた。

 

 「スレイ、だったら呪いを……っ!」

 「それももう問題ない」

 

 「えっ」と、目を丸くして間の抜けた声を出したアステルに、スレイは苦笑する。

 

 「オレも呆気なさすぎて吃驚してる。《悟りの書》が中に入った途端、ジジイが言ってた呪文の出来損ないみたいなのを無意識にかけてた」

 

 例えるなら。思わぬ怪我をして、咄嗟にその部分に手を当てるような感覚で。

 

 誰に教わる事もなく、呪文を解析し、用途を変化させ、行使した。まさしく己れを守護するあの女神の媒体であり、智識の源泉でもある《悟りの書》は、スレイの内に宿り、彼にその力と智識を与えているのだ。

 

 勿論。

 

 彼が知りたくはない、望まぬ《真実》と、それに結び付く……彼の者の《思惑》も教えてくれた。

 

 眉を寄せるスレイだったが、突然頽れるように床に膝を着いたアステルに慌て、彼女の前にしゃがみ込み、その表情を窺う。

 

 「アステ「よ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛~~っ!」

 

 心底ほっとしたように、アステルは泣き出した。

 つい先程まで見た事もない程大人びた女性だったのに、今の彼女はいつもの『自分が守らなければ』と思わせる少女だった。

 

 「まったく……お前は」

 

 苦笑し、顔を伏せて泣きじゃくる頭に手を置き、スレイはそのまま自分の胸へと引き寄せた。

 

 「………ありがとう、アステル」

 

 

 服を掴む小さな手に力が籠るのを、スレイはこの上なく、愛おしいと思った。

 

 

 

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