長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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その名前

 

 

 ───ダーマの神殿の朝は早い。

 まだ日も昇らぬうちに神官、僧侶達は目覚め、冷たい清水で心身を清め、神に祈りを捧げる。それが終わると手分けして神殿内の清掃と朝餉の仕度に取り掛かる。

 けして大きな物音をたてる訳ではないが、人々の動きだす気配にアステル達は自然と目を覚ました。

 軽く寝具を整え、顔を洗い、髪を整え、着替えを終えて。与えられた部屋から出ると、隣室を使っていたスレイとタイガは既に準備を終えて彼女達を待っていた。アステルはスレイの姿に目をぱちくりとさせる。

 

 「あれ? 昨日の服装じゃなくてもいいの?」

 「……あれだけ笑っといてよく言うな」

 

 恨みがましく声低く言うスレイに、アステルは頬を掻いて誤魔化すように笑う。今のスレイは昨日散々揶揄われた浅葱色の賢者の正装姿ではなく、かといっていつもの黒装束姿でもなかった。

 黒の上下に胸の部分のみの愛用の革の鎧、その上に品の良い紺色の光沢を帯びた黒の外套(コート)を羽織っていた。

賢者というより魔法使い寄りな感じだが、昨日の服よりかこっちの方が彼が纏うのに違和感はない。

 しかしパッと見、色合いのせいか生地は重そうだ。袖や裾の広がりがなくスッキリとした以前の黒装束の方が動き易そうに思えるが。

 「おっ!」と、突然シェリルが彼のコートの裾を摘まんでその生地を興味津々で眺める。

 

 「黒染めされとるし、デザインもだいぶちゃうけど……この生地は間違いない。《みかわしの服》やっ!」

 「正解」

 

 どや顔のシェリルに、感情の込もってない声でスレイは答えた。

 

 「みかわしの服ぅ~?」

 

 『みかわし』を表現しているのか、仮想の敵の攻撃を躱すように手足腰をキレ良く動かすマァムにシェリルが頷く。

 

 「この生地の糸はノアニールの村付近にのみ繁殖する特殊な綿花なんや。紡いで編み上げんのにこれまたノアニールに代々伝わる秘伝の技法と魔法が必要らしい。せやから他所でこの生地を購入出来へん。

 この生地で出来た服は空気みたいに軽くて動き易いから、敵の攻撃をひらりひらり躱せるようになるらしいわ。だから名前がみかわしの服。こんな靭やかやけど鉄の鎧並みの強度が備わっとるんやで」

 「へえ~~!」

 「けどウチが見た既製のみかわしの服はフード付きのローブで鮮やかな黄緑色やったな。これ、珍しいんちゃうか?」

 「スレイばっかり新しいの貰えてるぅ!ズルいぃ~~っ!」

 「なぁ~~?」

 「朝っぱらから騒々しいな」

 

 膨れっ面で彼を指差し抗議するマァムと面白げに便乗するシェリルに、スレイはこめかみを引くつかせる。

 

 「ナディル殿が手配してたらしい」と、タイガ。

 

 「部屋を別れてから届いたんだ。魔法を扱う者はそれに相応しい服が必要だからって言伝てと一緒にな」

 「! うん。そうだね」

 

 その言葉にハッとしてアステルは大きく頷いた。

 初心者は攻撃呪文の発動時、制御仕切れず効果の余波を受け、己の身体を傷付ける事がある。それを防ぐのが魔法がかった衣服や装飾品だったりする。

 

 「特にスレイの魔力は大きいから、慣れないうちは装備品に助けてもらった方が安全だよ。……ナディル様は本当にスレイの事が大切なんだね」

 

 微笑ましく思いながらアステルはスレイの新しい衣装姿を眺めていたが、何故か頭を押さえ付けられ下を向かせられてしまった。

 

 「……神殿に奉納された品らしいが、宝物庫の中で腐らすのも勿体無いとも言っていた。それらしい生地は色違いでまだあったから、お前達も欲しいんなら言えばいい」

 

 よしみで仕立ててくれるはずだぞという言葉に、シェリルとマァムは目を輝かせ互いの掌を合わせて叩きあう。

 

 「しかしノアニールか……。訪れたのがもうだいぶ昔の事に感じるなぁ」

 「でも実際にはまだ一年も経ってないんだよね。西大陸とアリアハンとじゃ季節も反対だし、場所で気候も凄く変わるから」

 

 腕を組んでしみじみ呟くタイガに、よたつきながら顔を上げたアステルも苦笑する。

 

 窓から覗く空は薄紫色から朝日で淡い金色に変化していた。

 

 

* * * * * * 

 

 

 ダーマの神殿敷地内にある大図書館は本殿と同じ御影石造りの外観と城といっても過言ではない規模だった。

 エントランスである中央部は小さなソファーや机が点在する憩いの場となっており、各々の階へと繋がる階段が延びている。吹き抜けの高い天井には丸い大きな硝子が嵌め込まれ、明かりが入るものの、照らされるのはこの中央部のみ。

 中央から見て左右に広がる、背の高い本棚が整然と立ち並ぶ空間に、本の大敵である日の光が届く事はない。窓はなく密閉空間ではあるものの、魔法で一定の湿度温度が保たれているので暑くも息苦しくもなく、なにより貴重な蔵書が傷まぬよう守られていた。

 

 三階は個人から大人数同時に使用出来る大小の閲覧室が設けられ、その一つにアステル達はいた。後からやって来た命名神の巫女姫ナンナとも合流している。

 目的は調べものでも本を読む為でもない。ここで大神官ナディルと待ち合わせているのだ。しかしそれまではと、各々興味のある本棚へと足を運んで何冊か持ち戻りここにいる。マァムはというと本に興味なく、頭の上に分厚い本を三冊乗せて滑るようなムーンウォークをして閲覧室内をひたすら周回していた。

 

 「こらマァム! ここの本で遊んだらあかんっ! 破いたり汚したりしたら、弁償どころの話じゃ済まんのやからなっ!」

 「そりゃ私が持って来たやつだから、別に気にする事ないよ」

 

 読書を中断して叱るシェリルに、ナンナが声をかける。

 

 「婆様が?」

 「滅多に来ない図書館に来たんだ。マリナン神の使者として、本の寄贈でもしようかと思ってね」

 

 「ふ~ん」と、シェリルは再びマァムの頭の上のやたら外装が凝っている本に視線をやる。神の使者が持ち込んだ本となるとその価値は、内容はどんなものか。

 興味が沸いたシェリルはマァムの頭の一番上の本に手を伸ばす……と。

 

 「ああ。そいつは読むと人格が変わる魔法の本だから、変わりたくなけりゃ無闇に開かん方が良いよ」

 「ひっ!」

 

 シェリルは伸ばした手を慌てて引っ込めた。

 

 「確か題名は『淑女への道』だったか。家出した娘が名前と生き方を変える為に神殿にやって来た際、置いていったのさ。魔法の本をそこらに放っておけないから、なんとかしてくれってね」

 「……で、どんな性格に?」

 

 読んでいた本を下ろしてタイガが尋ねる。

 

 「たしか貞淑な性格になれるとか言ってたね」

 「ていしゅく……」

 

 シェリルには縁遠い言葉である。

 

 「家出娘はエジンベアからやって来たお金持ちのお嬢様だったが、性格はお転婆娘そのものでね。ドレスや宝石より、武術の修行や力試しが好きな娘だった。

 ある日、三十も歳の離れた男に見初められ、無理矢理嫁がされそうになった時に、その本を父親に贈られたそうだ。

 危うく読むところだったって、そりゃ怒り狂ってたね。

 けど今では吹っ切れて、武闘家として元気に強い奴求めて旅しとるよ」

 「なんかぁ、その子シェリルと似てるねぇ~~?」

 

 遠い目をして語るナンナにマァムは笑う。タイガは複雑そうに口の端を引き攣らせ、シェリルは震撼した。

 

 「……ウチ、これからは親父が贈る本、全部速攻で燃やすわ」

 

 

 

 

 「あ、あった。あれだ」

 羊皮紙の独特な匂い立ち込める本の森を歩き回り、やっと目的の本を見つけたアステルはそれに手を伸ばすも、僅かながら届かない。

 と、後ろから伸びた手が容易くそれを取り、アステルに手渡した。

 

 「スレイ?」

 「守護呪文全集? ……アストロンの事を調べたいのか?」

 

 天へと突くような塔の最上階から落ちてもびくともしなかった、身体を鋼鉄へと変化させた呪文。

 

 「うん。あとね、トヘロスって呪文の事も。なんとなくだけど、これも護りの呪文のような気がするの」

 「………習得者には呪文の効果もおおよそ察知出来るんだな」

 「へ?」

 「この本にアステルが求める答えは載ってない。いや、ここにある全ての本を探しても記載されていないだろうな」

 「ええ!?」

 

 思わず大きな声を上げてしまい、アステルは慌てて己の口を押さえる。

 

 「……そんな珍しい呪文なの?」

 「……扱える存在が数百年に一人現れるかどうかの奇跡の呪文だ。アステル以外に扱える奴は恐らく、この世に存在しないだろう」

 「ええぇ……」

 

 声を潜めて尋ねると、スレイは声低く答える。一瞬その表情に翳りが差した気がして、アステルは首を傾げた。

 

 「……アストロンは《鋼鉄変化呪文》だ。あらゆる呪文や攻撃を数分間受け付けない地上最強の防御呪文だが、欠点は動けない事と自分の意思による呪文解除が不可能な事、呪文解除時に即座に体制を立て直せない事だ。

 呪文の効力が切れたタイミングで敵から速攻を受けたら対処出来ない。使い処を誤ると一気に窮地に立たされるぞ」

 

 そう言ってスレイはアステルの顔の前に手を翳す。つまりこのような至近距離で攻撃呪文や武器を突き付けられた状態で呪文の効力が切れてしまえば……即やられてしまうという事だ。

 アステルは息を飲み、それから神妙に頷く。それを確認してスレイは手を下ろした。

 

 「そしてトヘロス。これは《結界呪文》だ」

 「結界呪文?」

 「この呪文は術者を中心に結界を展開維持し悪しき存在を遠ざける呪文だ。要は聖水と同じだな」

 「聖水」

 「そして聖水と違う所は、その結界の威力がアステルの力に比例する事だ」

 「私の力……?」

 「強くなればなる程、威力は強大になり、魔物どころか魔族すら退ける力になるだろうな」

 

 (───魔王も。そして、神すらも……)

 

 考えがそこに至ったもののスレイは直ぐ様掻き消す。ここが薄暗くてよかった。少しくらいなら表情を隠せている筈だ。

 アステルもまた、何故か躇いが芽生える自分に対して動揺していた。

 魔王打倒を目指す上で力が手に入るなら、それは喜ぶべき事。強くなる事は当然の事で。………なのに。

 スレイの視線を感じてアステルは笑顔を繕い顔を上げた。

 

 「で、でも、この図書館の本にすら載ってない呪文がわかるなんて凄いね。スレイの中にある《悟りの書》が教えてくれるの?」

 

 「ああ」と、スレイは頷く。

 神の叡知を受け入れるとはどんな感じなのだろうか。改めてアステルは考える。

 あの時は彼の生命優先で、なりふり構っていられなかったが。出生の秘密と共に、計り知れない量の智識を突然詰め込まれた今、彼の負担はいかばかりか。

 本を握っていた手に力が籠る。

 

 「そんな情けない顔をするな」

 

 無意識に俯いていた頭に優しい手が置かれた。そして手にしていた本を取り上げられ、本棚へと戻される。

 

 「わからない呪文を覚えたら、オレに聞くといい。大体は答えられると思うぞ?」

 

 不敵なその表情はどこか子供っぽくて。アステルもそれに釣られる。

 

 「魔法に関しては私の方が先輩の筈なのに」

 「けど知識ではオレが上だ。すぐ追い越す」

 

 わざとむくれてみせると、スレイは挑発的な笑みを浮かべ、アステルの癖のある黒髪をわしゃわしゃと掻き撫でた。

 

 「ちょ、やめっ、サークレットが擦れるからっ……」

 

 周囲(まわり)を気にして小さな抗議の声を上げるも、彼女は楽しげで。スレイは彼女に触れる手を止められない。静かな戯れに苦笑しながら見上げたアステルの瑠璃の瞳と、柔らかに細められた琥珀の瞳が交差した。

 途端。心臓が大きく鳴り響き、熱が駆け巡り、身体が硬直する。

 けれどそれは嫌なものには感じられず、アステルはただスレイから目を離せずにいた。スレイもまた、薄暗い中でも、いや、暗闇の中でこそ輝く青い瞳に目を逸らせずにいた。乱暴に動かしていた手は彼女の乱してしまった髪を整えるように、優しい手つきへと変わる。

 それがとても気持ち良くて。アステルの目蓋は抗えずに閉じてしまう。

 

 「───ふぇ?」

 

 片頬を抓られた。

 

 「目を閉じるなって言っただろ」

 

 機嫌悪げにスレイはアステルの頬を更に引っ張って伸ばした。

 

 「いひゃいいひゃい! ごめんなひゃいっ!?」

 

 取り敢えず謝るとスレイは手をすんなりと離し、踵を返した。

 

 「そろそろジジイも来る頃だろ。戻るぞ」

 

 彼が突然不機嫌になった理由がわからず、アステルは呆然とする。

 と、先程の悲鳴を聞き付けたのか、背後の本棚から顔を出した司書がわざとらしく咳払いをした。

 

 「す、すみませんっ!」

 

 アステルは逃げるようにその場を駆け出す。小さな痛みと熱を帯びた頬を擦りながら彼を追った。

 

 

* * * * * * 

 

 

 「待たせたのう」

 

 お茶と菓子を乗せた盆を持った神官二人を伴いナディルが部屋を訪れた。神官達はテーブルにお茶と大きな藤かごに盛られた蒸し菓子を置くと、ナンナが持って来た本とシェリル達が読んでいた本を預かって退室する。

 

 「食べていい? 食べていい~?」

 

 甘いこし餡を薄皮で包んだまんじゅうと呼ばれる菓子は、昨夜のデザートにも出た品だ。そわそわわくわくとマァムがナディルに尋ねると、彼は笑顔で促した。

 

 「……さて。お主達の目的であったポルトガの勇者の呪いを解く方法じゃが。

 バラモスを倒す他にもう一つ手段がある」

 「ホンマかっ!?」

 

 思わず身を乗り出すシェリルに、ナディルは頷く。

 

 「太陽神の力を秘めた神鏡《ラーの鏡》を使うんじゃ」

 「ラーの鏡?」

 「イシスの国宝だな」

 

 どこかで聞いた事があるようなと、アステルが首を傾げると、隣を座るスレイが答えた。イシスの女王の叔父が怒りを露にして叫んだ失われた国の宝。

 

 「ラーの鏡は偽りを破り真実のみを映し出すと言われておる。その鏡で動物になっている状態の二人を映し出せば、真実の姿が映し出され、呪われた偽りの姿は破られる筈じゃ」

 

 ぱあっと表情が輝き出すシェリル。しかしスレイが待ったをかけた。

 

 「……無茶を言うなジジイ。ラーの鏡が失われたのは何百年前の話かわかってんだろ。その間に色んな奴らがイシスの宝を求めて捜索したが、未だに手掛かりすら掴めてない。

 そんな伝説上の代物を見つけ出すなんて、居場所のわかってる魔王を倒す事よりも困難だろうが」

 

 スレイの指摘に、アステルは上がりかかった肩を落とし、シェリルは落胆するように椅子に腰掛ける。

 

 「なにしょげくれとんだい」

 「だって……」

 

 ナンナが呆れるように言うと、シェリルは嘆息を漏らす。

 

 「ナンナの言う通りじゃ。手掛かりならちゃんと持っておるではないか」

 「……は?」

 

 組んでいた腕を解き、スレイはナディルを見た。

 

 「《悟りの書》を読み解く力がまだまだじゃ。お前達は太陽神の神器を既に二つ手元に持っておるだろうが」

 

 その言葉にスレイは口元に手を当て、集中するように目蓋を閉じ、そして開く。

 

 「……イシスの聖剣と鍵か」

 「ゾンビキラーと魔法の鍵が?」

 

 アステルは携えていた剣と腰ポーチに仕舞っていた銀色に輝く鍵を取り出し、テーブルに乗せた。ナディルが黄金杖を、ナンナも手にある杖を翳すと、机に置かれた剣と鍵は二つは各々の神器に応えるように白い光を発した。

 タイガの腰に吊るされた《剣》も、神器達の会合に参加したそうに淡く輝きだす。タイガはぎょっとしつつもそれを決して顔には出さず、素早くさりげなく《剣》を机の下に隠すようにする。

 タイガは恨めしげな視線を老人達に向けるも、ナンナはそっぽを向き、ナディルも素知らぬ顔で話を続けた。

 

 「イシスの国宝……太陽神ラーの遺産。その二つを携え、世界を回れば、この様に鏡ともいずれ巡り会えよう」

 「いずれ、なんか。結局はカルロス達にもう暫く耐えてもらうしかないんやな……」

 「勇者の称号を戴いた男とその男に選ばれた娘だ。待つ事ぐらい出来んでどうする」

 「それにそんな長い旅になるとは儂には思えんしの」

 

 悔し気に溢すシェリルに対し、ナンナは事も無げに言い、ナディルは長い顎髭を撫でホホッと笑う。

 

 「………それに鏡の件がなくとも、結局は世界を回る事になる。魔王の元へと辿り着く為の近道など、ない」

 「………〈ガイアの剣〉を見つける事ですか?」

 

 アステルはイシスの女王の話を思い出す。

 

 『神剣〈ガイアの剣〉は荒ぶる大地の神の怒りを鎮め、路を切り開く剣と。

 大地神の怒り……それは恐らくネクロゴンドへの上陸を阻み、今も噴火し続けているギアガ火山を指しているのだろうと……』

 

 

 「それもじゃがの。ネクロゴンドの火山の躍動を止めたその先にも大きな障害がある」

 

 ナディルは脇に置かれていた羊皮紙の束を皆に見えるように開く。それは古い世界地図だった。

 

 「これはバラモスが現れる以前の旧地図じゃ。この頃のギアガ山は今のように猛る火山ではなかった。そしてこの地を治めていたのはグランディーノ王国であった。

 バラモスの居城が元はグランディーノ王城だというのは知っておるかの?」

 

 アステルは頷く。

 

 「地図でもわかるようにグランディーノ王都は高山地帯にある。長い山道の洞窟を抜けると美しい都、そして湖に囲まれた王城があった」

 「あった……って。大神官様は行った事あるんか!?」

 「勿論じゃ。バラモスがこの世に現れたのは今から二十二年……いや、もう二十三年か。昔話という程昔ではない」

 「……あ、そやった」

 

 なんだか恥ずかしい事を言ってしまった気がして、シェリルは頬を掻く。

 

 「俺やスレイがギリギリ生まれたかどうかの頃だからな。シェリルが実感湧かないのも無理ないさ」と、タイガ。

 

 アステルは隣に座るスレイをちらりと盗み見る。彼は地図を見たまま特に動揺した様子は見られなかった。

 

 (……そうだ。スレイは魔王の器になる為に生まれたって聞いたけど……スレイが生まれる一年程前にバラモスはこの世界に存在してたんだ)

 

 ───魔王の器って一体なんなんだろう。

 

 (スレイ………悟りの書を得る前はどういう意味かわからないって言ってたけど)

 

 ───賢者になった今はその意味に気付いているの?

 

 

 

 「……話の続きじゃ。本来人が住むには厳しい高山地帯に国を築けたのは、大地神ガイアの加護あっての話。ガイアの加護を失ったかの地は今や邪悪な力が覆う魔王の領域。人の足で踏み込める場所ではなくなってしまった」

 「そりゃガイアの剣ではどうにもならへんのか?」

 

 シェリルの問いにナディルは首を横に振る。

 

 「あれは大地神の怒りを御する為の神剣。入り口を開くという役割を果たせば大地神の御元へと還るじゃろう」

 

 分かりやすくガックリとするシェリルに、ナディルがホホホッと笑う。

 

 「案ずるでない。他に方法がないわけではない」

 「え?」

 「この世には如何なる結界も、領域も、時空も、異空の壁すら乗り越え羽ばたく翼を持つ神がいる。精霊神ルビスが産み出し、慈しんだ神鳥………」

 

 

 「───ラーミア」

 

 ナディルではない声が部屋に響いた。

 皆が一斉にその声の主を見る。

 スレイが信じられないといった感で、隣に座る人物に声をかけた。

 

 「アステル? なんでその名前を……」

 

 彼女が知りようもない神の鳥の名前。神鳥ラーミアは神話として人の世に浸透してはいない。神鳥の魂の守り人と呼ばれる一族にのみ、口伝として伝えられてきた秘話。

 

 「なぜその名前を知ってる?」

 

 そう尋ねられるも、アステル自身にもわからず頭を振った。口が勝手に動いたのだ。

 ルビスという名前を聞いた途端、何かが弾けた。そして口が勝手に動いたのだ。

 

 

 「ルビス………ラーミア」

 

 まただ。これほどの懐旧の情は知らない。アステルは経験した事がない。なのに。痛いほどの愛おしさと切なさに襲われアステルは胸を押さえる。目頭が熱くなる。

 (会いたい、違う、君に逢いたい、なに、私は、これ……私の、違う、私じゃ、え?)

 

 

 『こうしていると、わたくしがお母様で、貴方がこの子のお父様ね』

 

 額を突き合わせながら。クスクスと笑う鈴を転がすような声。この世で最も愛おしい声が脳裏に甦る。

 

 

 「───マァム!?」

 

 シェリルの声にアステルはハッと顔を上げる。皆が皆、此方をじっと見ていた。自分と、そして。

 アステルは隣に座るマァムに視線を移し、そして瞳を見開いた。

 

 「マァム……?」

 

 ぽとりと食べかけのまんじゅうが床に落ちる。マァムはこちらを見たまま、猫の目のような大きな瞳からぽろぽろと涙を溢していた。

 

 「………ぐすっ、ふぇ、ぅ、うわあーーーんっ!」

 

 そして子供のように声を上げて泣き出してしまった。

 悲痛なその泣き声にこの子を宥めなければ、落ち着かせなければと思う。アステルはその感情のままに、その頭を撫でようと手を伸ばしたが、マァムに飛び付くようにして抱き付かれてしまった。

 もう離さないとばかりに強く強く抱き締められる。

 

 まるで迷子の子供が親と巡り会えたかのように。

 

 そのぬくもり、柔らかな金髪が肌を擽る感覚に。アステルも堪えていたものが溢れだした。嗚咽し震えるその背に手を回して抱き締める。

 

 タイガがちらりとナディルを見る。

 ナディルはアステルを。そして恐らく、彼女によって呼び起こされたのであろう、マァムの中のもう一つの人格の変化を見定めるように見詰めていた。

 

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