長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
ポルトガを旅立って既にふた月が経った。海上にてアリアハンを発って一年が経過し、アステルは十七歳となった。
最新式の船は速く、三枚の真っ白の帆はいっぱいに風をはらみ、ぐんぐんと進む。
途中、群れを成すしびれくらげや半人半魚のマーマン、ヤドカニのように硬い殻に覆われたマリンスライムが特殊攻撃と補助魔法を駆使して襲い掛かって来たが、殆どがスレイの魔法練習の餌食となっている。
アステルもガルナの塔で
今までなかった魔法職の強みを絶賛体感中だ。
勿論、怪我人もでないのでマァムの出番もない。極たまにかすり傷をアステルが負うも、練習だからと言ってスレイが素早く治してしまう。
歯噛みして悔しがるマァムを、スレイは黒く笑った。
こういうたまにみせる大人気ない所は、兄弟子カンダタと通ずるものがあるなと、タイガは思う。
一行の中に船酔いを催す者は今の所おらず、皆初めての船旅をめいめい気ままに過ごしている。
鍛練に勤しむ他、カンダタに海図の読み方や舵の取り方、櫂の使い方、帆の扱いを学んだり、双子と一緒に
……料理といえば。バハラタから樽五個分という、とんでもない量の黒胡椒がアステル宛てに届かれ、彼女は開いた口が塞がらなかった。価格にすれば五十万ゴールドは堅いらしい。
バハラタを旅立つ前にグプタやタニア達が含み笑いをしたその理由が判明した。
アステルは真っ青になって固辞し続けたが、エルトンの「みんなの気持ちを無下にしたらあかん。有り難く頂いとき」という、言葉に折れた。路銀に困った時に換金すればいいとも言われた。
取り敢えず小袋に詰め替えて《大きな袋》に入れている。これならば簡単に腐らないだろう。今の所は料理や保存食の加工にちまちまと使用している。
たまに激しい雨が降るものの、それは天からの恵みの雨。急いで樽を甲板に並べて生活水とする。
大きな嵐に遇う事もなく、比較的天候には恵まれいた。
(───そういえば旅を始めてから、基本的に天気はいいな)
この中に天に愛されている者がいるのだろうと、タイガは
胸のすくような真っ青の空なのに。
出てくるのは憂鬱な溜め息だった。
* * * * * *
カンダタとその養い子といってもいい年端の双子の少年達を仲間に加えた後、彼等とスレイを残し、アステル達と共にタイガはカルロスとサブリナに会いに行った。
二人に呪いをかけたのが魔王である事、その呪いを解く為にはラーの鏡が必要である事を伝える為に。
始めはショックを受け言葉を失くすサブリナだったが、傍にいた馬の姿のカルロスが嘶くと、ハッとして彼を見る。
落ち着きを取り戻した彼女は、こちらを真っ直ぐ見て「大丈夫、私達はシェリルと皆さんを信じます。信じて待ってます」と、笑った。
日が暮れてから人の姿に戻ったカルロスとも話をした。「信じて待つ事しか出来ないのが心苦しいけど」と、彼は悔しげに笑ったが。それでも二人が悲観的にならずにいてくれた事が、シェリルにとってなによりも救いになったに違いない。
「絶対、絶対、元に戻したるからなっ!」
シェリルは二人に堅く誓い、笑顔で別れた。
そして。カンダタとスレイがいるドックへと戻ると、彼等は驚くべき現象がテドンがあった場所で起こっている事を話した。
「そ、そそそそれって、ゆゆゆゆ幽霊が、出とるって事かっっ!?」
激しく
「もしかしてお嬢様はこの手の話が苦手か?」
「そ、そんなわけないやろっ! ってか、お嬢様言うなっ!!」
「あ~~っ、シェリルの背中に……」
「ひぎゃあああっ!!」
「ぐはっ!!!」
マァムのいつもの悪戯に簡単に引っ掛かったシェリルは、目の前に立つカンダタの腹にタックルする勢いでしがみついた。
「…………はっ!」
「げほっ、吐くかと思った……この馬鹿力」
「きゃああああっ!!」
「ぐふっ!!」
我に返ったシェリルはカンダタに会心のボディブローを放って突き飛ばす。カンダタはたまらずその場に頽れた。
「カンダタ、死んだ」
「カンダタ、死んだらダメ」
双子が青ざめてカンダタに飛び付き、その体を揺する。真っ赤な顔でふーっ、ふーっと、荒く息を吐くシェリルの後ろでマァムは震え上がる。大惨事だ。
まさかこんな事になるなんて。
「茶番劇はそこまでにしろ」
言いつつスレイはカンダタに杖を差し出し、直接手でではなく、遠隔で治癒呪文をかける。優しさに思えるがそうではなく、ただ単に魔法練習の一環としてだろう。
「……で。どうせランシールまで通り道なんだし、その岬に一応足を運んでみたらどうかとオレは思うんだが……」
と、アステルを見た。アステルは口に手を当てて暫し思索し、それから目を上げた。
「……確かに気になるね。イシスの前王様の例もあるから余計に。思い残しがあってこの世に留まってるのかも……」
アステルの言葉にスレイも同意するように頷く。
「───行こう。テドンへ」
* * * * * *
タイガが下の甲板を見下ろすと、マァムと双子が楽しげにモップ掛け競争をしていた。
朱色の瞳をきらきら輝かせ、高い笑い声を上げるマァムに釣られて、表情の乏しい双子の顔にも僅かに笑みが浮かぶ。そんな平和な光景を眺めながら出る溜め息は、やはり重いもの。
テドンに行くという事は、マァム=ノーランに破壊され荒れ果てた己の故郷を見せるという事だ。
そして一番厄介なのが、アステル達がその事実を知らないという事。つまり現状、彼女の心境を
ガルナの塔で親の死に目を思い出して見せた、彼女の静か過ぎる涙が鮮明に脳裏に蘇る。タイガは苛立ちのままにくしゃりと髪を掻き上げる。
(こんな事になるなら、さっさとスレイに事実を打ち明けて巻き込めばよかった)
アステル第一に考えてる彼だが、根はとても優しい。知れば少しは配慮して行動して貰えただろう。
自分の判断の遅さに、再度長く重い溜め息が出た。
年長者として、秘密を隠し持つ者として、こんな自分は皆には絶対見せられない。見せたくもない。
ならせめて、見張りと称して一人でいる時は吐き出してしまいたい。
柵に凭れかかり、ぼんやりとしていると。
ふわりと潮風とは違う魔法の風がタイガの前髪を揺らした。目線を下げるとマァムがタイガを深紅の瞳で見上げていた。
狭い見張り台に二人は少々きつく、マァム=ノーランはくるり回り、タイガに背中を預けるようにして凭れかかる。
「……掃除は終わったのか?」
「ん」
なんとなくぎこちなくて、取り敢えずそんな事を尋ねると、マァム=ノーランはこくりと頷いた。
「競争は、トエルの、勝利。ノエルも、だけど、あの子達、見た目以上に、すばしっこい」
「そうか」
「………タイガ、もしかしなくても、テドンに、行く事、気にして、くれてる?」
「……………」
「ありがとう。わたしは大丈夫、だよ?」
その言葉が強がっているとしか思えず、タイガは顔を顰めた。
「それに、本当に、里の人達が、いるのなら、確認したい。何を伝えたい、のか、わたしも、知り、たい」
背中を向けてるので、表情は窺え知れない。
「父様、も、いるのかな……」
その言葉に弾かれたように、タイガはマァム=ノーランの体に片腕を回し、力を込める。「行かなくてもいい」と言ってやりたかったが、彼女はそれをよしとはしないだろう。
「……無理だけはするな」
「……ん」
自分の前に回された暖かい腕に、そっと両手を添えて、マァム=ノーランは目蓋を閉じた。
それから更にひと月と五日目。
この日は朝から霧がかっていた。カンダタは用心深く舵を握り、スレイは見張り台から盗賊の技法《鷹の目》を使って辺りに浅瀬や岩礁がないか注意深く辺りを伺う。
甲板では皆が魔物の奇襲に何時でも対応出来るように、控えている。
と、顔色を変えてカンダタは舵を切った。
同時に何かに捕まったように船が激しく揺れた。
アステルが床に膝を着けたまま、顔を上げると、幾つもの吸盤が張り付いた青白く丸太のような触手が海面から生え伸びるのが視界に入った。
「な、なに!?」
「大王イカだっ! くそっ! 船底に張り付きやがったっ!」
舵を必死に固定しながら、転覆を防ぐカンダタ。
「このイカ、焼いて食えるかな?」
「でかいイカって臭くて焼いても揚げても食えんって、聞いた事あるでっ! その前に倒したら、コイツ消えるんちゃう?!」
「そういやそうだ」
襲いかかる触手をタイガは蹴り飛ばし、シェリルは魔法のそろばんで殴りかかる。しかし、弾性に富んだ触手は与えられる衝撃を悉く弾く。
「うわ、嫌な感触」
「妖しい影と闘った事を思い出すなぁ」
その特性で苦戦を強いられた思い出したくもない敵を思い出し、二人は苦く笑う。……と。
───ダンッ!!
鈍い音をたてて、太い触手が切断された。触手の影から現れた小さな影はトエルだった。その手にはカンダタが扱うものと変わりない大きさのバトルアクスがある。
小さな体で大きな斧を振りかぶる。斬る。斬る。斬る。
その速さと威力にタイガとシェリルが呆然としていると、脇で魔法の光が見えた。
マァムを守るように前に立ち、ノエルが呪文を唱えた。
「───ピオリム、ピオリム、ピオリム……」
延々と唱え続ける敏速強化呪文を受けて、トエルは物凄い速さで移動し、海から現れる新たな触手を切り落としていく。
カンダタとアステルに襲いかかる触手。カンダタは手が離せない。アステルが剣と魔法で応戦するものの、致命的な効果が与えられない。
「イカの顔を出させねぇと……っ」
カンダタが舌打ちをする。
「───
スレイが見張り台から放った氷刃が二人を狙っていた三本の触手を貫き、凍てつかせる。更に放った
ロープを伝って素早く甲板に降り立つと、アステルに叫ぶ。
「アステル!
「トヘロス? ……でも」
今から効果があるものなのか? それよりもあんな巨大な魔物に自分の力が通用するかどうか。
「深く考えるなっ! 船に張り付いてるイカを剥がす事だけ考えろっ!」
「は、はいっ! ……トヘロスっ!」
アステルを中心に展開される白く輝く聖なる結界が船を覆う。途中、ぐぐっと反発される力を感じて、アステルは歯を食い縛る。
「───トヘロスっ!!」
再度、声を高らかにして唱えると、船が大きく左右に揺らぎ、カンダタの握る舵が効き始める。イカが離れた。
力を使い果たし、へたりこむアステルをスレイがさっと支える。ナディルが以前行った、
このまま去るかと思ったが、それは甘く、大王イカは波飛沫をあげて船の船縁に張り付き、乗り上げた。シェリルやタイガ達の目の前に巨大なイカの顔。
濁った黄色の眼が甲板にいる者達をぎろりと睨む。
「───
「!」
トエルが放った紅い光が、タイガを包み込む。沸き上がる力に驚き目を丸くするタイガに、いつの間にか隣に立つ彼が呟く。
「……イカを締めるには目玉を目印に胴体とゲソの部分の間に刃を入れる」
「ふ、普通のイカを締めるのと同じでいいのか?」
こくりと頷く。
トエルは斧を振り上げると、表情を変える事なく、イカの目の間に刃をダンッッと入れる。体液を振り撒きながら奇声を上げ、触手を振り回すのをトエルは後方に飛んで避ける。
「───
ノエルの魔法で大王イカはぐらりと傾ぐ。その好機を逃さずタイガは、切れ込みに鉄の爪を着けた拳を深々と差し込む。子供の体型では届かなかった急所を切り抉った。
イカの青白い体が大きく痙攣し、一瞬にして真っ白に染まる。タイガはバイキルトによって上がった脚力でイカを蹴り飛ばした。ずるずると船から触手と体が剥がれ落ち、大王イカは海の底へと沈んでいった。
「……ウチ、大王イカをこんな短時間で倒すの見んの、初めてかも」
船縁からその様を覗き込みながら、シェリルが呟く。
タイガとトエルは魔物の体液を頭からかぶってベトベト。タイガは生臭さに眉を寄せながらトエルを見下ろした。
「大したもんだ」
そう言って笑顔で親指を立てて見せると、トエルは無表情で首を傾げ、それから彼を真似て親指を立てる。
「トエルとノエルは魔法が使えたんやなぁ」
「カッコよかったよぉ~~っ!」
次々に褒められ俯いたノエルの頬がほんのりと赤く染まった。
タイガとトエルが風呂に入っている間、アステル達は先程同様、油断なく、辺りを見回していた。
その日は結局霧が晴れる事はなく、まもなく、日没を迎えようとした頃、
「そろそろ話に出てた海域だ」と、アステルが持ってきた軽食片手に頬張りつつ、カンダタは呟く。
見張り台のスレイがハッとして顔を上げる。
「風が止んだ」
「う………?」
マァムが食事を止めて顔を上げる。
タイガも不思議な気配に辺りを見回す。
「まさか………っ、」
と、シェリルは傍にいる双子に手を伸ばし、ぎゅっと抱き寄せる。双子は頭を傾げていた。
船は大陸へと近付き、幅の広い河口へと入っていく。
「………舵が効かねぇな」
「えっ!?」
またイカかっ! と、アステルはカンダタを見たが、彼は首を横に振る。
「見てみな。勝手に動いてやがる」
くるくると勝手に動く舵を指さすカンダタに、シェリルは「ひいいっ!」と悲鳴をあげて双子を更に強く抱き締めるものだから、怖くなった双子はカンダタに助けを求める。
「ま、こっからは様子見だな」
と、舵から離れてシェリルから双子を奪い取り抱き上げたカンダタは、船の進む先を見据えた。
河の流れは穏やかで、船は滑るように走る。迷いなく突き進むそれは、まるで何かに急かされているようで。早く、早く、こっちだよと、導かれるように。
闇の帳が降りる。東は切り立った山々が連なり、西側は鬱蒼とした密林と山々、その間を縫うように船は進む。すると問題の岬が見えてきた。
スレイが《鷹の目》を使うと、成る程確かに、篝火や家々の窓から漏れる光らしきものが確認できた。
岬付近で河は二股に別れており、船は左側の河を選んで進む。やがて古びた桟橋の掛かった船着き場が見えた。船はゆっくりと速度を落とし、そして、停まった。
「んじゃ、俺らはここで待ってっから」
「お前は来んのかいっ!!」
カンダタと双子が船から手を振って見送るのに対して、シェリルは盛大に突っ込んだ。
「当然だろ。船を守るのが俺らの仕事だ」
「くっ!」
「怖いんなら、船に残っていいんだぜぇ?」
「だ、誰がっ!!」
船縁で頬杖をついてニヤニヤ見下ろすカンダタに、シェリルはカアッと顔を赤くする。肩を怒らせてずんずん進もうとするシェリルをマァム、そしてタイガが追っかける。
「シェリルぅ~~っ!」
「こらこら、一人で行くな。シェリル」
「カンダタ……」
「いーじゃねぇか。本人もやる気が出たみてぇだしな」
弟弟子の咎めるような目を、カンダタは笑ってあしらう。
スレイは溜め息を吐くも、次に顔を上げた時には真剣な眼差しを向ける。
「……くれぐれも気をつけろよ」
カンダタの後ろに聳える険しい山を見上げる。天を穿つような山脈は、闇夜も相まってまるで黒い巨人か、角と羽の生えた悪魔が見下ろしているようにもみえた。
この山を越えた向こう側がネクロゴンド。
───バラモスがすぐ傍にいる。
「ここは魔王のお膝元だ。いざとなったら船を放ってでも逃げろ」
「バーカ。船旅は始まったばかりだってのに、早速俺をクビにする気か」
「スレイの言う通りです! いざとなったら私達はルーラで戻れますから!」
ここなら、イシスへ飛ぶ事が可能だろう。しかしカンダタは二人を安心させるような力強い笑みを浮かべる。
「スレイも嬢ちゃんも余計な心配すんな。おそらくだが、ここはきっと大丈夫だ」
その言葉にスレイは目を眇める。
「……エルフの血が教えてくるのか?」
「多分な。わかったならとっとと行け。あいつら見失うぞ」
しっしっと追い払う仕草をするカンダタに、アステルとスレイは顔を見合わせた。