長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
エジンベアの港に停泊している船の甲板で、積もった雪を寄せ集めて遊んでいる双子と、それを眺めながら温めた
そんな彼等の前にアステルとスレイは降り立った。
「おっ、戻ってきたな! ……って、お前らだけか? お嬢様達はどうした?」
カンダタが訝しげに首を傾げ、双子も今はいない彼女彼等の姿を探す。
「そ、それが、置いて来ちゃって……」
「ハアぁ~~っ?」
アステルの言葉に、なにやってんだとばかりに呆れ返った声をあげるカンダタだが、直ぐ様据わらせた目をスレイに向ける。
「さては、お前の仕業か」
「あいつらだって〈キメラの翼〉を持っているんだ。すぐ戻ってくる」
この上なく不機嫌な顔で話すスレイ。カンダタは目を丸くし、「何があった?」とアステルに尋ねるが、なんとも答え辛い。
何かあったのかと問われれば、エジンベア王に『魔王倒したら嫁に来い』と言われました……と、しか。
けれど、それでどうしてスレイが怒るのか、アステルには皆目検討もつかなかった。
そうこう言っている間に、転移の光が空から此方へと降ってくる。光の幕が消えるとシェリル、タイガ、マァムの姿が現れた。
「ア~~~ステェルゥ!!!」
「わっ!」
タイガの腕から飛び出したマァムがアステルの首っ玉に齧り付く。それからアステルの身体をくまなく調べた。
「だいじょぉぶぅ!? スレイにぃなんにもぉされなかったぁ~~っ!?」
「だ、大丈夫だよ。マァム」
マァムは再度アステルに抱き付いて、スレイに向かってはフシャーーッ! と、猫のように威嚇する。
「揃ったな。じゃあ、さっさとポルトガに向かうぞ」
スレイは猫の首根っこを掴むようにして、マァムをアステルから引き剥がし、ぺいっとタイガの方へ放り投げた。タイガは危なげなくマァムをキャッチする。
華奢な女性とはいえ、細腕一本で抵抗する人間を軽々と放り投げている辺り、スレイの腕力も常人離れしている。
「こるぁぁああぁっ!!!」
マァムの怒声を完全に無視し、アステルの手を引いて、スレイは船の一番太い
「す、スレイ! どうしたの? なんだか変だよ?」
あまりにもいつもの彼と違う横暴な態度に、アステルは困惑する。しかし。
「夜になる。さっさとしろ」
底冷えしそうな冷たい目で見下ろされ、アステルは大人しく従う他なかった。
* * * * * *
あの後アステル達は、《船ごとルーラ》でポルトガ近海へと戻った。
ランシールより距離が短かったからか、スレイによる理力供給は一回で済んだ。
ポルトガの港に着いた頃には陽は落ち、空は紺青から闇色に染まりつつあった。
スレイはまたカンダタやシェリル達を放って、アステルを引っ張って足早に船を降りる。
勿論マァムもその後を追おうとしたが、スレイはマァムに対してまさかの
アステルとスレイが増殖し、マァムはあわあわと目を動かし、そしてぶちギレた。
「ばっきゃやろぉぉぉっ!!」
「今晩の宿はウチん
マァムにしか見えない無数のスレイを魔封じの杖で殴りながら叫ぶ隣で、時々自分にも向かってくる杖を避けながら、シェリルは二人に告げておく。
アステルは引っ張られつつも振り返り、わかったとばかりに手を振り返す。二人は港の人混みに消えた。
「だからなに暴走してんだ? アイツは」
停泊作業を終えたカンダタが、フーッフーッと、鼻息荒く憤るマァムを宥めるタイガに尋ねた。
振り返るタイガも、流石に疲れた表情だ。
「まあ、強いて言うなら……悋気か?」
「悋気ぃ~~?」
「りんき?」
「スレイ、りんき?」
双子は互いに顔を見合わせて頭を傾げた。
そんなほのぼのとした双子の反応に少し癒されつつ、タイガは後ろ頭を掻いた。
「壺だけで十分なのに、とんでもない土産をくれたものだ。……あの王様は」
(『参れ』って言うからには、アステルが行かなければ問題ない気もするが)
相手が相手だけに、苛立ち不安になるスレイの気持ちもわからないでもなく、タイガは溜め息を溢した。
(エジンベアに行くのは、これっきりにしてもらいたいな)
己と仲間達の心の平穏の為にも。
* * *
雪が舞っていたエジンベアと比べたら、ポルトガの冬はまだ暖かい方だった。
夜の港街の酒場や食事処からは、魚介が焼ける芳ばしい匂いが
しかしそんな楽しげな空気に見向きもせず、無言で前を歩くスレイに、アステルは手を握られてる照れよりも、不安の方が勝った。
(こんなスレイ知らない。本当にどうしちゃったの?)
何処に連れてかれるかと思えば、武具屋だった。店じまいをしていた所にスレイは無理矢理入り、迷惑そうな顔をする壮年の店主に「女用の革手袋はあるか?」と尋ねる。
店主は渋々とカウンターに商品を並べた。
「今あるのはこれだけだよ。そっちの嬢ちゃん用かい?」
「ああ。アステル、好きなやつ選べ」
「え? でも……」
「いいから」
今身に付けている革手袋は、防寒具と共に新調したばかりのものだ。しかし、ここで変に逆らうのは得策でない気がしたので、アステルはカウンターに並べられた手袋に目を遣る。
「手にとって試着しても構わないよ。サイズの微調整が必要なら、受け取りは明日になるけどな」
「あ、ありがとうございます」
(よく擦りきれるし、予備に置いといてもいいか……)
結局サイズ調整は必要なかったので、そのまま購入した。突然入ってきた迷惑な客なのに、店主は質の良い手袋を良心価格で売ってくれた。
迷惑をかけた意識はあるのか、スレイは請求価格に色を付けたゴールドをカウンターに置いた。
新しい革手袋をはめたまま店を出ると、スレイが振り返った。
「アステル、さっきまでしていた手袋を渡せ」
「え? う、うん」
頭を傾げながら手袋を手渡すと、スレイはそれを忌々しげに一瞥し、そして。
「───
燃やした。
しかも火球が現れる呪文の筈なのに、スレイの手の平に現れたのは小さな火柱だ。
街の人々は誰か花火でも上げたのか勘違いし、歓声を上げた。
革が燃える特有の匂いと煙が立ち昇る。革手袋は
アステルは目を大きく見開き、あんぐりと口を開いたまま固まる。
「お客さんっ! 人の店の前でなにやってんのっ!!」
「ひゃっ!? ……ご、ごめんなさいっ!?」
人並みを掻き分けるようにして進むスレイの背中を、アステルは見上げた。街灯に照らされ艶めく漆黒の髪が、その後ろ姿が、遠い日の思い出と重なる。
あの日の去っていく『お兄さん』の後ろ姿と今のスレイの姿が重なり、アステルはどうしようもなく不安に駆られた。
「スレイ、どうしちゃったの? なんでそんなに怒ってるの? 私、何か怒るような事した?」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
ちゃんと聞かないと。話さないと。引き留めないと。
いなくなる。『お兄さん』みたいに。スレイもいなくなっちゃう───。
「ねぇ、スレイ。スレイったら……」
震えだした声に、スレイは訝しげに後ろを振り返り、そしてぎょっとした。
そこにはぽろぽろと大粒の涙を溢すアステルがいた。
「なっ!? アステル!?」
スレイは慌てて向き直り、アステルの顔を窺う。その表情がいつもの彼のものに戻り、アステルは安心して更に涙が止まらなくなってしまった。
うぐうぐと更にしゃくりあげるアステルに、スレイは真っ青になる。
「おいおい兄ちゃん。往来で痴話喧嘩かよ?」
「イイオトコが女の子泣かせちゃダメでしょ~」
「嬢ちゃん、そんな顔だけの男なんか止めて、こっちにきなよ~~?」
「おっちゃん達が慰めてやるからさぁ」
「ほれほれ。旨いもんもあるぞぉ~~」
やいのやいのと周りの酔っ払いに
「くそっ!」
スレイは悪態を吐くと、アステルの頭を抱き寄せて、これ以上彼女の泣き顔が晒されないように隠す。
鞄から余っていた《消え去り草》の粉末を取り出し、自身とアステルに振り掛けて姿を消すと、大通りを足早に通り抜けた。
* * *
シェリルの家宅までの道中にある、海を眺められる憩いの場に来ると、スレイはまだ泣き続けているアステルをベンチに座らせ、自分もその隣に腰掛けた。
「お前、なんで突然泣き出すんだ」
「だって、スレイが無視するからぁ……!」
余り物の消え去り草の効果は既に解けているが、周囲には誰もいない。
アステルは一度泣き出すとなかなか治まらない。取り敢えずは泣かせておこうと、スレイは息を一つ吐いて、眼前の黒い海にぼんやりと目線を遣った。
ふと辺りが薄明かるくなった。スレイは目を上げる。
「……アステル。前見てみろ」
声掛けられ、アステルは目元を拭いながら顔を上げた。
雲で隠されていた真円が、その姿を現した。
淡い黄金色に輝く月とその光は静かな海面に映り、細長い光の道となって現れる。
美しく神秘的な光景にアステルは息を呑み、目は釘付けとなる。耳に入る
気が付けばアステルの涙は止まっていた。
「落ち着いたか?」
優しい声音で尋ねられて、アステルは照れ臭そうに頷く。
「スレイも、その、……落ち着いた?」
スレイは瞠目し、それからばつが悪そうに頭を掻いた。
「………悪い」
俯き様に弱々しく謝るスレイに、アステルは瞳を大きく見開く。
「馬鹿な真似をした。辺境とはいえ、一国の王にあんな態度を取って、今後の旅に支障が出てもおかしくはないってのに……。
……貴族にとってあんなのは挨拶だって、わかってる。目くじら立てるような事じゃないのもな……ただ」
そこでスレイは言葉を切った。
言おうか言うまいか思い
「……ただ。その後の言葉にオレの気分が悪くなっただけだ。
お前は何も悪くないし、突然あんな事して悪かったとも思ってる」
アステルは胸が高鳴るのを感じた。
スレイの言葉に、何故か喜んでいる自分に戸惑う。
「私は王様が言ってた事、本気にしてないよ。言われた時は、そりゃびっくりしたけど、今は……なんとなくだけど。あの言葉は全部が全部、本気じゃない気がする」
「どういう意味だ?」
「王様にとっては、私がお妃になってもならなくても、どっちでも良いってくらいの本気かな……って」
アステルがエジンベアを嫁ぐ意思があるならば、お妃として迎え入れ、大切に愛してくれるかもしれない。けれど来ないならば別に構わない。
つまり、その程度の想いだと彼女は言う。
「今後オレの目の黒いうちは、おかしな男は近寄らせない。反論は認めない」
「……それって、ひと月限定?」
薬の効果が切れて黒い瞳が琥珀に戻る頃だ。
「ねぇ? スレイ」
「なんだ?」
「なんで手袋を燃やしたの?」
アステルは乱された髪を整えながら尋ねると、スレイは一瞬動きを止めた。
目を反らし、さらさらの黒髪をわしわしと掻き、何処かとても言いにくそうに。
自分と違い、乱しても癖の付かない髪を羨ましげに眺めながら、アステルは彼の答えを待った。
「………お前、深く考え事すると手を口元に持っていく癖があるの、気付いてるか?」
「お前は男が口付けた手袋を身に付けて、これからもそうするつもりか?!」
言われて、アステルは自身に雷が落ちたかのような感覚に襲われた。ぶんぶんと頭を横に振る。
「ないっ! それはないっ!!」
「だったら、焼却処分しても文句はないなっ!?」
「はいっ!!」
激しく首を縦に振るアステルに、スレイは大きな溜め息を吐いた。
スレイはアステルの手を取り、弄ぶ。
アステルは頭に疑問符を浮かべ、されるがままになっていたが、不意にびくりと肩が跳ねた。
「す、れい……?」
スレイの指先が絶妙な力加減で手の平を撫で擦る。いつもの握られ方とはまるで違う、とても優しく、なにかを探るような擽るような触れ方。
ざわっと肌が粟立つ。けれど、それはけして嫌なものではなくて。むしろ手袋越しなのが、とてももどかしくて。
と。我に返り気恥ずかしくなったアステルはその手を
指と指が絡まり、引き寄せられる。
熱を帯びた黒水晶の瞳がひたりと、アステルの潤んだ青の瞳を捉えた。
スレイがその手を持ち上げ、唇がアステルの指先に触れる───
───事はなく。彼は唐突にベンチから立ち上がった。
手にある小さな手を持ち直して、彼女を引き上げ立たせる。
「……アステル。なにぼんやりしてるんだ。少しは抵抗しろ」
「へあっ!?」
「危機感がなさすぎる」
スレイはぺしっとアステルの頭を軽く叩く。
アステルは暫し呆然としたものの、カッと顔を紅く染めた。
「し、したからっ! 抵抗っ! 手、のかそうとしたからっ!」
「あんなの抵抗とは言わない。思いっきり突き飛ばせ」
嘆息を漏らすスレイに、アステルは躍起になって叫んだ。
「そんな事、スレイに出来ないよっ! だって───」
───嫌じゃなかったから。
それは言葉にはならなかったが、何故か伝わった。伝わってしまった。
アステルとスレイは互いに目を見開き、言葉を失くした。
小波の音が辺りを支配する。
月が雲に隠される。
スレイの表情が闇に隠れ、アステルはハッとする。
そのまま彼の存在が闇に溶けて消えてしまいそうで、アステルが思わず手を伸ばすと、その手はしっかりと握られた。
「───もう、行こう」
そう言って、スレイはアステルの手を引いて歩き出す。
そう。嫌じゃなかった。
アステルは思い返す。
こうやってスレイに手を握られるのも、頭や髪を撫でられるのも。抱き寄せられた時も、頬や唇に触れられた時だって。
あの王様は嫌だった。
タイガやカンダタに肩を叩かれたり、頭を撫でられるのは、父や祖父にされるのと同じ感覚で。
怪我を診るとかの緊急時じゃない限り、身体に触れられるのは……なにか違うと思うし、やはり嫌だと思う。
「アステル」
不意に名前を呼ばれて、アステルは顔を上げた。手が口元にあったのに気付くと、いたたまれない気持ちに襲われた。
「今日は本当に疲れたな」
「………うん」
「もう考えるのはよせ。多分、今日は
(───
「帰ったら多分、スレイはマァムに目茶苦茶叱られると思うよ」
「勘弁してくれ」
暗闇の中で舌打ちするスレイに、アステルはフフッと笑った。
「自業自得だよ」
潮騒の音を聴きながら、アステルはさっき感じた胸の痛みをなかった事にした。
* * * * *
───我慢ならなかった。
エジンベア王がアステルの手に口付けを落とした、あの時。
スレイは自分でも驚くぐらい感情を抑えられなかった。
いずれ。いずれは。
彼女を手放す日が来る。
彼女がバラモスを倒し、普通の娘に戻る日を迎えた時。
自分は彼女の隣にはいないだろう。
なのに、目の前で彼女が別の男に笑みを浮かべ、話し、触れられ、求婚されている場面を目にした瞬間。
いずれ訪れるであろう未来を垣間見た瞬間。
スレイは彼女に手を伸ばしていた。
渡さない。渡したくないと。
その後の己の行動を省みて、頭を抱えたくなったのは言うまでもない。
更に。
手袋の話をした後の行動は、魔が差したとしか言いようがなかった。
自分があの王と同じ事をしたら、どんな反応を見せるのか。と。
あれだけ理不尽な憤りをぶつけられた後なのだから、警戒するだろうともスレイは思っていたのだ。
なのに。
『そんな事、スレイに出来ないよっ! だって───』
その先は言葉にならなかったのに、彼女の切なげな眼差しが先を物語っていた。
拒まれなかった事が、ただただ嬉しかった。
そんな己の身勝手さにスレイは自嘲し、
────厭悪した。