長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
「───え?」
アステルは慌てて辺りを見渡す。
自分はスーの民の催す宴の場にいたのではなかったのか。
しかし、今アステルが立つ場所は眩しいくらいにただ白く、何もない空間だった。
だが。今ここには彼の、スレイの姿はない。この空間にアステル以外、誰もいない。
───と。背後から誰かがアステルの腕を掴んで引き寄せた。
「ひっ!?」
驚いてアステルが振り返る。
そこには真白な世界に
白い人は背の高い男性の形を成しているが、顔に凹凸は一切なく、目鼻口もなかった。
「きゃあああああっ!!」
アステルは悲鳴を上げた。
すぐに逃げなくてはという、強い恐怖心と忌避感が彼女を襲い、冷静さを奪った。
見た目の不気味さではなく、アステルには男の存在そのものが、とてつもなく恐ろしく、相容れないと感じられたのだ。
アステルは必死に手を振り解こうとするも、腕を掴む大きな手は痛い程強く、離れない。
『───帰ラナケレバ』
「───っ!?」
口のない白い男が喋った。切実な、訴えるような声で。
聞いた事もない男の声。
なのに、何故かとても懐かしい。
男はアステルが呆けた隙を突いて、彼女の両肩を掴んだ。
顔のない男とアステルは真っ正面から向き合う。
『俺ハ。アノ子ト共ニ。彼女ノ元ヘ、帰ラナケレバナラナイ』
「……え?」
『何ガ《天ノ愛シ子》ダ。ソンナモノ、コノ世界ニ縛リ付ケル、忌マワシキ楔ニ過ギナイ』
徐々に男の声が低く、怒りに震え始める。
───神を裁く者など。……神など。
『反吐が出る』
底の見えない暗い憎悪を帯びたその声に、アステルの肌は総毛立った。
「や、やだっ! 離してっ!」
アステルは抗うも、両肩を掴む男の手は重く、びくともしない。
すると男は全身で眩い光を放ちだした。
光を受けてアステルの身体の輪郭が、白く、次第に薄らいでいく。
「あ、あああっ!!」
『彼女の元へ帰る。その為にお前は───邪魔だ』
白い男の手によって、アステルもまた真っ白に染まろうとしている。
『消えろ』
まるで闇夜に瞬く星の光が、真昼の太陽の強く眩い光によって、その輝きを消されるように。
「やだやだやだっ! スレイっ! スレイっ! スレイっ!!」
無意識だった。
アステルは彼の名を叫んだ。他の誰でもない、彼に、助けを求めた。
と。
アステルと男のすぐ傍に黒い雫が落ちる。
ポタリと落ちた一雫は大きく広がった。
白い世界に突如として現れた黒は、アステルを拘束していた男の存在に迫る。
白い男は黒く染まるのを畏れて、慌てて離れた。
だが、アステルには。
白く消えつつあったアステルの身体の輪郭を、黒ははっきりと浮き出させ、優しく包み込んだ。
───黒。闇色。それは彼の色。
* * * * *
「───テル、アステルっ!!」
彼の声に。身体を揺するその手の感触に。アステルはぱちりと目蓋を上げた。
そこには気遣わしげな目で彼女を見るスレイがいた。
目を開いたアステルに、スレイはほっと息を吐く。
彼から巻き起こる冷たい風が前髪を揺らし、汗が滲んでいた額を、熱い身体をひやりと癒す。
アステルは緩慢に辺りを見回し、そして上を見上げた。
燦々と降り注ぐ陽光の眩しさに、アステルは眩暈と僅かな畏れを覚える。
ここは自分達の船の見張台の中だった。
狭い見張台の中に、アステルは凭れるように座り込み、スレイは跪いてそんな彼女の身体を支えている。
「あれ、私? ……宴は?」
「宴? ……おい。何を寝惚けてるんだ。スーの村を発ったのはもう二日も前の事だろ」
「え、そうだったっけ……?」
スレイは目を据わらせてアステルの頭を小突き、それから水筒を差し出した。
彼女に呼ばれたような気がして、スレイが
「見張台で居眠りなんかするな。日射病になりたいのか」
「ん、……ごめんなさい」
水筒を受け取って口に含むも、まだぼんやりとしているアステルに、スレイは目を
ひゃっ!と、アステルは身体をびくりと竦ませて短い悲鳴をあげるも、直ぐ様身体を弛緩させた。
「あ~~……、気持ちいい……」
嬉しそうにするアステルに、スレイは呆れるように溜め息を吐くも、琥珀の瞳は心配げに彼女を見詰めている。
「大丈夫か?
「うん。……ちょっと怖い夢見ちゃった。スレイ、起こしてくれてありがとう」
「どんな夢だ?」
尋ねるスレイに、アステルは頭を少し傾げた。
思い出そうとするも、何も思い出せない。
ただ、とても怖かったという感情が漫然と残っているだけ。
「大丈夫。怖かったけど忘れたから」
何もなかったような軽い口調でアステルは言うと、額に乗るスレイの冷たい手を取り、その手に甘えるようにして火照った頬を擦り寄せた。
スレイは瞠目し、それからばつが悪そうに目を逸らした。色白の頬に薄紅が差す。
「……全然大丈夫じゃないな」
スレイは服の下に隠された、首に下げている革袋を引き出す。片手で器用に中身を取り出して、アステルに握らせる。
緩やかに身体が楽になっていくのを、アステルは感じた。
アステルは硬質で冷たい、己を癒してくれる
結局アステルはまた気を失い、自室に運ばれ、その日の夜ベッドの上で目覚める事となる。
夢とは違い、自分のしでかした事をはっきりと覚えていたアステルは、赤面してベッドの中でごろごろと転がり、介抱するシェリルとマァムは不審げに眉を顰めていた。