長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
「行くぞ」
「うう……」
アステルの胴に命綱を回すと、スレイは縄の端を自らの胴に回して繋げた。
アステルが前を歩き、その後ろをスレイが歩く。これならアステルが万が一踏み外したとしても、スレイが手助けなり対処出来る。
「深呼吸!」
「ひゃっ!!」
綱の前を立つアステルは、背後からかけられたスレイの声に小さな悲鳴をあげるも、両肩に置かれた手の感触と心強さに瞳を見開く。
アステルは素直に呼吸を繰り返した。
「変に力むな。もっと肩の力を抜け」
「うん」
「前にも言ったが、絶対に下を向くな」
「うん」
「終始目的の場所だけ見てろ」
「うん」
「後ろにちゃんと付いてる」
「うん」
「お前が何かやらかしてもフォローはちゃんとする」
「うん」
「大丈夫だ。前回だって問題なかっただろ?」
「うん」
スレイがゆっくりと言い聞かせ、アステルは一言一言に頷く。
最後にスレイはアステルの両肩をぽんっと叩いて離した。
「じゃあ行くぞ。アステル」
「はい!」
そうして一歩踏み出したアステルとスレイを、シェリルがどこか感慨深げに眺めているのに、タイガが小声で囁いた。
「どうした? シェリル」
「……ん? いやな? アステルがああやって、愚痴ったり、弱音吐いたり、誰かに頼るようになるとはなぁって思うて」
「そうか?」
タイガが頭を傾げるのに、シェリルはふと笑った。
「アリアハンにいた頃のアステルは、今みたいに弱味なんて絶対みせん子やった。
あの子は立場上、過度の期待を懸けられるか、やっかまれるかのどっちかやってん。
味方よりも敵の方が多かった気ぃもする。そんな奴らに足をすくわれんように、いっつも気ぃ張っとった。
親父さんの名に恥じぬように、勇者の称号に相応しいなる為に」
ああ。確かに。とタイガは思い返す。
アリアハンにいた頃のアステルは、どこか背伸びしていた。マァムやシェリル、家族、
(俺に対しても初めは、余所行きの笑顔を張り付けてたしなぁ)
自分と接するマァムの様子を見て、徐々に警戒心が薄れ、旅の仲間入りの承諾を決めた瞬間、完全に取り払われた気がする。
ふと、タイガは綱渡り中のアステルとスレイを見る。
(しかし。そう考えたら、スレイはあっという間に彼女の信頼を獲得していたな)
それにスレイも。
今ならわかるが、彼は初対面の相手に対し、関心を持って接するような人間ではない。寧ろその真逆だ。
だがアステルには出会ったその日から、まるで妹を見るような穏やかな目で、常に気を配っていたような気がする。
しかし。それはあくまでアステルにだけで、シェリルやマァムとは一線を引いていた。
───勿論、今は違うが。
「ウチらは」とシェリルの声に、タイガは思考を中断し、アステル達に遣っていた視線をシェリルに戻した。
「アステルの幼馴染みで親友や。
けどアステルにとってウチらは『支えられて守られる』よりも、『支えて守らなあかん』って意識の方がどうしても強いねん。
今はともかく、実際出会った頃のウチらはアステルに守られとったからな。
マァムはぶうたれとるけど、スレイがおってホンマよかった思うとる」
むっすりとしているマァムの頭に肘を置いて、「もちろんタイガもな」とにししっと笑うシェリルに、タイガも口の端を持ち上げた。
そんな話をしている間に、二人は空洞の真ん中に辿り着いていた。
「あ~~~っ!!!」
そこでマァムが目を剥き、頭を抱えて叫んだ。
スレイがアステルの手を取って飛び降りると、突然アステルは繋がれていない方の手をスレイの首へと回した。遠目からだと二人は抱き合いながら落下したように見えた。
「おぉい? マァム~~?」
シェリルが呼び掛けるが、マァムはわなわなと怒りに震え「スゥレェイィ~~っ! ゆ~る~さ~ん~っ!」と、ギンっと目尻を釣り上げる。
そして階下へと走った。
((あれは不可抗力なんじゃ……))
シェリルとタイガは互いに見合った後、力なく笑い、彼女の後を追った。
───さて。降下中のアステル達はというと。
「いきなり抱き付くなっ! 危ないだろうがっ!!」
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
スレイはアステルと手を繋いだ状態で飛び降りた。
しかし身体がぐらりと傾いだアステルは、恐怖で咄嗟に彼に抱き付いてしまったのだ。
怒鳴りながらもスレイはアステルの腰に手を回して彼女の身体を固定し、アステルは謝りつつも、しがみついたまま彼から離れない。
先程は血の気が引き、冷たい汗をかいたアステルだったが、今は顔が熱く心臓は早鐘のように打ち鳴らされている。顔を少し動かせば、すぐそこにスレイの顔があるから下手に動けない。
スレイもまた、アステルの髪や香りが肌や鼻を擽り、ただでさえまだ慣れていない魔法を行使している最中だというのに、集中が途切れそうになる。互いに鎧を纏っているので、身体の感触があまり伝わらないのが、唯一の救いだ。
下に宝箱が並んだ浮いた床が見えてきた。……それと同時に。
────カシャンっ!
と、薄い硝子が割れたような音をアステルとスレイは聞いた。
エルフの森やガルナの塔で結界を解いた時と同じ。やはり結界はアステルを阻む事はなかった。
滞空時間はそれ程長くはない筈が、二人にはそれはそれは長く感じられた。
三階にある浮いた床にやっと足が着くと、互いに目を反らしつつ身体を離す。
二人は肺の中の酸素全てをはきだすような、深い溜め息を吐いた。
「す、スレイの言う通り入れたね!」
「……ああ」
アステルは空気を変えようと笑顔でそう言ったのだが、スレイは深刻な面持ちのまま、自らと彼女を縛る命綱をほどく。
『───彼女に我等の力は通用せぬからな』
(神の力は《天の愛し子》には通用しない。……天に選ばれし者か)
「スレイ……?」
恐る恐る掛けられた声にスレイは我に返ると、アステルが萎縮した様子で項垂れていた。
「その、さっきは本当にごめんなさい」
スレイは首を捻ったが、すぐ理解する。気もそぞろで返事をしたから、まだ怒っていると思われたのだろう。
「……あれは確かに危なかったが、もう気にしていない」
下を向くアステルの頭をわしわしと掻き撫でると、アステルはそっと青い目を上げた。目が合うとスレイは表情を緩めた。
「次は気をつけてくれ」
「次なんてない事、本気で願うから」
人を
「それより……」
スレイは四個並んだ宝箱に視線を向ける。アステルも頷き、宝箱に触れた。
一つは古いゴールド貨幣、二つ目は小さなメダル。そして三つ目は薬包紙で包まれた木の実だった。
「命の木の実だな」
「いのちの……?」
「服用すると生命力が上がると言われている魔法の木の実だ」
「これ、食べれるの? 随分古いと思うんだけど……」
「魔法の実や種は腐らない。問題ない……って、なんでオレに差し出すんだ?」
木の実を差し出すアステルに、スレイは目を据わらせる。それにアステルは慌てて弁解した。
「べ、別に信用してないとかじゃなくて! ……スレイって自分の事、疎かにしがちだから」
暫く睨みあったが結局はスレイが折れ、アステルの手から木の実を取り上げると口の中に放り込んだ。それを見てアステルはにっこりとする。
そして最後の宝箱をスレイが開けた。
中には翼を広げた鳥のような紋章が彫られた木箱が入っていた。
スレイが箱を取り出して、アステルに見せる。
その紋章を目にした瞬間、郷愁のような強く切ない感情が溢れて、アステルは思わず胸を押さえた。
「アステル?」
「大丈……夫。それよりも早く中を」
急かすアステルをスレイは訝しげに見るも、木箱の蓋を開ける。上品な
象牙色のオカリナは艶やかで、古びていない。材質は陶器に見えるが、渇きの壺と同じく、ただの陶器ではないだろう。
「私の、………俺の笛」
ぽつりと呟いたその言葉に、スレイは笛からアステルへと視線を遣り、瞠目する。
アステルは瞳に涙を浮かべながら柔らかく微笑み、引き寄せられるように手を伸ばして、スレイの持つ箱の中の笛を優しく撫でた。
「
笛を手に取り、アステルは愛おしげに笛をまた撫でる。
「アステル?」
様子のおかしいアステルにスレイは戸惑いながら、彼女の名を呼び、その肩に手を伸ばした。が。
涙で揺れていた瞳は温度を失くし、『触れるな』と言わんばかりの明らかな敵意を込めてスレイを貫いた。
スレイは息を呑み、伸ばした手は宙に留まる。
アステルはスレイから再び笛へと視線を戻す。
アステルは吹き口に唇を当て、軽く息を吹き込んだ。ヒュンと笛は嬉しそうな高い音を出し、アステルの瞳は優しげに細まる。
そしてそのままアステルは笛を奏で始めた。
神秘的で、けれどどこか物悲しげな調べは、塔内に高く澄んで響き渡る。
アステルの身体から白い光が溢れだす。
それは
アステルの足元から、白い光の粒子がふわふわと現れる。それは数を増していく。
彼女の奏でる音色に呼応するように、光の粒は塔の床や壁、柱と、至る場所から。
光は溢れ、満ちていく。
* * * * *
「なんや、このキレイな音……。笛の音か?」
笛の音色は塔を下りている最中、その邪魔をする魔物達と交戦中のシェリル達の耳にも届いた。
そして彼女達のいる場にも光の粒子がふわふわと現れる。
「……シェリル、魔物達の様子がおかしいぞ」
タイガの声に、シェリルが魔物に目を遣れば。
魔物達は苦し気に呻き、手があるものは耳を塞ぎ、光に抗うように暴れて、そして───消滅した。
「なんや、これ……」
シェリルが呆然としているその隣では。
笛の音に心を奪われ、立ち尽くすマァムの
『なんて忌々しい、耳障りな音……』
『な、なんだ光は……』
『まぶしい……っ、』
『苦しい……っ、』
『形を保てな───っ』
アステル達を尾行していた妖しい影達も、彼女から放たれる白光を前に、慌てて物影……身を隠せる闇を探すものの、今この場に闇はない。これだけの光が溢れているならば、影は必ず生じる筈なのに。
そうして、影の悪魔達はその姿を保てずに消滅した。
光はアープの塔の中だけでは納まりきらず、聖なる旋律を乗せて外へと溢れだす。
世界へと広がり渡る。
拡散した光の粒子と目覚めの音色は微かで小さいが、けれど、確かに。
分かたれた魂の元へ届いた。
それは土地神を奉る社で。
それは世界で一番高い山の頂の祠で。
それは何処かの邸宅の宝物庫で。
それは青い海に浮かぶ髑髏の旗を掲げた船で。
それは滅ぼされた里跡の牢獄で。
それは世界の中心、地底深くの洞窟で。
分かたれた魂は聖なる旋律と共に歌い、そして叫んだ。
我はここだと。
一つになりたいと。
貴方の元へ返りたいと。
あの御方の元へ共に帰りたいと。
* * * * * *
「アステル、アステル………っ!!」
光を放ちながら、アステルは虚ろな瞳で笛を無心に奏で続ける。
スレイは目映い光に目を腕で隠し、眇めながら、何度も彼女の名を呼んだが、何の反応も返さない。
彼女から放たれる輝きは増す一方で。
それはまるで小さな太陽のよう。
アステルの背中から更に大きな光が放たれる。
まるで蛹から蝶が羽化するように現れた
(───駄目だ)
スレイは漠然と感じ取った。
それは焦燥感。このままでは自分の大切なものが奪われる。
過去に経験した、絶望手前のあの感覚。
(
「アステルっ!!」
今度は躊躇などしない。
スレイは手を伸ばしてアステルの腕を掴むと、そのまま引き寄せて抱き締めた。
アステルの口から笛が離れ、ヒュンッと不服そうな音を出した。
アステルの背中にいる人の形を成した光とスレイは向き合った。
『触るな。これは俺のだ。穢らわしい闇の眷族が』
光は喋った。それも男の声。
横暴な言と、なにより彼女に密着しているのが男だと判明すると、スレイは怒りを露にする。
「アステルは貴様のじゃない。貴様が彼女から離れろっ!!」
スレイが吼え、アステルの手から山彦の笛をもぎ取った。
アステルの身体から溢れる光が薄れる。それに従い男の声を発する光も徐々に薄れていく。
「貴様は誰だっ!!」
スレイが尋ねると、光はくつくつと喉の奥で嗤い、そして名乗った。
『俺は天の愛し子───《ロト》だ』
「───っ!?」
『仮にも賢者ならこの意味、解るだろう?』
言葉が紡げぬスレイを、光は滑稽だとばかりに嗤う。
『運命の回避など不可能だ。───この俺のようにな』
哀しげな、寂しげな声で。
『この娘は、───俺のだ』
そう、吐き捨てて。光は完全に消えた。
「………ん?」
虚ろな青の瞳に本来の輝きが蘇る。
「あれ? ………なに、ひあっ!??」
アステルは目の前にある胸に手を当てて、それが誰なのかわかると短い悲鳴をあげて両手を上げた。
スレイから身体を離し、アステルはキョロキョロと辺りを見回す。
「え、なに!? どうして、私っ!!?」
「………アステルか? アステルだよな?」
「へ? う、うん」
おかしな質問にアステルは頭を傾げつつも頷くと、スレイの固く緊張した顔付きが緩まった。
彼女の肩に腕を回し、引き寄せて。
そのままアステルは強く抱き締められた。
「えあっ!? え、なん、スレ、えっっ!!?」
「……不可能じゃ、ない」
慌てふためくアステルだったが、絞り出すような掠れたスレイの声に、アステルは動きを止めた。
「スレイ……?」
強く抱き締める腕も、アステルを覆い隠す背中も、小刻みに震えている。
(……何かに、怯えてる?)
アステルは抵抗を止めてスレイに身体を預け、その背に手を回してぽんぽんと優しく叩く。するとスレイは詰めていた息を吐き出し、アステルの頭に唇を当て、癖のある黒髪に顔を埋めた。………と。
「アーーーーーーッッ!!!」
二人はばっ! と身体を離し、声のした方を向く。
大きな空洞を隔てて僅かな足場で、マァムが憤怒の顔で二人を睨み付けていた。
その後ろには複雑そうな表情を浮かべるタイガとシェリル。
「やっぱりやっぱりやっぱりやっぱりっ!! アステルの純潔の危機ぃぃぃっ!!!」
その場で激しく地団駄を踏むマァムに、タイガがまあまあと宥めるも、効果はない。
スレイは片手で顔を覆い隠し、アステルは真っ赤な顔のままで固まっていた。
「さっきなんか変な光が現れたけど、そっちは大丈夫かぁーーっ!?」
タイガがマァムを抑えて下がらせ、変わってシェリルが前に出て、遠く離れたアステル達に届くように声を張り上げた。
「……ひっ、光? どういう事なのぉーーっ!?」
顔を赤らめたまま、アステルも声を張り上げて問い返す。
「さっき笛の音が聞こえた思うたらぁ、光の粒が現れてぇ、魔物が全部消えてもうたんやぁーーっ!!」
「魔物が全部……消えた!?」
アステルははたっとして辺りを見回した。そういえば魔物の鳴き声も気配も何もしない。
あんなに酷かった邪気が全て消え去り、塔は聖なる気で満ちていた。
「なにがあったの……?」
ふと、爪先に白い物がコツリと当たった。アステルが見下ろすと、そこには象牙色のオカリナが床に転がっていた。
「もしかして、これ〈山彦の……」
「───触るなっ!!!」
アステルは拾おうとして、スレイに凄い剣幕で止められた。
スレイの怒鳴り声はシェリル達の耳にもはっきりと届いた。
タイガとシェリルは訝しげに顔を見合せ、マァムも思わず口を閉じてしまった。
「ス、スレイ……?」
驚きと怯えが入り混じったアステルの瞳にスレイははっとして、それからばつが悪そうに目を逸らした。
「悪い……それが〈山彦の笛〉だ。
シェリルが言っていた光が現れたのは、アステルがその笛を吹いていた時だった。
……お前、その時の事覚えているか?」
アステルは驚き、言葉なく首を横に盛んに振った。スレイはそれに頷いて、言葉を続ける。
「……だろうな。その時のお前は意識があるように見えなかった。
だから。今はまだ笛に触れない方がいい。………わかるな?」
はっきりと納得した訳ではないが、スレイが酷く心配している事は、アステルにはっきりと伝わった。
アステルが頷くのを見てから、スレイは山彦の笛を拾い上げ、鳥の紋章の彫られた木の箱の中に仕舞う。
箱の紋章を目にして、また血が騒めくのを感じたアステルは、慌ててそれから目を逸らす。
スレイの話が確かなら、アステルは意識を失いながらも行動していた事になる。
それは本人にとって、身の毛も
アステルが二の腕を擦ると、その手を取られる。
アステルが目を上げると、スレイがその手を握り直して、ぎゅっと力を込める、
「行くぞ。さっさと皆と合流して、ここから出よう」
「……うん」
そして今度は始めからアステルの肩を抱き寄せて、彼女の身体を固定した。
マァムがあちら側の岸でまた叫び、アステルは恥ずかしさで顔が熱くなるが、彼の真意はわかっていた。
アステルが少しでも恐怖を感じないように。
今はその優しさがとても有り難くて。
アステルは彼の胸にそっと凭れる。
二人は仲間達の元へと戻る為に、階下へと飛び降りた。
* * * * * *
「───あの忌々しい音と光は……」
神父……いや、デビルウィザードは。
紅蓮のローブをはためかせながら、空中からアープの塔を見下ろしていた。
「あの笛が神器だとするならば、これはその力が解放された故の現象……?」
塔に蓄積されていた邪気、怨念、瘴気全てを一瞬で消し去ってしまった。
塔は目覚め、聖なる気で満たされた今、魔の者が立ち入る事はもはや不可能だろう。
「それともまさか、あの娘の力……?
妖しく煌めく黄金の瞳を眇める。
「あの娘は一体………」
デビルウィザードの呟きは虚空に溶けた。
*聖なる旋律*
奏でた曲名はもちろん、『おおぞらをとぶ』です。