長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA   作:ちこちろん

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九章 思いがけない再会
凪海


 

 

 スレイは甲板に立ち、辺りを見渡す。

 風も波もない夜だった。静まった海面は鏡のように、瞬く満天の星を映し出している。

 魔物の夜襲の気配も全くない、稀にみる平和な海だとカンダタも首を傾げていた。

 

 「まさか、アープの塔での光と聖なる旋律の影響がここまで及んでるのか……?」

 

 スレイはそう、独りごちた。

 

 

* * * * * 

 

 

 あの後、アステルとスレイは無事タイガ達と合流した。

 そこでマァムはスレイに、問答無用で魔封じの杖を振り翳した。〈星降る腕輪〉を身に付けたタイガの隙を突いた、それは素早い動きだった。

 ……だがスレイは呪文を封じられてしまったものの、戦闘面での心配は全くいらなかった。

 何故なら、行きとは全く違い、蔓延っていた魔物達は影すら見当たらなかったからだ。

 塔内の静謐な空気に、アステル達はただただ戸惑いながら帰路に着く。

 

 「やっぱ、この笛のおかげかな……」

 

 歩きながらシェリルは木箱の蓋を開けて、中の〈山彦の笛〉を取り出した。

 オカリナの形をした笛は艶やかな照りがあり、陶器のように見えるがとても軽い。そして陶器のように、衝撃で簡単に破壊出来そうな材質でもない。

 はっきり言って未知の材質で出来ていた。

 シェリルは笛を吹いてみたが、すかすかと空気が抜けたような音しか出さない。貸して貸してと強請(ねだ)るマァムにも渡してみたものの、やはり音は鳴らなかった。

 

 「アステル、吹いてみてくれへん?」

 「……え」

 「アステルがあんなに笛の演奏がうまいと思わんかったわ! もう一回ちゃんと聞かせてーな」

 

 何気なくアステルにそう言ったのだが、彼女はまるで怯えるように肩を跳ねさせたので、シェリルは首を傾げた。

 アステルが何か返事をする前にスレイが「やめろ」と口を挟む。

 

 「あの時、アステルは笛を吹いて様子がおかしくなった。原因がわからない以上、下手に触らない方がいい。

 ……それよりシェリル。そいつが呪われてないか鑑定できるか?」

 

 そんな事をスレイが尋ねてくるので、シェリルは眉間に皺を寄せつつも、再度笛を手に取り眇め見る。

 

 「……いんや、何も感じん。特に呪われとらんで?」

 

 「……そうか」

 

 シェリルの答えにスレイは顎に手を当てて考え込み、それ以上は何も言わなかった。

 

 

* * * * * 

 

 

 こうして。何事もなく無事にアープの塔を後にしたアステル達は、瞬間移動呪文(ルーラ)でカンダタ達が待つ船へと戻った。

 船に着いてすぐ、アステルは疲れも見せずに晩御飯の準備に取り掛かり、マァムとトエルとノエルがその手伝いをする。

 留守番中にカンダタ達が釣り上げた魚や貝、海藻が貯蔵されていたので、アステルはそれらと傷みかけの食材を余す事なく使いきった。

 何か不安や悩み事があると、アステルの料理は豪勢になる。

 共に旅を始めてそれなりに経っているので、仲間内では既に周知された事だった。

 テーブルにどんどん並べられていくご馳走に、タイガとシェリルは「何があった?」と尋ねるものの、スレイは「放っておけ」と首を横に振った。

 

 説明のしようがない。

 

 今はとにかく好きな事をやらせて、少しでも気が紛れればいいと、スレイは思った。

 大食らいのタイガとマァムだけでなく、アステルがいない間粗末な料理だったのか、カンダタと双子も大喜びでがつがつと平らげる。

 その様子を見て、アステルにやっと本来の笑みが浮かんだ。

 

 

 後片付けを皆で手早く済ませて、アステル達は既に床に就いている。

 眠れそうになかったスレイは、深夜の見張りを買って出た。

 留守の間寝ずの番をしていたであろうカンダタも、四日振りにゆっくりと休めるだろうと、スレイは我知らず息を吐く。

 その場に胡座をかくと、スレイはシェリルから再び預かった〈山彦の笛〉の入った木箱を見た。

 

 

 

 『俺は天の愛し子───《ロト》だ』

 

 『仮にも賢者ならこの意味、解るだろう?』

 

 あの光の……《ロト》の声が、彼の頭の中で反芻される。

 

 (《ロト》……真の英雄に与えられる称号。人の身でありながら神に等しき者)

 

 悟りの書に与えられた《ロト》に関しての智識は、この程度のものだった。

 間違いではないだろうが、知りたい事はそれではない。

 

 (《ロト》と名乗った何者かも、己を《天の愛し子》だと言っていた。

 《天の愛し子》……神を裁く者であり神の選定者。天に認められし唯一無二の存在)

 

 スレイは木箱の蓋を開ける。中に鎮座する白いオカリナは角灯(カンテラ)の明かりを受けて、艶やかに輝いていた。

 

 (笛に《ロト》の意識が宿っていて、アステルに取り憑こうとしていたのかと思っていたが。

 《ロト》が今世の《天の愛し子》であるアステルの内に元々宿っていたとしたら……?)

 

 ───あとは。

 

 『触るな。これは俺のだ(・・・)

 

 (信じがたいが……転生。

 そう。《ロト》が転生したのが、アステルだとするならば……)

 

 以前ならとんだ妄想だと鼻で嗤っていただろうが、賢者となり、神の叡知を得てからはただの絵空事と笑えなくなってしまった。

 

 有り得る話なのだ。

 

 特に最高神に愛された魂というのは。

 

 本来なら死して天に昇った魂は、最高神の手によってまっ更に浄化され、新たな生を受ける。

 しかし、最高神に愛された魂は浄化される事なく、次の生へとそのまま引き継がれる事もある。

 

 (……いや、違う)

 

 《天の愛し子》である《ロト》の死後の魂に最高神が干渉出来なかった?

 

 (それが《ロト》であり、アステルとしたなら……)

 

 そして、神鳥の魂を見つけ出す手懸かりとなる〈山彦の笛〉の元の所有者は《ロト》。《ロト》と《神鳥ラーミア》とは(えにし)があった。

 

 (山彦の笛を手にした事で《ロト》の自我……魂? が蘇り、アステルの身体を奪おうとした……?)

 

 伝承者であるエドはこの事を知っていたのか? こうなる事を予測していたのか?

 今頃になってあの時、エドの話を聞いていたアステルの様子が変わった事をスレイは思い出す。

 

 (戸惑っていたような、怯えていたような……)

 

 スレイは蓋を閉めて、箱に刻まれた紋章を見つめる。

 翼を広げる鳥を象った紋章。恐らくはラーミアがモチーフなのだろう。

 アステルはこの紋章を目にした時も、様子がおかしかった。

 だが、彼女に何か知っているのかと尋ねたとしても、恐らく何も答えられないだろう。

 アステルは内にある《ロト》の感情に揺さぶられていたに過ぎないから。

 アープの塔で無意識に己が行動していた事を知り、ショックを受けていた彼女の姿が思い出される。

 あの時は〈山彦の笛〉から遠ざける為に本当の事を告げるしかなかったが、知らせるべきではなかったかとスレイは(ほぞ)を噛む。

 

 〈山彦の笛〉が入った箱に刻まれた紋章と《ロトという名の者》を頼りに、更に〈悟りの書〉に記された神の記憶に触れようとした………が。

 

 「くそっ!!」

 

 閉じていた目蓋を上げてスレイは盛大に悪態を吐いた。

 昼間受けたマァムの魔封じの威力は、〈悟りの書〉の智識を覗く能力も封じ込めてしまったらしい。

 この感じはポルトガで受けた魔封じの力と同じ。暫くの間は呪文も悟りの書を開く事も出来ない。

 

 「……あのアホ鳥、わざとじゃないだろうな」

 

 アステルを神鳥(ラーミア)が求める《ロト》とする為に。

 

 マァムのアステルを慕う様子を目にしてそれはないと思いつつも、これからは訝ってみてしまいそうで憂鬱になる。

 最近鬱陶しくなってきた伸びた前髪をくしゃりと掻き上げて、スレイは大きな溜め息を吐いた。

 

 

 『運命の回避など不可能だ。───この俺のようにな』

 

 寂しげな声で放たれた言葉は、呪怨のようにスレイの心を蝕む。……しかし。

 

 『悪しき者の思惑により産み出された、深淵の主の《器》となる為の存在。

 されど。そなたの父母が、そなたにその名を与えた瞬間。そして、ありのままのそなたを望む者が現れた瞬間。

 彼の者達の用意した道筋より、そなたは着実に外れているのだ』

 

 『スレイがそんな事言ったら駄目だよ。お母さんとお父さんが抗った運命なのに、スレイがそれを受け入れたら駄目だよ』

 

 しかし、その度に己を守護する神の言葉と、アステルの声と笑顔が思い出され、己を奮い立たせてくれる。

 

 『あの娘はこの世で唯一、神の力に抗える事が出来る者。彼女もお前と同じだ。深淵の主が神格を得ようとしている今この時代に誕生した天が定めた選定者。彼女ならば──』

 

 ダーマで聞いたナディルの言葉が蘇る。

 ナディルは深淵の主の《器》となる運命を断ち切るには、アステルの力が不可欠だと言おうとした。

 ……けれど、それでは今度はアステルを《天の愛し子》としての運命に縛る事になる。

 

 それはスレイの望みではない。

 

 スレイの望みは始めからただ一つ。

 

 あの薪小屋で隠れて泣いていた小さな少女が。

 戦いなんて似合わない彼女が。

 アステルが笑顔で普通の少女として、幸せに暮らしていける世界。

 

 『オレなんかが、なんて言わないで。

 私はスレイと出逢えて良かったよ?

 スレイを命懸けで生んだお母さんに、育んでくれたお父さんに感謝したい』

 

 あの時与えられた優しい祝福を思い出し、スレイは己の額に触れる。

 

 (そう言ってくれた彼女の為なら、なんだってする。……してみせる)

 

 「バラモスの元に辿り着く為だから……ラーミアは蘇らせる。だがアステルは《ロト(お前)》に渡さない。───運命になんかに殉じさせない」

 

 スレイは木箱に刻まれた紋章を覆い隠すように、それを握り締めた。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 ───笛の音が聞こえる。

 

 澄み渡る青空の下、爽やかな風の吹く広大な草原に、白い巨大な綿毛の塊があった。

 綿毛の塊がひょこりと首を出す。

 巨大な綿毛と思われたそれの正体は、巨大な鳥の雛だった。

 ふわふわの純白の産毛に埋もれるようにして凭れる青年は笛を奏でる。胡座をかく青年の膝を枕にして眠るのは美しい娘。

 雛鳥が甘えるように鳴くと、娘は閉じられていた目蓋を上げた。

 娘の瞳は虹色の炎を閉じ込めた、神秘的で幻想的な色だった。

 娘は身体を起こして、すり寄ってくる雛鳥の柔らかな嘴を優しく撫でてやる。青年は瞳を細めて、あやすように雛鳥の大好きな笛の音を奏で続けた。

 雛鳥は鮮やかな翠玉の眼をゆっくりと閉じ、父親代わりの青年と生みの母である娘と過ごす平和な一時を満喫していた。

 

 

 ───その日は突然訪れた。

 

 地響きを上げて激しく揺れる大地は、大きく裂け、逃げ惑う人々を奈落へと誘う。

 海は黒く濁り、やがて巨大な波と化し、石の塔が建ち並ぶ大地に押し寄せ、流し、破壊して飲み込んだ。

 猛り狂う山々は赤々としたマグマを噴き出し、噴石を撒き散らす。熔岩は這うように流れ、穢れた地表とその原因たる存在諸共焼き払う。

 大気は荒れ狂い竜巻が巻き起こる。空は暗雲に覆われ、神の怒りを体現するかのように、止む事のない稲光と雷鳴が轟き渡った。

 

 今まさに、一つの世界が終わりを迎えようとしていた。

 

 更に大きな鳥へと成長した雛鳥は、虹色を帯びて輝く銀紫の翼を羽ばたかせ、崩壊する世界の上を光を振り撒きながら旋回する。

 その大きな背に無辜の民と、彼等を導く一人の青年を乗せていた。

 鳥の首根に座し、操る青年は精悍な面差しを焦燥に歪ませ、割れていく地上を見下ろす。

 

 そこには鳥にとって母である娘がいた。

 

 桃色にも見える柔らかな金の長い髪を荒ぶる風に靡かせるその姿は、嵐の中で健気に咲く一輪の花にも見えた。

 

 青年は黒の蓬髪を振り乱し、何かを叫び、娘に向けて手を精一杯伸ばした。

 

 娘は虹色の瞳に涙を浮かべ、青年を愛おしげに見詰めながら、首をゆっくりと横に振る。

 

 地割れは彼女の足元にまで伸びる。大地は悲鳴を上げ、助けを求めるように崩れるその手を彼女に伸ばした。

 

 青年は鳥に向かって叫ぶ。

 

 鳥は父である青年に応え一鳴きすると、彼女の元へと滑空する。

 

 しかし。

 

 目には見えない巨大な手が、鳥とその背に乗る青年達ごと、掬い上げた。

 

 鳥と青年は、自分達を捕らえた存在を鋭く睨む。

 

 突如、暗き天に《穴》が穿たれる。

 

 鳥と青年はその《穴》の中になす術もなく、吸い込まれていく。

 

 青年は届かぬとわかりながらも、手を伸ばした。伸ばさずにはいられなかった。

 

 滅び逝く世界に愛する女性をたった独り残していく絶望に、青年は発狂し、涙して。

 

 その名を叫んだ。

 

 彼女はいつもと変わらぬ、暖かく優しい笑みを浮かべて。

 

 裂ける大地に飲み込まれて、消えた。

 

 

 

 

 「『───ルビス……』」

 

 

 船室の寝台に横たわり、閉じられたアステルの眦に一筋の涙が頬を伝い流れる。

 その上の段の寝台で眠るマァムの頬も、涙で濡れていた。

 

 

 

 

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