長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
アープの塔での出来事から既に
あれからアステルも、覚えていないものをくよくよ悩んでも仕方ないと割り切り、既に平常を取り戻していた。
スーの村がある東大陸北部を陸沿いに、船は北へと進む。
途中、マリンスライムやヘルコンドル、凶悪な鋏と真っ青な甲殻を持つ巨大な蟹型の魔物〈ガニラス〉が現れて一行の行く手を阻むものの、マァムの振り翳す雷の杖の雷光を浴びて早々に海の藻屑と消える。
一人で魔物を一掃するとマァムはそのつどにスレイに振り返り、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
……いつかの仕返しなのだろう。
そうして船は東大陸最北端に辿り着くと、今度は進路を西へと変え、波を掻き分けて疾走った。
季節は夏真っ盛りを迎えているが、吹き付ける潮風は冷たく、薄着で過ごすなど不可能な寒さ。アステル達はついこの間、虫干しして収納した防寒具を再び引っ張り出して羽織っていた。
辺りの小島にも雪が薄く積もっている。
カンダタの説明によると、ツンドラと呼ばれるこの地帯は一年の半分以上は氷雪に覆われているらしいが、短い夏のこの期間だけは永久凍土の表面が解け、苔や藻などの植物が繁殖して覆われるらしい。
「こっから更に北に行けば、氷の大陸グリンラッドがある」
「氷の大陸……永遠に冬が終わらない大地……ですよね?」
鼻の頭を赤く染めたアステルが問うと、カンダタは頷いた。
「ああ。とてもじゃねぇが人が住める土地じゃねぇな。あと南にも氷の大陸があって、そっちはレイアムランドって呼ばれてる」
氷雪が解けると言っても全てではない。雪を残す島が大半で、青鋼色の海には岩のような雪と氷の塊が浮かんで漂っている。
船橋にて勢揃いしている一行は、蒼白の氷雪に映える、鮮やかな黄色や赤茶色の苔植物が広がる荒原を
……と。アステルは灰色の何かを見つけた。
「あれ、お城……? 違う……神殿かな?」
「……ん? あ、ホンマや」
雪の残る小さな小島平地に中規模の石造りの建物が見える。この辺りには木や森などの視界を遮るような物が一切ないので、とてもよく目立った。
「アステル、行って「やめとけ」
シェリルのわくわくとした声に被せるようにして、カンダタが声低くそれを制した。
「なんやいきなり」と、むすりと振り返ったシェリルだが、カンダタの険しい顔に思わず口を噤む。
「あそこには《旅の扉》があるだけだ。旅の扉は
カンダタが警戒し敵意を剥き出しにする国。……それは。アステル表情を引き締めて口を開く。
「……ある国って、サマンオサですか?」
アリアハンの勇者オルテガと魔王討伐を志した同士であり、大地神の力を秘めたガイアの剣の所有者、そして今は行方知れずの勇者サイモンの故国。
カンダタはアステルを見、それから深い溜め息を吐いて重い口を開いた。
「……その通りだ。あそこにはサマンオサの兵が常駐してるかもしれねぇ。
無闇に近寄って、あらぬ疑いをかけられて捕まりたくねぇだろ?」
「……んな、立ち寄るだけでも罪にでもなるんか?」
「入国を禁じてる国の領域に侵入するって事はそういう事だろ。殺されたって文句は言えない」
ムスッとなるシェリルに、スレイは諭すような平静な声で言う。
「それに、あの国が外国の娘を拉致してたのを忘れたのか? 見目麗しいお嬢様がやって来たら、これ幸いと問答無用でしょっぴかれるかもな」
「お嬢っ「そんなに酷い国なんですか?」
スレイの言葉にカンダタはシェリルを見ながら揶揄うように付け加える。案の定噛みつこうとしたシェリルだったが、アステルがそれを制した。
カンダタは話を逸らしたかったようだが、アステルはそれを許さず質問を重ねる。
アープの塔で襲い掛かってきた、人に近いが《人ならざるもの》。あの魔物を兵器として使用している国サマンオサ。
ここからアープの塔は近い距離とは言えないが、アステルには無関係と思えなかった。
「狂ってやがる」
笑みを引っ込め真顔で吐き捨てるように言うカンダタに、アステルは眉を顰める。
カンダタはサマンオサを毛嫌いしているが、その詳しい理由を語ろうとはしない。だが意図的に、アステル達をサマンオサと関わらせまいとしているのが解る。
「嬢ちゃんはこのパーティーの
けど、あの国についてだけは口出させて貰う。不必要にあの国に立ち入るんじゃねぇ」
共に旅をして初めて厳しく忠告するカンダタに、アステルは神妙に頷いた。
「俺達の今の目的は《最後の鍵》だからな。先ずはそちらを優先すべきだろう?」
タイガが場の空気を変えるように明るい声で言うと、アステルも「そうだね」と笑みを浮かべた。
船は建物が見える小島から距離を取って進む。
皆の興味が別の風景へと移る中、スレイだけが遠くなる建物のある小島を眺めているのにアステルは気付いた。
声を掛けようとその背中に手を伸ばそうとして、「……あれはここだったのか」と呟いたのにアステルはその手を止めた。
その声は寂しげで。
ふと。冷たい風に靡く白銀の繻子の髪に、アステルは既視感を覚えた。
此方の視線に気付いたのだろう、スレイが振り返るとアステルは何故か慌てた。
「どうした?」
「あ、あの、……あっ! 髪っ! 伸びたなぁって」
「ああ」と、スレイは自分の髪の一房を摘まむ。その長さは鎖骨を超え胸の上辺りまである。賢者になる前は自分で切っていたのか短かったが。
「伸ばしてるの?」
「ああ。何かに使えそうだから一応切らずにおいてある」
「何かに?」
頭をこてんと傾げるアステル。
「魔力を溜め込むのに髪が一番適しているんだ。オレは魔力が有り余ってるから、髪に溜め込んでる。
魔力が貯まった髪は、儀式や錬金術かなんかの材料になるらしい。いざって時の為にな」
「それも《悟りの書》の智識?」
「ああ」
「そのせいなのか伸びるのが早くて困るけどな」と、スレイは溜め息混じりに呟く。
もしかして魔力が漲ってるから、こんなにさらさら艶々なのかなと、癖毛に悩むアステルは真剣に考え込む。
「アステルぅ~、気を付けなきゃ駄目だよぉ~っ! エッチな人ってぇ髪伸びるの早いって言うからぁ~~」
さすがムッツリぃ~っと、口を差し挟むマァムをスレイはギンッと睨み付ける。アステルは苦笑しながら、腰ポーチから一本の革紐を取り出した。
「よかったら使って」
「……ああ、助かる」
差し出された革紐を受け取ったスレイは、早速髪を結おうとした。……が、慣れない作業に苦戦を強いられる。
「……スレイ。ちょっとここに座って」
見ていられず、アステルは半ば強引にスレイをその場に座らせた。彼の手から革紐を奪って後ろに回ったアステルは、手ぐしで白銀の髪を優しく梳き、手早く一つに纏めて結った。
「はい、出来上がり」
スレイが立ち上がると、丁度風が吹いた。風が吹く度ばさばさと鬱陶しかった髪がすっきりして、スレイの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「悪い。助かった」
「スレイは髪がさらさらだから、慣れないうちは少し濡らした方が結いやすいかもね」
微笑むアステルに、スレイは唐突にアープの塔で、《ロト》に乗っ取られたアステルを思い出した。
伸ばした手を拒まれ、敵意を込めた温もりの一切ない目を向けられた時、息が止まった。
比喩などではなく、目の前が真っ暗になった。あの一瞬でそれ程の衝撃を彼女は(正確には《ロト》だが)スレイに与えた。
しかしその後すぐに、異常事態が起きたお陰で我を取り戻せたが。
アステルが元に戻った時、心底安堵したスレイは思わず彼女を抱き締めてしまった。それでも暫く震えが止まらなかった。
その時の己があまりにも無様で。思い出したくもないというのに。
(なんで思い出してしまった………)
「スレイ、どうかした?」
ついさっきまで機嫌良さげだったのに、突然仏頂面になったスレイを、アステルは訝しげに見上げる。
「なんでもない。……お前は髪を伸ばさないのか?」
「え?」
「それだけ結うのに手慣れてるんだ。以前は伸ばしてたんじゃないのか?」
アステルは瞳を見開き、それから目を泳がせた。
「えと、あ、あの、ほら! 戦いの時に引っ張られたり、……魔法で焦がす事もあるし」
言葉にして、幼い頃に魔力暴走を起こして髪を焦がした事を思い出し、アステルは瞳を僅かに伏せる。
「それに私癖っ毛だから、伸ばしても面倒だし……」
(シェリルやマァムみたいに綺麗な髪でもないから……)
そう続く言葉をアステルは呑み込んで、ぎこちなく笑った。
「アイツだって癖っ毛だろ」
「マァムのは綺麗な巻き毛だから、私と一緒にしちゃ駄目だよ」
「そんな違いはないだろ」
マァムを指差しぞんざいに言うスレイに、アステルは眉を下げた。
と、スレイが手を伸ばしてアステルの頭髪をわしゃわしゃと掻き撫でる。
「す、スレイ?」
「今の髪型が悪い訳じゃないが、伸ばしても似合うと思う。
それにオレはこの手触り、嫌いじゃない」
アステルは瞳を極限まで見開き、それからカッと顔を赤らめた。
「あ?」
「おっ、お昼っ! そろそろお昼の準備しなきゃっ!!」
そう言ってアステルは脱兎の如く船橋を駆け下りた。
「はぁ~~っ。やぁ~らしぃ~」
「は?」
マァムが溜め息混じりに
残されたスレイは、カンダタ達に振り返る。カンダタとシェリルはニヤニヤとし、タイガも生暖かい笑みを浮かべている。
「……まあなんだ。褒めるのはともかく」
「手触りって言い方はやらしいっちゃ、やらしいな」
「本音が出ちまったってとこか? ん?」
呆気に取られるスレイだったが、カンダタ達の言っている言葉の意味を理解した途端に青褪めた。
「違うっ! そんな意味じゃないっ! あれは猫や犬を触ったのと同じような意味だっ!」
「それはそれでアステルに失礼やろ」
「可愛いって意味だとしてもだ。それ絶対に嬢ちゃんに言うんじゃねぇぞ」
慌てふためいて弁解するスレイにシェリルが目を据わらせ、カンダタは呆れたように苦言を呈し、タイガもそれに同意するように深く頷いた。