長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
「……ふぅ」
真夜中の事。何度目かの寝返りでアステルは諦めて閉じていた瞼を上げ、起き上がった。
(………眠れない)
久し振りの揺れないベッドの上で、ぐっすりと眠っているマァムとシェリルを起こさぬよう、
カウンターにいた店主に声をかけて、アステルは外に出た。
昼間よりもぐんと下がった冷たい空気に、アステルはぶるりと震える。
(これじゃ余計眠気が覚めるかも……)
このムオルは酒場などの娯楽場はなく、夜中に外を出歩く人の姿はない。家々の明かりも殆んど灯っておらず、村は寝静まっていた。アステルは
いつしか潮騒の音に導かれるように、海辺の方へと足が向かっていた。
波止場にはアステル達の船と小さな漁船が幾つか浮かんでいる。アステルは腰を掛けるのに丁度よい、係留用の石杭を見付けると、そこに腰を下ろし足元に角灯を置いた。
打ち寄せる波の音をぼんやりと聴きながら、息を長く吐き出す。
空は分厚い雲で覆われ、月明かりも届かない。
冷たい潮風が吹き付け、ここに来てしまった事をアステルは早々に後悔するも、何故か動けず黒い海を眺め続けていた。
「───なにしてるんだ?」
苛立ちを滲ませた低い声に、アステルは肩を跳ねさせて恐る恐る振り返れば、スレイが不機嫌を露にして見下ろしていた。
「す、スレイ……。どうしてここに?」
「さっきまで船にいた」
そう言ってスレイは自分達の船を親指で差した。カンダタと双子達は見張りの為、宿ではなく船に戻っている。
街中で滞在中、ちゃんとした港町ならば修繕がてら見張りの付くドッグに船を入れるが、それ以外は基本的にカンダタは船から離れない。
だからカンダタが寝ずの番にならぬよう、スレイやタイガがこうして交代を進んで請け負っている。
「いつもごめんね」
「別に気にしなくていい」
アステルやシェリルも見張りをすると申し出るも、街中での見張りは女より男の方が侮られないとカンダタに断られた。
たとえ魔物と立ち向かえる腕があろうとも、彼女達の実力を知らない人間から見ればやはり女なのだ。わざわざ厄介事を引き寄せる必要はないと言われて、渋々身を引いた。
「それより。真夜中にこんな所で何してるんだ。風邪ひくぞ」
「ちょっと寝付けなくて。……そうだ。折角なら見張りの交代すればよかったね」
「それは以前にカンダタから断られただろ」
「ここならそんな心配は必要ないでしょう?」
「ここなら、な。だが悪党は外からやって来る場合もある」
首を傾げるアステルに、スレイは溜め息混じりに答えると、自分の羽織っている
「ちょっ!? 駄目だよ! スレイが風邪ひくからっ!」
アステルは慌てて外套を剥ごうとしたが、素早く外套ごと頭を手で強く押さえられた。
「
「たっ、垂れてないし!!」
そう言いつつも、アステルは咄嗟に鼻に手をやる。くつくつと喉で笑う声が聞こえ、アステルはむぅっと膨れた。
「……で、何を悩んでるんだ?」
優しい声で問われて、アステルは瞳を見開く。
「あの幼馴染みの事だろ?」
続けて尋ねられて、アステルの瞳が潤み出す。アステルは膝を抱えて、顔を押し隠した。
「……そんなに私、わかりやすい?」
「まあ、今回はな。皆気付くだろ」
涙声のアステルにスレイが苦笑混じりでそう答える。外套越しに頭に置かれていた大きな手が、宥めるようにぽんぽんと叩く。
「……謝れたのに」
波の音に掻き消されそうな程。小さく、囁くような弱音にスレイは耳を傾けた。
「ちゃんと謝れたのに。許してもらえたのに。……なのに、駄目なの」
多分、ちゃんと話す気がないのだろう。
ただ聞き流して欲しいのかアステルは独りごちるが、スレイには何を言いたいのかちゃんと理解できた。
その昔、酷く暑かった夏の日に。
逃げ込んだ薄暗い薪小屋で自分を救ってくれた、小さな少女が吐き出した弱音の続きだ。
「ずっと忘れていたふりをしていた、もやもやした気持ちが溢れて止まらないの。
あの時の事を思い出せば、出す程。
息苦しくて、申し訳なくて、……でも、それよりもなんでって、どうしてあの時って思ってしまう自分が、凄く許せなくて」
───信じてたのに。
あの日、泣けなかった私の代わりにあんなに泣いてくれたのに。どうして。どうして。どうして。
「あんな風に傷付けておいて、そんな事考えてる自分が許せなくて……」
「許さなくてもいいんじゃないか?」
スレイの言葉にアステルははっとして、隣に立つスレイを見上げた。
「え?」
「勘違いするなよ。お前が許さなくてもいいのは、お前自身じゃなくて、幼馴染みの方だ」
「腹立ったんだろ?」とスレイが尋ねるが、アステルは返事出来ない。
「その許せない気持ちを、今度はちゃんと幼馴染みに言葉でぶつけてやればいい。喧嘩すればいいんじゃないか?」
「で、でも……あ、あのね? 私、昔、アニーを魔力暴走で傷付けて……っ、」
言ってしまってから、アステルははっとして口を噤んだ。俯き、被せられたままの彼の外套を握り締める。
平気だった訳ではないが、シェリル達には話せたのに。
ばくばくと息苦しくなるくらい、心臓が鳴る。
怖い。
人を傷付けた、殺しそうになったのをスレイが知った。
彼の反応を知るのが怖い。
しかし。アステルの予想に反して、スレイの態度に特に変化はなかった。
「それが昼間お前があの子に謝ってた理由か? なら、ちゃんと謝って許してもらえただろ」
「そう、だけど、で、でも、そんな、簡単な話じゃ……」
「お前だって傷ついた」
静かな、けれど強い言葉は、しっかりアステルの心に響いた。
「違うのか?」
「あ……」
……そうだ。傷付いた。
だって、物心付く前から一緒にいた。大好きな幼馴染みだったから。親友だったから。
裏切られて辛かった。悲しかった。
ろくに会話も謝罪も出来てないのに、突然いなくなってしまったのが、許せなかった。………寂しかった。
「ちゃんと話してこい。抱えてるもの全部吐き出して、すっきりさせろ。今度こそ悔いが残らないように」
「……でも、アニーが嫌がったら……」
「嫌がってもだ。喧嘩してこいって言っただろ。
それにあちら側も、アステルにずっと何か言いたげだったしな」
「そう……だった?」
アニーの顔をまともに見られなかったアステルは、それに気付けなかった。
「……ぶつける相手がちゃんとそこにいるんだ。とことんぶつかってこい」
諭す声にどこか哀愁のようなものを感じられて、アステルはスレイの琥珀の瞳を覗き込んだ。
「……まあ、散々な結果になったとしても、今のお前にもあちら側にもちゃんと慰めてくれる奴がいるだろ。
旅の苦い思い出がまた一つ増えるだけだ」
「そんなぁ……」
嘆くアステルの頭に手を置き、失笑するスレイ。
「……それにもしかしたら。これもお前が持ってる御守りのリボンの御利益かもしれないしな」
「え?」
「そういうリボンなんだろ?
今は宿屋に置いてきているが、その昔出会った黒髪の少年に貰った空色のリボン。
『もう二度と悲しい別離が訪れないように。素晴らしい出逢いが訪れるように』
そう願ってくれた《幸運の御守り》。
そうなのだろうか。これもリボンの導きなのだろうか。
「きっと、大丈夫だ」
そう言ってスレイはまたアステルの頭をぽんぽんとする。
「……本当にお前を嫌っているなら、あんな顔をする筈がない」
言い聞かせるスレイの優しい声と手の感触、外套から感じられる温もりと匂いに包まれて、アステルはほぅっと安堵の息を吐く。
「…………アステル?」
俯いて動かなくなったアステルに、スレイが眉を顰め、身を屈めてその顔を覗き込めば、アステルは座ったままで静かな寝息をたてていた。
「こんな所で突然寝る奴がある……っ!」
そうぼやいた途端、アステルの身体が座ったまま、ぐらりと前方の海へと傾いだ。スレイは慌てて手を伸ばす。
咄嗟に前に出した左腕に凭れてきたアステルの胸が触れてしまい、ぎょっとするも彼女は起きなかった。
素早くアステルの背中に右腕を回し、身体が後方に倒れるようにして支え直す。
当たり前だが。鎧に身を包んでいない無防備な彼女の身体は柔らかい。どんなに鍛えようが男のそれとは全く違う。
イシスにいた頃より成長している……と、一瞬でも思い出して比べてしまった己自身をスレイは殴りたくなった。
「……おい、アステル」
諸々の複雑な感情を誤魔化すように渋面で声低く名を呼ぶも、まるで
再度呼び掛けようとスレイは口を開くが、折角眠れたのを起こすのは憚れ、結局はその口を閉じた。
足元に置かれた角灯の火を消して、後で取りに戻ろうと石杭の影に置く。
また余計な場所に触れぬよう、自身の外套にアステルの身体をしっかり包むと抱え上げる。
宿屋に向かおうと一歩踏み出した格好でスレイは不自然に留まった。
アステルをベッドに運ぼうにも、眠る女性陣の部屋に入るのは流石に不味い。
野宿を共にしてきて今更だとは思うが、宿屋で部屋を男女分けて休む場合とでは気の持ち方が変わるのだ。
特に
そのあり様が容易に想像出来てしまい、スレイは頭が痛くなった。
深い深い溜め息吐いて。スレイは意を決したように顔を上げると、踵を返して自分達の乗る船の方へと歩きだす。
スレイの苦労も知らず、安心しきった顔で眠るアステルは、彼の胸に頭を擦り寄せた。