長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
わたしの幼馴染みのお父さん……おじさんは。人々を苦しめる魔王を倒すための旅をしていた。
旅立つ前日、おじさんは友達でもあるうちのお父さんに会いに家にやって来た。
いつものようにお酒を飲みながら、おじさんがいない間のアリアハンやお城の事を話してるんだろうなと、わたしは何気なく居間を覗き込むと、お酒の入った
けどお父さんの向かいの席に座るおじさんは、いつもと変わらない朗らかな笑みを浮かべていて、喧嘩をしているわけじゃないとすぐわかった。
ふと、おじさんと目が合う。
おいでおいでと手招きされたので、素直に従い、腰掛けるおじさんの前に立った。
『───アニーちゃん、いつもアステルと遊んでくれて、ありがとうな。
これからもおじさんがいない間、アステルの事よろしく頼むな!』
『はい!』
そんなの頼まれるまでもない。
精一杯大きな声で返事をすると、おじさんはアステルと同じ色の瞳を細めて、固くて大きな手でわたしの頭を撫でた。
翌朝。街門前で王宮の兵士が奏でるファンファーレと、多くの人々の激励と大声援をおじさんは受ける。
王様までこの場にいて、いつもの旅立ちにしてはあまりにも盛大な見送りに、わたしはびっくりして隣にいるお母さんのスカートを引っ張って何故かと尋ねた。
『オルテガさんがついに魔王の本拠地に乗り込むそうなのよ』と、お母さんは怒ってるような、悲しんでいるような複雑な表情で答えた。
おじさんは街門を潜るその前に振り返り、拳を高く掲げ、太陽のような明るい笑顔で、ここにいる見送るみんなに応えた。
そうしておじさんは……勇者オルテガは旅立った。
勇者の旅立ちを見届けて、みんなが思い思いに帰路につく中、アステルとおばさんだけは動かず、じっと街門の先を見据えていた。
わたしとお母さんが近付くと、振り返ったおばさんは柔らかな笑みを浮かべて、そして傍らにいたアステルの背中をぽんぽんと叩いた。
わたしはお母さんから離れて、アステルの手を握る。
不安げに揺れていた青の瞳がこちらを向いた。わたしが握る手に力を込めてアステルを見返すと、アステルは瞳を大きくして、それからにこりと笑った。
───それから数ヶ月後。
深夜に届けられた勇者の悲報は、夜明けには国中に広がり、知れ渡っていた。
教会の礼拝堂。大地の女神様の像の前に置かれた棺の前に、お父さんとお母さんと一緒に立ち、花を捧げて、祈る。
目の前の棺の中は、おじさんの服と捧げられた花だけが詰まっていた。
おじさんは魔王の大地にある火山の山頂で、襲い掛かる魔物達と魔族と戦い、そしてその魔族諸とも火口に落ちて亡くなったそうだ。
だから。ここにおじさんの
棺の近くに立つ、アステルとおばさんとアステルのお祖父さんに向かって、お父さん達に合わせて頭を下げる。
アステルもおばさんもお祖父さんも泣いてない。アリアハンの誇る勇者の遺族として、気丈に会葬者に対応していた。
参列者はまだまだ途切れなさそうで、アステルとろくに会話も出来ずに離れる。
お父さんに手を引かれながら、そっと後目にアステルを見た。
ステンドグラスを通して入る弱い光だけの薄暗い聖堂の中で、アステルの青い瞳が淡く輝いて見えた。
西の空が茜色に染まる頃、棺の埋葬が終わった。
ぱらぱらと墓地から立ち去る人の中に、おじさんの死を純粋に悲しむ人がいる一方で、打倒魔王の期待を勝手に掛けといて、裏切られたと悪口を漏らす人の声もあった。
『散々
『
『まあ、アリアハン
『結局は犬死にだったな』
そちらに向かって飛び出して行きそうになるお父さんの腕をお母さんが捕まえて、首を振ってアステルやおばさん達を見遣る。
悪意の声はきっと耳に届いたと思う。
それでも。どこまでも毅然としているおばさん達の姿に、お父さんは怒らせた肩を落として、拳を固く握り締めた。
『お母さん達は先に戻るわね』
俯くお父さんの背中を押しながら告げるお母さんに、わたしは頷いた。
やがて墓地はアステル達とわたしだけになる。
おばさんは息を吐き出すと、こちらを向いて
夕日に照らされたその笑顔は、いつもと変わらず綺麗で優しかったから。胸がぎゅっと苦しくなった。
『アニーちゃん、最後までありがとうね』
そうお礼を言うおばさんに、わたしはぶんぶんと頭を横に振る。
わたしはおずおずとおばさんとお祖父さんに近寄り、それからアステルを見た。
わたしに気付いてないのか、アステルはぼんやりとおじさんの名前が刻まれたお墓を見詰めていた。
『アステル……』
そっと声を掛けて、握り込んだ手に触れると、アステルはその時初めてわたしに気付いたようにびくりとして、こちらを向いた。
『アステル……大丈夫?』
『……ん』
返事をして、アステルはまたお墓に目を向ける。
『……不思議だよね。空っぽの棺を埋めたお墓が、父さんのお墓だなんて』
『………うん』
アステルがそう言うのも無理ないと思ってた。だってわたしだって信じられない。
あんなに強かったおじさんが、いつも笑顔で帰って来てたおじさんが、もう帰って来ないなんて。信じたくない。
『……父さんは』
アステルの絞り出すような声に、わたしは俯いた顔を上げた。
『似非勇者なんかじゃ、ない……っ!』
潤んだ瞳を見開いて、雫として溢さないように必死に堪えてるアステルを見て、わたしは初めて涙が溢れた。
ずっとずっと我慢してたんだ。
皆の前で涙を見せれば、悲しむ素振りを見せれば、それさえもおじさんが馬鹿にされる要因となるから。
だから。どんなに悲しくても。悔しくても。アステルは泣けないんだ。
『うん、そんなの知ってる。知ってるよぉ……っ!』
ぼろぼろと涙を溢しそれを拭いながら頷くわたしに、アステルははっとしてそれからぎこちなく笑った。
『……アニー、泣かないでよ』
『いいの! アステルの代わりに泣いてるの……っ!』
声を上げて泣き出したわたしを、アステルが抱き締めた。
『……アニー。私、勇者になるね。父さんの後を引き継ぐの。……父さんを犬死にだなんて、誰にも言わせない』
わたしを抱き締めながら、そう囁くアステルの声は強く、決意に満ちていた。
それから。アステルは勇者となり魔王打倒の旅に出る事、護身術としてではなく、その為の剣と呪文の稽古をつけて欲しいと懇願した。
勿論、大人達みんなに猛反対された。
『女の子なんだから』
『勇者の娘だからと言ってそこまでする必要はない』
『アステルが旅に出れば、残されたお母さんとお祖父さんが悲しむぞ』
色んな言葉で、アステルを思い止まらせようとしていた。……わたしもお父さんとお母さんからアステルに諦めるように説得しなさいと言われた。
けれど、アステルは止まらなかったし、わたしもそんなアステルを止められなかった。
許しがもらえないと、アステルは一人で剣と呪文の修行をし始めた。
火の玉を出す魔法に失敗してやけどをし、それを隠してたのをおばさんに見つけられ、こっぴどく叱られもしてた。
それでもアステルは止まらなかった。
ならばと、アステルのお祖父さんは『成人までに勇者たり得る力を身に付けよ。ただし訓練中に弱音を吐いたり、一回でも休んだ時点で、金輪際お前には剣を持たせんし、魔王討伐の旅になど出させん』と、アステルに条件を与えた。
とても厳しい条件なのに、アステルは大喜びでわたしにそれを伝えに来た。
それを聞くわたしはアステルにとっての朗報に、喜んで、うまく笑えていたか、わからない。
最近、わたしはまともにアステルとおしゃべりしたり、遊べていない。
おままごとしたり、人形で遊んだり、一緒に本読んだり、集めたリボンを見せ合いっこして、それで互いに髪を結いあったり。
そういえばお菓子作りも楽しかったな。
アステルは料理が上手だった。一緒にレモンケーキを作ったのは、もういつの事だったかな?
剣や呪文の特訓は徐々に厳しいものとなり、ついには危険だからと傍で見ている事すら出来なくなった。
ある日。たまたま修行するアステルの剣技を見た旅の戦士様が、ルイーダさんの酒場でアステルの事を盛大に褒めちぎった。『次世代の勇者の誕生かもしれない』というその言葉は、瞬く間に広がっていった。
どんな陰口を叩かれようとも、おじさんの、勇者オルテガの威光は健在だった。
おじさんにかつて向けられていた期待が、一気にその娘のアステルへと向かう。みんな勝手だ。
そしてその噂はお城の王様の耳にも入り、アステルの修行の支援をし始めたってお父さんは複雑そうに話していた。
アステルがどんどん遠くへと離れてく。
勇者になるアステルの傍にいるのに必要な、戦う力も才能もわたしには欠片もない。
寂しい。寂しいよ。アステル。
おじさんが亡くなってから、二年が過ぎようとしていた。
部屋に籠りがちだったわたしは、その日なんとなく外に出た。その日は日射しが強くて、わたしは帽子を目深に被る。
この時期はよく水遊びをしてたな。おじさんに作ってもらった水てっぽうで、アステルと庭で水を掛け合って。
公園のベンチに座り、ぼんやりと花壇の花を眺める。
暑いのにわたしはなんでこんな所にいるんだろ。と、思っていたその時。
『なぁ~に? あなたまた一人なの?』
掛けられた高飛車な声にぎくりとして、逃げるように直ぐ様立ち上がろうとしたものの、既に取り囲まれてしまった。
五人の女の子達の中心に立つ子は、丁寧に巻かれた明るい栗毛の髪に、平民のわたしじゃ触れる事も叶わない、びっしり花の刺繍が施された上品な生地のワンピースで着飾っていた。
ポーラはアリアハンで一、二を争う
そしてこの子は勇者の娘であるアステルが気に食わないのか、なにかと絡んでは難癖を付けてくる厄介な子でもあった。
『な、なに? わたしに何か用?』
『用もなにも、あんたがいっつも一人で可哀想だから、遊んであげようかなって思っただけよ』
ポーラがわたしの隣に座る。わたしを挟むように逆隣には取り巻きの子が座り、腰を浮かせていたわたしの腕を掴んで強引にベンチに戻した。目の前には残りの三人が、わたしを見下ろして逃がさないとばかりに嗤って立っていた。
……怖い……怖い!
『あの子も薄情だよねぇ~!
次期勇者だとか言われて、大人達にちやほやされて、あんたの事は放ったらかし。あたし達がいなかったら、あんたずぅ~と一人っきりだったのよ? 酷いよねぇ』
そう言ってポーラはわたしのお下げの片方を引っ張るように弄り始める。
『そ、そんな事ない。アステルは、お父さんみたいな勇者になる為に、今頑張ってるの……っ』
震える両手でスカートをぐっと握り込んで、声を必死に絞りだした。ポーラはつまらなそうに鼻を鳴らして目を逸らしたけど、その時何かを見つけたように目が大きくなり、次には皮肉な笑みを浮かべた。
『でもさぁ。皆あの子のお父さんの事、勇者だ、英雄だって騒ぐけど結局なぁんにもしてないじゃない?』
声高に言うポーラに『だよね~~』と、周りの女の子達が同調して嘲り嗤う。
『そんな事、ない……!』
大きな声で否定したいのに、うまく声が出ない。
『知ってる? そういうのって犬死っていうんだって! お父様が言ってたわ!』
その言葉にわたしは血の気が引いた。
アステルを傷付けた言葉。許せないと顔を上げた。
───そう、思ったのに。
『あんたもそう思うでしょ?』
『え?』
ポーラの細めた目と目が合ってしまった。悪魔のような笑みに身体は竦み上がってしまう。
『ねえ?』と同意を求めながら、ポーラはぐいっとわたしの三つ編みを強く引っ張った。その拍子に再び俯く格好になってしまう。
逆隣にいる女の子はわたしの手の甲をつねってくる。
目の前の女の子達は今のわたしの状態を、周囲から隠すように立っていて。わたしを取り囲む目と嗤い顔は、助けを呼ぶ勇気すら奪っていく。
誰も気付かない。助けてくれない。逃げられない。
いつも守ってくれるアステルは、今ここにいない。
ううん。アステルの傍にいたなら、こんな事にもなってない筈だった。
目の前が潤み出す。頭がくらくらする。息も吸い辛い。
わたしは怖くて。怖くて、怖くて、怖くて。
だから、だから、わたしは。
『……う、……うん』
からからに乾いた喉は、酷いと、許せないと思っていた言葉を肯定し、震える身体は力なく頷くように項垂れてしまった。
───ザッ、と。
不自然な程、大きく聞こえた地面を擦る音にわたしははっとして顔を上げた。取り巻きの子らが、わたしの視界から少し離れて隙間を作る。ポーラが楽しげに嗤って見つめる先には。隙間から見えた光景は。
『ア、アステル………!?』
アステルだった。最近は殆んどそれだった男の子のような服じゃなくて、白いブラウスに青いスカートを纏っていた。背中までの長さの癖のある黒髪をおろして、サイドの一房を三つ編みにした……わたしが以前似合ってると褒めた髪型。
髪を結ってる白いリボンは、おじさんから貰った一番のお気に入りだと見せてもらったもの。
わたしのよく知ってる姿のアステルがそこにいた。
さっきの音はアステルの靴音だったのか、不自然に傾いてる体勢を直してアステルがゆっくりと顔を上げた。
代わりに胸に押し寄せてくるのは、とてつもなく大きな後悔と罪悪感。
『───ち、違う! 違うの!』
わたしはまだ髪を掴んでいたポーラの手を叩いて立ち上がった。喚くポーラを無視し、邪魔する取り巻きの女の子を押し退けて、立ち尽くすアステルの元へ駆け寄る。
そして飛び掛かるように抱き付いた。
『ごめっ、ごめんなさい! アステル! 違うのっ! 違う……! ごめんなさいっ』
ちゃんと説明して、謝りたいのに、うまく言葉が出てこない。出ようがない。
わたしは取り返しのつかない事をしてしまった。
けらけらとわたし達を嘲笑う女の子達の声が、この上なく煩わしくて、悔しくて。
言葉の代わりに涙と嗚咽が出てくる自分自身に腹が立って。
ふと目を上げれば、アステルがわたしに向かってぱくぱくと口を動かしていた。
様子がおかしいと気付いた、次の瞬間。
歪んだ笑みを浮かべたアステルの身体から放たれた強い
痛みは……不思議と感じなかった。
───アニーちゃん、いつもアステルと遊んでくれて、ありがとうな。
これからもおじさんがいない間、アステルの事よろしく頼むな!
───はい!
遠退く意識の中、あの時のおじさんの笑顔が浮かんで、そして消えた。
ああ、これは、おじさんとアステルを裏切った───臆病なわたしへの罰だ。
* * * * * *
「───アニーっ!」
アニーはかっと瞳を開く。
ここが何処なのか、今がいつなのか。
混乱はしたものの、共寝していた夫の気遣わしげな顔を見て、アニーはすぐ現在の自分を取り戻した。
「ポポタ……」
夜明け前の薄暗い部屋のベッドに横たわったまま、彼の名を呼んで自分が息を切らしているのに気付く。ポポタは手を伸ばし、アニーの濡れた頬を触れる。
「ずっと魘されてた。なかなか起きないから心配したよ」
「……ごめんなさい」
目を擦りアニーが身を起こすと、ポポタにそっと抱き寄せられた。背中に回った手がぽんぽんと優しく叩く。
アニーはこの世で一番落ち着く腕の中で、深く息を吐いた。