長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA 作:ちこちろん
「はあ~~っ!!?」
シェリルがすっとんきょうな声を上げ、タイガは目を丸くした。
「アープの塔であんな上手にぴーぴー吹いとったやんっ!」
「だからっ! それ本当覚えてないのっ!」
もう一つの危惧していた事が現実となってしまい、スレイは歯噛みする。
アープの塔で《聖なる旋律》を奏でていたのはあくまで《ロト》であって、アステルではない。
(アステル自身には笛を奏でる能力はないのか?)
だとすればやはり、アステルは《ロト》に身体を渡さなければ《聖なる旋律》は奏でられないのだろうか。さっと冷たい風が吹き抜け、スレイの銀の髪が靡いた。
『───信じよ』
風に紛れて女神の声が聞こえた気がして、スレイは目を瞪った。
「───大丈夫よ」
「え?」
皆がその声に振り返る。マァムその人の口から放たれた声だが、芯のある凛としたその口調は先程のとは違う。無論普段のマァムのものでもない。
マァムはアステルに近付き、笛を握る手に手を重ねる。
「アステルが知らなくても、あなたの魂は笛の奏で方をちゃんと覚えてる。アステルは息と一緒に祈りを吹き込むだけでいいの」
「マァム、いきなりどないしたんや?」
戸惑うシェリルにマァムはにっこりとする。そしてアステルを真っ直ぐ見つめる。その瞳が深紅から鮮やかな緑に変化した。
「マァム……あなた」
「アステルは今、どんな気持ちでこの笛を握ってる?」
「それは……」
アニーを、アニーの大切な人を、家族を、ムオルとそこに住む人達を、守りたい。彼女達を、この世界を護ってくれているという世界樹を助けたい。
だから聖なる旋律を奏でたい。
マァムの翠玉に輝く瞳が柔らかく細まる。まるでアステルの考えている事を、更にはアステルの中にいる存在すらも認め、見透しているかのように。
「今のその気持ちを祈りに変えて。あとは息を吹き込むだけでいいの」
マァムは重ねていた手に僅かに力を込めて、それから離した。
「アステルに意地悪してないで、私
そう微笑むマァムに、アステルは瞳を見開く。どういう意味なのか聞きたい。
しかし、それ以上に今は笛を奏でなければという衝動が強く沸き上がって、アステルは笛を持ち上げ、吸い口に息を吹き込んだ。
まずは試すように。一つの音を高く長く荒野に響き渡らせる。その音はアステルの魂の内に眠る、知らない筈の記憶を呼び覚まさせた。
アステルは目蓋を閉じて、笛を奏で始める。
アステルは間違いなく笛を持った事もなければ、演奏した経験もない。けれど。
息を吹き込む力加減も息継ぎのタイミングも、どの穴にどの指を当てればいいのかも、意識しなくても身体が覚えていた。
アステルはただただ願いを込め、身体の動くままに笛を奏でた。
ついさっきまで笛の扱いを知らないと嘆いていたというのに、アステルはアープの塔で聞いた同じ旋律を奏でていた。
「……スレイ、今のアステルは大丈夫なんか?」
シェリルは不安になってスレイに尋ねる。もしかして今アステルは、彼が心配していた身体を何かに乗っ取られている状態なのではないか、と。
しかしスレイは頭を横に振ってそれを否定した。
「……大丈夫だ。これはアステル自身が吹いている」
はじめに山彦の笛に触れようとした時は、表情と瞳の輝きは失せ、明らかにあの時と同じく《ロト》に身体を奪われようとしていた。
だが今ははっきりとアステルの意思を感じる。
『アステルに意地悪してないで、私達にも聞かせて? ……お父さん』
スレイはマァムに視線を遣る。マァムの瞳の色はいつの間にか深紅に戻っている。茜色ではないので、人格はマァム=ヴェルゼムではなくマァム=ノーランの方だろう。
(さっきの緑の目はなんだったんだ? それにあの言葉は一体………お父さん?)
スレイはタイガに目で疑問を投げ掛けるが、視線に気付いたタイガは此方に首を横に振った。……タイガも知らないらしい。
(後でマァム=ノーランに確認しなければ)
「───あっ!」
シェリルが控え目に叫ぶ。笛を吹くアステルの身体から真白い光が溢れ始めた。彼女を中心に巻き起こるそよ風に辺りに繁るヌーク草が揺れる。
アープの塔の時と同じ現象ではあるものの、アステルの纏う光は太陽のような強く目映いものではなく、まるで月の光のように穏やかで優しい。
アステルの足元からきらきらと瞬く星のような白銀の光が現れる。星光は一つ、また一つと数を増し、風に乗って夜空へと舞うようにして昇っていく。
「きれいや………」
美しい旋律と幻想的な光景にシェリルはほぅと吐息を漏らす。
ややあって星光は全て天へと還り、アステルの身体から溢れていた光も静かに消えた。
スレイは手にあるルーンスタッフの聖力が増したのを感じた。枝であるこの杖を通じて、世界樹の歓喜と感謝の声を聞いた気がした。
アステルもまた、笛を奏でながら地面から沸き上がる、優しく暖かい力に身体が包まれるのを感じていた。
(もしかして……世界樹、なのかな?)
不浄を祓う神聖な力がこの地を覆う感覚を初めて感じた。それはダーマの神殿、ランシールの神殿ほどの力ではないが、それでも弱いともいえない。
(この世界を護って下さってありがとうございます)
心の中で世界樹に感謝を述べて、アステルは笛から唇を離した。───その時。
「………え?」
先程まで奏でていた旋律が、微かだが聞こえた。
アステルはもう一度吸い口に唇を当て、息を吹き込んだ。
旋律が聞こえたと思われる方角に向かって、強く吹き鳴らした。
「アステル?」
「しっ!」
シェリルが声をかけたが、アステルがその口を押さえて耳を澄ます。沈黙の中、ヌーク草がさわさわと風で揺れる音だけが辺りを支配する。
………いや。笛の高い音が遠くから二重、三重と微かに響いて帰ってきた。
アステルはシェリルの口から手を離した。
「これって……山彦?」
「山彦っつったら、山に音が反射して帰ってくるもんやろ?」
アステルの呟きにシェリルは山彦のした方角をみたが、荒野となだらかな丘陵その先に広がるのは黒い海ばかりだ。
「スレイ、山彦の笛の役目って……」
スレイは頷く。古を語る伝承者である喋る白馬エドは言っていた。
『六つに分かたれた神鳥の魂は、世界各地に散らばっています。貴方の奏でる《山彦の笛》の旋律を、神鳥はとても好んでいた。あの旋律を貴方が奏でれば、
「……エドの言葉通りなら、もしかしたら近くにある
「だから山彦の笛……か」
顎に手を当てシェリルが納得したように頷く隣で、アステルが再度笛を吹き鳴らして反響する方角を探る。
スレイは鞄から〈妖精の地図〉を取り出して広げた。立ち上がった羽ペンが現在地を忙しく色付けるのを横目に耳を澄ませ、山彦が帰ってくる方角と地図を照らし合わせる。〈鷹の目〉で遠方を確認する。
笛の音に合わせるように、遠くで弱々しく瞬く光を黄金の瞳が抜かりなく捉えた。
「………ここから南東の方角、紫の光が見える」
呟いたスレイの言葉を耳にして、背後に立つタイガの肩が大きく揺れた。
「タイガ……?」
彼の異変を機敏に感じ取ったマァム=ノーランが、そっとタイガに近寄り声をかけた。タイガは笑むも、その笑顔はぎこちないものでマァムは小首を傾げる。
タイガは無意識に腰に下げた剣の束を強く握りしめていた。
* * * * * *
翌朝。ムオルの船着き場にはアニーとポポタとその家族だけでなく、大勢の村の人までアステル達を見送りに来ていた。
「そういえばアステル達は見た?」
「なにを?」
渡された檸檬や蜂蜜、黒胡椒が入った袋を抱き締めてアニーが尋ね、アステルが頭を傾げた。
「昨日、流れ星の群れが見れたんですって。短い時間だったからわたしは気付けなかったんだけど……」
「そ、そうなんだぁ。私も知らなかったなぁ」
残念そうに眉を下げるアニーに、アステルは内心ひやひやしながら誤魔化した。
アニーはポポタに袋を渡すと、アステルの両手を掴んで力をぎゅっと込めた。
「神様がアステルの旅路を祝福してくれたんだよ」
そこでアニーはアステルに身を寄せそっと耳打ちした。
「旅路だけじゃなくて、きっと恋路の方もね?」
「と、突然なに言い出すのっ!?」
「大丈夫! 昨日の様子だとアステルったら、彼の胃袋ちゃんと掴んでるじゃない! これってすっごく重要なんだから」
「だから! スレイとはそんなんじゃないって……」
「信頼からの恋愛への進展なんて、冒険譚ではお決まりの展開でしょ? 勇者サマだって恋してもいいじゃない」
「アぁニぃ~っ!」
こそこそと言い争う二人を、仲間とポポタはやれやれと眺める。狼狽えるアステルに、アニーはくすくすと笑った。
「アステルったら、真っ赤になってかわいい」
「もう! 揶揄うのはやめてったら……」
言い掛けて、アステルは言葉を詰まらせる。
向かい合うアニーの身体は震え、笑んだ口元がみるみる歪み、瞳には涙が溜まっていた。
それを目にした途端、アステルも込み上げてくるものが押さえ切れず、それを隠すようにアニーを引き寄せて抱き付き、細い肩に顔を埋めた。
「……アニー。私ね、海を超えて行きたい場所に行ける魔法を覚えてるんだ。だから、必ずまたここに遊びに来るから。……待っててくれる?」
アニーもアステルの肩に顔を埋め、その背中に手を回した。
「うん。これから毎日神様にお願いするわ。アステルの旅が無事に終わるようにって。だから……っ!」
「うん。その時が来たら絶対に会いに行く。約束するから……!」
互いの肩で涙を拭うようにして離れる。お互い目と鼻を真っ赤にした情けない顔で笑い合った。
「元気でね。大好きだよ。アステル」
「アニーもね。私も大好きだよ」
アステル達を乗せた船はゆっくりと陸から離れる。
ポポタに支えられ、アニーは船が小さくなり、見えなくなるまでその場を離れなかった。
「結局、喧嘩らしい喧嘩はしなかったな」
もうすっかり小さくなったムオルを、それでも眺めていたアステルの隣にスレイは並び、船縁に背中を預けるようにして凭れ掛かる。
「そうかな? アニーとはあんな風にぶつかり合った事はないから、あれが喧嘩だと思うけど」
「あれは喧嘩というより……お前、ちなみにマァムやシェリルと喧嘩した事は?」
聞かれてアステルは子供の頃を思い返すが、意外と思い当たらなかった。
(むしろ喧嘩するマァムとシェリルの間に入って宥めていた記憶しかないかも……)
アステルが何かを言う前に答えを察したのか、スレイは「お前らしいな」と苦笑する。
「そんなに落ち込むな。会おうと思えば
「それはそうだけど。一人で大陸間ルーラが出来る程まだ理力が……」
「それはこれからの鍛練次第だな」
「……はぁい」
(一緒に来てはくれないんだ……)
心のどこかで期待していたアステルはがっくりと肩を落とすのに、スレイは口の端を持ち上げた。
『……ぶつける相手がちゃんとそこにいるんだ。とことんぶつかってこい』
───想像する。例えば、もし。
(
周りの目も気にせず。勢い余って殴り掛かるかもしれない。もしその場にアステルがいたとしたら間違いなく青ざめてひいて……いや、彼女は自分を止めるだろう。
(けど、それでもアイツは……)
温和に微笑んで、理不尽な物言いも拳も全て受け入れる姿が容易に想像出来て笑ってしまう。
「……喧嘩になんかならないだろうな」
ぽつりと呟くスレイをアステルは見た。
アステルに対して漏れた独語ではないのがわかった。
悲しげな、寂しげな笑みを空に向けるスレイに切なくなる。
自分が隣にいるのに。余所見しないで此方を見て欲しいとアステルは彼の腕に手を伸ばそうとし、ばっとその手を逆手で押さえた。
この手は一体何をしようとしていたのか。
『───勇者サマだって恋してもいいじゃない』
「だから違うっ!!!」
心の中のアニーの声を否定し叫んだアステルに、スレイは船縁に置いていた肘をずるっと落とした。
「いきなりどうした?」
「え、あ、はは……」
怪訝な目で尋ねるスレイに、アステルは自覚しつつある感情を持て余し、笑って誤魔化すしか思い付かなかった。