Painful Choice ―愛か死か現実か―   作:裕ーKI

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Chapter1:Mercenary's Rest / 傭兵の休息

 欲と権力と破滅が入り乱れる混沌の街、ナイトシティ。

 

 この街で最も大きく、名の知れたナイトクラブ――アフターライフには、数多くのフィクサーや傭兵たちが己の利益を求めて集まってくる。

 

 ギラついた黄緑色のネオン。冷たい鉄の内装。爆音で流れ続ける、かつてこの街を震撼させたロックバンドのミュージック。

 

 遺体安置所を改装して造られたというこのナイトクラブには、常に渇望だけが犇めき合っていた。

 

 出入りの絶えない、出世欲に塗れた数えきれないほどの猛者たち。

 

 彼らは全員――いや、もっと言えば、この2077年に生きる者たちの殆どが、身体のどこかにサイバーウェアやクロームと呼ばれる機械パーツを組み込んでいる。

 

 言うなれば、肉と金属が混ざり合った改造人間。

 

 それがこの街、この国、この世界、この時代に生きる、人類という種の今の形なのだ。

 

 そして、このアフターライフに集まるのは、いずれも“頂点”を夢見て裏稼業に勤しむ者たち。

 

 クライアントから仕事を預かるフィクサー。

 

 そのフィクサーの依頼を受けて街を駆ける傭兵。

 

 この街で成り上がろうとしている者たちの機械の部分は、皆一様に金と血肉に薄汚れ、貪欲な光を放ち続けている。

 

 

 

 

 

 そんな欲望渦巻くナイトクラブの一角。

 

 煌々と熱気を照らすバーカウンターにて。

 

 周りの連中と同じくメジャーを目指し、今では街一番の傭兵と噂されるまでになった女性――V(ヴィー )は、恋人と肩を並べてスツールに座り、他愛のない会話に花を咲かせていた。

 

 彼女もまた、この店を闊歩している数多くの傭兵たちと変わらない。金のため、夢のため、そして今は何より生き延びるために、彼女は戦場へと身を投じている。

 

 しかし、彼女と他の傭兵たちでは、決定的な違いがあった。

 

 1つは、このナイトシティを支配する世界企業アラサカに喧嘩を売ってしまったこと。

 

 1つは、彼女は既に1度死んでいるということ。死んで生き返り、そして再び死が迫っているということ。

 

 そして最後にもう1つ。今の彼女の脳内には、Vとは別の人格が宿っているということ。50年以上前に死んだテロリストの人格が、Vの頭の中で同居しているのだ。

 

 現在進行形で、彼女の自我は徐々にテロリストの人格に上書きされている。耳裏の端子に刺さっているサイバーチップ――≪Relic≫にインストールされているテロリストの記憶痕跡が、自動的にVの電子脳に流れ込み、その肉体を乗っ取ろうとしている。

 

 1日1日。1分1秒。まるでゆっくりと刻む終末へのカウントダウンのように、Vは少しずつ自分を失い始めていた。

 

 本来なら、チップを外せば済む問題なのかもしれない。

 

 しかしVの場合は、状況があまりにも複雑であり、何事も簡単にはいかないのが現状だった。

 

 とあるフィクサーの裏切りに遭い、その結果、破損して誤作動を起こした≪Relic≫は、図らずも生命維持装置の役割を担っていた。

 

 1度死んだVは今、≪Relic≫によって生かされている。故にチップを無理に外せば、その瞬間彼女は息絶える。

 

 しかしだからといって、放っておいても結局Vは死ぬ。

 

 このまま何もしなければ、いずれ自我を完全に塗り潰され、自分を失くし、別人と化してしまうのだから。

 

 肉体が無事であっても、それは結局、魂の死を意味する。

 

 だからこそ、そうならないために。

 

 生き延びるために。

 

 この絶望的な状況を打破するために、Vはナイトシティでコネクションを広げ、解決手段を模索し続けている。

 

 今日もまた、どこかで解決の糸口へと繋がることを願いつつ、幾つかの依頼を熟すことができた。

 

 窃盗。救出。破壊工作……。朝から晩まで街中を奔走し、さすがに疲労を感じざるを得ない。

 

 疲れを癒すために、Vは恋人であるジュディ・アルヴァレスを誘ってアフターライフにやって来た。

 

 Vに残された時間は、残り少ない。

 

 今のままでは、正直生存より破滅の方が圧倒的に確率が上なのだから。

 

 しかしだからこそ彼女は、少しでも長く恋人と一緒にいたかった。たとえそれが束の間の逃避だとしても。

 

 

 

「――そう。じゃあ、結局詳しいことは何もわからなかったのね」

 

 

 

 肘を立てた腕の上に顎を乗せながら、ジュディは悄然としたVの顔を覗き込んだ。

 

 彼女はBD(ブレインダンス)クラブ――リジーズ・バーを拠点にしているギャング、“モックス”のメンバーであり、同時にクラブを支える優秀なテッキー兼ブレインダンスエディターでもある。

 

 Vとジュディの出会いは、ジュディの元恋人であるエヴリン・パーカーが齎したとある依頼がきっかけだった。

 

 Vにとってジュディは、最初は単なる仕事の協力者に過ぎなかった。

 

 だが、ナイトシティの残酷な環境に翻弄された2人は、結果的にかけがえのない存在を失ってしまう。

 

 Vは唯一無二の相棒――ジャッキー・ウェルズを。

 

 ジュディは愛する恋人――エヴリン・パーカーを。

 

 共に大切な人を亡くし、失意の底にあった2人。

 

 しかしそれでも、挫けず戦うことをやめなかった2人は、やがて互いを支え合う関係へと変化していった。そして、ラグーナ・ベンドでの一夜を機に、正式に恋仲へと発展したのだった。

 

 今、2人の会話はある話題で盛り上がっていた。

 

 それは3日ほど前にVがアロヨで偶然見つけた、1つのBDから始まる出来事についてだった。

 

 ゴミ箱の中に捨てられていたBDに記録されていたのは、NCPDやマックス・タックを相手に暴走する1人のサイバーサイコの一幕と、最後に表示される不可思議なメッセージ。

 

 そこに記されていたのは、とある人物の名前。

 

 “デイビッド・マルティネス”という、聞き慣れない名前だった。

 

 Vがジュディに語ったのは、“デイビッド・マルティネス”なる人物が何者なのか気になり、調査したという話だ。

 

 だが調査と言っても、実際に手を回してくれたのは、その地区の現フィクサーであるエル・キャピタンであり、結論から言っても、確信に迫るような答えに辿り着くことはできなかった。

 

 

 

「一応、仲間らしき男にはコンタクトが取れたんだけどね……。だけど、こっちの思惑は向こうにはお見通しだったみたい。何かをするよりも先に、『詮索するな』って釘を刺されてね。それに口止め料のつもりなのか、このジャケットが送られてきたの」

 

 

 

 火のついた煙草を口で遊ばせながら、Vは着用している上着をジュディに強調して見せた。

 

 Vが羽織っているのは、救急隊の制服のようにも見える黄色いジャケット。背面にはEとRを合わせたような独特の形をした黄緑色のマークが染め抜かれている。

 

 

 

「詮索ねえ。確かに、必要以上に他人に干渉しないのが、ナイトシティの掟みたいなものだからね。Vみたいな、なんにでも首を突っ込むお人好しは、寧ろこの街では珍しいくらいだし」

 

 

 

 恋人の見慣れない服装に視線を注ぎながら、ジュディは含み笑いを浮かべた。

 

 

 

「珍しいって、人を絶滅危惧種みたいに言わないでくれる? あたしだって、別に誰これ構わず手を出しているつもりはないんだけど? しっかり選り好みはするし、損得にも気を遣ってるから」

 

「へぇ~、そぉ~? なら訊くけど、私と関わりを持ったこと、Vにとっては得だったの? それとも損だったの?」

 

「なぁに? あたしのこと試してるわけ? そんなの、訊くまでもないじゃない。これ以上ないくらい…………利得だった」

 

 

 

 悪戯っぽく言うジュディの顔に、自らの顔を近づけながら、Vは囁くように答えた。

 

 そのままキスまでしてしまいそうな勢いだったが。するとその時、場所を選べと言わんばかりの唐突な咳払いが、2人の間に流れる甘い雰囲気を容赦なくぶち壊した。

 

 咳払いをしたのは、バーカウンターの向こう側でグラスを磨いている1人の女性。赤髪のポニーテールが印象的なバーテンダー、クレア・ラッセルだった。

 

 クレアの鋭い視線に促されるように、2人は慌てて首を上げて元の体勢に戻る。

 

 

 

「ねえV、私にも……煙草ちょうだい」

 

 

 

 ジュディに所望され、Vはジャケットの内ポケットに仕舞っていたシガレットケースに手を伸ばす。

 

 しかしジュディは、「そうじゃない」と軽く首を横に振ると、自身の唇を指差すようにジェスチャーした。

 

 

 

「Vが口に咥えているそれ。それが欲しいの」

 

 

 

 ジュディの意図を理解したVは、自分の口にある吸いかけの煙草をジュディの口元へと運んだ。

 

 淡いピンク色の口紅がついたVの煙草を咥えたジュディは、肺に流し入れた煙を吐きながら満足げな表情を浮かべた。

 

 ジュディにとって、これはお預けを喰らったキスの代わり。煙草を介した、Vとのキスなのだ。

 

 

 

「それで? 探偵ごっこはもうお終いにするつもりなの?」

 

 

 

 ジュディの問いに、Vは注文したカクテルが入ったグラスを手に取りながら答えた。

 

 ウォッカのロックにライムジュースとジンジャービア。そして忘れちゃいけない……愛情。

 

 今は亡き友が生前に好んで飲んでいた、友の名を冠したカクテルだ。

 

 

 

「んー……、どうしよっか。一応念を押されたし。調べるって言っても、元々単なる好奇心っていうか……暇潰しみたいなものだったからね……」

 

 

 

 そう言って、迷いながらカクテルを口に含んでいると、ジュディは呆れ顔で忠告した。

 

 

 

「あのねV……、BDの作成を生業にしている私から言わせてもらうと――いや、そうじゃなくても、誰だってツッコみたくなるけどさ……。野良犬じゃないんだから、そこら辺に落ちてるようなよく知らないBDを、むやみやたらに拾わないの」

 

 

 

 まるで母親のような口調で言い聞かせるジュディの言葉に、たまらずVの顔が綻んだ。

 

 

 

「ふふっ。だって何が入っているのか気にならない? ひょっとしたら、とんでもなくエログロなのが入ってるかもしれないじゃない」

 

「なによ、その後先考えない好奇心……。さっきの損得云々の話はどこ行ったのよ?」

 

「何事も実際に試してから使えるかどうか判断する。それがノーマッドの生き方なもんで」

 

「それはそれは……。逞しいというか、怖いもの知らずというか……。でも、落ちてるものを食べて、お腹を壊すのとは訳が違うんだから。そんなくだらないことで野垂れ死になんて、お願いだから勘弁してよね?」

 

「あー……。幸い、死ぬところまではいかなかったけど、実は既に前科があったりして……」

 

 

 

 ジュディの指摘に図星を突かれて、Vは思わず苦笑を浮かべた。

 

 同時に思い出したのは、以前の仕事で晒した幾つかの失態だった。

 

 NCPDの善良な刑事――リバー・ウォードの捜査に協力した時のこと。もしくは、裏BDの売人に成りすましたスカベンジャーに騙されて、追い剥ぎに遭った時のこと。

 

等々と、これまでにVは、BD関係で何度か痛い目に遭ったことがあった。

 

 

 

「ちょっとV~?」

 

 

 

 出会った当初のポーカーフェイスは一体どこへ行ったのか。あからさまに態度を変えるVを追求しようと、ジュディはさらに声を上げる。

 

 すると、惚けるように視線を逸らしたVは、握り締めたグラスを口に運び、カクテルを一気に飲み干した。

 

 その横顔を見つめながら、ジュディは密かに思いを馳せる。

 

 出会ったばかりの頃のVは、ノーマッド特有の近寄りがたい雰囲気を纏っていた。

 

 口数は少なかったし、目つきは獲物を狙う獣のように鋭く冷たかった。

 

 警戒心を緩めることを知らない、まさに荒野に生息する狼のような存在だった。

 

 それが今では、こんなにも穏やかで、柔和な表情を見せてくれる。

 

 恐ろしげな狼も、恋人の前ではまるで子犬のよう。

 

 いつだったか、本人の口から告げられた彼女の真の名前。本当に親しい者にしか教えないという彼女の秘密と合わせて、この美しくも愛くるしい表情が自分だけの特権だと思うと、心底嬉しくて堪らない。

 

 しかしだからこそ。

 

 

 

「もう、しょうがないんだから……。でもV、暇潰しなんて言ってたけど、今のあなたに時間を無駄にする余裕なんてないんじゃない?」

 

 

 

 やれやれといった顔で尋問を諦めたジュディだったが、直後に浮かべた彼女の表情は、少し心配そうなものだった。普段はあまり態度や言葉には出さないが、内心では相当にVの具合を案じているのだ。

 

 それは無理もないこと。

 

 エヴリン・パーカーと死別しているジュディにとっては、恋人の喪失は2度と経験などしたくないトラウマなのだから。

 

 一方のVも、ジュディの気持ちは重々過ぎるほどに理解しているつもりだった。

 

 エヴリンの死に傷つき、悲しみ、怒り狂ったジュディの姿を、一番近くで見ていたのだから。

 

 今でもたまに思い出す。

 

 バスタブの中で血塗れになっているエヴリンの傍で、涙を流しながら自分を責めるジュディの姿。消える寸前のエヴリンの命に見向きもしようとしない、ナイトシティの悪辣な環境に激昂する彼女の叫び声。

 

 ジュディは度々口にしていた。

 

 この街が嫌い。

 

 この街を出たい。

 

 いつか必ず、一緒にナイトシティを出ようと。

 

 

 

「そうね。ジュディのためにも、これからは時間を浪費しないように気をつけなきゃね」

 

「ありがと。でも私のためじゃなくて、なにより自分のため――V自身のためだからね。お願いだから……たくさん生きて。絶対に……死なないでね……」

 

「ええ、わかってる。全て片付いたら、一緒にナイトシティを出よ」

 

 

 

 Vが伸ばした手が、ジュディの頬に触れる。その手の温もりを感じながら、ジュディもまた、自らの手をVの手に重ね合わせた。

 

 2人の手は組み方を変え、今度は指を絡ませる。

 

 このままいけるところまで。

 

 そう思いながら、互いに唇を近づける。

 

 しかしそこへ。

 

 

 

「おふたりさん? 今日は随分と盛りがついてるんじゃない?」

 

 

 淡々とそう言って、2人の情緒的な雰囲気に再び待ったをかけたのは、やはりバーテンダーのクレアだった。

 

 カウンターに両手をつき、姿勢を落ち着かせるクレアに、Vは気落ちした声音で言葉を返す。

 

 

 

「クレア~……。ちょっとぐらい空気を読んでくれても、バチは当たらないんじゃない? 誰だって好きな子と一緒の時は欲情するものでしょ? 男は竿を勃てるし、女は蜜を垂らすものよ」

 

「あら、私だって2人のことは応援しているわよ。だけどさすがに時と場所ぐらいは選ばないとね。ここはあくまで酒を飲みながらビジネスの話をするところ。それでもどうしてもヤりたいなら、自宅かHOテル、あるいは路地裏でどうぞ。まあ、ストリップショー宜しく公開セックスがお望みなら、これ以上何も言わないけど?」

 

「さすがにそこまでは……ねぇ。人を殺す度胸はあっても、さすがに公衆の面前で痴態を晒す度胸は持ち合わせていないわ……」

 

「そう? なら大人しく、お楽しみの時まで待つことね」

 

「はぁ……。はいはい、わかりました。言うとおりにしますよ」

 

 

 

 クレアのからかい半分の説得に降参したVは、脱力するように背凭れに寄り掛かりながら、大きく溜息をついた。

 

 そんな2人のやり取りを、ジュディは隣で微笑ましげに見ている。

 

 

 

「よろしい。……ところで、さっきからなんの話? 聞き間違いじゃなければ、“デイビッド・マルティネス”って聞こえたんだけど、酒の注文って訳じゃなさそうよね?」

 

「え? ああ、すっかり話が逸れてた。実は……――って、クレア……、あんた今なんて言った? 酒の注文って……あ!」

 

 

 

 クレアの何気ない言葉に、Vはハッとなって背凭れから体を起こした。

 

 そして今更ながら思い出した。

 

 アフターライフのメニューには、“デイビッド・マルティネス”と同名の酒があるということを。

 

 この店には、長年にわたり続いている伝統がある。

 

 それは、街を騒然とさせるほどの偉業を成しながらも、命を落とした傭兵の名を、当人が生前に好んでいたカクテルの名に冠するというものだ。

 

 街を震撼させた傭兵は、死して初めて伝説として完成する。そして、アフターライフに並ぶ酒の名として、次の世代へと語り継がれる。

 

 

 

「ねえ、クレア。ひょっとしてクレアなら、何か知っているんじゃない?」

 

 

 

 傭兵に纏わる話は、傭兵の名を売り物にしている酒場で訊けばよかったのだ。そんな簡単な手段を失念していたことに忸怩しながらも、Vは実際に酒を作っている本人に駄目元で訊ねてみた。

 

 

 

「実は少し前から調べてるの。“デイビッド・マルティネス”。この名前のことで知っていることがあったら聴かせてほしいんだけど。……ああ勿論、カクテルのことじゃなくて、名前の元になった傭兵のことでね」

 

 

 

 Vの質問に、クレアは少し考えるように間を置いてから重い口を開いた。

 

 

 

「んー……。知らなくはないんだけど、ね……。1年前ぐらいまでは、実際にこの店にも来てたし。昔は頼りなさそうだったけど、いつからか急に大物になったのをよく覚えてる。でも、彼に何があったのかは、正直よくわかっていないのよ。彼の消息が途切れるちょっと前に、シティ・センターで大規模な銃撃戦があったらしいけど……」

 

「それが彼の行方と関係しているってこと?」

 

「さあね。当時はニュースやスクリームシートでも、殆ど報道されなかったし。それはもう、誰の目から見ても不自然なくらいにね」

 

「だとしたら、コーポ絡みか。ミリテクって線もあるけど、大方アラサカでしょうね……。連中にとってもあまり都合のいいことじゃなかったから、規制を掛けたってところかしら」

 

「ま、十中八九そうでしょうね。でも、どうして急にそんなことを?」

 

「ああ、だからそれは――」

 

 

 

 Vがそう言いかけたところで、突然他の席からクレアを呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

 

「おーい! クレア! ガールズトークばっかしてないで、こっちの相手もしてくれよ!」

 

 

 

 カウンターの隅で酔っ払っている名も知らぬソロが、持ち上げたグラスを振りながら構ってほしそうにクレアを見ている。

 

 

 

「あ~、ちょっとごめんね、V。話はまた後で」

 

 

 

 そう言って、クレアは一旦Vとジュディの前から離れていった。

 

 酔っ払いの相手を始めるクレアを見送りながら、Vはジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、いつだったかジュディから託されたエヴリンのシガレットケース。

 

 蓋を開き、抜き取った1本を口に咥えると、先端に火をつけて煙を吸い込む。

 

 肺を満たした煙を吐きながら、気持ちを1度ゆっくりと落ち着かせる。

 

 少々喋り過ぎて疲れた喉を休ませるための、軽いインターバルといったところか。

 

 この街の傭兵になる前は、煙草なんて全くと言っていいほど吸ってこなかったのに。

 

 今ではすっかりヘビースモーカーの仲間入りだが、この味を知るきっかけをくれたのは、一体誰だったか。自分の口から噴き出た煙を見つめながら、そんなことをふと考える。

 

 一瞬、隣に座るジュディを連想したものの、すぐにそうではないと思い出す。

 

 残念ながら、煙草を吸うきっかけとなったのは、ジュディじゃない。

 

 ジュディの方が何百倍も良かったと思いつつ、Vは自分の頭の中に居付いている1人のテロリストを想起した。

 

 寄生してきたその時から、隙あらば「煙草を吸わせろ」と年甲斐もなく駄々をこねてた、破滅主義のロッカーボーイ。

 

 そう。今こうして煙を吹かしているきっかけとなったのは、間違いなくこの男だ。

 

 はじめは鬱陶しくて仕方なかったのに、いつのまにかこっちが折れて吸いだしていた。

 

 今にして思えば、あれも自我の上書き――≪Relic≫の影響だったのかもしれない。……なんて、別に根拠がある訳ではないが、事の合間に冷静になると、ついあれこれ勘ぐってしまう。

 

 そうやって余計な思考を張り巡らせながら、クレアが戻ってくるのを待っていた。

 

 するとその時だった。

 

 

 

「ねえ……。デイビッドのことを嗅ぎ回っているサイバーパンクって、あんたのことよね、V……」

 

 

 

 店内の喧騒に紛れて、突然背後から冷たい吐息のような囁き声が聞こえてきた。

 

 不意に背筋が凍りつくような感覚に襲われたVは、体に染みついた傭兵としての防衛本能に従うように、反射的に銃が仕舞われているホルスターに手を伸ばした。

 

 しかし、銃を抜き取り、声の主に向かって振り返ろうとしたその瞬間、Vは自分の首に硬い紐状のものが巻きついていることに気がついた。

 

 それはVも知っているサイバーウェアの一種。高熱を帯びた単分子の金属線を鞭のように撓らせて、標的を切断する暗器――モノワイヤーだった。

 

 幸い、今はまだ熱は発せられてはいないらしいが、僅かでも気を抜けば、恐らく一瞬にして首を斬り落とされるだろう。

 

 故にそうなる前に。

 

 殺られる前に殺るために。

 

 Vは危険を顧みずに、強引に振り向こうとした。が、それよりも早く、耳元でまたしても声が聞こえた。

 

 

 

「動かないで……。少しでも妙な真似をしたら、即座に首を切り落とすよ……」

 

 

 

 それは冷たく、そしてどこか妖艶さを孕んだ女の声。それも声色から察するにかなり若い。

 

 Vは女の警告に従うように、振り向く途中でピタリと動きを止めた。

 

 結局、相手の姿は視認できないままだ。

 

 

 

「V!」

 

 

 

 愛する恋人の危機に、隣でジュディが血相を変えて叫ぶ。

 

 

 

「落ち着いて、ジュディ……。あたしは大丈夫だから……」

 

 

 

 取り乱すジュディに視線を送りながら、Vは小声で彼女に語りかけた。

 

 そして、意識を再び背後の気配に向けると、今度は自ら声を掛けた。

 

 

 

「ねえ、後ろにいるあんた。どこの誰か知らないけど、あたしに何か用があるんでしょ? それなら、まずはその物騒なものを仕舞ってくれない?」

 

「…………」

 

 

 

 返事はない。代わりに、首を絞めるワイヤーの力が僅かに強くなる。

 

 

 

「ぐっ……うぅ……」

 

 

 

 圧迫されて息が詰まり、Vの喉奥から唸り声が漏れる。

 

 背後にいる女は、Vの言葉には触れずに一方的に質問を投げ掛けた。

 

 

 

「……どういうつもりなの、あんた。ファルコの言いつけを破るつもり?」

 

 

 

 彼女の口から飛び出た聞き覚えのある名前に、Vの表情が固まる。

 

 

 

「ファルコ……?」

 

 

 

 それは先日、メッセージ越しではあったが、唯一コンタクトを取ることに成功した、“デイビッド・マルティネス”の仲間の名前。エル・キャピタンを介して、今着ている黄色いジャケットを譲ってくれた男の名前だ。

 

 その名を耳にした瞬間、Vの中で1つの推測が浮かび上がった。

 

 ――この女は、恐らく……。

 

 

 

「ちょっとあんた! もしVを傷つけたら、その瞬間に私があんたの頭に銃弾をぶち込むから!」

 

 

 

 既に背後の女の素顔を見ているジュディは、激昂した表情で女を睥睨している。もしこのまま放っておけば、本当に女を殺しかねない勢いだった。

 

 しかし、Vが最も危惧しているのは、ジュディが相手を殺すことより、相手にジュディが殺されることだ。

 

 かけがえのない相棒だったジャッキーに続いて、彼女まで失う訳にはいかない。そう思ったVは、荒ぶるジュディに言い聞かせた。

 

 

 

「ジュディ……。そんなに興奮しないで……。せっかくの奇麗な顔が台無しじゃない……」

 

「V……。でも……」

 

「大丈夫……。どうやらそこにいる彼女の目的は、あたしの命って訳じゃないみたいだから……」

 

「どういうこと?」

 

 

 

 Vの思わぬ言葉に、ジュディは自分の耳を疑った。

 

 今こうしている瞬間にも、実際に殺されかけているというのに、当の本人は一体何を言っているんだと。

 

 そんな恋人の様子を尻目に、Vは背後の女に向かって背中越しに語りかけた。

 

 

 

「あんたの行動がフィクサー絡みなのか、それとも個人の意思なのかは知らないけど、殺しが目的なら、わざわざ警告なんてしないで一思いに暗殺すればいい。でもそうしなかったってことは、それ以外のことが目的。そうなんでしょ?」

 

「勝手に決めつけないで。私はいつだってあなたを殺せる。それだけのことよ」

 

 

 

 赤いアイメイクで彩られた目を細めながら、背後の女は言い返した。

 

 しかしVは臆することなく言葉を続ける。

 

 

 

「なら仮にそうだとしましょ。だけどここはアフターライフよ? 街中のフィクサーや傭兵の目が集まるこんな所で大っぴらに殺しをすれば、信用を無くすのはあんた自身。そうなれば、ナイトシティじゃ確実に生きてはいけなくなる。そんなこともわからないほど、あんたも馬鹿じゃないでしょ?」

 

「それは脅しのつもり? そんなの、言われなくてもよくわかってる。少なくとも、あんたよりはね。だけどそれがなに? 今の私は、既にこの街を去った身。もう関係のない人間なの。だから――」

 

「だから――あたしの命だって簡単に奪えるっていうの? それは随分と……無鉄砲な考えね。でも、だったら尚更落ち着きなって、チーカ。そんなことしたって、あんたには一文の得にもならないんじゃない? こんなくだらないことで命を粗末にしたら、あんたの仲間が悲しむよ? このジャケットをくれた、ファルコって男とか。後は……そう、“デイビッド・マルティネス”とかね」

 

「ッ! デイビッ……ド……」

 

 

 

 その名前を聞いた途端、女の呼吸が明らかに乱れた。

 

 彼女の動揺が伝わったのか、Vの首に巻きついていたモノワイヤーの力が、僅かに緩んだ。

 

 その隙を見逃さなかったVは、一気に振り向くと同時に、握り締めた銃を女の顔へと向けた。

 

 しかしその瞬間、すぐに冷静さを取り戻した女の瞳が機械的に明滅した。

 

 すると呼応するようにVのサイバーウェアの腕から火花が散り、異音と共に銃口の向きがあらぬ方向へと傾いた。

 

 気がつくと、Vはジュディに銃を向けていた。

 

 背後の女に、ではない。

 

 大切な恋人であるジュディに、牙を剥いてしまっていた。

 

 

 

「うそっ!? これは……」

 

「ちょっと……V!?」

 

 

 

 一瞬何が起きたのか理解できなかった。

 

 銃を握るVも、銃口を向けられているジュディも、共に呆然とした顔で言葉を失っていた。

 

 ようやく目撃した、背後にいた女の正体。それは端正な顔立ちをした銀髪の少女だった。

 

 黒いレオタード状のスーツの上に白いジャケット。肌も白く、狐のように鋭い両目には赤いアイメイクが施されている。

 

 Vは銀髪の少女の顔を見ながら状況を理解した。

 

 

 

「なるほど……。クイックハックか……。あたしにハッキングを一切悟らせないなんて、大した隠密性ね……。あんた、ひょっとして凄腕のネットランナーでしょ?」

 

「どうでもいい。……だけど今、私があんたの行動を掌握しているのは間違いない。私が信号を送れば、あんたは自分の恋人を撃ち殺すことになる……」

 

「あー……。それだけは天地がひっくり返っても御免だわ。あたしがジュディを殺すなんて、トラウマどころの話じゃないもの。……わかった、あたしの負けよ。降参するわ」

 

 

 

 まるで人質を取られたかのような状況に追い込まれ、やむを得ず観念したVは、ハッキングを免れているもう片方の腕をひらひらと上げた。

 

 お手上げ状態であることを表しながら、Vは銀髪の少女に懇願する。

 

 

 

「あんたの用件はなんでも聞く。なんだったら、モノワイヤーを首に巻いたままでも構わない。だけどせめて、銃だけは降ろさせてくれない? ジュディに銃口を向けたままじゃ、あまりにも気分が悪いから……」

 

「……わかった」

 

 

 

 それは意外な返事だった。

 

 Vの頼みをあっさりと了承すると、銀髪の少女の瞳から機械的な光が消えた。

 

 ハッキングが解除され、Vは銃を持つ腕の自由を取り戻した。

 

 すぐに武器を懐に仕舞い込むと、Vはジュディの頭を抱き寄せ謝罪した。

 

 

 

「ごめんね、ジュディ。驚かせちゃったね……」

 

「私は大丈夫。でもVが……」

 

 

 

 ジュディは心配そうにVの顔を見つめる。

 

 すると、Vの首に纏わりついていたオレンジ色に輝く銅線が巻き戻り、少女の手首の中へと収納された。

 

 

 

「あれ!? どうして……」

 

 

 

 突然モノワイヤーの拘束から解放されたことに、Vは驚きの声を上げる。

 

 銀髪の少女はモノワイヤーを仕込んでいた腕を引っ込めながら、低めの声音で説明した。

 

 

 

「必要ないから……。別にあんたに首輪を付けたくて、ここへ来た訳じゃない。ただ……見に来ただけだから」

 

「見に来た? 一体何を?」

 

「……あいつの形見の……今の持ち主」

 

「形見? 形見って……」

 

「あんたが今着ているそれよ。そのジャケットは……1年前までデイビッドが着ていたもの。それをとある傭兵に譲ったってファルコから聞いたから、どんな奴か確かめに来たのよ!」

 

 

 

 互いの瞳を見つめ合い、相対する2人。

 

 射るような眼差しから醸し出される、冷たい威圧感を正面から受け止めながら、Vは静かに息を整えた。

 

 3人の間に緊迫した空気が流れる中、するとそこへ、接客を終えたクレアが戻ってきた。

 

 

 

「おまたせ、V。待たせてごめんね……って――」

 

 

 

 クレアはVと対面している銀髪の少女の姿を見た途端、驚きの声で少女の名を口にするのだった。

 

 

 

「――あら! 誰かと思ったら……ルーシーじゃない!」

 

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