Painful Choice ―愛か死か現実か― 作:裕ーKI
ナイトシティを離れてから、約1ヵ月ほどが経っていた。
今でも時折、ルーシーは過去の体験を夢に見る。
仲間と過ごした日々のこと。
恋人との思い出。
良いことも辛いことも。
そして、街を出る直前の些細なやり取りさえも、たまに夢で振り返る。
たとえば、ナイトシティからジャクソン平原へと送り届けてもらっていた時、車中でファルコに伝えたこと。
それは、アフターライフでVやジュディと会った後、ナイトシティに滞在中の間に、ノース・オークの慰霊堂に仲間たちの墓を作ってきたという報告だ。
1年前、逃げるように街を出た時には果たせなかった、建墓と追悼。
しかしVとの出会いをきっかけに、自身の気持ちに区切りがついた今なら、もう1度仲間たちの死と向き合うこともできるかもしれない。そう決心し、1年遅れで慰霊堂へと足を運んだのだと口伝した。
アルデカルドスとの合流地点の手前で車を降りて、車窓越しにファルコと別れの挨拶を交わした時。
「送ってくれてありがとう、ファルコ。助かったわ」
「いいってことよ、気にすんな」
「それで? あんたはこの後どうする気? すぐ街に戻るのかしら?」
「まあな。だがせっかくだ。ついでにこの足で墓参りしてくるのも悪くないかもな。なにしろ、お前が立ち直った証だからな」
「フッ、違う。あれはあいつらがこの街で生きた証よ」
「そうだったな」
微笑混じりにルーシーが訂正すると、ファルコもまた笑みを返す。
「じゃあ……私はもう行くけど、あいつらのこと頼むわ。街に残ったあんただけが頼りだから」
「ああ。特別にタダで引き受けてやるよ」
「ありがと。よろしくね」
「でもその代わり、近くに来た時には必ず顔を見せろよ。なんなら迎えに行ってやるからよ」
「ええ、約束する。その時は必ず顔を出すわ。みんなにも、あんたにも。今度はVとジュディも連れて、ね」
枯れた大地の上で交わした、昔馴染みとの約束。
別れ際に胸に刻んだ、恩人の言葉。
ルーシーの夢想は、そうして終わった。
目が覚めると、そこはテントの中だった。
必要最低限の家具だけを配置した、小ぢんまりとした1人用の住居スペース。
アルデカルドスに加入してからは、キャンプ地の一角に設営されたテントの1張りが、ルーシーの住処となっていた。
昨晩は隣のテントから聞こえてくる女同士の嬌声に多少悶々しつつも、それでもぐっすりと眠ることができた。
徐々に意識がハッキリしてくると、ぼやけた目を擦りながら、シーツに張り付いた上半身をゆっくりと起こす。
ベッドの端には、1ヵ月前にVから手渡されたカーネイジGUTSが凭れ掛かっており、さらにその上には、デイビッドの黄色いジャケットが覆い被さっている。
ルーシーは今は亡き仲間と恋人の遺品を見つめながら、朝の挨拶代わりにフッと笑みを浮かべるのだった。
――おはよう、ふたりとも。
・・・
まだ僅かに薄暗い早暁の空の下で、Vはアルデカルドスの家族たちと一緒に朝食の準備をしていた。
大きな鍋の中でグツグツと沸騰している、トマトピューレとチリペッパーが赤く染み込んだ米をヘラで掻き混ぜながら、息抜きがてら、携帯端末に目を通していく。
『――だが、俺は侍じゃない。簡単な言葉で別れを告げさせてもらう。地獄に落ちろ、クソアマ!』
モニターに表示されているのは、ホロコールに溜まっていた知人たちからのボイスメール。端末から聞こえてくる黒髭の男の罵倒に、Vは申し訳なさそうにクスリと笑った。
アラサカ・タワーに殴り込みを仕掛け、天下のメガコーポに甚大な損害を齎したことに後悔はしていない。なんならジョニーに代わって、ざまあみろと中指を立てたって構わない。
だがそれでも、もし心苦しさがあるとすれば1つだけ。それは命の恩人でもあるゴロウ・タケムラを結果的に裏切ってしまったことだろう。
初めは利害の一致から始まった協力関係だったかもしれないが、共に危機を乗り越えていくうちに信頼感が生まれ、好意が芽生えていたのは事実だった。
そんな彼の憎悪を買い、そしてそのままの別れとなってしまったことだけが、唯一の遺憾として胸を締めつける。
「ごめんね、ゴロウ。あんたには悪いことをしたわね」
心中を誤魔化すように微笑みながら、Vはモニターに向かって呟くように謝罪した。
と、そこへ。
「おはよう、ヴァレリー」
背後から不意に聞こえてきた挨拶の声と共に、いきなり誰かにポンと尻を叩かれた。
驚いたVが反射的に振り返ると、そこに立っていたのはデイビッドのジャケットを羽織ったルーシーだった。
アルデカルドスの一員としてナイトシティを出た後、Vは数日掛けて自らの半生を包み隠さず語り尽くした。ルーシーやジュディには勿論、パナムをはじめとするノーマッドの家族たち全員にだ。
ある時は仕事の合間や移動中の車の中で。
またある時は星空の下で、みんなで焚火を囲みながら。
そもそもの話、その考えに思い至ったのはサーシャがきっかけだった。
サーシャを介してルーシーの過去を知ってしまったから。
“詮索しない”という約束を無下にしてしまったことに対する、せめてもの償いとして、Vは自己開示を決意した。
その甲斐あって今、Vと家族たちの間に一切の垣根は存在しない。
曇りなき信頼の証として、家族たちは皆、Vを“ヴァレリー”と真の名で呼び慕っている。
「おはよ、ルーシー。昨日はよく眠れた?」
手にしていた携帯端末をキッチンテーブルに置きながら、ヴァレリーはルーシーに挨拶を返す。
「ええ、ぐっすり眠れた。寝付くまでは誰かさんたちの喘ぎ声が気になって、結構ムラムラさせられたけどね」
「ムラムラって……あ! あぁ~……」
悪戯っぽく笑うルーシーの言葉に、ヴァレリーの表情があからさまに強張る。その様はまるで、母親に悪戯がバレた子供のよう。
昨晩は同棲しているジュディと一緒に、テントの中で愛の営みに夢中だったことを思い出しながら、ヴァレリーは恐る恐る口を開いた。
「ひょっとして……丸聞こえだった?」
「よ~く聞こえてた。当たり前でしょ、隣同士なんだから。でも知らなかったわ。まさかジュディよりヴァレリーの声の方が大きかったなんてね。随分乱れてたんじゃない? そんなに良かったの?」
「ちょっとやめてルーシー。真面目に追究しないでよ……。恥ずかしくなる……」
「いいじゃない、別に。それだけジュディと愛し合ってる証拠でしょ? クランのみんなはわかってる。時間は限られてるんだし、好きなだけやれば?」
「お気遣いどうも。気持ちはありがたく受け取っとく。じゃあ……なんなら次は、あんたも参加する? 3Pはまだ未経験だし」
「んー……そのうちね」
「え、ホントに?」
「冗談よ」
したり顔で即答したルーシーの言葉に、ヴァレリーは「ああそう……」と、気落ちした様子で鍋に視線を落とした。
ちょっとだけ残念そうに唇を尖らせながら、拗ねるように鍋を掻き混ぜる。しかしそれでも、実のところヴァレリーの心中は晴れ晴れとしていた。
こうしてルーシーと気さくにジョークを言い合える仲になれたことが、純粋に嬉しくてたまらない。
「そういえば、さっきは変にニヤついていたけど、一体何を見てたの?」
キッチンテーブルに置かれた携帯端末に視線を向けながら、ルーシーは訊ねる。
ヴァレリーはヘラを握る手の動きを止めて、携帯端末を再び持ち上げた。
「ああ……大したものじゃない。ただのボイスメールよ。ナイトシティを出てからずっとバタバタしてたでしょ。おかげでホロに出る余裕もなくてね。気づいたら留守電が山のように溜まってた。だからそのチェックを、少しね」
「ふぅん。本当はあんたが街に残ることを望んでた連中が、実は結構いたんじゃない?」
「そうかもね。でも、あたしの人生のハンドルは、誰でもないあたしが握ってる。何処へ行くのも、何をするのも、これからはあたしの自由なの。行き先を口出しするチューマも、もう……助手席にはいないしね……」
そう言って、光芒を帯びた地平線に向けたヴァレリーの瞳は、少しだけ寂しそうに潤んでいた。
きっと彼女の瞳には、1ヵ月前に別れたロッカーボーイの姿が映っているのだろう。そう思いながら、ルーシーはヴァレリーの横顔を見つめる。
「口出しなら、今後も絶えることはないと思うけど?」
ルーシーが意見すると、視線を戻したヴァレリーが聞き返す。
「どういうこと?」
「確かに頭の中で楽器を鳴らすロッカーボーイはもういないんだろうけど、これからのあんたには私たちがいるってこと。私やジュディ、アルデカルドスの家族がね。きっとみんな、遠慮なくあんたを振り回すよ」
「フッ。それはそれは……。これから先が思いやられそう」
と、言いつつも、ヴァレリーの口元は随喜に満ちて綻んでいた。そしてそのままの顔でルーシーに告げる。
「だけどそれはあんたも同じよ、ルーシー。今の言葉、そっくりそのまま返してあげる。気の毒だけど、アルデカルドスは絶対にあんたを手放さない。もう、そう簡単に独りにはさせないよ」
「なにそれぇ。まるで脅迫みたいな言い草ね。でもいいわ、覚悟しといてあげようじゃない」
ヴァレリーの笑顔に釣られるように、ルーシーも腰に手を当て微笑んだ。
地平線からゆっくりと昇る太陽が、笑い合う2人の表情をオレンジ色に照らす。
空の暁光のごとく、アルデカルドスの未来はきっと明るい。
ファミリーの誰もが、今はそう確信を持っている。
ヴァレリーとジュディ、そしてルーシーが加入したことで、アルデカルドスはノーマッド界隈において一頭地を抜いたクランとなった。
傍から見れば、たかが3人と思われるかもしれないが、ナイトシティで一番と謳われたほどの最強のソロと、天才的なテッキーとネットランナーが揃って加わり、実際にクランの生活環境は著しく向上し、戦力も大幅に強化された。
ラフェン・シヴの連中も、当分の間は軽々しく手出しはできないだろう。
キャンプ地の中心に広げられたアウトドアキッチンの前を、シャワーを浴びたばかりのパナムが横切っていく。
人目も憚らずに、肩にバスタオルをぶら下げた全裸姿の彼女に気づいたヴァレリーとルーシーは、すっかり見慣れた光景だと驚くこともなく、手を振り挨拶をする。
それに気づいたパナムも、2人に手を振り返しながら自分のテントへと向かう。
ヴァレリーの視線は、キュッと引き締まったパナムの大きな尻に釘付けだった。
「良い景色ね」
「バカッ」
その瞬間、ささやかな制裁宜しくルーシーの肘打ちが、ヴァレリーの鳩尾にめり込んだ。
鍋から漂うスパイシーな香りが、風に乗ってキャンプ地全体へと拡散していく。
ヴァレリーが作っていた料理が、もう間もなく完成しようとしていた。
鍋の中身はジャンバラヤ。ナイトシティにいた時に、NCPDの熱血警官と一緒に作ったこともある、思い出深い一品だ。
「そういえばジュディは? まだ寝てるの?」
ジャンバラヤを盛り付けるために必要な食器を、幾重にも積み重ねてヴァレリーの傍に運びながら、ルーシーはふと問いかけた。
先刻から気にはなっていた。ヴァレリーの恋人であるジュディの姿が、どこにも見当たらない。いつもなら、仕事前の朝はヴァレリーにベッタリくっ付いているはずなのに。
「多分ね。新しい生活にまだ慣れきってなくて、疲れが溜まってるのかも」
コンロの火を止めながら、ヴァレリーはなんてことない顔で答えるが。
しかし刹那に、ルーシーの鋭い指摘が容赦なく入る。
「夜遅くまでヤッてたからでしょ」
「あー……ははっ……。さあ、どうかしらね……」
図星を指されたヴァレリーのすまし顔は、呆気なく崩れて苦笑に埋もれた。
するとその場を取り繕うようにスプーンを握りしめ、鍋から一口分のジャンバラヤを掬い取る。そして、
「ほら……料理ができた。意地悪なその口を大きく開けて、味見してくれる? はい、あーんして」
そう言いながら、ヴァレリーはジャンバラヤがちょこんと乗ったスプーンのつぼをルーシーに向けて差し出した。
当然の如く、ルーシーは真顔で反論する。
「なによいきなり。おちょくってんの?」
「違うって。本当に味見してほしいだけよ。ほら早く。あーん」
他の朝食当番のメンバーたちの視線が、ひっそりとルーシーに集中している。
さすがに抵抗を感じつつも、しかしヴァレリーに急かされたルーシーは、言われるがまま口を小さく開けた。
「あ、あーん……」
躊躇いがちに開いた口に、ヴァレリーはスプーンをそっと忍ばせる。
ジャンバラヤを口に含んだルーシーは、そのまましばらくモグモグと咀嚼する。そして……。
「ん、おいしいわ……」
コクンと飲み込むと目を逸らし、小恥ずかしそうに頬を赤らめながら、ボソッと感想を呟いた。
途端にヴァレリーの顔がパッと華やぐ。
「それは良かった。料理の出来は上々。オマケにあたしは、あんたに“あーん”して食べさせることができたし、まさに言うことなしね」
「ちょっとヴァレリー、下心が漏れてる。本命は後者でしょ」
「フッ、当たり」
ジト目で睨むルーシーに、ヴァレリーは開き直った顔で靨を深くする。
そんな彼女の魅力的な笑顔が眩しくて、ルーシーは呆れながらも苦笑で応える。
「まったく……、まるで子供みたいね。ジョニーがいてもいなくても同じじゃない」
「ちょっと、それ心外なんだけど?」
「だって事実でしょ。……っていうか、そんなことよりそれよ」
言いながら、ルーシーはジャンバラヤが入った鍋を指差した。
「なに?」
「確かに美味しいけど、朝からジャンバラヤってちょっと重いんじゃない?」
「そんなことないって。ノーマッドは体力勝負の重労働なんだから。朝からしっかり食べてスタミナつけなくちゃね」
「へぇー。経験者は語るってやつかしら?」
「ええ。サイバーパンクとしてはあんたの方が先輩だろうけど、ノーマッドとしてはあたしの方が経験は上なんだから」
「はいはい、わかった。言う通りにするわ、“先輩”」
「よろしい」
太陽の高さが増すにつれて、次第にキャンプ地は賑やかになっていく。
テントから出てきた家族たちが、次々と活動を始め、それぞれの持ち場へと散る。
周りを見渡せば、いつの間にかどこもかしこも活気に満ち溢れていた。
騒がしくも心地良い。
ナイトシティで散々感じてきた、耳障りな一方通行の喧騒とはまるで違う。
生きているという実感。人生の充実感。相互扶助の一体感を強く感じる。
差し迫る死への恐怖も、今は心の底で大人しくしているようだ。
一瞬、黒い影が上空を通過した。
ルーシーと一緒に頭上を見上げれば、ナイトシティでは絶滅したと噂されていた鳥が、自由気ままに飛行していた。
大きな翼を広げ、澄み渡った空を旋回しているのは、1羽のコンドル。
ナイトシティから数百キロも離れれば、彼らもこうして当たり前のように生きている。
そういえば、ナイトシティを出る直前のダムの上でも、小さな鳥を見たような気がする。噂は所詮噂か。そんなことをふと考えつつも、ヴァレリーは思い立つ。
いい加減、
ルーシーが賛同すると、ヴァレリーは再び子供染みた笑顔を浮かべた。そしてテントに籠っている恋人に向かって、モーニングコールを送るのだった。
「ほら、起きて! 朝食できてるよ!」
―fin―