Painful Choice ―愛か死か現実か― 作:裕ーKI
今、徒に過ごした1年分の時間を取り戻すように、ルーシーは久々に人との触れ合いを満喫していた。
意識的ではない。彼女自身も気づかないうちに、いつの間にかVたちとの懇談にのめり込んでしまっていた。Vの気さくさがそうさせるのか。それとも、実は心の奥底ではやはり他者との交流を望んでいたのか。
いずれにせよ、ルーシーの表情は自然と明るくなっていた。
Vを脅迫していた時には強張っていた肩も、いつの間にか緊張が解れてすっかり軽くなっている。
なにより、後ろめたさのあまり先刻まで飲むことを躊躇していた、恋人の名を冠したカクテルにも、心ともなく向き合い、そして口をつけることができた。
恋人と同じ名前のカクテル。
“デイビッド・マルティネス”に重なる、ルーシーの柔らかな唇。
これもまた、1つの形なのかもしれない。
1年ぶりに果たされた、
愛する人に向けた――慕情のキス。
口に含んだ最初の一口を、コクンと軽い微音と共に飲み込むと、炭酸の微かな刺激と燃えるような熱さが喉の奥を駆け巡り、仄かな甘味が口内を潤す。久しく忘れていた、アルコール本来の心地良さを味わいながら、ルーシーはそっと息をつく。
「……悪くない、ね」
全てを失い、悲しみに暮れていた時には感じられなかった爽快感に、思わず笑みが零れる。と同時に、小さな疑問がふと頭を過った。
その手に包まれているグラスの中では、いくつもの小さな気泡がプクプクと湧いている。それはカクテルに含まれている二コーラの炭酸ガスなのだろうが、思い返せば、デイビッドは煙草と共に炭酸の刺激が苦手だったはず。
煙草に関しては、彼に気を遣ってルーシーの方が禁煙したほどだ。
炭酸に関しても、傭兵としての名が知れ渡るにつれて少しずつ克服――というより、武器の扱いや殺しの実戦、はたまたクロームが肉体に馴染んでいくのと同じように、経験を積んで徐々に慣れていったに過ぎなかった。仲間の前では見栄を張って飲むことはあっても、結局最後まで好き好むことはなかったはずだ。
デイビッドがエッジランナーになりたてのひよこだった頃、彼の弱みを知った傭兵チームのメンバーたちは、皆思い思いのリアクションで彼の拒絶反応を面白がっていた。
ピラル、レベッカ兄妹は腹を抱えてゲラゲラと哄笑していた。
キーウィとドリオは、一見目立つような感情は顔には出さずに、静かに見守っていたようだったが、内心ではきっと、笑いを堪えるのに必死だったに違いない。
リーダーのメインに至っては、最初は壮大な溜息と共に呆れつつも、
『締まらねえなぁ、デイビッドォ! オシメをつけたガキじゃねえんだからよ、一人前にゃまだ程遠くても、惚れた女を抱きたきゃ、せめてカッコぐらいはつけねえとなぁ!』
と、すぐにいつもの兄貴風を吹かして、大笑しながら励ましてやっていた。当時はまだ、年相応の痩躯だったデイビッドの肩に、鉄の剛腕を回しながら大口を開くメインの姿を、いつも集いの端で暑苦しそうに見ていたことをルーシーは思い出した。
勿論、チームのドライバーを務めていたファルコも、デイビッドの事情を知っていたのは間違いない。ならばなぜ、彼はデイビッドの名を冠したカクテルのレシピに、あえて本人が苦手としていた炭酸を加えたのだろうか。
――ああ、そういうこと……。
グラスの縁に何度か口をつけているうちに、ルーシーはなんとなく察した。その理由は多分、自身を顧みず、無茶をし過ぎた生前のデイビッドに対する当てつけ。早死にした彼に向けた、ちょっとした罰のつもりだったのかもしれない。
勿論、当人の口から真相を聞いたわけではないが、……もしそうなら、なかなか粋なことをするじゃないかと、ルーシーはクスリと口角を上げた。
隣の席では、酒宴の隙を見つけては、Vとジュディがイチャイチャとふざけ合っている。クレアの姿も、他の客のオーダーを受けている最中なのか、眼前から離れた場所に立っていた。
一瞬、蔑ろにでもされているのかとムッとした気分にもなったが、恐らくそうではないのだろうと、ルーシーはすぐに不平を収めた。
要は3人とも、空気を読んで気を遣ってくれているのだ。デイビッドと同じ名前を与えられたカクテルに、ゆっくりと思いを馳せる時間を用意してくれたのだろう。
ならば、この束の間の一時をありがたく享受させてもらおうと、ルーシーはまたグラスを傾けた。
それはまるで、チームの仲間と連んでいた頃に戻ったかのような、そんな安らぎに満ちたひとときだった。
当時も、決して積極的に交流の輪に混ざっていたという訳ではなかったが、それでも、孤独も同然だった幼少期と比べれば、何十倍も居心地の良さは感じていた。
今の感覚は、あの頃を追想させるような不思議な懐かしさを抱かせてくれる。おかげでかつては鬱陶しくて苦手意識すらもあった、
やがて、散開していた視線が再びルーシーの元に集うと、酒の肴にしていた話題は、自分たちを陥れたフィクサーたちに対する文句の暴露合戦から、互いの意外な共通点の話へとシフトしていった。
Vが語ったのは、先刻も少し口にした、デクスター・デショーンに脳天をぶち抜かれた時の話。アラサカに追われる身になった上に親友を亡くし、その挙句にナイトシティ郊外――バットランズのゴミの山に廃棄されたが、偶然が重なったおかげでなんとか命拾いしたという経緯だ。
するとそんな話に対し、ルーシーもまた、幼少時代にアラサカから死に物狂いで逃亡し、気づいた時にはゴミの山で過ごしていたと明かした。
アラサカに追われ、ゴミの山に捨てられたV。
一方で、アラサカに追われ、ゴミの山に身を隠していたルーシー。
共に悪臭漂う劣悪な環境を経験したことがある2人。思わぬ接点に驚きながらも、Vとルーシーは互いに共感を覚えずにはいられなかった。
その後、発言のターンがジュディに回ると、彼女は元恋人であるエヴリン・パーカーに纏わる顛末を語った。
エヴリンを見捨てたこの街を酷く嫌っていることを、ルーシーにも吐露し、いつか必ず街を出るという、強い決意を改めて表明した。勿論「その時は、Vも一緒にね」と、付け加えておくことも忘れない。
微笑みながら「そうね」と相槌を打つVを他所に、ルーシーはかつては自分も同じだったと口にする。
ナイトシティを離れ、恋人と生きていくことを強く望むジュディ。
一方で、ナイトシティを離れ、恋人と月へ行くことを強く望んでいたルーシー。
今度はジュディとルーシーの意外な類似点が明らかになると、先刻のVとの接点も手伝って、3人の間に強い親近感が芽生え始めた。
「なんかさ……一気に親しみが湧いたっていうか……、あんたのこと、やっぱり嫌いじゃないかも……」
クレアが用意してくれた、3杯目のカクテルが入ったグラスを持ち上げながら、Vは柔らかい声でルーシーに告げる。しかし、その顔は先刻と比べてどことなく青白く、汗染みた額が照明の下で不自然なほどに煌めいていた。
「ちょっと大丈夫? 少し顔色が悪いようだけど……」
顔を突き合わせていたルーシーが心配そうに声を掛けると、それを聞いていたジュディが続けて不安げな声を漏らした。
「V……、ひょっとして――」
Vの異変に、ジュディは心当たりがあった。
それはある日、V自身が告白してくれた≪Relic≫の秘密。彼女の命に関わる、深刻な秘密。もしVが唐突に変調を来した場合、真っ先に考えられる原因はそれしかない。
時折起こる、≪Relic≫の酷い動作不良。そのたびにVの体には、激しい苦痛が伴うと聞く。しかしそのことを口にしようとした瞬間、ジュディの言葉を遮るようにVは言った。
「どうってことない……。久々に美味い酒だったせいか、ちょっと飲むペースを飛ばし過ぎただけだから……。ただの悪酔いだから安心して……」
「たった3杯で? 本当に大丈夫? 水でも出そうか?」
無理やり作ったようにも見えるVの笑顔に、カウンターの内側に立つクレアも思わず憂色を濃くする。
しかしそれでもVは、「本当に大丈夫だから……。心配しないで……」と、微笑みながら繰り返した。そして、何事もなかったかのように視線をルーシーに戻すと、軽く呼吸を整えてから彼女に問いかけた。
「そんなことよりさ……、あんたはどうなの? ルーシー……」
「どうって……、なんの話?」
不意を突くように投げかけられた質問の意図を掴みかね、ルーシーは目を丸くしながら聞き返す。
「ちょっとは憑き物が落ちた顔になったんじゃないかと思ってさ……。さっきまでのあんた、随分と思い詰めていたように見えたから……」
「……なんでそう思うわけ?」
「あー……、ただの勘? いや、そうじゃないか……。多分、さっきまであんたが浮かべていたような染みっ垂れた顔が、どこかの誰かさんにそっくりだったからかも……」
そう言いながら、Vはチラリとジュディを見る。
するとその視線に気づいたジュディが、ムッとした表情を浮かべながら口を開く。
「ちょっとV~、何を考えているかお見通しなんですけどぉ?」
「あれ? やっぱりわかる……?」
「当然でしょ! あなた、私が落ち込んでた時のこと思い出してたでしょ!」
「正解。さすがね、ジュディ……」
「んもう! 恥ずかしいからやめてよね!」
共に愛を深め合った今のジュディにとっては、想い人であるVの意図を看取することはそれほど難しくはなかった。
Vは先刻まで、影を落としたルーシーの顔を見るたびに、恋人のかつての姿を思い出していたのだ。エヴリンを喪ったばかりだった頃の――いや、それだけではない。それから数日後に決行した、ラグーナ・ベンドでの
デラマンの車内で見た親友の最期と同じくらい、目に焼き付いて決して離れない。それだけ記憶の深淵に刻み込まれた、悲しそうに項垂れる恋人の姿と、ルーシーの面差しを一方的に重ね合わせてしまい、無意識に感傷に囚われてしまっていた。
だからこそ、Vはルーシーを放っておくことができなかった。
「そんなに似てたぁ?」
Vの心境を察しながらも、そのことを悟られないようにわざとらしく頬を膨らませ、ジュディは不機嫌そうな表情を演出する。
そんな恋人の心遣いを露とも知らず、Vはしっとりとした声で言葉を返した。
「うん、似てた……。少なくとも、あたしはそう感じた……」
そう言って、ジュディを見つめるV。するとそこへ、ジュディをフォローするようにクレアが割り込んできた。
「あら。そうは言うけど、Vだって同じような顔してたわよ」
「え……? あたし……?」
予想外の発言に、Vはキョトンとした表情でクレアに目を向ける。
「そうよ。デクスの依頼を受けて少し経ってから、ローグに会いにまたここへ来たじゃない。その時に、友達の名前をメニューに載せてほしいって頼み込んできたけど、その時のあなた、見てられないくらい暗い顔してたわよ。自分じゃ気づかなかった?」
「いや……全然……」
クレアの指摘を受け、Vは首を傾げながら呟いた。思わぬ援護射撃に、唖然とした表情がその顔に浮かび上がる。
そんな彼女を尻目に、クレアはジュディとルーシーを交互に見ながら言葉を続けた。
「ね? みんな同じなのよ。私だって……、ストリートレースで旦那を亡くしているから、あなたたち3人の気持ちも少しはわかる……」
そう言うと、クレアは一瞬だけ物寂しそうな表情を浮かべた。
ナイトシティ各所を舞台にした、定期的に開催される車を駆使した公道レース。普段はアフターライフのバーテンダーとして立ち振る舞っているクレアだが、彼女もまた、少し前まではこのアウトローな競技に頻繁に参加するレーサーだった。そして、以前は夫婦揃ってその道を歩んでいたクレアだったが、ある日のレースで起きたアクシデントにより、彼女は夫を喪っていた。
未亡人となったクレアが、夫に代わるレースのパートナー――もとい、夫を死に追いやったと思われる者に対する復讐の協力者としてVを選んだのは、それからしばらく経ってからのことだった。
「なんか……クレアに出し抜かれた気がして、釈然としないんだけど……」
「そう? たまにはいいんじゃない? この前レースに協力してくれたお礼よ」
「これがお礼……? 冗談でしょ……?」
「ええ。冗談よ」
唇を尖らせるVを揶揄うように、クレアの表情に早々と笑顔が戻る。
その変わり身の速さに、Vは思わず苦笑した。
「なによそれ……」
「でも、感謝はすごくしてるから。協力してくれてありがとね、V」
「ちょっと、今更やめてよ……。しかも2人の前で面と向かってなんて……、なんか……背筋が痒くなるからさ……」
ジュディとルーシーの視線が集中する中で、突然クレアに数日遅れの謝辞を述べられたVは、照れ隠しをするように再びカクテルを一気に飲み干した。
空っぽになったグラスを置き、深く息をついて気持ちを落ち着かせる。そうしてからVは、改めてルーシーの方に向き直る。
「なんか……話が少し逸れちゃったけど……。まあ、何が言いたいかっていうとさ、要はクレアの言った通りなのよね……」
「なに? それって『みんな同じ――』ってくだりの話?」
「そうそれ……。あんたはさっき、『人を信用して馬鹿を見るのはうんざりだ』なんて言ってたけど……、それでもさ、良かったらこれだけは信じてよ……。あたしもジュディもクレアも――少なくとも今、あんたの周りにいる連中はさ、みんな、きっとあんたの気持ちを理解してあげられる奴らだから……」
淡い水色の瞳を見つめながら、Vはゆっくりと言葉を紡ぐ。額の汗は落ち着きなく、頬を伝い顎に流れた雫がポタリと滴り落ちる。それでもVは、構わず訴えかけた。
そんな彼女に、ルーシーは呆れるように一笑するが。
「フッ……。ねえ、それって……ひょっとして励ましてくれているわけ? 同情してやるから、『仲良くしましょう』とでも言いたいの?」
含み笑いを混ぜながら皮肉を込めつつも、ルーシーの表情には僅かに歓心が滲み出ていた。満更でもない。そうとも読み取れる感情が、顔の表面にうっすらと描かれている。
そんな彼女の表情を読み取ったのか、Vはルーシーの意義を否定しなかった。寧ろ堂々と、肯定して見せた。
「ええ、そう……。あんたの言う通り、これは同情ね……。でも、騙し合いや殺し合いが日常のナイトシティでなら、同情って奴も悪くないとは思わない……? 同じ気持ちをわかち合うことができる間柄ってさ……、この街では、ひょっとしたら何よりも貴重な財産かもしれないし……」
「財産? 財産って……。フフッ……」
Vの言葉に、ルーシーは噴き出すように思わず笑う。
「ちょっとなに……? そんなに可笑しかった……?」
「いや……。ただ、傭兵にしては随分と似合わないことを言うのね」
「似合わない……?」
「だってそうでしょ? 金や名声を最優先に考えて活動するのが、サイバーパンクってもんじゃない。そのためなら手段は選ばない。いざとなれば他人なんて平気で利用するし、使い捨てにもする。それがこの街の傭兵の……基本のイロハって奴でしょ。なのにあんたの言葉はまるで、利益よりなにより、友情ごっこが大事って言っているように聞こえるんだけど?」
「まあ、確かに……。そう指摘されると、今のはナイトシティには似つかわしくなかったかもね……。でも……、それも悪くないって最近は思えるようになったの……。多分、状況が目まぐるしく変わって……、優先するべきこともコロコロ変わって……、仲間の有難みを改めて思い知ったからかも……。クランにいた頃は……、そんなのは意識する必要もないくらい生活の基盤だったはずなのに……」
Vはそう言うと、頭上に光る青白い照明を見上げて眩しそうに目を細めた。まるで、炎天下の荒野でギラついた太陽を仰ぎ見ていた、かつての自分を思い出すかのように。
「クランってことは……、あんた、実はノーマッドだったの?」
光を浴びて、ますます輝うVの汗ばんだ横顔を見つめながら、ルーシーは言葉を返した。
その声に誘われるように、Vはルーシーに視線を戻す。
「前はね……。バッカ―ファミリーって群れの中にいたんだけど、聞いたことない……?」
「悪いけど、詳しくは知らない……。ノーマッドなんて、私の人生には縁のない世界だったし……」
「そうなの……? でもさっき、昔はアラサカから逃げ回ってたって言ってたじゃない……? 粗大ゴミとの同棲ばかりじゃなければ、たとえば各地を回っているうちに、どこかの部族と顔を合わせる機会ぐらいはあってもおかしくないと思うんだけど……」
「残念ながら、そんな機会は1度も訪れなかった……。キーウィ……仲間に拾われて、ナイトシティでエッジランナーになるまでは……、ずっと1人だったし……」
「そう……。なら、もしもっと早くに出会えていたら、あんたをクランに誘うこともできたのにね……」
冗談とも本気ともつかない口調でVが述べると、ルーシーは小さく鼻を鳴らして自嘲した。
「ハッ。たとえそうだったとしてもお断り。私にノーマッドなんて似合う訳がない……」
正直、Vの言葉自体には悪い気はしなかった。
しかし、荒れ果てた大地の上で、家族同然のように集団で寄り添うのがノーマッドの生き方だ。
ネットにディープダイブすることしか取り柄のない生意気な小娘には、そんな生き方はきっと性には合わない。
それになにより、仮にそんな道を歩んでいたら、デイビッドと巡り会う未来など訪れない。たとえ話だろうと結果論だろうと、今となってはそんな人生考えたくもなかった。
「でもまあ……、ノーマッドのことはともかく、同情してくれるって話には、一応感謝ぐらいはしてあげる」
「へえ、意外と素直なのね。もっと突っぱねるかと思ってたのに」
ルーシーの返事に、傍らのジュディが少し驚いたように眉を持ち上げた。
Vを脅迫したファーストコンタクトや、時折見せるつんけんとした態度から察するに、ルーシーはもっと強情な姿勢を貫くはずだと予想していた。しかし、そんな考えとは真逆の反応に、ジュディは意表を突かれたような気分だった。
「素直もなにも、思ったことを正直に言っただけよ。悪い?」
そう言って、意味ありげに片靨を上げるルーシーの顔に、ジュディは初対面の時とは正反対の印象を感じていた。
数十分前に初めてその顔を見た時、ジュディがルーシーに対して抱いた第一印象は、ずばり“感情のない人形のような女”だった。それほどまでに、ルーシーの表情からは、一見すると喜怒哀楽といったものを読み取ることができなかったのだ。
しかし今は違う。今の彼女の様子からは、人間らしい温もりや感情が確かに伝わってくる。この挑発的にも思える表情にも、どことなく親しみが感じられた。
「大丈夫、全然悪くはないから。寧ろそっちの方が魅力的よ!」
ならばと、ジュディもまた顔を綻ばせ、心を開きつつある彼女を全力で受け入れた。きっとVも、同じことをするはずだから。
「ところであんた、元はノーマッドって話だけど、なんでわざわざ傭兵に鞍替えしたのよ? ファミリーと仲違いでもしたの?」
口を開いたルーシーの背後で、ギシッと軋む音が小さく鳴る。背凭れに体重を預けたルーシーが、両膝を組みながらVに問いかけた。
「んー……、仲違いって訳でも……ないんだけどね……。ファミリー自体は、自然消滅も同然だったし……。当時の仲間は他所と合流したけど……、自分はなんていうか……、可能性を捨てきれなくってね……。どうにかして一山当てようとしていたんだけど……。で、そうこうしているうちに出会ったのが……、ジャッキーだったのよ……」
Vは所属していたファミリーが解散し、独りになった後に程なくして受けた仕事のことを語りだした。
それは、Vがナイトシティに移り住み、傭兵の道へ進むきっかけとなった仕事。なにより、Vがジャッキー・ウェルズと知り合うきっかけとなった仕事でもある。
極秘の荷物の運搬。中身はアラサカに届くはずだった、今の時代にとっては世にも珍しい本物のイグアナ。レッサーアンティルというレアな品種であると、のちの親友であり相棒が得意げに言っていたことを思い出す。
その親友であり相棒――今は亡きジャッキーのことを考えると、いつだって目元が熱くなり、複雑な気分になってしまう。
真っ先に溢れ出るのは喪失感。続けてじわじわと悲しみが滲み出てくる。しかしその後に脳裏を過るのは、数えきれないほどの苦楽の思い出。共に過ごした、かけがえのない半年間の記憶。
ギャングを相手に無茶ばかりしていた戦場でも、手にしたばかりの報酬をはたいて酔い潰れた酒場でも、いつだって傍には彼がいた。
強気で陽気。胸の奥には常に大きな夢を隠し持っていた、仲間思いの大男。
一流の傭兵としてメジャーに立ち、ナイトシティの伝説になる。
それがジャッキーが抱き続けていた夢だった。
しかし、彼は志半ばで息絶えた。
この世を去った相棒の夢は、同じ目標を共有していたVへと引き継がれた。
ジャッキーの夢は、今やVの夢だ。
その願いを原動力にして、Vはここまで生き抜いてきた。
……生き抜いてきた――はずだった。
「親友の夢……。あんたも同じなのね、アイツと……」
Vが語る、ジャッキー・ウェルズの話を傾聴していたルーシーは、その内容に思うところがあったのか、突然表情を曇らせた。
「同じって……、急になによ……?」
「夢の話……。今の思い出話を聞く限り、あんたが街中のフィクサーの信頼を勝ち取ってまでメジャーを目指しているのは、死んだ友人のためだってことでしょ? それが同じだって言ってるの。あんたもアイツと同じ――デイビッドと同じ……、他人の夢を背負って生きている……」
「それが……何か問題でもあるの……?」
怪訝な顔でVが訊ねると、ルーシーは溜息を混ぜながら返答した。
「……デイビッドにも、昔言ったことがある。夢は他人のものじゃない。他人から与えられた夢なんて……、碌なもんじゃないのよ」
「碌でもない? なんで……? どういうこと……?」
ルーシーの言葉の意図がわからず、疑問符ばかり浮かべるVだったが、そんなことはお構いなしに、ルーシーは一方的に問いかける。
「……あんたの夢――あんた自身の夢はどうなの?」
「あたしの夢……? いや、それはだから……――」
「わかってる。どうせ今の話に出てきた、ジャッキーとかいう友人と同じで、『街の伝説になること』って言いたいんでしょ? ま、傭兵なら誰もがそう言うだろうし、超が付くほどありきたりだけど……。でもそれは元々、その友人の夢なんじゃないの? それが間違いなく自分の夢だって、本当に断言できる?」
悪様のようにも聞こえるルーシーのその言葉が癇に障ったのか、Vは思わずムッとなり眉を顰めた。
「悪いけど、知ったようなこと言わないでくれる……? あたしの夢はあたしのものよ、最初から、間違いなくね……! それがたまたま、ジャッキーと同じだったってだけでしょ……! 自分の夢を……、他人のものなんて思ったことはないっ!」
「ちょっとV、なんでムキになってるのよ……?」
「そうよ。どうってことない世間話じゃない……」
無意識に語気を強めるVに、ジュディとクレアは困惑しながら呼びかける。しかし、恋人と友人の制止も聞かずに、Vはルーシーに向かって言葉を続けた。
「今の……あたしはね……、2人分の夢を背負って……生きてるの……! 自分とあいつ、2人分の……同じ夢をね……!」
「へぇ、2人分ねぇ……。本当に? 本当にそう思ってる? 実は自分でもわかっているんじゃないの?」
「だ、だから……、なにが……言いたいの……?」
苦しそうに両肩を上下に揺らしながら、先刻からVは熱い息を吐き続けている。流れる汗は一向に止まる気配がない。それどころか、全身は火照り、見る見る呼吸は乱れていく。
体の不調が気持ちを苛立たせるのか。
それとも苛立ちが体の不調を加速させているのか。
どちらにしろ、今のVは明らかに冷静さを欠いていた。
「わからない? あんたはさっき、そこにいる彼女の夢にも賛同してたじゃない。いつか一緒に街を出るって……」
そう告げながら、ルーシーはVの陰にいるジュディに目を向ける。
その視線を辿ったVが目にしたのは、不安げな眼差しを送るジュディの顔だった。
「あんたは友人の夢を背負ってメジャーを目指しているのかもしれない。でもその一方で、その子と街を離れて一緒に生きることも夢見ている。それって、矛盾しているとは思わない?」
「矛盾……?」
「あんただって知っているでしょ? この街で伝説になることの意味を……」
そう言いながら、ルーシーは手にしたグラスを掲げて見せつけた。
飲みかけのグラス。
街の伝説として名を遺した、今は亡き恋人と同名の酒が入っているグラス。
伝説になることと引き換えに、命を落とした傭兵が辿り着く儚い末路だ。
その現実を突きつけるように、ルーシーはその手のグラスを強く示した。
「わかる? これが、あんたがなろうとしている伝説とやらの終着点。名を遺すだとか、メジャーに行くだとか……。傭兵はみんな、そうやって軽々しく口にするけど、伝説になるってことは、最後は死ぬってことなのよ? 死んだら、その子と生きていくことなんてできないわよ?」
ルーシーにそう言われて、Vは不覚にもハッとした。
「あんたが何を目指そうがそれは自由。でも、この街で叶えられる夢には、きっと限りがある。1つでも手にできれば御の字かもね。
流し目を向けながら告げると、ルーシーはグラスに残ったカクテルを飲み干した。そして、空になったグラスをカウンターに置きながら、フッと小さく笑みを浮かべた。
それは間違っても、言ってやったという捻くれた優越感などではない。この笑いは、己の滑稽さに呆れて思わず零れた自嘲に他ならない。
1年前、名を上げたサイバーパンクとなったデイビッドの前では、ルーシーは何1つ選択などできなかった。
彼の夢に付き合うこともできず、かといって彼の傍に寄り添い、支えることもできず。そうやって、どっちつかずでいる間に彼を死なせてしまったくせに。
なのに他人には、偉そうに説教くさいことを垂れている。そんな自分に嫌気がさして、失笑せずにはいられなかった。
しかしそれでも。
だからこそ。
できることなら、Vには同じような道を歩んでほしくはないと思った。自分とデイビッドの時のように、自身と他人の夢に翻弄されて、後悔する選択だけはしないでほしかった。
「…………」
ルーシーに言い負かされたVは、すっかり押し黙っていた。
正直、ルーシーの言葉は的を射ていた。
彼女の指摘通り、Vが抱えている夢は1つでもなければ2つでもない。“ナイトシティの伝説になる”という、自分とジャッキーの共通の夢。その他に、“ナイトシティを離れて共に生きていく”という、ジュディと約束した、ある意味真逆ともいえるもう1つの夢を持っているのは、まさに紛れもない事実だ。
しかもあろうことか、それだけではない。
少なくとも、さらにもう1つ、Vは別の夢を背負って生きている。
それはルーシーやクレアは勿論知らない。恋人のジュディにも内緒にしている危険な夢。
アラサカが管理している極秘のデータ要塞――“神輿”と呼ばれるシステムの破壊という、頭の中に居座っているテロリストの宿願ともいえる夢。
しかもその夢は、Vの命を蝕んでいる≪Relic≫の事情とも密接に繋がっており、彼女自身の生死にも関わる最重要案件ときている。
そのため断ることもできず、切り捨てることもできない。それどころか、自ら率先して、他の全てを後回しにしてでも必ず達成しなければならない。
無謀にも、1度喧嘩を売ったアラサカに、もう1度喧嘩を売る羽目にもなる。
しかしやるからには失敗は許されない。
なんとしてでも、生き延びるために。
生き延びて、未来へと進むために。
振り返るのは、いくつもの夢。
振り返るのは、いくつもの約束。
生きるために戦い、
伝説になるために戦い、
街を去るために戦い……。
しかし考えているうちに、Vは訳がわからなくなっていた。
――あたしは結局、なんのために傭兵をしている? なんのために戦っている?
生きるために戦っているのか?
死ぬために戦っているのか?
――あたしは結局どうしたいの? 生きたいのか? それとも死にたいのか?
混乱しているうちに脳裏を過ったのは、ルーシーに言われた言葉――“矛盾”という二文字だった。
そう、ルーシーの言う通り。
彼女は正しかった。
他人に与えられた夢なんて、碌なものじゃない。
その通りだと思った。
『自分の夢を他人のものと思ったことはない』と、先刻大見得を切ったのが恥ずかしくなるほどに、自分という人間は――Vという人間は、自らが思っていた以上に、数多くの“他人の夢”という歯車に巻き込まれていた。
Vは改めて思い知らされた。
自分が今、どれだけ矛盾した状況に置かれているのかを。
結局自分は何を望んでいる? 何がしたい? 何をすればいい? 何もかもがわからない。自分自身のことなのに、まるで整理ができない。いくら考えても考えが纏まらない。
「……ぁ……ッ……!」
そうやって思考を張り巡らせているうちに、不意にカウンターの上に肘を立てたVは、汗で湿った前髪をクシャッと鷲掴みにしながら、喉の奥で微かに呻いた。
考えが纏まらないのは、酒に酔ったからでもルーシーの言葉に腹が立っているからでもない。
理由はわかっている。理由は明白だった。
何故なら、先刻からVの頭の片隅では、火花が弾けるような耳障りな異音が、まるで消し忘れのアラームの如くうるさく鳴り続けている。少し前にジュディが察していた通り、耳裏の端子に刺さっている≪Relic≫が機嫌を損ねて暴れているのだ。
おかげで体のあちこちが悲鳴を上げている。
まるで心臓に巨大なハンマーを叩きつけられているかのように、胸には息が詰まるような鈍痛が響いている。頭も無数のナイフが刺さっているかのようで、ズキズキと絶え間なく痛みを訴え掛けていた。
馴染みのリパードクが入れてくれた、視覚系のサイバーウェア――キロシ社製のオプティクスにより拡張された電子視界は、脳内の異音に合わせて発生するノイズで酷く乱れ、視界上部には≪Relic≫の動作不良を知らせる警告がしつこく表示され続けている。
せめてジュディやクレア、そしてルーシーには悟られないように――彼女たちには心配を掛けないようにと、Vは必死に苦痛を押し隠そうとした。
過剰に漏れる吐息を殺し、抑えきれない呻吟を呑み込む。不自然さが出ないようになんとか冷静さを装い、普段と変わらぬ態度を貫こうと努めた。
幸い、今日の仕事は既に切り上げている。後の予定は、自宅に帰りベッドに飛び込むだけ。この場を乗り切りさえすれば、何事もなく楽になれるのだ。
あと一息。あと少し。
そう信じてVは、疲弊した意識に鞭を打って顔を上げた。
しかしそういう時に限って、まるで嫌がらせのように事態は悪い方へと急変するものだ。
とくにここはナイトシティ。
昼夜問わず、女子供関係なく、常に死と隣り合わせの街。
外に出て、3歩進めばあの世行き――なんてことも日常茶飯事の風景だ。
それ故、酒宴の最中に死神が降りかかることも珍しくない。
たとえば今、この瞬間のように。
店内に広がる喧騒や、大音量で流れるミュージックさえも掻き消す巨大な爆発音が――まさに突然、不意を突くようにアフターライフ内部にまで轟いた。
カウンター席やボックス席の至る所で交わされていた、あらゆる密談や談笑、それにVの苦悶さえもが、その凄まじい爆音によって一瞬にして途切れた。
そして、誰もが言葉を失い、店全体の空気は瞬く間に凍りついたのだった。