Painful Choice ―愛か死か現実か―   作:裕ーKI

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Chapter6:Case by Case / ケースバイケース※

 燃え盛る炎の音が、やけに大きく聞こえるほどに辺りが静まり返る。

 

 取り残されたジュディは、アスファルトの上に横たわるVの姿を愕然とした表情で見つめていた。

 

 まるで脳回路がバグったかのように、全ての思考が停止し、頭の中が真っ白になっていく。

 

 辺りに充満している熱気や血の臭いはおろか、Vを見下ろす僧侶の姿までもが、最早眼中に映ってなどいなかった。

 

 ゆっくりと涙が流れるジュディの瞳に映っているのは、仰向けに倒れたまま沈黙を続ける恋人の姿のみ。

 

 また……。

 

 嗚呼、またなんだ……。

 

 思い出したくないのに。

 

 もう2度と味わいたくなかったのに。

 

 あの時と同じ気持ちが――少し前にも感じたことがある、精神を引き裂くような沈痛の思いが、今再び心の奥底から這い上がってくる。

 

 

 

「うそ……。嘘よね……? V……」

 

 

 

 目の前で起きている現実を受け入れることができず、否定するようにジュディは呟いた。その声は激しい動揺に支配されて、今にも掻き消えてしまいそうなほどにか細く震えていた。

 

 そして同時に脳裏を駆け巡るのは、やはり数週間前に起こった悲劇の光景。自宅のバスタブの中で、自ら命を絶ったエヴリン・パーカーの姿だった。

 

 血だらけの体でぐったりと浴槽に寄りかかり、虚ろな目で天井を見つめたまま動かなくなったかつての恋人。よりにもよってその姿が、力尽きた今の恋人に重なり合ってしまう。

 

 どんなに振り払おうにも蘇る過去の絶望と、眼前に転がる新たな絶望。

 

 2つの惨劇に胸を締め付けられたジュディは、とうとうその場で泣き崩れた。

 

 

 

「あぁ……ああ……!!」

 

 

 

 すると彼女の悲痛な声に反応するように、僧侶がジュディの方へと振り返った。無機質な殺意が、再びジュディに向けられる。

 

 

 

「Vィ……。Vィイ!! 返事をしてぇ……!!」

 

 

 

 しかしそれでも彼女は泣き続ける。ジリジリと忍び寄ってくる僧侶には目もくれず、大粒の涙を流しながら、恋人の名前を何度も叫んだ。

 

 

 

「V……! ねえお願いッ!! お願いだから……目を開けて、Vィ!! ねえってばぁ!! ねえ……ヴァレリー……!!」

 

 

 

 気がつくと、ジュディはVの真の名を口走っていた。

 

 いつか本人が教えてくれた、“ヴァレリー”という名前。

 

 本当に親しい者にしか教えないという、恋人の本名を初めて耳にした時、その聴き心地の良さに惚れ直したことを、ジュディは今も鮮明に覚えている。

 

 その名前をもう1度、本人の口から聴きたかった。

 

 そして今度は、その名前で自分から彼女を呼びかけたかった。

 

 いくら呼んでも返事なんて返ってこない、こんなにも哀傷に満ちた時などではなく、もっと甘くて切ない、ロマンティックな雰囲気の中で呼び合いたかったのに……。

 

 しかしそんな願いも、最早叶わない。

 

 愛する人を2度も喪い、ジュディの心からは生きる希望さえも消え去ろうとしていた。

 

 もう、立ち上がる気力も湧いてこない。

 

 その場に座り込むジュディの姿に、黒い影が容赦なく重なる。いつの間にか、手を伸ばせば届く距離まで、僧侶はジュディとの間合いを詰めていた。

 

 Vの時と同様に、彼女の眼前で立ち止まった僧侶が、片腕のマンディスブレードをゆっくりと持ち上げていく。

 

 

 

「いいよ……。殺して……、早く殺してよ……。あんたの手で……私をヴァレリーと……エヴリンのところに連れてってよ……」

 

 

 

 涙で滲んだ視界に映る鋭利な輝きを見上げながら、ジュディは力無く呟いた。

 

 最早抵抗する意思はない。

 

 どうせこのまま生きていても、待っているのはきっと抱えきれないほどの喪失感と絶望だけなのだから。それならばいっそ、この場で楽にしてほしいとジュディは懇願した。

 

 すると次の瞬間、ジュディの思いを汲んだ訳では決してないが、彼女の要望通り、僧侶のマンティスブレードが無慈悲に振り下ろされた。

 

 真っ直ぐと落ちてくる刃を前に、ジュディは覚悟を決めて瞳を閉じる。

 

 このナイトシティで出会った、かけがえのない2人の恋人――Vとエヴリンに思いを馳せながら、ジュディは静かにその時を待った。

 

 ところが。

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 

 どういう訳か、いくら経ってもその身に予想していた終焉は訪れなかった。

 

 その代わり、唐突に聞こえた鼓膜を突き刺すような金属音が、ジュディの肩をビクッと跳ねるように震わせた。

 

 違和感に驚き、恐る恐る瞼を開いてみると、その目に飛び込んできたのは意外な人物だった。

 

 

 

「……え!? ルーシー……!?」

 

 

 

 吃驚した顔で見上げるジュディの眼前に立っていたのは、銀色の髪を靡かせた少女の後姿。アフターライフ店内に残してきたはずのルーシーが、ジュディと僧侶の間に割り込んでいたのだ。

 

 

 

「くっ……!」

 

 

 

 身を挺してジュディを護るように、咄嗟に彼女の前に立ち塞がったルーシーは、手首から伸ばしたモノワイヤーを両手でピンと張り、その熱を帯びた銅線で僧侶の刃を受け止めていた。

 

 

 

「なにしてるの! ボケッとしてないで……早く立って!」

 

 

 

 刃越しに僧侶の不格好なオプティクスを睨みながら、ルーシーは強い口調で背後のジュディに呼びかける。

 

 

 

「ルーシー……。あなた、なんで……」

 

「別に……! あの子(V)にあんたを頼まれたから……、ただそれだけよ!」

 

「それだけって……、あなたにはどうだっていいことでしょ! お願いだから……私のことは放っておいて! もう、うんざりなのよッ!」

 

「……うんざりって……何が?」

 

「何もかもよ! エヴリンも……Vも……、大切な人はみんな私の前からいなくなる……! 嫌……、もう嫌……。ナイトシティは私から全てを奪う! もう耐えられないッ!」

 

 

 

 泣き叫ぶジュディの言葉を背中で受けながら、ルーシーは僅かに視線を動かす。僧侶の後ろで倒れているVの姿を見つめながら、彼女は奥歯を強く噛み締めた。

 

 

 

「そう……。まあ……気持ちはわかるわ……! 私だって同じようなものだったもの……!」

 

「ルーシー……?」

 

「私も同じ……! 仲間も居場所も恋人も……、少しでも特別に思えたものは全部この街に奪われた! 今のあんたと一緒! この1年間、何度死にたくなったことか……! でもね――」

 

 

 

 視線を僧侶に戻したルーシーは、グッと両腕に力を込めて刃を押し返そうとする。そうしながら、ジュディに向けて言葉を続けた。

 

 

 

「――私たちは今も生きている! 生かされてるの!」

 

「生かされてる……って……?」

 

「1年前、私はデイビッドに命を救われた! あんただって……、Vに救われたから今もまだ生きてるんでしょ! 私が偉そうに言うことじゃないけど――言えた義理でもないけど……、そういう命って……簡単には捨てられないんじゃない……?」

 

 

 

 必死に訴え掛けながらも、ルーシーは自らの言葉を内心嘲笑っていた。つい数日前まで、自死さえも考えるほどに堕落していた自分が、何をまた偉そうに語っているんだと。

 

 しかし、こうして多少なりとも前向きになれたのは、今日この日、アフターライフを訪れ、Vと出会えたおかげかもしれない。

 

 大した時間ではなかった。

 

 ほんの僅かな一時だった。

 

 だがそれでも、Vと出会い、Vと語り合ったからこそ、本来の自分に近づけた気がする。

 

 小恥ずかしくて、面と向かって礼を言うことはできなかったが、少なくとも感謝の気持ちはずっと抱いていた。

 

 なのに――。

 

 なのによりにもよって、そのVが目の前で殺されてしまった。

 

 私のせいかもしれない。

 

 私が余計な言葉でVを惑わせ、冷静な判断を見失わせたから。

 

 せっかく出会えた心の光を、自らまた手放してしまうのかと、ルーシーは悔恨の念に苛まれた。

 

 歯を食いしばりながら、必死に刃の突破を押さえる両腕の力も、そんな気持ちに揺さぶられて無意識に衰え始めてしまう。

 

 するとそんな隙を狙って、僧侶がいきなり片膝を前に突き出した。迫るマンティスブレードに気を取られていたルーシーの腹に、唐突に膝蹴りを打ち込んだのだ。

 

 

 

「がはっ!?」

 

 

 

 途端に腹部を貫く強烈な衝撃。そして凄まじい息苦しさと共に、ルーシーの体はくの字に折れた。

 

 数歩後退したのち、込み上げた胃液を吐きながら膝をついたルーシーの姿に、ジュディの顔色が一気に青ざめる。

 

 

 

「ルーシーッ!!」

 

 

 

 ジュディが慌てて寄り添うと、ルーシーは激しく咳き込みながら苦しそうにうずくまっていた。

 

 

 

「ルーシー! 大丈夫!? しっかりして!」

 

「ゲホッゲホッ……。うぐっ……う……ぅ……」

 

 

 

 ジュディは彼女の背中をさすりながら、心配そうな表情を浮かべて様子を窺う。

 

 しかしそうしている間にも、僧侶の狂気がしつこく2人に降りかかる。

 

 片腕のマンティスブレードを振りかぶる僧侶の姿を、ジュディもルーシーもただただ睥睨することしかできなかった。

 

 体勢を立て直す暇はない。

 

 防御も回避も妨害も、最早どうしたって間に合わない。

 

 ルーシーは戦意を残した瞳を僧侶に向けながらも、為す術がないこの状況が腹立たしかった。腹立たしくて、悔しさのあまり唇を噛みしめた。

 

 そしてそんな彼女に覆い被さるように、ジュディはルーシーを強く抱きしめる。

 

 身を寄せ合う2人に向かって、血塗られた冷酷無比の刃が一思いに落ちていく。

 

 しかし次の瞬間、予想外の展開が2人の前に訪れた。

 

 

 

「え……?」

 

 

 

 せめて抗う心だけは無くさぬようにと、最後まで顔を上げていたルーシーの目の前で、突然刃の動きが急停止した。

 

 よく見ると、僧侶が背負う背後の暗闇から1本の腕が伸びていた。そしてその手が僧侶の上膊をガッと掴んで、刃の動きを封じていたのだ。

 

 

 

「誰!?」

 

 

 

 思わず叫びながら視線を動かすと、ルーシーの目に映ったのは、雄々しく佇む黄色いジャケットの人物だった。

 

 

 

「……おい、そいつらには手を出すな!!」

 

 

 

 その人物は荒々しい口ぶりで告げると、手に掴んだ僧侶の上膊を引っ張り、強引にその体を向き合うように振り向かせた。そして刹那に繰り出した拳が、僧侶の顔面に力いっぱいめり込んだ。

 

 腕力を上昇させるサイバーウェア――ゴリラアームから放たれたパンチの威力は大砲の如く凄まじく、その一撃で僧侶の顎は粉砕し、片側の頬もグシャリと陥没した。そしてその体は、当然のように宙を舞って吹き飛んだ。

 

 地面に叩きつけられる僧侶の姿を眺めながら、黄色いジャケットの人物は機械の拳を静かに引っ込める。

 

 その精悍な横顔を見つめていたルーシーは、呆然としながら無意識に呟いていた。

 

 

 

「デイビッド……!?」

 

 

 

 その瞬間、彼女の目には死に別れた恋人の姿が映っていた。

 

 黄色いジャケットがトレードマークの男。

 

 ナイトシティに名を遺した、伝説の傭兵のひとり。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 デイビッド・マルティネスの姿が、そこにはあった。

 

 

 

「デイビッド……。ホントに……デイビッド……?」

 

 

 

 ずっとずっと会いたかった、けれども2度と会えない――会えるはずのない最愛の人がすぐそこに、何故か目の前に立っている。

 

 涙に溺れた瞳を見開きながら、ルーシーは驚きのあまりゆっくりと手を伸ばす。

 

 ところが。

 

 

 

「ヴァレリー!?」

 

 

 

 直後にジュディが発した一言に、ルーシーの認識が現実へと引き戻される。同時に想い人の姿は、霧のように幻となって消え失せた。

 

 伸ばしかけた白い手が、行き場を失い気落ちするように地に落ちる。

 

 ルーシーが見ていたのは、心の中の願望が齎した幻覚に過ぎなかった。

 

 ジュディが言うように、そこに立っていたのはデイビッドではない。

 

 そこに立っていたのは、デイビッドを想起させる格好をした人物。

 

 デイビッドの所有物だった黄色いジャケットを羽織った女の傭兵。胸を貫かれ、命を落としたはずのジュディの恋人、ヴァレリー――Vだった。

 

 

 

「うそ……。なんで……」

 

「ヴァレ……――V、生きてたの……?」

 

 

 

 信じられないと言いたげな面持ちで、ルーシーとジュディが声を漏らす。

 

 そんな中、彼女たちの困惑の表情を尻目に、Vは口に咥えた煙草に火を付けると、握りしめていたブーリャを若干不慣れな手つきでリロードする。

 

 

 

「ったく……。扱いづらい銃だぜ! せっかく俺のマロリアンを取り戻したんなら、肌身離さず装備しとけよな!」

 

 

 

 煙を吹かせながら独り言のように文句を垂れつつ、Vは弾丸がフル装填されたシリンダーを、ブーリャ本体に力任せに押し込んだ。そうやって2度目のリロードをようやく完了させ、何事もなかったかのように僧侶に向かって歩き始める。自身に向けられ続けている、ルーシーとジュディの戸惑いの視線など気にも留めずに。

 

 

 

「V……待ってッ! どうしたの!? 何か変よ!?」

 

 

 

 理由なんてわからない。それでも死んだと思っていた恋人の生存が判明したのだ。本来ならば声にならないほど歓喜し、その胸に思いっきり抱きつきたいところだったが、しかしジュディの体は硬直したように動かなかった。Vからどことなく感じられる違和感に、喜びよりも警戒心の方が先行してしまったのだ。

 

 明らかに何かがおかしい。普段の雰囲気と違い過ぎている。

 

 そんなVを呼び止めようとするジュディだったが、返ってきたVの反応は驚くほどに素っ気ないものだった。

 

 

 

「悪ぃな、俺は代理だよ……!」

 

 

 

 一瞬足を止め、冷ややかな流し目でジュディを見ながらそう言うと、Vは深々と口角を上げた。

 

 Vのものとは思えないVの笑み。見慣れているはずの顔から浮かび上がる、見たこともない酷薄な表情に、ジュディは悪寒を感じて言葉を失った。

 

 声も体も顔も、愛しのVのもので間違いないはずなのに。しかし凝視する先にいる今の恋人からは、慣れ親しんだ面影が微塵も感じられなかった。

 

 目つきも佇まいも、口調もイントネーションも、それこそ煙草の咥え方や摘まみ方まで、まるで初対面の人間を見ているような印象を受けてしまう。

 

 再び歩き出すVに掛ける言葉も見つからず、遠のいていく恋人の姿を悄然とした顔で見送ることしかできなかった。

 

 するとそんなジュディに気を遣ってか、ルーシーが口を開いた。

 

 

 

「大丈夫? 彼女、一体どうしたの? まるで別人みたいだけど……。まさかサイバーサイコシスを発症した訳じゃないわよね……」

 

「うん、それはないと……思いたいけど……。あ……でも待って、別人ってひょっとして……」

 

 

 

 ルーシーの何気ない言葉をきっかけに、ジュディはふと考え込む。そして心当たりがあることを思い出すと、ハッとなって呟いた。

 

 

 

「そっか……。多分あれが……前にVから感じた声の正体なのかも……」

 

 

 

 そう言いながら、ジュディはダムの底に沈んだラグーナ・ベンドで、Vとスキューバーダイビングをした日のことを思い出した。

 

 あの日、感覚を同期した2人のアクターの体験を同時に記録するという、新しく編み出したBDの作成法をテストするため、Vと感覚を共有したジュディは、ほんの僅かではあったが、Vとは別の雑音のような感情に触れていた。

 

 それはVから流れ込んだ、Vではない誰かの声。

 

 その声こそが、エヴリンが欲しがっていた≪Relic≫の中身――50年以上前に死んだと言われているテロリストの記憶痕跡なのだと、V自身の口から教えられたことを思い出す。

 

 

 

「だとしたら……今のVはVじゃないのかも……」

 

「どういうこと?」

 

 

 

 ジュディの言葉を隣で聞いていたルーシーは、意味深に呟いた彼女に向かって首を傾げる。

 

 ジュディは小さくなっていくVの背中を目で追いながら、1つの仮説を口にした。

 

 

 

「今のVの体を動かしているのは、きっと……≪Relic≫に記録されているコンストラクト――ジョニー・シルヴァーハンドの人格データなんだと思う……」

 

「ジョニー・シルヴァーハンド? それって……50年前のテロリストの――……ッ!」

 

 

 

 そこまで言ったところで、ルーシーは先刻耳にしたばかりのローグの話を思い出した。アフターライフのカウンター席で彼女が語っていた、とある“クソ野郎”の話だ。

 

 そのことが頭を過った瞬間、ルーシーは点と点が繋がったような感覚に襲われた。

 

 

 

「テロリストの加護って……まさかあれが……?」

 

 

 

 驚きと戸惑いが混在したような声で呟きながらも、ルーシーは改めてVの背中に視線を注ぐ。

 

 

 

 

 

 ジュディの仮説通り、ジョニーの人格に主導権が移ったVの体は、さっきまでの劣勢や深刻な体の不調が嘘のように僧侶を追い詰めていた。

 

 

 

「Vの奴、自分から股を開くようなマネしやがって、ったく……らしくもねえ……。一体いつから、こう易々とガードを崩すビッチに成り下がったんだかな! それとも――いや、そうでもねえか。お前は元から、わりとヤリマンだったな! 少なくとも……サツとも抵抗なくヤッちまうほどにはなッ!」

 

 

 下品な小言を並べるだけの余裕さえも見せながら、Vは軽快な足取りで僧侶に肉迫する。

 

 ケレズニコフの発動も、マンティスブレードを振るう隙も、もう2度と与えはしない。それぐらいの気構えで突き進み、間髪を容れずに仕掛ける。

 

 顔面がひしゃげるほどの勢いで殴り飛ばされた僧侶は、相変わらずダメージを感じさせない漫然とした動きで起き上がろうとしていた。

 

 

 

「余計なことはすんなよ、カマキリ坊主! 大人しくしてなッ!」

 

 

 

 体勢を立て直しきる前の僧侶の首元を、Vは咄嗟に掴んだ。

 

 そしてブーリャのグリップを鈍器代わりに、渾身の力を込めて彼の頭部を強打。髪の毛1本もない坊主頭に、クレーターのように陥没した挫創を刻み込んだ。

 

 

 

「グガッ!? ガッ……ア゛……ア゛ァ……」

 

 

 

 頭蓋骨を打ち砕かれた僧侶の頭皮から、真っ赤な血が噴き出した。

 

 殴られた衝撃で電子脳にもエラーが生じたのか、僧侶はまるで酔っ払いのような千鳥足でヨロヨロと後退る。

 

 その姿に、煙草を咥えたVの口が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。女性らしく端麗な唇の隙間から、薄い紫煙が微かに漏れる。

 

 

 

「生死の価値もわからねえサイボーグゾンビに成り果てた以上、2度と仏の道にも戻れねえだろうな! レジーナ案件って訳でもねえし、ここで一思いに殺してやるよ!」

 

 

 

 Vは片手でブーリャを構え、照準を僧侶の眉間に合わせると、引き金に掛けた指に力を込める。

 

 しかし、Vがトドメのヘッドショットを決めようとした次の瞬間、成り行きを見守っていたルーシーが不意に声を上げた。

 

 

 

「ねえ! ちょっと!」

 

 

 

 その一声にペースを崩されたVは、銃口を僧侶に向けた姿勢のまま首を曲げて、不満げにルーシーを睨みつけた。

 

 

 

「……あぁ?」

 

 

 

 別人となったVの鋭い視線に射抜かれて、ローグと目が合った時と同じような重い緊張感を感じつつも、ルーシーは意を決して問いかけた。

 

 

 

「……そいつ……もしかして殺す気なの?」

 

「は? 当然だろ! 生かしておく理由がねえ!」

 

 

 

 威圧的な男口調で冷たく返答するVだったが、するとルーシーに続いてジュディも意見した。

 

 

 

「でも……さっきVは、そいつを保護するって言ってたけど……」

 

「だからどうした? 今の俺は甘くはねえ! 殺すと決めた奴は殺す! それによく考えてみろ! イカれた身なりに大量虐殺、器物破損にその他諸々か? ナイトシティに浸りきった俺たちクズ共にとっては火遊びでも、神に媚び売って生きてきたコイツにとっちゃあ、それらは耐え難い重罪だぜ? んなモン抱えたまま生きていく方が、コイツには酷な話だろ! それならいっそ、正気に戻らないままここで死んだ方がコイツのためだ……」

 

 

 

 そう言って視線を僧侶に戻すと、Vは再び引き金に掛けた指に意識を向ける。

 

 説き伏せられたように、ルーシーは一瞬口を噤んだ。が、やはり納得はできないと、すぐにまた反論する。

 

 

 

「そうかもね……。あんたの言う通りかもしれない……。でもやっぱり……殺すのは待って!」

 

 

 

 Vの横顔を真っ直ぐと見据えながら、ルーシーは神妙な面持ちで懇願する。今の彼女を突き動かしているのは、脳裏の隅にいつまでも残り続けている、とある苦い記憶だった。

 

 それは1年前のこと。仲間を失った時の辛い記憶。

 

 ある日の夜、偶然遭遇した浮浪者のサイバーサイコに殺されたピラル。

 

 サイバーサイコシスの予兆を見せ始め、徐々に壊れていった結果、恋人のドリオを巻き込んで壮絶な最期を遂げたリーダーのメイン。

 

 そして、サイバースケルトンの被験者にさせられ、人間性コストを全損しながらも、ルーシーを救うために命を燃やし尽くした恋人のデイビッド。

 

 ルーシーが所属していたエッジランナーチームは、人体機械化によって齎される狂気にどこまでも翻弄され続けた。

 

 ファラデーやアラサカの暗躍、キーウィの裏切り。勿論、ルーシー自身の誤りもそうだが、サイバーサイコシス絡みの出来事も、間違いなくチーム壊滅の一因だった。

 

 しかしそれは別段珍しいことではない。

 

 このナイトシティという街の中では、いつどこで起きてもおかしくはない――あるいは、常にどこかで起き続けている、ありふれた出来事のひとつに過ぎないのだから。

 

 だがそれでも、ルーシーは憎んだ。

 

 憎まずにはいられなかった。

 

 仲間を苦しめた、サイバーサイコシスという病も。

 

 仲間を殺めた、サイバーサイコという災いも。

 

 1年もの間、心の奥底に渦巻き続けた嫌忌の念。

 

 けれども。

 

 けれども本当は――それだけではない。

 

 胸の内に燻る感情は、決して厭悪(えんお )だけではなかった。

 

 憎しみや煩わしさを感じるのと同時に、サイバーサイコとなった者を救ってやりたいという気持ちも、自分でも気づかないうちに心のどこかに芽生えていた。

 

 きっとそれは、仲間の不幸や恋人の苦しみを間近で見ていたからかもしれない。

 

 だからこそ、あの時の彼らと同じように苦しんだであろう眼前の僧侶も、できることなら殺さずに生かし、そしてサイバーサイコシスの呪縛から解き放ってやりたいと思った。

 

 昔の自分なら、絶対に考えなかったことだろうと、内心呆れながらもだ。

 

 

 

「なんのつもりかは知らねえけど、お前はまたそうやって自分の意見を他人に押し付けんのか? Vにそうして惑わせたみてぇによ」

 

 

 

 Vの――いや、Vの中のジョニーが溜息混じりに問いかけた。

 

 ルーシーはスッと息を吸って僅かに間を置いてから、ハッキリと宣言する。

 

 

 

「ええ、押し付けるわ! やっぱり私は……自分が思うままにする!」

 

「その結果、後悔することになってもか?」

 

「……後悔なんて……この1年間ずっと繰り返してきた。でも、だからこそ思ったわ。……今さら後悔が1つや2つ増えたところで……別に大して変わらないってね。背負えというなら……いくらでも背負ってやるわ」

 

 

 

 ルーシーの腹を括った発言に、今度はVが一瞬押し黙る。そして何を思ったのか、喉奥で微かに笑いを漏らした。

 

 

 

「ハハ……。そうかよ……」

 

「何が可笑しいの……?」

 

 

 

 嘲られていると感じたルーシーは、眉を顰めて視線を細める。

 

 

 

「あぁ……いや、別に馬鹿にしてる訳じゃねえ。寧ろ、主張としては悪くねえと思って感心してんだよ」

 

 

 

 ルーシーの不満げな表情を、Vは一蹴するように言葉を返す。

 

 

 

「感心?」

 

「ああ。そういう……自分を貫く覚悟か? 俺は嫌いじゃねえよ? 確かにさっきのコイツ(V)みてぇに、頑固になり過ぎてヘタ打つ時もあるだろうけどな。それでも犠牲や後悔なんてモンをいちいち恐れてちゃあ、果たせるモンも果たせやしねえ! 今のお前みてぇに、エゴイスト精神って奴も時には必要なのさ!」

 

 

 

 まるで自分に――いや、“自分たち”に言い聞かせるかのように、Vはルーシーに告げた。

 

 今のVの言葉は、ジョニーの言葉。

 

 生前のジョニーもまた、数多くの犠牲と後悔を積み重ねてきた。

 

 罪の意識や後ろめたさに囚われて、立ち止まりそうになる度、それでも罪悪感に無理やり蓋をして、心の声に従ってきた。

 

 若き軍人時代には、命を救ってくれた戦友と祖国を想う心を亡失し、“ロバート・ジョン・リンダー”という本名さえも捨て去った。

 

 現在の“ジョニー・シルヴァーハンド”の名に改めてからは、アラサカに誘拐された恋人――オルト・カニンガムを失い、彼女を救うためとはいえミリテクと手を組み、核爆弾でアラサカ・タワーを爆破して大勢の命を奪った。

 

 何かを為そうとするたびに何かを失い、そのたびに一生癒えることのない傷が胸の内に刻まれる。しかしそれでも、いつだってジョニーは立ち止まることはしなかった。

 

 それは生身の人間だった頃の話だけではない。Vの頭に間借りしている、デジタルゴーストとなった今でも、だ。

 

 人の魂をデータにし複製するソウルキラーは、ジョニーの全てをこの2077年に再現した。人格や記憶だけではない。心の奥底に長年押し留めてきた、計り知れないほどの自責の念さえも完璧に。

 

 

 

「それで? お前はどうしたいんだ?」

 

 

 

 Vに尋ねられ、ルーシーの華奢な体に改めて緊張感が走る。

 

 傍らでは、辛うじて方向感覚を取り戻しつつある僧侶が、ゆっくりとその歩を進め始めていた。ベコベコに凹んだ血塗れの頭部。不自然に歪んだ顔面。歩み寄ってくるその様は、まさに生きた屍人そのものだった。

 

 決断する猶予は少ない。僧侶が本格的に攻撃を再開すれば、Vは間違いなく引き金を引く。ブレることなく銃口を向け続けているその姿勢が、僧侶を生かす気がないという意志の強さを表している。

 

 しかし、ルーシーは今更考えを曲げるつもりなどなかった。

 

 

 

「決まってる。私が言いだしたことだもの。私がそいつを止める」

 

「できるのかよ?」

 

「見くびらないで」

 

「……フッ、そうだったな」

 

 

 

 アフターライフでルーシーと初めて会った時、彼女のクイックハックにVは手も足も出なかった。そんな相棒の醜態を思い出すと、Vの中のジョニーは鼻で笑った。

 

 

 

「ま、やりたきゃ好きにやれよ! かといって、俺も自分を曲げるつもりは無ぇけどな! ホントに奴を生かす気があるってんなら、精々俺よりも先に奴を止めてみな!」

 

 

 

 それはルーシーに対する挑戦を意味する言葉だった。挑発的な眼差しと共に、ジョニーの口角がVを通してニヤリと上がる。

 

 

 しかしルーシーは臆することはしなかった。引き下がるつもりも、負けるつもりもないと言わんばかりに、毅然とした表情でフッと微笑んだ。

 

 

「いいわ、望むところよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから先はまさに短期決戦。

 

 そしてある意味、これはV=ジョニーとルーシーの競い合いでもあった。

 

 僧侶を生かすか殺すかの競い合い。

 

 互いの信念のぶつかり合い。

 

 ジュディが見守る中、唐突に地面を蹴って走り出した僧侶の動きを合図に、Vとルーシーは同時に行動を開始した。

 

 マンティスブレードを振りかぶり、迫り来る僧侶に向かってVは今度こそブーリャを発砲した。

 

 ボゥンッボォオンッ!!

 

 刹那に響き渡る、空気が裂けるような2発の銃声。

 

 その攻撃は見事に命中する。

 

 弾丸に貫かれた僧侶の体の一部が、破裂するように粉砕した。飛び散った破片の一部が乱雑に、アスファルトの上に落ちていく。

 

 だがその音は、血の滴る肉片が地面を叩くような生々しいものではなかった。その音は寧ろ、細かい金属片がバラバラと飛散する、乾いた響きの衝撃音だった。

 

 Vのブーリャが撃ち抜いたのは僧侶の頭ではない。ブーリャから発射された2発の弾丸が破壊したのは、僧侶の機械の右腕――マンティスブレードの片割れだった。

 

 刃の展開に伴い、変形した僧侶の下膊の隙間から見える、露出した脆弱な部分――即ち人工筋肉や内部可動部に弾丸をめり込ませ、少ない弾数で右腕のマンティスブレードを木っ端微塵に撃ち砕いたのだ。

 

 そこらで簡単に手に入るコモンランクの武器では、威力が足りず困難な芸当だろうが、Vのブーリャは丹精込めてクラフトしたレジェンダリー。高威力の弾丸と、ジョニーの熟練の射撃スキルを持ってすれば、このような荒業も容易いことだった。

 

 

 

 

 

 そして同じ頃。

 

 対するルーシーも、既に僧侶の脳内に意識を侵入させ、ブリーチプロトコルを仕掛けていた。

 

 しかもそれは並のクイックハックではない。

 

 本来なら1度に1つしか起動できないコードマトリックスを同時に複数展開し、それぞれに表示された数字配列を凄まじいスピードで解析。ICEを突破するために必要なシーケンスナンバーを、次々に抽出する。

 

 僧侶が持つ鉄壁の軍用ICEを打ち破るには、1度や2度の甘ったるいICEピックでは時間が足りない。一気に勝負をかけるため、マシンガンの如く怒涛の勢いで、幾つものデーモンを連続でアップロード。Vが困惑していたRAMの莫大な必要値を、瞬く間に低減させていく。

 

 

 

 

 

 その間にVは、さらに2発の弾丸を発射していた。

 

 バックステップで僧侶の斬撃を回避しつつ放った銃撃は、先刻と同じ要領で左腕のマンティスブレードをも破壊した。

 

 ほんの僅かな間に、僧侶は唯一の得物だった両腕のインプラントを失ったのだ。

 

 その上、電子脳に受けた度重なる外部ダメージの影響か、神経系に信号が届かずケレズニコフも発動しない。

 

 当然だ。頭蓋骨を砕くほどの重い打撃をVから2度も喰らっているだけでなく、さらに遡れば、僧侶は既に1度、ジュディが放ったスマートピストルの一撃をその頭にもろに受けている。本人に自覚がなくとも、彼の脳回路が負った損傷は深刻なものだった。

 

 しかしそれでもなお、僧侶は止まらない。

 

 今の彼は、怯むことを知らない。

 

 両腕のマンティスブレードを欠損し、両上膊の断面からドロドロと鮮血を垂れ流しながらも、僧侶は片脚を大きく踏み込み、前に出る。

 

 その様はまるで、なにがなんでも殺してやるという、深き執念に取りつかれているかのよう。そんな執念を抱く自我など、機械の浸食に奪われ忘却しているというのに。

 

 

 

「俺が言うのもなんだが、しつこい奴は嫌われるぜ!」

 

 

 

 Vは勢いよく突進してくる僧侶を前にしても冷静さを貫いていた。僧侶の左腕を仕留めたばかりの銃口を、スッと小さく動かし、再び彼の眉間に照準を合わせる。

 

 次の一発で、確実にその頭を吹き飛ばす。そう言わんばかりに、引き金に掛けた指にグッと力を入る。

 

 するとちょうどその時、僧侶の軍用ICEを突破したルーシーもまた、詰めの一手を決めようとしていた。

 

 機械的に明滅を繰り返す瞳に、微かに疲労の色を浮かべながらも、強き信念を宿したその眼差しは、一片のブレもなく僧侶を捉え続けている。

 

 標的の命を奪わずに、活動だけを停止させる非殺傷のハックスキル――システムリセット。Vも試みようとしていたものと同じそのプログラムを起動させ、いつでも僧侶を無力化できるように準備を整えた。

 

 そして次の瞬間――炎に囲まれた戦場に、決着を告げるゴングが鳴り響いた。

 

 その音は、Vの手に握られたブーリャの咆哮、

 

 僧侶の死を知らせる一発の銃声――

 

 などではなかった。

 

 燃え盛る炎の轟々とした音を掻き消し、星無き夜空に響き渡ったのは、銃声とは異なるバチッと電気が爆ぜる音。

 

 

 

「ガッ……ア゛ア゛アァアアアアア……アッ…………ア……ァ……」

 

 

 

 まるで落雷をその身に受けたかのように、全身からスパークを放出しながら、僧侶は体をビクビクと痙攣させていた。

 

 やがてクロームに汚染された意識が強制的にシャットダウンすると、僧侶はその場に崩れるように倒れた。心臓の鼓動が鳴り止むこともなく、活動だけが沈黙したのだ。

 

 勝負はルーシーの勝ちだった。

 

 彼女の狙い通り、Vの発砲よりも先にシステムリセットのブリーチが成功し、命を奪わずに僧侶を制圧することができたのだから。

 

 ところが、望みが叶ったというのにルーシーの表情はすぐには晴れなかった。

 

 ハックを終えて、深い溜息と共に緊張感を解いたものの、光を収めた彼女の瞳は困惑の色を浮かべていた。戸惑った様子で、Vのブーリャを睨みつけていた。

 

 彼女の視線の先では、Vが引き金を引き続けている。

 

 カチッカチッと、重みを感じさせないトリガーを、わざとらしく、これ見よがしに。

 

 銃口から硝煙は出ていない。トドメの一発は放たれなかった。

 

 そもそも、双方のマンティスブレードを破壊した時点で、ブーリャの弾は尽きていた。4発しか装填できないブーリャに、僧侶の頭を吹き飛ばす5発目は存在しなかったのだ。

 

 Vのその行為はパフォーマンスに過ぎない。

 

 

 

「おっと、俺としたことが……Vと同じヘマをするとはな!」

 

 

 

 

 空撃ち(ドライファイア)で弾切れであることを強調しつつも、V=ジョニーの表情は、周囲を戸惑わせるようにしたり顔でほくそ笑んでいた。

 

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