Painful Choice ―愛か死か現実か― 作:裕ーKI
それはまるで、ダイヤモンドダストのようにキラキラと美しい。
小さな筒の中に見えるのは、煌びやかな幾何学模様。
幼き頃に母から貰った万華鏡が、彼女の宝物だった。
他者を欺き利用し、時には殺しもする裏稼業に勤しみ、共犯たる同業者たちと酒を嗜む程度に大人になった今でも、サーシャ・ヤコヴレワ――サーシャは、毎日どこかで、ひっそりと筒の中の小宇宙を覗き込んでいた。
その瞬間だけはいつも、
子供の頃を思い出して。
せめて心だけは、
子供の頃に戻ったつもりで。
命懸けの仕事の後には、夜の屋外で打ち上げするのがメイン率いるエッジランナーチームの流儀だ。
今日もまた、フィクサーが斡旋してきた依頼を1つ達成し、その祝杯のためチームのメンバー全員で酒場へと繰り出していた。
敷地内では無関係な他の客たちも巻き込んで、既に盛大な盛り上がりを見せている。
とくに人一倍騒がしくしているのは、異様に長い前腕型のサイバーウェアを巧みに操り、余興を演じているピラルとその妹であるレベッカ。
カウンター席の一角ではその様を肴に、メインとドリオ、そしてファルコが肩を並べてグラスを傾けていた。
仲間たちの愉快な姿を、サーシャは少し離れた場所から眺めていた。
歓楽に混ざることもなく、舌の上で踊るバブルガムを弾けさせながら、温和な目を向ける。
ふんわりとした可憐なボブカット。オニキスさながらの綺麗な黒髪が、街灯の光をスポットライトの如く浴びて艶々と輝いている。
飲みかけのカクテルを片手に、沿道のベンチに座る彼女の傍には誰もいない。
サーシャはひとりの時間が好きだった。
といっても、別に人付き合いが嫌いだとか、酒の席が苦手だとかそういう訳ではない。
チームのメンバーたちと過ごす時間は楽しいし、一緒に酒を飲み交わすのもどちらかと言えば好きな方だ。
ただそれ以上に、ひとり静かに物思いにふける時間を愛していた。
こうして自らの視点を少しだけ下げて、仲間たちの姿をただ見つめているだけで、何とも言えない幸福感に包まれる。殺伐としたこのナイトシティという街の中でも、自分は恵まれている方なんだと再確認できる。
サーシャはグラスを横に置くと、先刻から膝の上に乗せていた万華鏡をゆっくりと手に取った。
もう何度目になるか。
彼女は飽きることなく筒の中を覗き込む。
サーシャが万華鏡を見ている時、それは彼女が亡き母に思いを馳せている瞬間でもある。
サーシャは目に映る小宇宙にそっと意識を向ける。
まるで夜空の星々に願い事をするかのように。
この幸せな気持ちが、天国にいる母親に少しでも届きますようにと。
「サーシャァ! おいサーシャッ!」
万華鏡を覗き込んだまま、少しの間ぼんやりしていると、不意に声を掛けられた。名前を呼ばれて思わずハッとなったサーシャは、慌てて覗き穴から目を離す。
眼前に立っていたのは、さっきまで宴の中心となって騒いでいたはずの仲間の1人――レベッカだった。
「ああ……なんだ、誰かと思ったらレベッカか」
ピッグテールにまとめた緑色の髪と真っ白なリアルスキン、そして赤と緑のオプティクスが特徴的な矮躯の少女は、不満げに眉間にシワを寄せながらサーシャの顔を覗き込んでいた。
「なんだじゃねーよ。んだよ、まぁたこんな隅っこで辛気臭ぇことしてたのかよ。相変わらず飽きないねぇ~」
「いいでしょ別に。好きでやってるんだからぁ」
呆れたように言うレベッカに対し、サーシャは微笑と共に言葉を返す。
「そりゃあ自由だけどよぉ。だけど、そんなモンの何が楽しいってんだ?」
「“楽しい”とかじゃないよ。ただ、私には特別っていうかさ……」
「ふぅん、特別ねぇ~。まっ、何でもいいけどよ。とにかく一緒に飲もうぜッ!」
刹那にピョンと跳ねたレベッカは、サーシャの隣の空席に飛び乗るように腰かける。そして、事前にカウンターバーからくすねてきた2本のボトル瓶のうちの1本を、サーシャに手渡した。
互いのボトル瓶をコツンと軽く打ち付け合い乾杯を交わすと、女同士のささやかな酒盛りが始まった。
何かにつけて、レベッカはサーシャを気に掛けることが多かった。
危険が伴うジョブの間は勿論、今のような酒宴や、時にはオフの日でさえも。
ハッキリとした理由は、実はレベッカ自身にもわからない。
ただ単に、歳が近い者同士だからなのかもしれない。
それとも同性だからなのかもしれない。
あるいは、なんとなく放っておけなかったからかもしれない。
ふと気づくと、いつもポツンとひとりでいるサーシャという存在が、レベッカにはなぜか儚げに見えたから。
ちょっとでも目を離すと、まるでタンポポの冠毛のように消えて、ある日突然いなくなってしまうような気がして。
だからレベッカは、できるだけサーシャの隣にいようと心掛けた。
それにサーシャ自身も、思いのほか満更ではないようだった。
むしろ嬉しそうに笑いながら、いつも受け入れてくれた。
それがまた、レベッカにとっては心地よかった。
「――はぁ~……。にしてもよぉ、どっかにいないもんかねぇ。あーしにつり合う良い男ぉ~」
しばらくすると、酒の勢いもあってかレベッカは溜息混じりにぼやきだした。中身を飲み干して空になったボトル瓶を両手で抱えながら、体重を預けていたベンチにズルズルと腰を沈ませていく。
いつの間にか、2人の会話は恋愛談義へと変わっていた。
「そんなに出会いが欲しいならさ、今度ワトソンのエソテリカにでも行ってみる? あそこのタロット占い、結構当たるって評判だよ?」
「占いぃ? いやぁー……そーいうのはあんまり興味ねぇーんだよなぁ~……」
「そうなの? 悪くない考えだと思ったんだけど……。こないだだって、たまたまその店から出てきた髷頭の大男がさ、顔に似合わないくらい嬉しそうにしてたの。きっといいアドバイスがもらえたのよ。レベッカも思い切って行ってみたら、案外素敵な恋が見つかるかもよ?」
「素敵な恋、ねぇ~……。むず痒くなる言葉だぜぇ……」
鼻で笑いながら呟くと、レベッカはふとサーシャの顔をジッと見る。
すぐに視線に気づいたサーシャは、思わず首を傾げる。
「ん? なぁに?」
「いんやぁ別にぃ。ただまあ……お前がそー言うならよ、1回ぐらいは行ってみるのも悪くねーかもなって」
「うん、行こうよ。私も付き合うからさ」
「私もって……。ホントはサーシャが占ってもらいたいだけなんじゃねーの?」
「え!? 違う違う! レベッカのためだって! ひとりじゃ心細いかなって心配してるの!」
「はいはい、わぁーったよ。じゃあ……そのうちな」
オロオロと首を横に振るサーシャに、レベッカはニヤッと笑みを返した。
その表情が可笑しくて、サーシャの口からも自然と笑い声が零れる。
サーシャにとっても、レベッカの友好的な態度は嬉しいものだった。
いや、レベッカだけではない。
屈託なく接してくれるチームの仲間たち全員のことを、サーシャは好いていた。
ただ、苦手なことがあるとすれば1つだけ――。
「おいサーシャ! 今日あたりどーよォ? そろそろ一発ハメさせろやァ!」
ベンチに座る2人の前に、余興に飽きたピラルが長い両腕を振り回しながらやってくる。
開口一番に品性の欠片もない言葉を吐く実の兄に、レベッカは途端に顔をしかめる。
「うっせえバカアニキ引っ込んでろッ! 女の園に入ってくんな!」
ベンチから飛び降りるや否や、大口を開けて怒声を浴びせるが、しかしピラルは全く動じない。それどころか調子に乗ってゲラゲラと笑いだす始末だ。
「ハッハァー! なにが園だよ! オメェみてーなチンチクリンが言ったって説得力ねぇーだろォオ!」
「黙れボケェ! ぶっ殺すぞ! ムラってんならドリオでも抱いてろォ!」
「無理無理無理! アニマルズ顔負けのあんなゴツい女で、オレのイチモツが勃つかよッ! オレァムッチムチの柔らかい女が好きなんだよォ! それにドリオに手ェ出せば、オレがメインに殺されるってーのォ!」
「へえへえ知らなかったぜッ! うちのアニキがムチムチ好きのデブ専だったとはぁーよぉ!」
「はぁああ!? 違ぇーってッ! オレァどちらかと言やァ乳専だっつーのォ!」
目の前で繰り広げられる罵り合い。
今ではすっかり見慣れた兄妹喧嘩。
いつものこと、いつもの風景だと微笑みつつも、しかしサーシャの頬は無意識に赤らめていた。
サーシャはみんなを好いている。チームの仲間たち全員のことを。
ただ、苦手なことが1つだけ。
それは、わりと結構な頻度で降りかかる、ピラルの猥褻行為やセクハラ発言。
これだけはどうしても慣れない。
そういう類に大して耐性の無い身からすれば、できれば遠慮願いたいところ。
いっそのこと、クイックハックで返り討ちにしてみようかと、時々悪戯っぽく考える。
とはいえ、それでもやっぱり思う。
いつまでもこうして、チームの仲間たちと一緒に過ごしていきたい。
こんな風に楽しい日々が続いてほしいと、サーシャは心の底から切に願う。
・・・
それから3日後、サーシャは死んだ。
その日の夜に遂行したとある任務の最中に、独断行動を起こして命を落とした。
全ては亡き母の無念を晴らすためだった。
母の命を奪った企業の連中に、一矢報いるためだった。
遺伝子工学や生物学を専門的に扱う企業、バイオテクニカが開発した化学燃料――CHOOH2に纏わる機密情報を盗み出す任務。
キーウィやルーシーが加入する以前、メインのチームを支える優秀なネットランナーとして働いていたサーシャは、その腕を買われて単独潜入を任された。
仲間たちの後方支援もあり、目的のオフィスに辿り着くのはそれほど難しいことではなかった。
得意のハックスキルで目当てのファイルを難なく入手し、後は気づかれることなくビルを脱出するだけ。
しかしその時、サーシャは見てしまった。
バイオテクニカが管理しているデータの中に紛れ込んでいた、“セキュリシン”に関する重大な秘密を。
“セキュリシン”は、バイオテクニカが開発し販売している鎮痛剤の一種。病に侵されていた母も、毎日欠かすことなく服用していた薬だ。
サーシャが目にしたのは、“セキュリシン”が齎す副作用についてだった。
データに記載されている情報によると、この薬を摂取した患者は、高確率で神経変性疾患を引き起こす。
それはまさに、母を衰弱させ、死に至らしめた原因そのもの。
しかもあろうことか、バイオテクニカはそのリスクを承知の上で販売を継続していた。会社の利益を優先し、副作用に関する情報を隠蔽していたのだ。
愛する母は病気で死んだのではなかった。
愛する母は企業に殺された。
その事実を知った瞬間、激しい怒りと決意に駆られたサーシャは、意を決して行動を起こした。仲間の存在、友の存在よりも、心の底から沸き起こる憎しみを優先してしまったのだ。
不正な侵入を感知した無数の警備ロボットが押し寄せる中、パーソナルリンクで“セキュリシン”の機密情報をマスコミにリークする。
アップロードが完了するまでの間、弾丸雨注のオフィスを死に物狂いで立ち回る。そして、窓ガラスを突き破り、摩天楼の外へと身を投げ出したサーシャは、そのまま――。
降りしきる雨の中。
現場に駆けつけたレベッカは言葉を失い、佇んでいた。
そこはバイオテクニカのビル下に広がる、真夜中のフリーウェイ。
視線の先では、誰よりも早くその場所へ到着していたメインが、その巨体を悔しそうに打ち震わせていた。
ついさっきまでその場を走っていたであろう、誰のものかも知らない1台の車は、今は完全に停止し、原型を失っている。
潰れたルーフの上には、安らかな表情で眠るサーシャの姿があった。
一緒にエソテリカへ行くという、3日前に交わしたばかりの彼女との約束を思い出しながら、レベッカは握りしめた拳を小さく震わせる。
「約束破りやがって……。ばかやろ……」
顔を濡らす雨の雫に紛れて、一筋の涙が頬を伝う。
レベッカの中で、タンポポの冠毛が儚く散り果てた――。
・・・
そして時は流れ。
あれからどれぐらい経っただろう。
2進数で構築された世界の中で、私は今――。