Painful Choice ―愛か死か現実か―   作:裕ーKI

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Chapter8.5a:Absurdity cannot be avoided / 不条理は避けて通れない※

 それはまるで、ダイヤモンドダストのようにキラキラと美しい。

 

 小さな筒の中に見えるのは、煌びやかな幾何学模様。

 

 幼き頃に母から貰った万華鏡が、彼女の宝物だった。

 

 他者を欺き利用し、時には殺しもする裏稼業に勤しみ、共犯たる同業者たちと酒を嗜む程度に大人になった今でも、サーシャ・ヤコヴレワ――サーシャは、毎日どこかで、ひっそりと筒の中の小宇宙を覗き込んでいた。

 

 その瞬間だけはいつも、

 

 子供の頃を思い出して。

 

 せめて心だけは、

 

 子供の頃に戻ったつもりで。

 

 

 

 

 

 命懸けの仕事の後には、夜の屋外で打ち上げするのがメイン率いるエッジランナーチームの流儀だ。

 

 今日もまた、フィクサーが斡旋してきた依頼を1つ達成し、その祝杯のためチームのメンバー全員で酒場へと繰り出していた。

 

 敷地内では無関係な他の客たちも巻き込んで、既に盛大な盛り上がりを見せている。

 

 とくに人一倍騒がしくしているのは、異様に長い前腕型のサイバーウェアを巧みに操り、余興を演じているピラルとその妹であるレベッカ。

 

 カウンター席の一角ではその様を肴に、メインとドリオ、そしてファルコが肩を並べてグラスを傾けていた。

 

 仲間たちの愉快な姿を、サーシャは少し離れた場所から眺めていた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 歓楽に混ざることもなく、舌の上で踊るバブルガムを弾けさせながら、温和な目を向ける。

 

 ふんわりとした可憐なボブカット。オニキスさながらの綺麗な黒髪が、街灯の光をスポットライトの如く浴びて艶々と輝いている。

 

 飲みかけのカクテルを片手に、沿道のベンチに座る彼女の傍には誰もいない。

 

 サーシャはひとりの時間が好きだった。

 

 といっても、別に人付き合いが嫌いだとか、酒の席が苦手だとかそういう訳ではない。

 

 チームのメンバーたちと過ごす時間は楽しいし、一緒に酒を飲み交わすのもどちらかと言えば好きな方だ。

 

 ただそれ以上に、ひとり静かに物思いにふける時間を愛していた。

 

 こうして自らの視点を少しだけ下げて、仲間たちの姿をただ見つめているだけで、何とも言えない幸福感に包まれる。殺伐としたこのナイトシティという街の中でも、自分は恵まれている方なんだと再確認できる。

 

 サーシャはグラスを横に置くと、先刻から膝の上に乗せていた万華鏡をゆっくりと手に取った。

 

 もう何度目になるか。

 

 彼女は飽きることなく筒の中を覗き込む。

 

 サーシャが万華鏡を見ている時、それは彼女が亡き母に思いを馳せている瞬間でもある。

 

 サーシャは目に映る小宇宙にそっと意識を向ける。

 

 まるで夜空の星々に願い事をするかのように。

 

 この幸せな気持ちが、天国にいる母親に少しでも届きますようにと。

 

 

 

 

 

「サーシャァ! おいサーシャッ!」

 

 

 

 万華鏡を覗き込んだまま、少しの間ぼんやりしていると、不意に声を掛けられた。名前を呼ばれて思わずハッとなったサーシャは、慌てて覗き穴から目を離す。

 

 眼前に立っていたのは、さっきまで宴の中心となって騒いでいたはずの仲間の1人――レベッカだった。

 

 

 

「ああ……なんだ、誰かと思ったらレベッカか」

 

 

 

 ピッグテールにまとめた緑色の髪と真っ白なリアルスキン、そして赤と緑のオプティクスが特徴的な矮躯の少女は、不満げに眉間にシワを寄せながらサーシャの顔を覗き込んでいた。

 

 

 

「なんだじゃねーよ。んだよ、まぁたこんな隅っこで辛気臭ぇことしてたのかよ。相変わらず飽きないねぇ~」

 

「いいでしょ別に。好きでやってるんだからぁ」

 

 

 

 呆れたように言うレベッカに対し、サーシャは微笑と共に言葉を返す。

 

 

 

「そりゃあ自由だけどよぉ。だけど、そんなモンの何が楽しいってんだ?」

 

「“楽しい”とかじゃないよ。ただ、私には特別っていうかさ……」

 

「ふぅん、特別ねぇ~。まっ、何でもいいけどよ。とにかく一緒に飲もうぜッ!」

 

 

 

 刹那にピョンと跳ねたレベッカは、サーシャの隣の空席に飛び乗るように腰かける。そして、事前にカウンターバーからくすねてきた2本のボトル瓶のうちの1本を、サーシャに手渡した。

 

 互いのボトル瓶をコツンと軽く打ち付け合い乾杯を交わすと、女同士のささやかな酒盛りが始まった。

 

 何かにつけて、レベッカはサーシャを気に掛けることが多かった。

 

 危険が伴うジョブの間は勿論、今のような酒宴や、時にはオフの日でさえも。

 

 ハッキリとした理由は、実はレベッカ自身にもわからない。

 

 ただ単に、歳が近い者同士だからなのかもしれない。

 

 それとも同性だからなのかもしれない。

 

 あるいは、なんとなく放っておけなかったからかもしれない。

 

 ふと気づくと、いつもポツンとひとりでいるサーシャという存在が、レベッカにはなぜか儚げに見えたから。

 

 ちょっとでも目を離すと、まるでタンポポの冠毛のように消えて、ある日突然いなくなってしまうような気がして。

 

 だからレベッカは、できるだけサーシャの隣にいようと心掛けた。

 

 それにサーシャ自身も、思いのほか満更ではないようだった。

 

 むしろ嬉しそうに笑いながら、いつも受け入れてくれた。

 

 それがまた、レベッカにとっては心地よかった。

 

 

 

「――はぁ~……。にしてもよぉ、どっかにいないもんかねぇ。あーしにつり合う良い男ぉ~」

 

 

 

 しばらくすると、酒の勢いもあってかレベッカは溜息混じりにぼやきだした。中身を飲み干して空になったボトル瓶を両手で抱えながら、体重を預けていたベンチにズルズルと腰を沈ませていく。

 

 いつの間にか、2人の会話は恋愛談義へと変わっていた。

 

 

 

「そんなに出会いが欲しいならさ、今度ワトソンのエソテリカにでも行ってみる? あそこのタロット占い、結構当たるって評判だよ?」

 

「占いぃ? いやぁー……そーいうのはあんまり興味ねぇーんだよなぁ~……」

 

「そうなの? 悪くない考えだと思ったんだけど……。こないだだって、たまたまその店から出てきた髷頭の大男がさ、顔に似合わないくらい嬉しそうにしてたの。きっといいアドバイスがもらえたのよ。レベッカも思い切って行ってみたら、案外素敵な恋が見つかるかもよ?」

 

「素敵な恋、ねぇ~……。むず痒くなる言葉だぜぇ……」

 

 

 

 鼻で笑いながら呟くと、レベッカはふとサーシャの顔をジッと見る。

 

 すぐに視線に気づいたサーシャは、思わず首を傾げる。

 

 

 

「ん? なぁに?」

 

「いんやぁ別にぃ。ただまあ……お前がそー言うならよ、1回ぐらいは行ってみるのも悪くねーかもなって」

 

「うん、行こうよ。私も付き合うからさ」

 

「私もって……。ホントはサーシャが占ってもらいたいだけなんじゃねーの?」

 

「え!? 違う違う! レベッカのためだって! ひとりじゃ心細いかなって心配してるの!」

 

「はいはい、わぁーったよ。じゃあ……そのうちな」

 

 

 

 オロオロと首を横に振るサーシャに、レベッカはニヤッと笑みを返した。

 

 その表情が可笑しくて、サーシャの口からも自然と笑い声が零れる。

 

 サーシャにとっても、レベッカの友好的な態度は嬉しいものだった。

 

 いや、レベッカだけではない。

 

 屈託なく接してくれるチームの仲間たち全員のことを、サーシャは好いていた。

 

 ただ、苦手なことがあるとすれば1つだけ――。

 

 

 

「おいサーシャ! 今日あたりどーよォ? そろそろ一発ハメさせろやァ!」

 

 

 

 ベンチに座る2人の前に、余興に飽きたピラルが長い両腕を振り回しながらやってくる。

 

 開口一番に品性の欠片もない言葉を吐く実の兄に、レベッカは途端に顔をしかめる。

 

 

 

「うっせえバカアニキ引っ込んでろッ! 女の園に入ってくんな!」

 

 

 

 ベンチから飛び降りるや否や、大口を開けて怒声を浴びせるが、しかしピラルは全く動じない。それどころか調子に乗ってゲラゲラと笑いだす始末だ。

 

 

 

「ハッハァー! なにが園だよ! オメェみてーなチンチクリンが言ったって説得力ねぇーだろォオ!」

 

「黙れボケェ! ぶっ殺すぞ! ムラってんならドリオでも抱いてろォ!」

 

「無理無理無理! アニマルズ顔負けのあんなゴツい女で、オレのイチモツが勃つかよッ! オレァムッチムチの柔らかい女が好きなんだよォ! それにドリオに手ェ出せば、オレがメインに殺されるってーのォ!」

 

「へえへえ知らなかったぜッ! うちのアニキがムチムチ好きのデブ専だったとはぁーよぉ!」

 

「はぁああ!? 違ぇーってッ! オレァどちらかと言やァ乳専だっつーのォ!」

 

 

 

 目の前で繰り広げられる罵り合い。

 

 今ではすっかり見慣れた兄妹喧嘩。

 

 いつものこと、いつもの風景だと微笑みつつも、しかしサーシャの頬は無意識に赤らめていた。

 

 サーシャはみんなを好いている。チームの仲間たち全員のことを。

 

 ただ、苦手なことが1つだけ。

 

 それは、わりと結構な頻度で降りかかる、ピラルの猥褻行為やセクハラ発言。

 

 これだけはどうしても慣れない。

 

 そういう類に大して耐性の無い身からすれば、できれば遠慮願いたいところ。

 

 いっそのこと、クイックハックで返り討ちにしてみようかと、時々悪戯っぽく考える。

 

 とはいえ、それでもやっぱり思う。

 

 いつまでもこうして、チームの仲間たちと一緒に過ごしていきたい。

 

 こんな風に楽しい日々が続いてほしいと、サーシャは心の底から切に願う。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 それから3日後、サーシャは死んだ。

 

 その日の夜に遂行したとある任務の最中に、独断行動を起こして命を落とした。

 

 全ては亡き母の無念を晴らすためだった。

 

 母の命を奪った企業の連中に、一矢報いるためだった。

 

 遺伝子工学や生物学を専門的に扱う企業、バイオテクニカが開発した化学燃料――CHOOH2に纏わる機密情報を盗み出す任務。

 

 キーウィやルーシーが加入する以前、メインのチームを支える優秀なネットランナーとして働いていたサーシャは、その腕を買われて単独潜入を任された。

 

 仲間たちの後方支援もあり、目的のオフィスに辿り着くのはそれほど難しいことではなかった。

 

 得意のハックスキルで目当てのファイルを難なく入手し、後は気づかれることなくビルを脱出するだけ。

 

 しかしその時、サーシャは見てしまった。

 

 バイオテクニカが管理しているデータの中に紛れ込んでいた、“セキュリシン”に関する重大な秘密を。

 

 “セキュリシン”は、バイオテクニカが開発し販売している鎮痛剤の一種。病に侵されていた母も、毎日欠かすことなく服用していた薬だ。

 

 サーシャが目にしたのは、“セキュリシン”が齎す副作用についてだった。

 

 データに記載されている情報によると、この薬を摂取した患者は、高確率で神経変性疾患を引き起こす。

 

 それはまさに、母を衰弱させ、死に至らしめた原因そのもの。

 

 しかもあろうことか、バイオテクニカはそのリスクを承知の上で販売を継続していた。会社の利益を優先し、副作用に関する情報を隠蔽していたのだ。

 

 愛する母は病気で死んだのではなかった。

 

 愛する母は企業に殺された。

 

 その事実を知った瞬間、激しい怒りと決意に駆られたサーシャは、意を決して行動を起こした。仲間の存在、友の存在よりも、心の底から沸き起こる憎しみを優先してしまったのだ。

 

 不正な侵入を感知した無数の警備ロボットが押し寄せる中、パーソナルリンクで“セキュリシン”の機密情報をマスコミにリークする。

 

 アップロードが完了するまでの間、弾丸雨注のオフィスを死に物狂いで立ち回る。そして、窓ガラスを突き破り、摩天楼の外へと身を投げ出したサーシャは、そのまま――。

 

 

 

 

 

 降りしきる雨の中。

 

 現場に駆けつけたレベッカは言葉を失い、佇んでいた。

 

 そこはバイオテクニカのビル下に広がる、真夜中のフリーウェイ。

 

 視線の先では、誰よりも早くその場所へ到着していたメインが、その巨体を悔しそうに打ち震わせていた。

 

 ついさっきまでその場を走っていたであろう、誰のものかも知らない1台の車は、今は完全に停止し、原型を失っている。

 

 潰れたルーフの上には、安らかな表情で眠るサーシャの姿があった。

 

 一緒にエソテリカへ行くという、3日前に交わしたばかりの彼女との約束を思い出しながら、レベッカは握りしめた拳を小さく震わせる。

 

 

 

「約束破りやがって……。ばかやろ……」

 

 

 

 顔を濡らす雨の雫に紛れて、一筋の涙が頬を伝う。

 

 レベッカの中で、タンポポの冠毛が儚く散り果てた――。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 そして時は流れ。

 

 あれからどれぐらい経っただろう。

 

 2進数で構築された世界の中で、私は今――。

 

 

 

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