「それは、つまり私を殺して魔人に成り代わる。そういうことでいいわけ?」
「まさか。そんな理由であるなら貴様にこんなことを言いはしない」
「なら、どういうつもり? 事と次第によっては、今度こそ貴方を本気で殺すけど」
「出来もしない事は言わない方が身のためだ」
バージルの挑発に応じるようにサイゼルは
全力ではないといえ魔人の一撃たる絶氷の一撃は、
ギリギリと軋む音が強くなり、周囲に響き渡る。
その強まる音に呼応するように、サイゼルが放つ殺気も今までの物とは比べものにならないほどに強くなっている。
瞬間、バージルが力を抜いた。
つばぜり合いをしていたサイゼルの体が僅かに泳ぐ。
その小さな隙を突いてバージルはサイゼルの足を払うと、そのまま首と
普段のサイゼルであればこんな不覚は取らないだろう。
しかし、今のサイゼルは翼を砕かれている。
その状況下で地面を踏みしめる足を払われた以上、彼女に対応は難しかった。
「チッ。……それで? ここからどうするの? 押さえ込まれているとはいえ私は魔人よ? 貴方では絶対に殺せない。……私の力は奪えない」
「知っている。もとより、魔人になど成るつもりはない」
「へぇ。それじゃあ、どうするつもりなの貴方」
「取引だ、ラ・サイゼル」
「取引? 押し売りの間違いじゃなくて?」
「そうさせたのは貴様の使徒だ。俺は身にかかる火の粉を払ったに過ぎない」
「ふん」
「ケケケ」
バージルの言葉にサイゼルは憮然とした態度を、そしてユキは笑い声をもって答えとした。
サイゼルの態度は、この状況が自身の使徒によってもたらされた事に対する肯定であり、ユキの態度はこの状況を作ってしまった自身の失策に対する乾いた笑いだ。そんな笑いをこぼす事はユキにとっては珍しい。
基本的にうまく立ち回る事を得意とする彼女が、主の判断を仰がずにここまで大きな失策を犯した事は初めてだった。
まあ、でも仕方が無いとユキは思った。目の前の男は自分が判断を失敗してしまう程度には超人めいた実力を持っていたのだから。
「話を戻すぞ、ラ・サイゼル。俺をお前の使徒にしろ」
「ふぅん? ま、そんな事だろうと思ったけど、この状況下で私が貴方を使徒にする意味は?」
「実益として俺が貴様の配下として動く事になる。俺自身の実力は貴様自身体験しているだろう?」
「ま、そうね。認めてあげるわ。貴方の力は並のそれじゃない。だけど……」
「感情が納得しないか。ふん、利益のみで転べば良い者を。面倒な女だ」
「ま、その面倒くささも含めてうちの上司なんで、やめとくなら今のうちでっせー」
「ちょっと、ユキ。どういう意味かしら、それ」
「ケケケ」
押さえ込まれながらも器用にユキと口げんかを始めるサイゼル。
その様子を見て、バージルは呆れを多分に含んだため息を漏らす。そのため息を聞きつけたユキがからかうようにバージルへと問いかけた。
「こういう上司で、こういう部下だと貴方は知っていたみたいですけど、それでも何故サイゼル様を? 貴方なら、それこそ他の魔人。魔人四天王の方々や魔人筆頭様、あるいは魔王様に見いだされる事さえ可能でしょうに」
「理由は幾つかある。魔王、魔人について調べ上げ、その上で精査した結果を基に判断した。主として仕えるなら、ラ・サイゼルが最善だと」
「ふぅん? それは、ハウゼルよりもって事で良いのかしら?」
「無論、ハウゼルも検討に値する魔人ではあるが、ラ・サイゼルと比べると選ぶに足る理由は弱い」
バージルのその言葉を聞いて、サイゼルは少しだけ機嫌がよくなった。
自分の事をよく出来た妹より評価している。その言葉は、サイゼルが望んで望んでそして得られる事がなかったもの。自身を押さえ込むほどの力量を持つ男にそのように評価される事は満更では無い。
「うわ、うちの上司チョロすぎ。って理由で選んだ訳か?」
「いや、チョロさと言う意味ではハウゼルに取り入る方が楽だろう。希少本でも探して自分を売り込んでいけば、程なく下級使徒にはしてもらえるだろうあの子」
バージルの言葉にユキは苦笑をこぼすしか出来なかった。
何故、ハウゼルの性格を熟知しているのかなどと聞くつもりはないが、どこまで調べているのか、どうやって調べたのかという点は純粋な興味を抱く。もっとも、答えてはくれないだろうが。
「取引成立ね。良いわ、貴方を私の使徒にしてあげる」
「そうか。それはありがたい」
にこやかにそう言ったサイゼルをバージルは即座に引き起こす。
そしてゆっくりと閻魔刀を納刀すると、そのままサイゼルの前に跪いた。
「名はバージル。姓は無し。我が願望成就するその時まで、この技、この知謀、この身の全てを貴方に捧げる事をここに誓おう」
「そう。永遠にじゃないのね」
「無論。だが、契約の満了後も三回は貴方の手助けをしよう」
「随分と身勝手な話。腹立たしいくらい。でも知ってる? 血の契約を結ぶと私に逆らえなくなるって事」
「ふん。まさか、下級使徒をすっ飛ばして血の契約を結んでくれるのか?」
「ええ。アンタがそれを望みそうにないから。半分嫌がらせよ」
「嫌がらせで使徒を増やすのか。……血の契約は魔人としての力を譲渡する契約。理解しているんだろう?」
「譲渡した分以上の働きはしてくれるんでしょう?」
「主が望むとあれば……な」
そう言ってバージルは説得をあきらめた。
下級使徒でも十分のつもりだったが、使徒となれるのであればそれを拒む理由はない。
ちらりと視線をユキに向けてみれば、彼女は面白そうな物を見る目でバージル達を眺めていた。どうやら止める気は無いらしい。
「契約の時くらい、こっちを見なさいよバージル」
「ああ」
面白くなさげな声音でサイゼルが言った。
それに答えて正面を向けば、そこにはサイゼルの顔がドアップであった。
まるで、キスでもするかのような距離。
だがバージルは一切の動揺を見せない。そんな彼を見てサイゼルは小さく漏らした。
「ホント、生意気な男」
「性分だ」
「その性根、心底まで酔わせてあげるから」
「ふん、出来るものならな」
軽口を言い合いつつ、サイゼるはその口元をバージルの首筋から肩のラインに近づけた。
ぺろりと小さく舌を出してそのあたりをなめると、わずかに塩の味がする。
自身の低温でバージルが身じろぎしないかと期待していたが、サイゼルの悪戯に対しても彼は一切の反応を見せるでもなく、淡々と彼女の行動を待っていた。
その態度が見透かされているようで少しばかり悔しい。
だが、悔しいからと言って血の契約を辞めるほど、この契約は軽くはない。
守り続けるつもりはないとバージルは言い切ったが、血の契約は基本的に永遠だ。永劫の長い時を共に過ごすという契約であり、魔的な儀式でありながら同時に神聖さすら宿す。
魔人にとってしても使途にとってしても侵すべからずなこの儀式を悠然と破ると言い切るバージルの有様は、血の契約を理解しているうえでそう扱うのだから質が悪い。しかしまあ。
「長い命、時には質の悪い男に引っかかるのも経験かしら」
「いいから早くしろ」
「風情すらない男なんだから」
と言いつつも、サイゼルは血の契約を結ぶためにバージルの肌に犬歯を突き立てた。
歯が肌を破り、赤い血潮が零れ落ちる。
味わうようにバージルの血を口の中で転がしながら、同時に自身の唇を嚙むことで血を流してバージルのものと混ぜ合わせる。
そして先ほど傷つけたバージルの肌にその混ぜ合わせた血を注ぎ込もうとして、やめた。
「……おい?」
「こっちを向きなさいバージル」
「なに?」
バージルの問いかけには答えず、ただその魔人の膂力をもって無理やりにバージルの唇を奪った。
目の目が合う。
悪戯っぽい光を宿すサイゼルとは違い、バージルの瞳には確かに驚きの色が宿っている。
口の中に溜まった自身とバージルの血の混合液を彼に送り込む。
ごくりと垂下する音がサイゼルとバージルの耳朶に嫌に大きく響いた。
「あは。驚いたかしら?」
「……」
唇を離して悪戯気な笑みを浮かべ、サイゼルはバージルにそう問いかけた。
その問いにバージルは答えることなく、彼女と自身の口元にできた赤い糸を鬱陶し気に切ると、そのまま体内に落ちていったサイゼルの血の感触を確かめる。
魔血魂の力の一部を宿す魔血はバージルの体の中でゆっくりと彼の体を変質させようとして。
「はっ」
その変質をバージルの魔力によって抑え込まれた。
そしてバージルの血液と混じり合い、使途とするために変質した魔血を無理やり右腕まで運ぶ。そこで、抑え込んでいた魔力を緩めることで使途への変質を開始させた。
「呆れた。そこまでして私の命令は聞きたくないってわけ?」
「というよりも右ひじから先だけで使途化させるとかそんなこと出来るんですね。ユキちゃん驚いちゃった」
「魔血による変質だって魔力による変質の一部に変わりはない。ならその変質をコントロールすることだって可能だろうさ。……命令に関しては命令されれば聞くとも」
「は……聞く気がないなら聞かずに済むってわけ? なんだか、力だけただ取りされた気分」
その言葉にバージルは肩をすくめることで答えとした。
それはサイゼルの言葉を肯定しているような、していないような微妙な態度で、それを見せられたサイゼルは不機嫌になるしかなかった。
「貴様の命令が俺の判断より勝ると感じた場合は、無論命令に応じるさ」
「……本当に腹立たしい男」