「クラゲさん、聞いていいですか」
「なんだよ」
あいつらが戻るまでの暇つぶしにと、見せてもらったクラゲさんの研究成果。呪霊のことはわからない俺が読んでもわかるほど明瞭で、理論と数字によって成り立ったそれ。ろくな先行研究もないのにたったひとりで挑み続け、それでもこれだけの成果を上げているのだと思うと、素直に頭の下がる思いだった。けれど今はそこじゃない。そこじゃなくて。
「この呪霊の発生予測、当たります……?」
「知らん」
「ぶん投げた! いや俺発生確率九割超えてるところに行く予定あるんですけど!!」
とある地方の、多くの民話が伝わるまちで開かれることになったシンポジウム。俺もそこで最近の研究成果を発表することになっているし、俺以外にも多くの研究者がそこを訪れる。たいして大きなまちでもないだけに、まじで呪霊が発生すれば無関係でいられるとは思えない。
そうクラゲさんに訴えてみても、その横顔はモニターを向いたまま。
「そうか。外れてるといいな」
「いや軽くない!?」
俺はただ確率出してるだけだから、と何ら変わりないトーンで言うクラゲさん。いっそ恐ろしい。
いや心の奥底から心配されてもそれはそれで気持ち悪いのだけれど、それでもアドバイスというか対策のひとつくらい教えてくれてもいいんじゃないだろうか。俺はこれでもクラゲさんとはそこそこ話せる関係を築いてきたつもりでいたが、実はこのひとやっぱ俺のこと嫌ってたりするのか。硝子ちゃんのことで怒ってたりするのか。
「……何考えてんのか知らねーけど、俺は相手が誰だろうかこんなもんだぞ。つかお前術師じゃねーし、取れる対策なんて『行かない』くらいじゃん。んなもん俺が決めることじゃねーだろ」
「そうなんですけど、そうなんですけど! もうちょい心配してくれてもよくないですか!?」
思わず声が大きくなったところで、呑気なノックの音が部屋に響いた。失礼します、と入ってきたのは、俺をここに放置していったまっくろくろすけの片割れ。
「外まで声が響いてたよ。何を発狂しているんだい?」
「傑!」
実質俺の命を握っているこいつなら何かしらの手を打ってくれるのでは。そんな儚い希望を抱いて外面だけはいい幼馴染に事情を説明する。ふんふんと頷きながら聞いていた傑は、クラゲさんの予測をまとめた紙をちらりと見て、なるほどと微笑んだ。
「そうか。外れてるといいね」
「クラゲさんと同じこと言う!! 何で呪術師ってそうなの!?」
お前そろそろうるせーぞ、とクラゲさんに怒られるが、だからといって黙っていられるわけもなく。穏やかな笑みを崩さない幼馴染に「何か助け舟ちょうだいすぐえもん!」と泣きつくも、このクズ、眉のひとつも動かさなかった。
「悪いけど、久しぶりに双子たちと出かける予定が入ってるんだ。ちなみに悟は出張でしばらく帰ってこないし、確定ではない案件に時間を割いてくれるほど暇な術師はいないんだよね」
「じゃあクラゲさん!」
そう言って白衣の裾を引っ張れば、心底めんどくさそうな瞳と目が合う。
「むしろなんで俺が助けなきゃなんねーの?」
「ひどすぎる!!」
「それでこそクラゲさん」
ははっと軽く笑った傑をぶん殴ってやりたかったが、あとが面倒なのでとりあえず拳はおさめた。本当に何なんだこいつら、呪術師にろくなやつがいねーことは知っていたが、もうちょっとくらいひとの心をもってもいいと思う。ううう、と頭を抱えた俺を見て、クラゲさんはため息交じりに口を開いた。
「行かなきゃいーだろ。そんだけじゃん」
「いや俺は適当な言い訳してサボればいいですけど、これに出席するお偉方の中にはいろいろ目を掛けてくれるひともいるんですよ。ようやくうまいことコネも作れたのにここで死なれるとかマジで困ります」
「お前もわりと最低なこと言ってるって気づいてるか?」
「それでこそ燈」
我関せずの傑と、嫌そうな顔をしながらも話を聞いてはくれるクラゲさん。これはクラゲさんを口説き落としたほうが確率は高そうだ。しかしクラゲさんが相手となると、もので釣ることはできそうにもない。いやこのひと何だったら釣れてくれるんだろう。その辺硝子ちゃんに聞いておけばよかった。後悔先に立たず。
となると、もので釣るのではなく脅すほうで行くしかない。俺も硝子ちゃんのおにいさんにそんなことはしたくなかったが、背に腹はかえられない。クラゲさんの好きなものはわからないが、嫌いなものならよくわかる。
クラゲさん、と真面目な声を出すと、硝子ちゃんそっくりのたれ目が不審そうに細められた。
「何か手を考えてくれないと、悟に吹き込みますよ。クラゲさんがもっと仲良くなりたいって言ってた、とか」
「お前には人の心ってもんがないのか?」
真顔で即座に返された当たり、この脅しはやはり相当な威力を持っていた。後ろで幼馴染が笑いを堪えている気配がする。
まあ悟にそんなことを言ってもまさか信じないとは思うが、なんせ相手はあのクズだ。これ幸いとネタにして、思う存分クラゲさんに絡みまくるだろう。何なら四六時中クラゲさんに引きずって連れ歩くくらいやりかねない。一応それができる程度にはクラゲさんよりも強いと聞いている。
真剣に嫌そうな顔をしたクラゲさんも同じことを考えたのだろう、仕方ねえなと歯噛みしながらスマホを取り出した。画面の上に指を滑らせ、それを耳に寄せる。プルル、とコール音が聞こえた。がちゃりと音がして、電話に出たのはハスキーな女性の声。
「……どーも、家入です。今お時間いいですか」
仕事を頼みたいんですけど、とクラゲさんが嫌そうに続けると、それはそれは愉快そうに女性が笑う。それにさらに嫌そうな顔をしたクラゲさんは、ええ、と頷いた。
「来週なんですけど。まあ、護衛になるかな。知り合いが地方向かうんですけど、俺の出した予測だと呪霊と出くわしそうで。たぶん一級相当……ええ、そうです。まじで呪霊が出たら報告書もください。はい、はい、……わかってますよ、アンタをタダ働きさせる度胸なんて俺にはありません」
そこでクラゲさんは大きなため息をついて、改めて口を開いた。
「報酬は俺の術式行使の命令権一回分。株の値上がり予測でも円相場の変動でも、そこそこの確率で当ててみせますよ」
えっクラゲさんそんなこと出来んの。思わず後ろの幼馴染を振り返れば、笑顔のままこくりと頷かれた。まじか。
つまりクラゲさんはほぼ働かなくても生きていけるのに、わざわざ術師として働いて、しかも日夜研究に明け暮れているのか。うわ超物好きじゃんこのひと。理解しがたい。そんな気持ちが顔に出ていたのか、傑は同情したような顔でぽん、と俺の肩に手を置いた。うるせえどうせ貧乏性だよ、特級になって金銭感覚ぶっ壊れたお前とは違うんです。
そんな俺たちの無言のやり取りをまったく気にすることなく、クラゲさんは話を進めていく。
「詳細はまた連絡します。……は? 調べてもいいですけどアンタに教えるのはこれが終わったあとですからね。はいはい、株の銘柄送っといてください。じゃ、よろしくお願いします、冥さん」
そう言って通話を終えたクラゲさんに、傑はやけに愉快そうに口を開く。
「まさか冥さんに依頼するなんて。なかなか太っ腹じゃないですか、クラゲさん」
「五条にまとわりつかれるくらいなら術式の一回分くらい売ってやるよ。叶木、金にはがめついが腕は確かなフリーの術師呼んでやったから、適当に守ってもらえ。それでいいだろ」
「まじでありがとうございます!!」
両手をあわせて拝み倒すと、本当に嫌そうなクラゲさんはまたモニターに向き直る。かたかたと響き始めたタイプ音にも疲れがにじんでいるような気がした。
「……五条に付きまとわれるの想像しただけで疲れたわ。ったく、特級クズのガキをさらに面倒なうざいクズに育て上げやがって。お前ら本当にアレ何とかしろよ、高専時代のがまだ扱いやすかったぞ」
「ほら傑~お前がちゃんと教育しないから~!」
「何を言っているんだい、あれはどう見ても燈の悪影響だろう?」
「どっちもだよクソ馬鹿ども」
え、と傑と同時にクラゲさんの顔を見ると、お前らまじで自覚ねーのかとむしろ引いた顔で見られた。
確かに高専時代の終わりごろから悟は何やら振る舞いだの言葉遣いだのを改めていき、結局今に至るわけだが、あれはどう見ても。
「……いや、あのうさんくささは傑の真似っしょ?」
「いいや、あの軽薄さは燈の真似だ」
「ああ、お前らからその辺取り入れたんだろ。まじであいつわかりやすいよな」
何でよりにもよってそこを真似るかね、とカタカタとキーボードを奏でるクラゲさん。その何の気ない言葉に、背筋にぞっとしたものが走る。それは傑も同じのようだった。
悟の、あれが、自分の影響。そう考えるだけで、血の気が引いていくのを感じた。
「いやいや違う! 絶対違います!」
「断固として違います。私はああじゃない」
「お前ら一応五条の友達じゃなかったっけ」
「それはそれ、これはこれ! 絶対違います!!」
「たとえ友人でも、それは本当にちょっと……いや絶対に違う」
たぶんお前ら以外はみんなわかってるぞとさらりと言われ、さすがに泣きたくなった。いや、絶対に認めない。
*
「ねークラゲさん、最近傑も燈も僕の顔見てはため息つくんだけど、やっぱ僕ってそんなにイケメンかな? ついつい息もつきたくなるくらいのグッドルッキングガイ? いや~僕ってば本当に罪な男だよね~!」
「自分の人間性でも省みてんだろ。今まで自覚してなかったのがいっそすげーわ」
「え、何の話?」