ライブが無いウマ娘世界で、なんとかライブを根付かせたい転生者のお話 作:貯金缶
運命の冬になった。俺は果たしてトレーナー試験に合格するのであろうかと考えていたが、ファル子と一緒にトレセン学園に行くことは、運命なのだと心を入れ替えた。
しかしながら、不安になったり、困ったりしたときは神頼みである。近所の神社へ参拝に赴いた。決められた作法に従って、神に祈った。どうかどうか、お願いします。
気がついたら年末になっていた。年越しそばを食べながら、年末の歌番組とかを見ていたが、試験が気になって、なんとも集中が出来なかった。俺の心境に暗闇が近づいてきた。これは悪い予兆だと理解していたが、俺の恐怖が増すばかりだった。逃げるようにファル子の誕生日に間に合うように曲を作っていく。これだけは、何とかしなければならない。それに引っ越しの準備も始めた。俺自身の心境はともかくとして、不退転の決心を心がける必要がある。震える手で退職届を書いた。会社に提出しよう。まぁ、あらかじめ今年もトレーナー試験を受けると伝えていたし、俺みたいなそういう人達がかなりいる世界なので、そこまで大きな問題にはならないはずだ。
幾日後、俺の目の前には、トレーナーライセンス試験の結果が書かれている書類があった。これで3回目になる。そう、二度あることは三度あるのである。自己採点では合格しているはずであったが、怖くなってファル子を呼んでしまった。助けて!ファル子!
そういうことなので、生まれたての小鹿のように足を震わせている俺の目の前には、呆れた表情のわざわざ家に来てもらったファル子がいた。
「すまない、ファル子。お願いがあるんだ。このトレーナー試験の合否結果の紙を俺の代わりに開いてくれないか。自分で開くのがとても恐ろしくて手が動かない」
ファル子は、俺が恭しく差し出した書類をささっと受け取り、ぱぱっと開いて中身に書かれた内容を俺に告げた。
「ふーん。はいっと、合格だよ。良かったね、トレーナーさん。それでケーキはどこ?」
「お嬢様、こちらにございます」
数か月前の俺はとても賢かったようで、今のような状況になると想定していたのであろう。有名なパティシエが作る人気のケーキをあらかじめお取り寄せで注文していたのだ。このケーキが届くまで、このことを全く忘れていたので、本当にタイミングが良かった。
ファル子がケーキと引き換えに返してくれた書類を読む。合格だった。どっと全身から力が抜けて、したたかに床に腰を下ろした。良かった。これまでの俺の行動は無意味ではなかった。まだスタートに辿り着いただけなのに、不思議な達成感を実感した。そのまま冷たい床に寝転がった。冬の床特有の心地よい冷たさを体に感じ、思考がはっきりとしてきた。そうだ。ファル子に言わなければならないことがあった。がばっと体を起こしてファル子に制止した。
「ファル子!まだケーキは食べないで!」
「もう食べちゃったよ。トレーナーさん。このケーキ美味しいね。生クリームの濃厚さが凄いよ。ファル子、キュンキュンしちゃった。キューン♪」
フォークを持ったままファル子は、嬉しそうな表情で両手を頬に当ててケーキの味の感想を答えた。
「そのケーキに合う、とっておきの紅茶の茶葉があるのを忘れていた。それにミルクもお高いのを準備していたんだ」
「お砂糖は?」
「砂糖は…。普通の角砂糖かなぁ。あっ、そうだ。キャンディーシュガースティックがあるよ。他にはメープルシュガーもあるけど。これはちょっと合わないかも」
俺は立ち上がると紅茶の為のお湯を沸かすためにキッチンへと向かった。お湯が沸くまでの時間が経過する毎に、俺は今自分が最高に嬉しいことに気が付いた。いつのまにか力強く握り拳を作り、天を仰いで叫んでいた。
「よっしゃー!合格したぞー!」
「トレーナーさん、ちょっと五月蠅いよ。近所迷惑になっちゃう」
案の定、耳を後ろに引き絞ったファル子に怒られた。宥めすかす為に、ゴールデンルールで淹れた紅茶のカップとミルク、それに砂糖をファル子の目の前に置いた。
「キャンディーシュガースティックは、そのまま紅茶の入ったカップに入れて、マドラーのようにかき混ぜて砂糖を溶かしてね」
自分の分の紅茶が入ったコップを机の上に置いてから、俺は椅子に座って、カップを手に取り、熱い紅茶を一口含んだ。床に寝ころんだ寒さもそうだが、飲み込んだ紅茶の熱さが臓腑に行き渡り、俺に活力を与えた。まさに人生における勝利の美茶であった。目の前で4個あったケーキの3つ目を食べ始めたファル子に話しかけた。
「そうそう、そう言えば、ファル子の誕生日プレゼントにしようかと思っていたけど、運良く入学前に曲が完成したから、渡しておくね。これが『全速!前進!ウマドルパワー☆』の原曲だよ。あとは、唄いやすいようにとか二人で編曲をしよう」
ファル子が手に持っていたフォークを落とした音が部屋中に響いた。どうやら驚いたらしい。俺は床に落ちてしまったフォークを拾い上げ、代わりに俺が使う分だったフォークをファル子に手渡すと、ファル子は唖然としながらも素直に受け取った。落ちたフォークを洗うために水が張った台所の洗い桶につけた。台所から戻ってみると、いつの間にかファル子が最後のケーキを食べていた。
「ファル子!待って!俺の分のケーキは?」
「ごめん。食べっちゃった。一口食べる?てへ♪」
ファル子は首を傾げながら、ちょっとだけ舌を出して可愛く謝った。『くそったれ!ファル子!君がナンバーワンウマドルだ!』とか『俺のハートにズッキュン!バッキュン!』とか、言うならば、ファル子の仕草は俺の心に残る可愛さだった。それはともかくとして、ケーキに関して一途の望みを賭けてお願いしてみる。
「食べる!」
このケーキは諭吉先生が何枚か飛んで行ったケーキなのだ。一口で野口さんが飛ぶんだぞ。せめて一口は食べたい。
「はい、あーん」
俺はファル子が差し出したケーキが乗ったフォークを口にいれ、色々な味がするケーキを味わった。なんだか想像していた味とは違う気がしたけど、これはこれで美味しい。目の前のファル子が固まっていた。
「高いだけあって美味いな。今度、もう一回買うか」
「食べちゃったの!」
再起動したファル子がびっくりしているが、俺の言い訳も聞いてもらいたかった。言い訳ついでに感想も言おう。
「そりゃあ、食べたかったから、食べるさ。ファル子の言う通り生クリームが濃厚だな」
「そうなの。うん、そうだよね。美味しいね」
ファル子はフォークを持った手をくるくると円を描くように回しながら。とてもうれしそうに微笑んでいた。そのままファル子は、いつもよりも早いスピードでケーキを食べ終わった。俺のボーナスがファル子のお腹の中に入った瞬間だった。
ファル子が俺の家から帰ったあと、力試しとして受けていた地方のトレーナー試験の結果の書類を何気なく開いた。不合格だった。こちらを先に確認しなくてよかったと安堵したが、それでもショックだったことには変わりない俺の目の前が真っ暗になった。高校受験とか大学受験で本命が受かって、滑り止めが落ちた気分だった。
入学前の引っ越しを終えた俺とファル子は、トレセン学園の立派な門の前に立っていた。ちらほらとトレセン学園の学生やその関係者が通り抜けていくのを眺めながら、これからファル子のやりたいことにちょっと躊躇していた。
「この衆人の中で一緒に手を繋いでジャンプして門を通りたいなんて。ちょっと怒られないか心配だな」
「大丈夫だよ、トレーナーさん。お父さんに動画を撮ってもらって、あとでファル子のウマトックとかウマチューブにアップするから。記念の一枚ってやつだよ」
ちらりと離れた場所にいるファル子のご両親を見てみる。ファル子のお母さんはにこやかに手を振っているが、ファル子のお父さんが失敗したら許さんぞといった鬼気迫る気迫で俺を見ていた。気のせいだろうかファル子のお父さんの瞳から血涙が滝のように流れている印象を受けた。これはやらないとダメなやつだ。
ファル子の温かい手を取り、あらかじめ打ちあわせていた合言葉を叫びつつ、ファル子と一緒の両手を振り上げながら、ジャンプをしてトレセン学園の門をくぐった。
「「トレセン学園、入学おめでとー」」
着地してから、衆人環視の状況に恥ずかしさを感じたが、意外とそういう人達もいるみたいで、少し時間が経つと日常の雰囲気が戻ってきた。これが始まりなのだ。『隗より始めよ』なのだ。ここからファル子のウマドル道のトレセン学園編が始まることにそれもそうかと納得した。この映像記録はどうなるのだろうか。歴史書に載れればいいなと考えつつ、ファル子と一緒に嬉しがっていたのは、まだ少年の心を捨てることができなかったらしい大の大人である俺だった。
トレセン学園の理事長室で高そうなレザーチェアに座りつつ、葉巻を吸っているでっぷりとした男がいた。その隣には痩せぎすの男が立っており、手に持ったある男の書類を手の甲で叩きながら、でっぷりとした男に話しかけた。
「理事長、なぜあんな男をトレーナーにしたんですか?通常なら不合格の筆頭みたいなやつですが。特に歴史の点数が酷い。小学生の方がもっと良い答えが書けますよ」
理事長は秘書の言葉に答える前に紫煙を口の中で転がした後、ゆっくりと吐き出して葉巻特有の香りが部屋中に広がるなか、こう言った。
「ふぅー、君も知っての通り、儂は昨年の理事長選で改革派を標榜して当選しているのだよ。ただのポーズだとしてもだ。とにかく何かをやらなければならない。いや、やった振りをするだけでいい。次の理事長選までに幾らか懐が温かくなれば、君も助かるだろう?その後の国政選挙で儂が国会議員になるとして、君は県議会議員になれるんだよ。安い買い物だよ。成功すれば良し。失敗しても、彼が悪い。誰も損はしていない。あと三年何とかすれば、儂も君も先生だよ。それだけトレセン学園理事長の名前は強い」
秘書は、手元の書類を眺めながら、続けて理事長に聞いてみた。
「えーと、かの男のトレーナーになる志望理由が『今年入学するスマートファルコンを担当し、彼女をウマドルにするためです』らしいですが、ウマドルとは何でしょうか?最近の若者の言葉には疎くて、私自身まだまだ若いと思っていましたが、時の流れは残酷ですな」
「とにかく彼は既にトレーナーだ。それにスマートファルコンの志望理由にも『3年一緒に頑張ったトレーナーさんと一緒にクラシックを制覇したいです』と聞いている。健気なもんだ。くそったれの名家のやつらにも聞かせてみたいものだよ。はっはっはっはっは!まぁ、それなりには頑張るのではないのかな」
葉巻を灰皿に軽く叩きつけ、燃え尽きた灰を落としながら理事長は答えた。
そうして小物たちの悪だくみは終わった。今のところ、彼らは知るべしも無いが、どうしてこうなったと頭を抱えつつ、彼ら二人は3年後の未来でも理事長と秘書をやっていたのだった。
やっとトレセン学園編が始まりそうです。
それはそうとして、ダービーのソールオリエンスが負けた!なぜだ!私の諭吉は未だJRA銀行から引き出せない。いつになったら利子をつけて返してくれるのだろうか。