<理那>
今から四〜五年前、お母さんは私を産んだ時に亡くなってて、お父さんの病院で面倒見てもらってる頃。その環境に慣れず私は心を病んでしまっていた。
趣味らしい趣味もなくて、元々やってたことも興味を無くしてただただぼーっと生きるだけ。友達は居たけど勉強友達だし、一緒に遊ぶことはない。お父さんも「人の心にメスは入らない」って助言をくれたけど、理解できなかった。
今思えば寂しい小学生時代だけど、そんな気落ちした私だからこそあの人を見つけられたんだと思う。
入り浸っていたお父さんの病院の中庭。患者さん達が散歩してたり日向ぼっこしてる隅で、一人の女の人が歌っていた。私服だし看護師さんもいなくて、入院してるわけじゃなさそう。というか入院してたら探検してる時に見つけてるはず。
そんなに大きな声じゃないけど、芯の通ったよく響く声。何よりちょっと暗い雰囲気のする病院で、その人の歌はキラキラ輝いていた。自然と近くで聴きたくなって隣まで寄ってみると、流石に気付かれて歌うのをやめてしまう。
「どうしたのお嬢ちゃん、迷子?」
「ううん、ここ、お父さんの病院なの」
「へー、あの院長さんの娘さんか。それでお姉さんに何か用?」
笑いながら私の頭を撫でてくれるお姉さんは、笑顔も素敵ですっごく明るい人なんだってわかった。私がここに来た理由は一つしかない。
「お姉さん歌、すっごく上手だね! もっと聴きたいな」
「そっか。じゃあもっと聞かせてあげよう!」
さっきより近くで聞く歌はより輝いてて、太陽みたいな感じ。暗い気持ちなんかも忘れるくらい夢中になって聞いていた。遠くの方にいる患者さん達もうっとりしながら聞いてて、特等席の私は少し得した気分にもなる。
「お姉さんすごーい! もっともーっと聴きたいな!」
「お、さっきよりいい顔するようになったね。じゃあ次は──」
「古瀧さーん、診察室で先生がお待ちです」
「残念、時間切れみたい。また会おうね、お嬢ちゃん」
看護師の人に呼ばれたからか歌の時間は終わりを告げる。折角これから面白そうなのに、と頬を膨らましてると申し訳なさそうに手を振ってくれた。約束してくれたし、また会えるよね。
◇
それから毎日、ってわけじゃなかったけどお姉さんは診察の日に必ず中庭に顔を出してくれた。色んな歌を聞かせてくれて、私も一緒に歌ったり楽しい時間を過ごしていた。
「お嬢ちゃんはほんと楽しそうに歌うねー。お姉さんまで楽しくなっちゃう」
「えへへ。でもお姉さんみたいにもっと上手に歌いたいなー」
「そうだね。でもここじゃ練習するにはちょっと向いてないかな」
ここには色んな患者さんがいるけど、みんなが歌を聴きたいわけじゃない。看護師の人もたまに騒ぎすぎないように、と注意してくる人も居たしあんまりよくないのかも。
だからってお姉さんと会えるのはここしか知らないわけで。
「ねえお嬢ちゃん、もし良かったら私がいつも歌ってる場所にいかない?」
「えっ、いいの! 行きたい!」
「よっし、じゃあお父さんがいいよ、って言ったら連れて行ってあげよう!」
「わーい! すぐ聞いてくるね!」
真っ先に聞きにいってからわかったんだけど、お姉さんはお父さんの患者さんだったみたいで、すぐにいいよって言ってくれた。
その後はお姉さんに腕を引かれて、知らない道をどんどん歩いていく。綺麗な街並みを抜けて、路地裏にも入って、落書きとかポスターがいっぱいある場所にやってきた。
ちょっと怖かったけど、お姉さんと一緒だったから我慢出来る。
「♪───」
「♪──、♪〜〜」
それに色んなところから歌が聞こえてくる。お姉さんほど上手くはないけど、みんな明るくてキラキラしてるのは変わらない。
「お、凪さん! それに、隣の子は誰だい?」
「ん? ああ、この子は私の知り合いでね。ちょっと街を案内してるんだよ」
「はは、流石凪さんだ。顔の広さも随一ってか」
「凪さん、その子どうしたの? 迷子?」
「私の知り合いだよ。街を案内してるところ」
「へえ、お嬢ちゃんも得だね。凪さんに案内してもらえるなんて」
行き交う人達みんなに声をかけられてるのも、やっぱりお姉さんが一番キラキラしてるからかも。すっごく人気者でお父さんみたいだけど、そこに文句とかドロドロしたのは無くて、すごく気持ちよかった。
「お姉さん有名人なんだね。もしかしてテレビとか出てる人?」
「それはどうだろうなー。これから出られるかもしれないけど。ほら、着いたよ」
お姉さんが着いたと言うからどこかと思いきや、まだ通り道でシャッターの閉まった建物の前。歌う道具もないし、このまま歌ったら歩いてる人とかお店の人に聞かれちゃう。
「本当にここなの? 外だし、いっぱい人いるよ?」
「だからいいんじゃない。ほら、一緒に歌おう?」
そんなこと気にしないでお姉さんは歌い出しちゃう。むしろみんなに聞かせようとしてるみたいに、中庭で聞いた時よりもずっと大きな声で、もっと元気いっぱいに歌っていた。
すぐそばに居たからびっくりしたけど、お姉さんの歌はもっともっと素敵で、一緒に歌おうって言ってくれたことが嬉しかった。
「お、凪さんが歌ってるぞ!」
「でも、あの隣にいる子誰だ? 初めて見るぞ」
歩いてる人も足を止めて、ゾロゾロと人が集まってきたけど、怖くない。一緒に歌うって、決めたから。
「♪──」
「おお、隣の子も歌い出した」
「歌はイマイチだが、楽しそうに歌ってるなぁ」
聞いてくれる人は私の歌で盛り上がってはくれなかったけど、それでもよかった。お姉さんと一緒に歌うのが楽しくて、聞いてる人なんかどうでも良くなって、合図をしたりなんかもする。
その分お姉さんはすごい歌で応えてくれて、この場所がステージみたいだった。
「誰が歌ってるのかと思ったら、やっぱり凪か」
「あ、大河! どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、こんな人だかりじゃ目立つだろう。それより、そっちの嬢ちゃんはどうした」
「っ!」
歌い終わると聞いてる人の一番前にいたおじさんがお姉さんに話しかけてきた。体も大きくて、髪も染めてて、何ていうか、ヤンキーみたいな人。こっちを見てきたから怖くなってお姉さんの後ろに隠れる。
「あらら、隠れちゃった。ちょっと前に知り合った子でね、名前は……聞いてなかったな」
「なんだそりゃ。お嬢ちゃん、名前は?」
「………」
覗き込んでくるおじさんから隠れるように周りをグルグル回る。するとお姉さんがしゃがみ込んで私の顔を見つめてきた。
「大丈夫、大河は私の兄さんだから。それより理那ちゃん、ちゃんと自己紹介してなかったね」
「私は
「斑鳩……理那」
「そっかそっか、理那ちゃんか。これからよろしくね?」
「うん」
これが私の、音楽を始める第一歩。後に師匠と呼ぶ、凪さんとの出会いの物語だ。