『この森は魔女さんが住むところだよ』
『勝手に入っちゃ、いけないよ』
この地域の子供はそれこそ物心がつくような頃から、親や祖父母、近所の人からそう言われて育てられる。
そして言われてみれば確かに、
「まあ確かに、魔女の1人や2人住んでてもおかしくないなぁ」
と思えるような、いかにもな森がある。
昼間にも関わらず何処か暗く、生き物の気配が不気味なほど感じられない。
一歩足を踏み入れようものなら、
(ああ、ここは
不思議とそう思わせてくる、そんな森。
物語は、そんな森に迷い込んでしまった1人の少女が泣くところから始まる。
*** *** ***
乾燥した葉が絨毯のように足元を覆う地面に座り込み、女の子はえんえんと泣いていた。
近所でも、「いい子」「お利口さん」と評判で、間違っても大人の言いつけを破って、
そんな子が、何故森に?
きっかけは保育園でのこと。
やんちゃだと評判な男の子が自慢げに、
「あの森に入った」
と言い始めたのがきっかけだ。
もちろん周りの子はみんな、それはやっちゃダメなことだと分かってはいたけれども、誰も入った事がない森の中がどうだったのか気になって仕方なかった。
男の子は言う。
「入ったけど、なんかすぐに出てきちゃった」
「何回入っても、すぐに森から出ちゃう」
不思議そうに話す男の子に対して周りの子たちは口々に、そんなことあるわけない、と言う。でも男の子は、ウソじゃないと頑なに言い続ける。
じゃあ今日みんなで行こうよと、誰かが言った。
男の子たちは大体賛成して、女の子たちがダメだよと嗜める。
男の子たちは、女なんて無視して行こうぜと言い、女の子たちは、知らないからねと機嫌を斜めにした。
そして夕方、男の子たちが森に入る。その後ろを1人だけ、こっそりと着けてきた女の子がいた。
止めようとしたのだ。でも間に合わずに男の子たちは森へいそいそと入り、女の子は後を追いかけ、少し遅れて森に入る。
入ってすぐに、男の子たちを見失った。
でもそんなわけがなかった。
だって森に入る寸前まで、男の子たちは見えていたんだから。
男の子たちを探して、女の子は森の奥へ奥へと向かう。けれども、男の子たちは一向に見つからない。森に入るまで騒ぎあっていた彼らの声すらも、聞こえない。
あるのはただ、木ばかりだった。
薄暗い森の中に1人。
それを理解した瞬間、今まで隠れんぼしていた恐怖心が女の子を見つけた。
怖い。
怖い。
怖い。
女の子は慌てて、元来た道を戻ろうとする。
でも何故か、どうしても、森から出ることは出来なかった。
叫んでも応える声は無く、元来た道を戻ることすら叶わない。
もしかして帰れない……?
そう思ったら、怖さと寂しさと不安が、涙と一緒に流れ出た。
えんえんと泣く。
やっぱりこの森は入っちゃダメだったんだと。
お母さんやお父さんが言ったことは本当だった。
言われたことを破ったからバチが当たったんだ。
ごめんなさい、ごめんなさいと、女の子は泣き続ける。
「ありゃりゃ? 私の腕も鈍ったかな?」
不意に、背後からそんな声が聞こえた。
振り返るとそこには、エコバック片手にニコニコと笑いながら佇む、美人がいた。
腰まで届く白銀の髪を一つに束ねたその人は、しゃがみ込んで女の子へと視線を近づける。
見惚れるほどに整った顔と、飲み込まれるような大海原の色をした瞳が、女の子の視線を他の全てから奪い取る。
「お嬢ちゃん、こんにちは」
「こ……こんにちは」
「うん、いい返事だね。ご褒美にアメちゃんをあげよう」
買ってきた品を詰め込んだであろうエコバックからリンゴ味の飴を取り出して差し出す美人だが、
「しらないひとからおかしとかもらっちゃだめだって、おかあさんがいってた……」
女の子はそう言って受け取らなかった。
断られた美人だが、それがどこか面白かったようでクックックと笑った。
「わーお、最近の子供はしっかりしてるねぇ。ねえ、お嬢ちゃん。お名前は?」
「……あさはな、ひめか」
「あさはな……ああ、朝花さんのところか。そういえば子ども産まれたんだっけか。姫花ちゃん何歳? えーと、4歳だっけか?」
歳を言い当てられて、姫花はコクコクと頷く。
「うーわ……時間の流れ早すぎるよ。あのちびっ子がもう4歳とかマジ……?」
何故かひどく落ち込む美人に向けて、姫花は問いかける。
「おねえさんは、だれ?」
「私? 魔女だよ魔女」
あっさりと、その美人は自分を魔女だと名乗った。
「パパとかママから聞いてない? この森に、魔女がいるって」
「きいてるけど……」
「でしょ? あとついでに……この森には、勝手に入っちゃダメだって言われてない?」
ニヤリと、魔女は笑った。
「ご……ごめんなさい」
君、悪い子だね〜と言いたげな笑みの魔女に向けて、姫花は謝った。
言いつけとされてることを破ったのだから怒られるかと身構えた姫花だったが、
「いんや、謝るのはむしろ私の方だし気にしなくていいよ〜」
魔女は怒ることなく、むしろどこか楽しそうな笑みへと変えて頭を優しく撫でてきた。
「お……おこらないの?」
「ん、怒らないよ〜。むしろ、誉めなきゃいけないかもしんないけど……まあ、それは置いといてだ」
小首を傾げて、魔女は尋ねる。
「姫花ちゃん。この森から出て、お家に帰りたい?」
「かえりたい!!」
迷わず姫花は答える。答えを聞いた魔女は満足げに笑い、
「よし、じゃあ……」
「あ、でもまって! ほかにもね、もりにはいっちゃったおともだちいるの! みつけなきゃ!」
「お友達? ……ってか、あー、ああ〜……」
友達を探したいという姫花の言葉を聞いた途端、魔女は露骨に落ち込んだ。そんな魔女に姫花は声をかけようとしたが、それより早く魔女が答えた。
「んー、大丈夫だよ姫花ちゃん。君のお友達はもう森から出てるよ。出てるというか、そもそも入れてないから大丈夫だ」
「でも……でも……」
「まあまあ。ここは1つ私を信じてみてよ」
真っ直ぐに見つめられてそう言われた姫花だが、心の中では当然疑問が浮かぶ。
森からみんながもう出てると、何故わかるのか。
そもそも入れてないとは、どういうことなのか。
しかし、そんな姫花の疑問を見透かしたように魔女は、
「説明はまたいつかするよ、姫花ちゃん。だから今だけはどうか、私を信じてほしいな」
どこか困ったように笑いながら、そう言葉を重ねた。
どうかお願い。
信じてくれないと困る。
そんな声なき声が聞こえたような気がした姫花は、うん、と頷いた。
「よし、いい子だ」
姫花の頷きを待っていた魔女は今一度笑ってから、エコバッグを肩に掛け直した。自由になった両手で姫花を抱きしめ、それから立ち上がる。
姫花の顔を自分の胸に押し付けながら、魔女は囁く。
「いい? 姫花ちゃん。私が、いいよって言うまで目を閉じててね」
「うん……」
「絶対、絶対に……私がいいよって言うまで、目を開けちゃダメだよ?」
「うん……うん……」
言われた通りに姫花は目を閉じ、魔女は歩き始めた。
ざっ、ざっ、とした確かな足音と揺れを感じながら、姫花はギュッと目を閉じて自分に言い聞かせる。
(目を開けちゃダメ……開けちゃ「あ、もういいよ姫花ちゃん」
「えっ!?」
3歩目の歩みと同時に言われた姫花は、半ば驚いて目を開けた。
目に飛び込んできたのは、見慣れた町並み。姫花が住む町そのものの景色だった。
「え……え……!?」
辺りを見回せば、ここは自分が男の子たちを追って森に入った場所の近くだと分かったが、それが姫花の困惑をより深めた。
さっきまで、間違いなく自分たちは森の中にいたのだ。
決して、ちょっと歩いたくらいでは抜けられるような場所では無かった。
でも今、自分たちは間違いなく森の外にいた。
まるで、魔法にかけられたとしか思えなかった。
「はーい、姫花ちゃん下ろすよ〜」
ゆっくりと地面に下ろしてもらった姫花は、思わずと言った様子で魔女の顔を見る。魔女はさっきと変わらない、なんてことないような笑みのまま姫花に問いかける。
「姫花ちゃん、あとはもう自分でお家に帰れるね?」
「かえれる……けど……!」
「けど、何かな?」
笑みを崩さない魔女に向けて、姫花は問う。
「おねえさんって……ほんとうに、まじょさんなの……?」
「うん、もちろん」
誤魔化す素振りなど全く見せず、自分が魔女であると、魔女は認めた。
本物の魔女さんだ……! と、姫花は目をキラキラと輝かせる。
「え、じゃあじゃあ! ひめかをもりからだしてくれたのはまほうなの!?」
「ふふ、知りたい?」
「しりたい!!」
姫花の疑問に、魔女は笑顔を返した。
「じゃあ、それは次に会った時に教えてあげるよ」
「ほ、ほんとう!?」
「うん、本当。今度また、森にいらっしゃい。森の中で会えたら、教えてあげる」
約束の指切りだよ〜、と言って魔女は右手の小指を差し出し、姫花も同じように小指を差し出して、指切りをする。
ゆーびきーりげーんまーん……
そうして次に森で会った時に、という約束をした姫花は、軽い足取りで帰り道を往く。
「まじょさん、またねー! つぎあったら、ぜったいにおしえてね!」
「うん、またね」
手を振って姫花を見送った魔女は踵を返して森に向かい、
「次に森で会えたら、ね」
そう言って、深い森の中へと姿を消した。
*** *** ***
それから幾つかの季節が巡り、春。
はっ、はっ、はっ
軽く息を切らしながら、制服姿の少女が森を駆ける。整備などされていないし、獣道とも言えるような道でもないが、すっかり慣れたような足取りだ。
森に入ること3分。少女は目的地を見つけて笑顔になり、
「魔女さんこんにちはー! 今日も来れたよ!」
ノックも呼び鈴も無しにドアを開け、家主である魔女へと自慢げに言った。
お気に入りの椅子に座ってタブレットで動画を見ていた魔女は、そんな姫花を見て呆れたように笑う。
「いらっしゃい、姫花。今日も迷わなかったかい?」
「もちろん! 迷わず来れました!」
「あー、そうかいそうかい。ったく……私はどんだけ森の
苦笑いの魔女に向けて、姫花はニコニコと、人によっては憎たらしげに見える笑みで答える。
「もう書き換えるのやめましょうよ魔女さん〜。どうせ書き換えても私にはあんまし意味ないみたいですし」
「いーや、やめないね。仮にも私はこの国における歴代最高魔女なんだぞ!? そんな私の呪いがこんな簡単に突破されるなんて、プライドが許さん!」
「そんなプライドなんて、もう捨てちゃいましょ。あ、それより魔女さん、今日もお土産持ってきましたよ〜。隣町で買ってきた、ホシーバックスのコーヒー豆です!」
姫花から差し出された紙袋を見て、魔女はタブレットの動画を止めて立ち上がった。
「まあ、お土産の前で争うのは不毛だな。どれ、せっかくだしその豆でコーヒーを淹れよう。姫花、飲んでくか?」
「もちろん是非是非! 魔女さんが淹れてくれたコーヒー美味しいから!」
そう言って姫花は、他の誰もが勝手に辿り着くことが出来ない魔女の家へと足を踏み入れる。
これは、森の奥に引きこもる魔女と、その魔女と仲良しになった朝花姫花の物語。
ここから後書きです。
楽しく読んでもらえたら幸いです。