「ちょっと日程の調整難しくなってきたねぇ」
春先。
事務所での定例の打ち合わせでマーク池籐はため息をつきながらそう言った。
先日来アルバムのための楽曲制作を進めているのだが、そちらの方にメンバーの時間が取られている結果としてライブやそのためのリハーサルの時間が取れなくなってきていた。元々半分趣味で音楽をやっていたようなところでもあり、四畳半レコーズ所属後少しずつ収束させてきているとはいえ義彦はそちらの方でも予定が埋まっている。一方康彰は康彰でこの4月から本業の不動産屋で昇進するということになり、平日中心に動ける時間が減ってきているし、大毅・正治もまた本業の忙しさは無視できない状況である。
その結果は活動頻度に如実に現れており、年明けからの3ヶ月ちょっとで1本しかライブができないという状況にあった。バンドの追っかけに慣れているコアなファン達は「きっと何か作っている関係だろう」と思っているようだが、一方でそれ以外の――大部分を占める――ライト層のファン達にとってみれば露出の機会が激減するということは当然に関心の低下と直結するものでもあり、アルバムの告知でどこまでそれを盛り返せるかどうかというのが池籐の頭を悩ませている話であった。
「そうですねぇ……どうしてもこの時期は仕事の方もありますし、色々集中してしまってますよね」
大毅の言う通りでもあるのだが、一方現実問題としてちょうど今であればレーベル側の制作体制に余裕があったという話も――本人達には言えないが――あり、その間の悪さは織り込み済みといえばその通りでもある。
「仕事辞めちゃえれば楽なんすけどね!」
康彰が笑う。たまたまの縁で不動産業界に飛び込んだ彼だったが決してその仕事が好きでやっているというほどでもなく、業界自体の「しんどさ」も込みで考えると辞めるという選択肢は割と現実味のある話ではある。以前であれば「代わりの選択肢」は思いつかなかったが、昨今レーベルに所属し活動がある程度軌道に乗ってきた今となってはそこで身を立てることも多少なりとも視野に入ってきたのは事実だろう。
「そうだね、そのためにもやっぱり今度のアルバムは力を入れないとね」
「とりあえず8曲書けたので、既存曲と作り途中だった曲をあわせて12曲……1枚分足りましたよ」
モーツァルトが進捗を報告する。自分自身のボカロPとしての活動をしながら当然我狼の曲の方も書き進めており、先日決まった構成に合わせて全曲分の作編曲は大方完成していたのだった。
「となると、予定通り来月あたりからレコーディング入れそうだね。順番は任せるから、練習と合わせて調整よろしくね」
「おっと、そうなると俺は作詞を急がないとですね」
「そうだね」
「実際皆どうなの?仕事とか」
池籐と別れていつも通り居酒屋に移動すると、それぞれの現状が話題に上がった。実際それぞれ忙しいのはお互い知るところではあるが、逆に我狼の活動等々を考えるとそろそろ音楽の方に軸足を移す選択肢が見えつつあるのも事実であり、ここらでどうしたいのかをすり合わせようという話になったのだ。
「ひとつ昇進して給料上がったのは良いんだが、結構休日も不規則になったんだよなぁ。歩合の部分が少ねえからって選んだんだけど、その分自由効かねえし続けるか迷ってんだよな」
康彰がぼやく。確かにここしばらく――業界的には繁忙期が一段落するころだというのに――割と忙しくなってきており、ともすれば週末にすら仕事が入る有様である。以前は音楽はあくまで趣味の延長線だと思っていた節もあるが今となってはそちらの方に影響が出てしまっているのは内心不満遣る方無い話だ。
「とは言えなぁ……たとえアルバムが当たったとして、それで仕事辞められるかって言うと現実的には難しいよな、池籐さんは言わなかったけど」
おそらくメンバーのモチベーションを削がないよう敢えて言明しなかったことではあるが、インディーズレーベル――特に四畳半レコーズのように「極力アーティストの自由にさせる」方針であれば尚更だ――は所属アーティストに対して固定の給与を出したり、あるいはライブや楽曲リリースといったチャンスをコンスタントに与えることを保証できるわけでもないため、いくら多少CDがヒットしたとしても一過性の収入にしかならないのだ。
「コンスタントにライブができればまあまだいいのかもしれないけど……。とはいえツアーとかやるってなると本当に仕事との両立は無理になってくるし、『安定してから仕事辞める』ってところには計算に入れられないよね」
「まあそもそも人気商売のミュージシャンって生き方に安定性とかそういう話を考える事自体が間違ってるっちゃそうなのかもしれねえけどな」
「そうだよねぇ。なんか安定した固定の仕事みたいなのができてくればいいんだろうけど」
「考えられるのは……まあ印税と、あとはバンド以外の仕事なのかね」
正治の言う通り、昨今バンドで活動している人間の中にも他のアーティストなどへの楽曲提供や、はたまたいろいろな楽曲のレコーディングに参加するなどといった「副業」をしている人間は少なくないし、自身のバンドよりもそちらの方が収入的には主になっているケースもままあるのは事実である。演奏技術にはそれなりの評価のあった我狼のメンバーであれば、確かに演奏の仕事というのは一つの収入源になる可能性はあるだろう。
「バンド以外の仕事といえばゴッドリーブだよ。今もあそこでピアノ弾いてるんだっけ?」
「ありがたいことにまだ続いてるよ。ピアノという楽器はジャンルさえ選ばなければチャンスの幅が広いというのは助かるところだよ」
「確かになぁ……ボーカルはその点一番不利なんだよな」
「間違いねえな……お、このさつま揚げうめえな」
良いオチがついてひとしきり笑ったところで、それぞれ運ばれてきていた料理に箸を伸ばすのであった。
「おーっす……ってすげえことになってんな……」
「おぉ大毅か、何か問題でも起きただろうか」
モーツァルトが新居に引っ越してはや2週間ほどが経過したある日、大毅はモーツァルトを訪ねて絶句した。たかだか10日ちょっとしか生活していないはずなのに、部屋の中の荒れようといったら――見た目の割にそれなりに几帳面な――大毅にとって目を覆わんばかりの惨状としか表現のしようがない程であった。ワンルームの壁際に置かれたベッドの上から周辺の床までまんべんなく――着る前なのか着た後なのかもよくわからないような――服が散乱し、ゴミ箱はコンビニ弁当のゴミで溢れかえっていた。
「アンタは片付けるということを知らんのか」
「いや……作曲の方の調子がよくてな……」
「うちにいた時はそれなりに片付けとかしてなかったか?」
「他人の家に世話になっているなら当然その程度の気は遣うさ。自分ひとりだとその必要もなくなるからな、どうしても作業や練習のほうが優先になってしまうのは仕方ないだろう」
「そうは言ってもいくらなんでもこれはひどすぎだろ、そのゴミとかひょっとして引っ越して1回も出してないんじゃないのか?」
「朝8時までなんてそんな時間に起きられるわけがないだろうが」
「アンタどういう生活してんだよ……」
「Delfinoの仕事だって昼前だぞ。日付変わってから寝てるんだし、そんな早く起きるの無理に決まってるだろうが」
思った以上に荒れた生活を送っているらしい。
実際のところ、目の前の大作曲家については学校の授業で習うレベルの通り一遍の――神童・偉人としての――人物像しか知らずに育っている大毅の知るところではなかったが、モーツァルトという男は割と奔放な生き方をしてきた人間であって、むしろ大毅の家に居候していた時期はよく我慢していたと評価すべきなのだろう。
「あー……なるほどな。ここのゴミ捨て場、深夜に出せないんだっけか?」
「その手は考えてなかったな。少なくとも明示的に禁止とは書いてないようだが……ちょっと後で見てみるか」
「まあ、ゴミ出しだけの話じゃなさそうだけどな、この惨状は……」
「だって面倒じゃないか、どうせまた着るなら洗濯した後いちいちしまうなんて手間は無駄でしかない」
「つったってこれじゃあ人呼べねえだろ。曲がりなりにもここ仕事場にするんだろ?」
以前さゆりの家を訪れた際、音楽家として自宅を仕事場にするというスタイルをある程度見てきたはずである。そう頻繁なことではないとはいえそこに人を呼んで打ち合わせをする機会もありうるわけで、言うまでもなくこんな惨状にクライアントを呼べるはずもないのだ。
「当面そんな人を呼ぶほどの仕事もないし大丈夫だろう。一応Webカメラの画角だけは綺麗にしてあるからな、オンラインでの打ち合わせってことにしておけば完璧だよ」
言われてみれば物が部屋中に散らかっているように見えてPCを中心とした扇形の中だけは片付いているように見えなくもない。
「一応これでも合理性を突き詰めた結果なのだよ」
「……わかったよ。とは言え一応借り主は俺なんでな、汚したりして家主に怒られるのだけは避けてくれよ?」
「それはもちろんさ」
「それで、何か用だったのか?」
「ちょっと近く通りかかったから例の曲の話をしようかと思ってな」
「……どれの話だったか」
「言うと思ったわ。ほら、アルバムであと1曲残ってただろ」
「そういえばそうだったな」
制作が進行している我狼のファーストアルバムに向けた作詞作曲は大分終わりが見えてきているが、最後の1曲で少し難航していた。基本的にはモーツァルトが曲を書いて大毅が詞を当てる、いわゆる「曲先」で進めていたのだが、この最後の1曲に関しては大毅が「書きたい言葉がある」と言い出したことから逆順の「詞先」で進める事になっていた。モーツァルト自身も詞先の経験がそこまであるわけでもなく、大毅としても不慣れな作り方である関係上なかなか満足できる形にはなっていなかった。
「よしわかった、ちょっと待っててくれ」
そう言ってモーツァルトは片付けを始める。散らかっていたものを適当に積み上げるだけのいい加減な平行移動とはいえ、一応大毅が座る最低限のスペースが作業場所の周辺に現れた。
「さてやるか……確か言葉が収まりきらないとかだったよな」
「そうなんだよ。後はフレーズと歌詞を少しずつ寄せてくしかねえ気がするんだよな」
しばらくの後。
「よし、これで何とか形になりそうか」
「そうだな、後は私の方で編曲を進めれば大丈夫だろう」
「いやー、普段作詞してるから大丈夫だと思ったけど、結構感覚違うもんだな。何も無いところから言葉書いてくと、思ったより合わねえもんだ」
自由律の詩と違い、「歌詞」というものには当然「メロディと合わせる」という制約がある。「詞先」で曲を作る場合基本的には合わせる責任はメロディ側にあるのは確かだが、それでも例えば1番と2番で音節やイントネーションが大きく違いすぎると不自然な曲になってしまう、といったところに関しては作詞側で配慮しておかなければならない。
普段「曲先」で作っているときは当然先行するメロディに合わせて作る以上特段そうしたことを意識しなくても当然にそうした制約に沿って作っていくことになるわけだが、いざなにもないところにまず歌詞を作る「詞先」の場合は書いてみるとそれらの制約がたまに抜け落ちてしまうことがある、というわけだ。
「まあそこら辺は慣れるしかないだろうな。私としても良い勉強になったよ」
一方のモーツァルトにとってみれば、普段は――我狼の活動にせよ、自身のボカロPとしての活動にせよ――「曲を先に書いて作詞家に渡して終わり」なところがあり、こうして「詞とメロディを合わせていく」という作業を一緒にやったのは初めてのことであった。さゆりに作詞のイロハを習い始めたとはいえまだそうした実践的なことに挑戦するところには至っていない彼にとって、今回の経験は今後自身で作詞をすることの糧になるだろう。
「んじゃ俺は帰るわ。部屋、あんま散らかすなよ?」
「…それは難しい注文だな」
モーツァルトの新居から大毅の家までは徒歩数分に過ぎない距離であったが、大毅の足は家と逆方向に向いていた。
「どーすっかなぁ……」
せっかく曲の方が一応の完成を見たはずだったが、彼の表情は晴れやかとは言い難いものであった。彼にとってモーツァルトというとんでもない才能の塊と一緒に作品を作ることはこの上ない楽しみであるのだが、一方で――世の他のバンドマン達と同様に――様々な悩み事は当然にあるもので、彼自身も久しぶりに大きな壁に直面しようとしているのだ。
「まあ、今考えても仕方ねえな。とりあえず一杯飲んで寝て、明日から練習だ」
ただ、実際のところ彼一人が考えたところでどうにかなる話でもない。まずは目の前のアルバム制作という目に見える壁を超えるべく、決意を新たにするのであった。