最強の背中と、世間では呼ばれ始めている彼女。今だ無敗の日本総大将。
私からしてみれば、あの3人の伝説の一人『天翔けるウマ娘』の走りを彷彿とさせる速さを、彼女の背中からは感じている。
『天翔ける…?ふふ、あははは!』
以前、インタビューをしたときに、カラカラと笑われてしまったことが、脳裏にこびり付いている。
『私は走りたいように走っているだけだからさ。別に、どんな名前で呼ばれても気にしないけど、ありがと』
その反面で、期待されていた天皇賞には出なかった。3月の頭にインタビューを行った時、なぜ?と聞いた時の彼女の答えも、興味深かった。
『楽しそうじゃないからかな。ま、判るよ。私が出ていればきっと盛り上がる。でも、天皇賞春は私じゃない』
「私じゃない、ですか」
『そ。私じゃない。ただそうだなぁ、天皇賞春は、きっと、私の末脚よりもすごいものを見れると思うよ』
その後の結果は、皆様のご存じの通り。彼女の言葉の通り、目の覚めるような末脚で一人のウマ娘が天皇賞春を制覇している。
『どうだった?言った通り、目が覚めたでしょ』
彼女の目には一体何が見えているのか。記者として、非常に気になる所だ。
そして、彼女の横を走り続けている同世代のウマ娘達の活躍もまた素晴らしい。
今、その背中を追いかける時代の最強候補の活躍もまた目まぐるしい。
この夏、彼女らはきっと、更に強くなり、秋の戦線でぶつかり合う事だろう。
これからも、トゥインクルシリーズからは目が離すことは出来ないらしい。
■
「聴いた?ミスターシービーのアルバム」
「聴いた聴いた!素敵だったよねぇ!」
梅雨を過ぎて、少しじめりとした東京の街並みの中、一人のウマ娘の話題が風のように人々の間をくぐり抜けていく。
「今までウマ娘のレースに関心なんてなかったんだよねー」
「わっかるー!でも、ミスターシービーの歌聞いたあとに気になってレースの動画見たんだけど、すごかった!」
その風は、最初こそ春のそよ風だった。新しい風に、ほんの一握りの人々が気づく程度の。それが、今では春を越えて夏の熱い風となって、更に更にと人々の間を駆け抜けていく。
「今度俺、ウマ娘の合宿を見に行くんだ」
「マジで!?羨ましいな!」
「いいだろう?しかもミスターシービーのミニライブもあるって話だぜ。今から楽しみでよー」
日々の会話の端々に、ミスターシービーの名前が呼ばれ、その熱は更に更に人へと伝播していく。
「なんか最近ミスターシービーって良く聞くよねぇ?ウマ娘だっけ?」
「そうだぜ。実は俺も好きでね」
「そうなん?」
「最近アルバムが出てな。聞いたらどハマリしちまってさ」
「ほー。俺も聞いてみるかな」
「おうおう。しかも美人だぜ?」
「マジで?」
「ほら、これが写真」
彼ら、彼女らもまた、ミスターシービーの巻き起こす風に当てられた人々。秋に向けての下地は、どんどんと整えられつつある。
「しかし、今年も強くてカッコイイウマ娘がいるんだよ」
「本当に?」
「ああ、名前はシンボリルドルフっていうんだ。このウマ娘も今、無敗で二冠目なんだよ。2年連続で無敗の三冠ウマ娘が誕生する!って今レース界隈ではお祭り騒ぎさ!」
「てこたぁ、もしかして、年末の有マなんていえば」
「そうさ!無敗の三冠の対決だぜ!」
だが、もちろん彼女らのファンだけでもない。
「俺はカツラギエースが好きなんだよ。ミスターシービーに追い付け追い越せで、飛ぶ鳥を落とす勢いでG1を獲ってるんだぜ」
「今年はカツラギエース調子いいよなぁ。これ、ミスターシービーとシンボリルドルフと当たれば、勝つ可能性もあるよな?」
「ああ。十分にあるぜ。確か、非公式だけどジャパンカップでその三人が当たるって話もあるぜ」
「マジ!?見に行くかなぁ」
街は色めき、季節は流れる。
■
「いやぁ、やっぱりキッツイねー」
連日行われる朝っぱらからの浜辺での走り込みは、実に足腰に堪えてくる。我ながら感じている。短距離から中距離への体の作り替えもいよいよ佳境といった具合なのだろう。それが証拠に、ストップウォッチを握るトレーナーの顔には、少しばかりの笑みが浮かんでいた。
「良い感じだ、シービー。この末脚ならばどこの誰にも負けないだろうさ」
「ありがと。にしても、他のみんなは山とか行ってるけどさ、私はいいの?」
「ああ。まだ暫く、スタミナと末脚の強化をしていくぞ」
「オッケー。ま、そのほうがやりやすいしね」
シンプル。しかし、それだけに重ねれば重ねるほどに力が蓄えられていく。ま、それに、自覚していることも一つあるし。
私は結局、ミスターシービーという才能に乗っかっている微妙な存在だ。今までもこれからも、ミスターシービーという、スーパースポーツの性能に助けられることだろう。
「ただまぁ、それだけじゃあね」
もう一度、スタートラインに足を運びながら、ひとり呟く。確かにワークスマシンは早い。良く曲がる。スーパースポーツだってそう。どこまでも回るようなエンジンに、強烈に曲がれる車体。素人が乗ってしまっては、その性能は1割も引き出せない。
「私が、この体を乗りこなす。そのためには練習を重ねないとね」
マシンが良い事は良く判っている。ならば、私の技術と、センスを鍛え上げていかなければ。レースには勝った。三冠も獲った。世界のウマ娘にも、マルゼンスキーにも、エースにも勝っている。今だ無敗のスーパーマシン、ミスターシービー。
「まだまだ、まだまだ足りない」
スーパースポーツ、それに足りないもの。ワークスマシン、それに足りないもの。
「そう。まだ」
頭の中に、一つの形が浮かび上がる。それは、ある小さなピストンリングメーカーから始まった夢の道の先。その道すがらに形作られた一つの形であり、脈々と続く、一人の人間から始まり、数多の人々が紡いだ一つのDNAの完成形。
「よし、あと一本走ったら一度休憩だ!本番のつもりで走りこめ!」
「勿論!」
「位置について、よーい!」
浪漫の体現。時代遅れと言われようとも関係ない。
「ドン!」
丸目一灯、2眼のバイク。私は、スーパースポーツだけではなく、夢の浪漫を追い求めたい。
ま、色々考えてはいるけど、つまりはだ。
『どこまでもシービーらしく』
ってこと。ま、今まではちょっと回り道をしてきたけれど、この体にも私の心が付いてきた気がしてきている。ならばこそ、ミスターシービーの性能を、浪漫を追い求めていきたい。
『最後の最後は追い込みで、あの皇帝に勝つ』
競馬での追い込みほど、古臭くて、でも新しくて、心躍る浪漫のあるものはないのだから。
■
シンボリルドルフ。ミスターシービーのライバルと目される彼女は今、山の上にいた。すでに太陽は天高く昇り、ルドルフの額には汗が浮かんでいる。
「よし、そろそろ休憩にしよう、ルドルフ」
「判ったよ、トレーナー。冷たいドリンクはあるのかな?」
「もちろん」
どこかシービーのような砕けた口調で軽口を返しながら、ドカリと適当な石の上に座り込む。そして、ドリンクをトレーナーから受け取ると一気にそれを飲み干した。
「…うん、生き返った。ありがとうトレーナー」
「まだあるけれど、どうする?」
「今は一本だけでいいさ」
ぐーっと伸びをしながら、ルドルフは天を仰いだ。彼女の頭の中にあるのは、今はミスターシービーの背中だけだ。もちろん、生徒会の業務も並行して行ってはいるものの、そのほとんどをエアグルーヴらに任せて、実力向上に向けて自らの鍛錬を行っていた。
この行動は、今までのルドルフからすれば異様。今までの夏ならば、夏合宿の運営や、トレーナーのいないウマ娘や、夏合宿に参加できなかったウマ娘らのサポートをしていたはずなのだが、そんな姿は、今年は見られない。
「ルドルフ。根を詰めすぎてはいないか?」
トレーナーが思わずそんなことを聞いてしまうぐらいには、『レース』に入れ込んでいると言ってもいいのかもしれない。
「はは、トレーナーにもそう見えるのか。エアグルーヴやマルゼンスキー、それに、フジキセキやヒシアマゾンからも同じことを言われてしまったよ」
「そうだろうな。今までルドルフと言えば頼れる生徒会長、っていうイメージだったからな」
「そうか」
ルドルフは不意に立ち上がる。そして、改めてトレーナーへと視線を向けた。
「今も昔も、私はそのまま変わっていない。ただ、そうだな」
言葉を区切ると、ルドルフは一瞬目をつむる。トレーナーはそれを静かに聞き、待つ。そして、少しの静寂の後に、ルドルフは再び口を開いた。
「頼る、を覚えたのだと思う」
「頼る?」
「うん。そうだな。頼ることを本当の意味で覚えたんだ」
自ら頷いて、言葉をさらに続けるルドルフ。トレーナーは静かにその言葉を受け入れる。
「今までは、私の夢は尋常じゃない努力により、私だけが強くなれば叶うもの、いや、強くならなければ叶わないと思っていた。私の無力、未熟さを恥じながら、自らの内にその答えを求めていた。正直、君にも…トレーナーにも話せない、などと思い込んでいた」
確かに、とトレーナーは言葉に出さずに思う。彼女はすべてが完璧、だった。すべては一人で管理され、一人で夢のために突き進む。トレーナーの出来ることと言えば、それこそアドバイスとサポートぐらいなものだった。だが、今はそうではない。
「だが、それを打ち壊した一人のウマ娘がいたわけだ。彼女はあの境遇ながら、トレーナーを頼り、私を頼り、マルゼンスキーを頼り、学園長すらも頼りに頼り、気が付けば、私の夢の先にいた。全く、頭を殴られたような気分だったよ」
そのおかげなのだろう。今のシンボリルドルフは容赦なく、生徒会の仕事は誰かに頼る。自らの鍛錬も積極的にトレーナーを頼る。学園の全てを頼りながら、シンボリルドルフは確実に進化している。以前の彼女ならばあり得ない異常事態だ。
「そうだな。ミスターシービーは退学寸前だったよな」
「うん。学園から勧告されるぐらいには、もう限界だったんだ。速く、強い。走れば最強クラスのウマ娘。だけれども、延々とトレーナーを決めずに走らない。それでは、彼女の未来は暗かったはずなんだ。だが、彼女が周りを頼り始めた瞬間、すべてが動き出した…と少し休憩が長い気もする。そろそろ、走ってもいいかな?」
「ああ、いいぞ。じゃあ、また山道をダッシュだ。誰にも負けないフィジカル。足腰の筋肉を作り上げる」
「判っているとも。ミスタシービーが追い込んで来ようとも、マルゼンスキーやカツラギエースが逃げようとも、必ず先頭でゴールできる体を作り上げてみせるよ。トレーナー」
「良い意気だ。じゃあ、良いというまで繰り返せ、皇帝!」
「無論!」
荒れた山道をもろともせずに、シンボリルドルフは地面を蹴って山の中に消えていった。全てを巻き込みながら強くなり始めたシンボリルドルフ。その強さは未知数だ。