「君は難儀だな」
苦笑を浮かべる寝間着姿のルドルフ。私は昨日の夜と同じように、ルドルフの私室で寝間着をしっかりと着こんで珈琲を煽っていた。というのも、イライラした頭で練習場を思い切り走ったのにも関わらず、どうもイライラが頭の中に残っていたからだ。言葉に出来ないそれを相談しにルドルフに会いに来てみれば、ならば泊っていけ、という男前な返事を頂いた。
「仕方ないじゃない。どうにもイライラしちゃったんだ。どのサイトを読んでもさ、特別なレースの事ばっかり。そりゃあ特別なレースは素晴らしいよ?でも、未勝利だって楽しいレースのはずなのにさー」
「気持ちは判る。だが、特別なレースで得られる栄誉は皆が望む物さ。私だって欲しいと思っているし、君だってそう思っているんじゃないかな?」
そう言われてしまえば、黙るほかは無かった。確かにグレード1のレースを勝てたウマ娘となれば、間違いなく世間一般にも認知されて、今後の栄誉、つまりは生活の保障みたいなものが付いて回る。だが、どうも、それが納得がいかない。
「まぁ、納得がいかないのならば、とことん悩むというのも手段の一つだろう。それに君も言っていただろう。『悩んでも何も答えが出ない事だってある』と」
確かに言った。
「うん…そうだね。そうだよねー…」
だが、気持ちは晴れない。もちろん、そんな簡単に答えが出る物でもないし。
「ふふ。まぁ、今日の所はこのまま泊っていきたまえ。一人で夜を過ごすよりは、二人で過ごした方が気が楽になるだろう」
「いいの?」
「勿論さ。それに君はまだまだ不安定な状態なのは判っているつもりだ。ミスターシービー」
深くため息を吐いて、珈琲に口を付ける。芳醇なアロマ、苦みが、少しは私の気を紛らわせてはくれている。
「ねぇ、そういえばさ」
話題を変えようと、一つ、彼女に質問を投げかけた。
「記憶が無くなる前、といっていいのかな。その時のミスターシービーってどんなウマ娘だったのかな」
「ん?」
「参考に、知っておきたいなって」
そう。まだこれを聞いていなかった。私が私になる前のミスターシービー。デビュー前にも関わらず、メディアに顔を出してURAの知名度を上げていたというそのウマ娘の事。
「…そうだな。簡潔に言えば、芯があるウマ娘と言えるだろう」
「芯」
「そう。揺るがない一本の芯。言葉にするのは難しいが、少なくとも、君が今悩んでいることの答えは持っていたと思うよ」
芯、か。確かに、今の私には程遠いものだ。私自身が何者か判らない。とりあえずは今週末の撮影のためにレースの練習やダンス、歌の特訓をしているだけのウマ娘。はたから見ればしぐさや言葉はミスターシービー。芯どころか、チグハグ付け焼刃。
「まぁ、そう心配する事は無い。君は間違いなくミスターシービーだ。自由を愛し、ウマ娘を愛し、レースを愛す。そんなウマ娘だった。その点は今の君と何も変わらないよ」
「変わったウマ娘だね」
「ふふ。自ら言う事じゃあないだろう」
自由、ウマ娘、レースを愛したウマ娘。確かに、自由が好きだし、ウマ娘も競馬も好きだ。とはいえ…いや、深く考えるのはよそう。どうもダメだ。夜の時間のせいなのか、どうもネガティブに入ってしまう。
「とはいえ納得はいっていないのだろう?」
「うん」
「素直でよろしい。そうだな。提案だ。一度模擬のレースに出てみればいい」
「模擬?」
「ああ。悩んでイライラしているよりは、建設的だと思うよ」
…確かに。そう思いながら頷く。まずはなんにせよレースを体験してみるか。
「わかった。一度出てみるよ」
「そうするといい。スケジュールは私が確保しておくから、それまではしっかりと、走りを練習したまえ」
「はーい」
片手を上げてそう答えてみれば、ルドルフの顔に笑顔が灯る。
「さて。ではそろそろ寝ようと思うんだが。君はどうする?」
「私も寝る」
「承知した。じゃあ、ベッドを使ってくれ。私は此方のソファーで寝るから」
そう言いながら自らのベッドを指さすルドルフ。判った、と言おうとした口からは、無意識なのだろうか、それともこの体の意志なのか。
「ルドルフもベッドで寝てよ」
全く別の言葉が飛び出してきていた。
「…うん?」
「あ、いや」
違うんだ、と言おうとしたが、これがなかなか言い切れない。おどおどとしている私に、彼女は優しい表情を向けていた。
「…ふ。判ったよ。私もベッドで寝るとしよう」
そう言って、ルドルフは私の手を曳いてベッドへと飛び込む。消される電気。隣にはルドルフの気配と体温。
「…」
思わず無言になってしまう。なぜ、一緒に寝ようなどと口から出てしまったのか。曲がりなりにも記憶は男だ。…男なのか?本当に?いや、もしかするとウマ娘が生み出した何か別の記憶とか、そういう?でも携帯はウマ娘があったし、間違いなく私は私であるし…と悪い方向に思考が向いた時だ。
「全く、世話が焼ける。今日だけだぞ」
ふわりと背中に感じる柔らかさ。体に回された腕から、体温と共に安心感が伝わって来る。
「おやすみ。ミスターシービー」
「…おやすみ。ルドルフ」
彼女の温かさのせいなのか。悪い方向に向かっていた思考は鳴りを潜め、深い眠りへと、私は落ちて行った。