「練習終わりのタバコはやっぱり旨い」
屋上でパイプを加えながらそう呟けば、優しい風が頬を撫でていく。夕日は街を、トレセンを赤く染め、練習を続けるウマ娘たちを情緒の葛中へと取り込んでいくようだ。
「とは言え学園の真ん中でタバコを吸うのはどうなんだろうとは我ながら思うけれど、タバコが美味しいのが悪い」
うんうんと頷いて、パイプから口を離す。そして、ドリップのコーヒー。お気に入りの猫のイラスト入りのマグカップに入った、芳醇な闇を煽る。苦味の中にどこか甘い香り。しかもシトラスのような柑橘の香りも鼻から抜けていく。
「そういえば蹄鉄の打ち替えは終わってるかな?」
例の接着剤タイプの蹄鉄の打ち替え。ルドルフに相談してみれば、まぁできないこともない。とのことで職人さんに早速お願いをした形だ。本来は自分で打ち替えるらしいんだけど、私にそんな技術があるはずもないしね。
「私の蹄鉄、どう? と」
口に出しながら、ウマホでLANEをルドルフに送る。おっといけない、パイプの火が消えてしまう。さっと口に咥えて息を吹き込む。うん、なんとか間に合ったようだ。煙がパイプから吐き出された。消えないように、軽く啜り、軽く空気を押す。すると、同じタイミングでLANEの通知音がウマホから流れる。
「なになに?―先程生徒会室に届けられた。都合のいいときに持っていこうか?―か」
おお。打ち替え完了と来たものか。じゃあ、早速取りに行こう。
「―いいや、今から行く―と。よし、まぁ…タバコはここに置いてきゃいいか」
紙巻と違って燃え尽きることはないしね。コーンパイプを赤い吸殻入れの上にポンと置いて、私は早速、生徒会室に足を向けた。
■
ターフを蹴る感触は十分に良い。脚にかかる負担も間違いなく蹄鉄よりは少ないだろう。軽快に、軽く流すようにターフを周れば、ゴールに待っていたのはこの接着剤を持ち込んだミスターシービーそのウマ娘だった。
「どう?ルドルフ。結構良い感じじゃない?」
記憶が無いという彼女であるが、やはり、声と言い仕草と言い、こういうものをいきなり持ち込んで来る様と言い、彼女そのものだなぁと感心する。
「ああ。悪くはない。感触も良ければ確かに負担も少ないな。だが…」
そう言って蹄鉄を見せてやれば、シービーは残念そうに両手を上に上げていた。
「ありゃ。一周で剥がれかけちゃったんだ」
「ああ。君が一周走って、私が一周。2周で端の接着剤がダメになっているな」
「本当だね。うーん、千明さんの言っていた通り、レースでは使え無さそうだ」
千明さんというのは、シービーが知り合った店員の名前らしい。その店員に紹介されたこの蹄鉄。物は良いが、耐久性に難ありであることは火を見るよりも明らかだろう。
「しかし、足への負担が少ないのは事実だ。足を痛めたウマ娘に対して、リハビリ用の蹄鉄として使うのはありかもしれないな」
ウマ娘は人よりも頑丈だ。だが、頑丈だが弱い所もある。それは例えば人では起こりえない筋肉の炎症などの疾患や、強い足腰故の故障といったものがある。細かいところで言えば、足の爪もそうだ。そういった故障を抱えるウマ娘の治療やリハビリには使えるだろう。
「そうだね。ああ、ルドルフ。今度時間のある時でいいんだけどさ、蹄鉄の打ち方教えてもらえない?」
「ん?打ち方?」
「うん。そこら辺の記憶も無くてさー。なんだか皆自分でメンテナンスしてるじゃない?職人に任せても良いんだけど、ちょっとね」
恥ずかしそうに頬をかきながら、彼女はそんな事を口にしていた。その姿に、少し苦笑を浮かべてしまう。まぁ、いいだろう。
「構わないよ。では、そうだな。今度の休み。君のスケジュールが開いている時に教えてやる」
「本当かい?助かるよ」
屈託のない笑みを浮かべるシービー。それにしても、彼女の記憶はいつ戻るのだろうか。戻る気配は今の所全くない。学園長やたづなさんも逐一私に確認してくるあたり、相当気にしているのだろう。ただ、それと同時に男の記憶の有用さにも目を見張るものがある。
「それにしても、よく接着剤など見つけて来たな?」
「ん?なんだかピンと来てさ。良さそうだなーって」
以前の彼女であれば、道具については比較的無頓着であったはずなのだ。拘りがない、というわけでは無いが、何よりも楽しさが第一というウマ娘であったはず。しかし、今回の件は間違いなく男性の記憶の賜物なのだろうと思う。