目の前に置かれたメトロノームを目で追いながら、120の拍数を体になじませる。タンタンタンタン。胡坐をかいて、右手の人差し指を膝に置き、人差し指でトントンと。
「うん、とりあえず120は大丈夫かなー。あとは100と180ぐらいもやっておこうか」
メトロノームの重りを動かして、今度は遅いテンポを体に刻む。撮影の時メイクデビューは上手く踊れたが、あれはたづなさんとルドルフの指導のおかげだ。私の体が元に戻らない雰囲気が漂い始めた今、地道に地力をつけて行かねばなるまいよ。
「これでも元々大人だからねー。自分で責任を取れるからこそ大人なのだーなんて…いや、戻れたほうがそりゃあいいんだけどね?」
一人ぐちりながら、ビートを体に刻む。100だと結構ゆったりといった感じであるから、ウマ娘の楽曲だと…なかなか珍しいかもしれない。180だとメイクデビューやらうまぴょいやらがあるから…そっちを練習しておこうか?メトロノームの重りを下げて、180近くでリズムを刻ませる。
「うん。なんだか聞き慣れた感じだね。どーきどきどきどき…っと」
「ふぅん?聞き慣れない鼻歌だねぇ…?」
ん?と思って首を向けてみれば、そこに居たのはマッドなウマ娘、タキオンさんだった。え?なんで今そこにいるの君?
「げっ。アグネスタキオン」
思わず声が出てしまった。タキオンは一瞬驚いた顔を此方に向けたが、にやりと表情を変えた。
「おやおやおや、ずいぶんとひどいリアクションをしてくれるじゃないか!ミスターシービー!」
ばっと大きく手を広げて、唯我独尊といった雰囲気漂うアグネスタキオン。っていうか、君、私の名前を知っているのか。…まぁ、有名人ではあるからなぁ。
「それに私とキミは初対面のはずだろう?げっ、とはなんだ、げっ、とは!あまりにも失礼じゃないか?そうは思わないか!?」
「いやぁ、君の噂を聞いているとねー…。個人的には関わりたくないなーって」
「それはそれは。そこまで言われちゃ仕方がない。じゃあ今回は大人しく引いておくとも。今度、今のメロディについて教えてくれ給えよー!」
「はいはい。またね」
嵐のように過ぎ去っていったアグネスタキオン。妙な縁が出来たなぁなどと思いながらも、再び180のビートを刻み始めれば、今度は見慣れたウマ娘がこちらにやってきた。
「お疲れ様です。シービーさん!」
笑顔眩しいカツラギエースそのウマ娘だった。うん。タキオンと違って何か安心感があるねー。
「カツラギ。お疲れ様。授業終わり?」
「はい!これからダンスレッスンです!シービーさんは?」
ずずいっと顔をこちらに寄せて来るカツラギ。軽く手で制しながら、今やっていることを教える。
「私は自主練。リズムを体に染みこませようと思ってさ」
「リズム?」
「うん。ステージ上で流れる音楽を聴きながらステージに立つのも良いんだけどさ、なるべく自分の中でリズムを持っておきたいなってね。ファンに向けては完璧を見せたいじゃない?」
やるからにはどこまでも完璧に。性別や仕事は違えど、プロなのだ。私達は。ファンがいる限り、しかりとした姿を見せないとね。
「確かに!すごいです、シービーさん!」
私の気持ちが伝わったのか、ふんす、と鼻息荒くカツラギは頷いてくれた。
「あはは。ありがと。っていうか、私にかまってていいのかい?」
「あ、いけない!それじゃあ、また後で」
「うん。また後でねー」
カツラギの背中を送りながら、頭の中でリズムを刻む。タン、タン、タン、タン。うまぴょいのリズムを思い浮かべて…。っていうか、さっきのアグネスタキオンの反応…もしかしてまだうまぴょい伝説が生まれておいででない?
「そうか。メイクデビューだけでもついこの間決定稿だもんねー」
そこまで言って気が付いた。ちょっと待てよ。となると…もしかして適当に鼻歌を歌うと、この世界にとっては新曲になる…んだろうなぁ。うーん…これは気をつけねばなるまいね。
■
ダンスレッスンが終わったカツラギと共に、練習場を走る。芝…これ、ターフって言うのだね。そのターフを駆けながら、カツラギの横顔を見れば、これがまた良い顔で走っている。ウマ娘っていう奴は、本当に皆美しい。
「どうしました?」
「カツラギの綺麗な顔を見ていただけー」
「なんですかそれ…。もう、ちょっと先行きますよー!」
顔を見ていたことがばれたか。カツラギは少しほほを赤くして、先に行ってしまう。はぐれまいと脚に力を入れて、ほんのりと加速をかけていく。夕闇に沈む空。涼しい風が非常に心地よさを私に運んできてくれる。
「まってよカツラギー」
「待ちませーん!」
気が付けばお互いに徐々にペースが上がり、気が付けばまるでレースのような速さで追いかけ、追い抜きを繰り返していた。そしてそれを数回、数十回と繰り返した時、アナウンスが入る。
『自主練習中の皆さん、門限まで1時間を切りました。門限を破らぬように、気を付けて、練習を行いましょう』
その声に、練習場にいたウマ娘達の脚が止まり、耳がピンと立つ。あと1時間ということはだ、食事を寮で取らないウマ娘にとっては着換えを含めればギリギリの時間。風呂は幸い寮にもあるから、自室で夕食を取るウマ娘や、私のように自宅があるウマ娘にとってはもう少し練習が出来る塩梅といったところである。
「あ、ではシービーさん。私はここらへんで失礼します」
「お、りょーかい。ご飯?」
「はい!」
そうかそうかと頷けば、彼女は元気に校舎の方へと駆けだしていった。
「それではまた明日ー!」
「はーい、またねー!」
手を振りながら彼女を見送る。他のウマ娘達の大部分も、やはり、校舎へと引き上げていった。気が付けば、練習場に残っているウマ娘はほとんどいない。
「…さあて。ちょっとやるかなー」
手をパン!と合わせて、首を回す。腰を落として、気合を入れ直した。
「位置について…よーい…ドン!」
腕を振り、腰を入れて、足を一気に振り上げて。体はカツラギとの練習で解れている。最初からラストスパートという奴だ。首を下げて一気にトップスピードに!
「あは、あははは、あーっはっはっはっは!」
楽しい!全く、ウマ娘ってやつぁ最高だ!自分の脚でどこへでも行ける!車もバイクもなんも、なんにも要らない!こんな開放的で、素敵な存在だったなんて、本当に思いもしなかった!
「そぉーれ!」
思いっきり加速を付けて、練習場を周る。カーブに突っ込んで行けば遠心力でふっとびそうになる体を、傾けて、そして足の推進力で前に前に!静かな空気に、ターフを蹴る足の音。タタタタタという音が私の耳に届く。カーブを抜けて、ストレッチへ体を向ければ、残りは僅か数百メートル。一気に全力をもって足を蹴りだせば、あっという間に…!
「ゴォールウ!あはははは!最っ高だねー!」
両手を天に上げて思いっきり笑ってしまった。いやぁー、楽しい。楽しいねぇ!腰に手を当てて天を見上げれば、気持ちの良い、夕闇の空が私を出迎えてくれた。そこに光るは一番星。にかりと笑えば、星もキラリと光ったような気がしていた。