「ふーん?学園長命令で私に?」
「ああ」
珈琲を淹れながらタバコを吹かしていれば、そんなことを話されていた。どうも学園長の命令で私をスカウトしてくれないか、と依頼されたとのことだ。
「でもさー、そういうのって普通本人には隠さない?」
「俺はそういうの苦手なんだ。それに隠しても結局バレるだろう?碌なことにはならないさ」
「なるほどね」
そういうスタンスのトレーナーらしい。うん。アニメの中で見たことのある彼とどこかよく似ている。となるとだよ。彼がいるとなるとこのウマ娘の世界はアニメ?いやいや、でも、マルゼンは『トレーナーくん』と言っていたし…アプリの世界?それとも、なんだかわからない世界なのか。
「…うーん?」
…ま、考えてもわかんないかー!と加熱しかけた思考を放棄する。そうだよ、結局ここがアプリでもゲームでも、私は私だもの。
「それでトレーナー、君のことはなんて呼べば?」
「好きに呼んでくれて構わないさ。俺の名前はこれだけど」
胸にあったプレートを指さした彼。うーん…西崎、と書いてあるけれど、まぁ、そうだな。アニメを見ていた記憶があるからして。
「じゃあ、トレーナーと呼んでいいかな?」
「お前がそれでいいなら。ミスターシービー」
「私のこともシービーでいいよ」
そう言いながら、珈琲を彼の前に差し出した。今日はいつものステイゴールド。香り高い安心感のある味だ。ジャグは今日はスウィートバニラ・ハニーデュー。ダヴィンチに比べると葉の刻み方が細かくて、火持ちしやすく、そして甘い味が特徴である。
「いい香りの煙草だな。珈琲も旨い」
「お褒めに預かり恐悦至極。トレーナーも判ってるね」
正直パイプというのは香りが強く、好みが分かれる趣味である。しかもそれに加えてだ、酸味、香りが普通の味ではない珈琲。この趣味を判ってくれるのはなかなかいいセンスだ。
「っていうかトレーナー。君、パイプの吸い方も知っているんだね?」
手付きを見れは良く分かる。紙巻きを吸っている人は吸いすぎるし、吸ったことのない人も同じようにすいすぎる。しかし、目の前のトレーナーは吹き戻しを繰り返しながら、ゆらりと燻らせている。こいつぁ、相当な手練だ。
「ここに来る前はよく吸っていたからな。ウマ娘に不評だ、ってんで辞めたんだ。まさかウマ娘と共にこれをやれるとは思ってもいなかったよ」
「そう?ああ。でも、たしかに私以外、パイプを吸っているウマ娘なんていないからねぇ」
思い返してみれば、私が私になったことに気づいてからこのかた、私以外に煙草をすっているウマ娘なんていない。トレーナーですらである。パイプを置いて、珈琲を口に含む。チョコレートのような甘みと、シトラスの香りが頭をクリアにしてくれる。
「それで、話は戻るけれどさ。私をスカウトしたいっていうことだけど」
私がそう切り出せば、トレーナーも同じようにパイプを置いて、珈琲に口をつける。
「そうそう。学園長からお前のトレーナーになれと言われてはいる。でもまぁ、最初に言った通り俺はそういうの、嫌いなんだ」
「嫌い?」
「ああ。まずはお前の意思を尊重したい」
私の意思ときたか。
「ふぅん?トレーナー。一つ聞きたいんだけど、私の能力はどう思っているの?」
「最高だろうな。きっと、お前をデビューさせることが出来たトレーナーは、間違いなく勝利の栄光を一緒につかむことだろう」
ほぅ?なかなかの高評価。だが、そうなると一つ解せない。
「高評価ありがと。でも、それなら、学園長の命令もあることだし、私のトレーナーに素直になったほうがいいんじゃない?」
そうだ。トレーナーも人間である。人間というのはつまり、一般的には出世や栄光を得ることが本懐だと思うのだ。
「ああ。道理はそうだな」
そう言いながらトレーナーは改めてパイプを吹かす。吐いた煙が空中を漂い、薄く広がった。
「だが俺は、何度も言うんだがそういうのが嫌い、なんだよ。お前が…ミスターシービーが一番いいと思うトレーナーと一緒に、自由に、思うがままに走って、その上で栄光をつかんでほしい。そう俺は思っている」
なるほどね。…なるほどねぇ。
「ふふ」
「なんだよ」
思わず笑みがこぼれてしまった。不可解な顔を浮かべるトレーナー。
「いやいや。君はなかなかどうしてロマンがあるなと思っただけだよ。トレーナー」
「そうか?」
「うん。間違いない。君はロマンで出来ているよ」
なるほどな。アニメであれだけ慕われる理由も、今の言葉でわかるというものだ。自分の栄光よりも、出世よりも、欲よりも、ウマ娘のためにと動くトレーナー。そりゃあ君、名ウマ娘たちが君のもとに集うわけだよ。ふふ。嫌いじゃないね、そういうの。
「トレーナー。一つ提案があるんだ」
「うん?なんだ?」
「その君がトレーナーになるというのは悪い話じゃない。なんだか、自由に走らせてくれそうだしね」
私がそう言うと、少し驚いた顔を浮かべていた。
「ただ。この場で首は縦には振れないな」
「この場では?」
トレーナーは首を傾げた。そして何か勘ぐるような目でこちらを眺めながら、私の次の言葉を待っている。まぁ、そんなに訝しげにこちらを見るなって。そんなに大したことを言うわけじゃないから。
「確か、来週模擬レースあったよね」
「ああ。選抜レースが控えているが、それが?」
足を踏み出し、トレーナーへ一歩体を寄せる。バニラの良い香りが、私の鼻を突いた。
「そこで私の走りを見てよ。トレーナー。君自身が、私が育てるに値するウマ娘と感じたのなら、改めて声をかけてくれると嬉しいかな」
「…判った。俺の目でお前の走りを見よう。その時は改めて声を掛けさせてもらうよ」
私が軽く微笑めば、彼もまた優しくほほえみを浮かべてくれていた。
「さて、難しい話はここまでにしようよ。トレーナー。まだまだ煙草はあるよ。あと甘いお菓子も。トレーナーの時間の許す限りここでのんびりしていっていいからさ」
「ああ、わかったよ。シービー」
お互いにパイプを口に喰み、煙をくゆらすおだやかなひと時。どうやら、私はこの世界で一歩、何かを踏み出したのかもしれない。そんな予感を感じながら、ゆるやかな、おだやかな空気を感じ取っていた。