時がすぎるのは早いもので、気づけば既に4月に入り、学園であっても新入生たちの姿がチラホラと目に入る。学園内のモニターには見慣れた私のURA宣伝PVが流れ、いよいよクラシック初戦、皐月賞の香りを感じられた。
「どうでしょうか、ミスターシービーさん、新素材『錆びない蹄鉄』の使用感は」
ターフを走り終えた私にそう語りかけてきたのは、蹄鉄メーカーの担当者佐藤さん。昨年から改良に改良を重ねた二種混合装蹄剤はいよいよ、完成の日の目を見た次第だ。練習靴でも、本番用の靴でも釘での打ち付け方と耐久力は変わらない。
「問題ないね。追い込みも、スタートも気持ちよく切れるよ。デキが良すぎて、先に薄い靴底がダメになっちゃいそう」
「それはそれは。また何か改良点がありましたらご連絡を。すぐに対応させて頂きましょう」
「うん。お願い。ああ、そういえばマルゼンとカツラギ…あとルドルフの方はどう?」
さりげなく3人についても聞いておく。この接着剤を使用してくれているウマ娘は今のところ私以外では3人。マルゼンスキー、カツラギエース、そして皇帝だ。このメンツだけで逃げ、先行、そして追い込みのスペシャリストたちのデータが揃うわけで、メーカーとしても万々歳。
ちなみに、ギャロップダイナ・ニホンピロウイナーのお二人も見かけたのでお声がけをしておいた。なにせこの2人、後の『あっと驚くギャロップダイナ』とサクラバクシンオー以前の短距離最強馬がきっとモデルのウマ娘。怪訝な顔をされたけれども、きっとお気に召してくれることだろう。
「お三方にも使用していただいておりますが、概ね好調ですね。特にマルゼンさんは『薄い靴底ですごく良い感触でターフを感じられる、非常に走りやすくなった』と特に好感触を頂いています」
「そ。それはよかった」
「他のウマ娘、お声がけを頂いたギャロップダイナさん、ニホンピロウイナーさんにも使用していただく算段が着いていますので、より一層良いものが作れそうです」
いいねいいね。ふふ、ギャロップとピロウイナーはまぁ、私の趣味だけど、いずれ本気の彼女らと彼女らの舞台でバトルしてみたいものだと思う。史実なんて蹴っ飛ばしてね。
「それじゃ私はもう一周ターフを走るけれど、佐藤さんはどうされます?」
「私はそろそろ会社に戻ろうかと思います。新たなデータも取れましたので、錆びない蹄鉄の改良に勤しみますよ」
「承知しました。では、また!」
「ええ、ではまた。ああ、皐月賞、期待しておりますよ!」
「ありがと!」
笑顔で手を振る彼を後目に、私はターフへと駆け出した。一歩一歩、足の裏に伝わるターフの感触が気持ち良い。ぐっと力を加えても、蹄鉄が外れる様子もない。
「三冠への関門、1つ目はクリアだね」
―さて、気合を入れてこの皐月までの数日、体を仕上げていこう。実のところ、私は史実のミスターシービーが蹄が弱すぎたことは知っている。『彼の現役時代、エクイロックスがあれば』なんて言われたことも、よく知っている。
「せっかく史実を知っている私がミスターシービーになったんだ。そりゃあ、変えるでしょうよ」
ぼそりと呟きながら、コーナーを回る。ふふふ。雨の菊花賞は、私が一番好きなレースだ。ああ、そうだ。私はミスターシービーに恋をしていたとも言っていいだろう。
競馬場で見たミスターシービー。それは、私からすれば憧れのようなものだった。
君はまるでトンボ玉のようだ。見る方向で、美しさが全く違う。
苛烈な面もあれば、静かな面もある。きらびやかな面もあれば、朗らかな面もある。
キラキラしていて、うつくしくて、風のように爽やかで。
有り体に言えば、一目惚れ、だったんだ。
ただ、そう。ただ一つこころ残りがある。強いて言えば―。
「本気で万全のミスターシービーと、本気で万全のシンボリルドルフ。どっちが、どっちが強いんだろうね?」
思わず口角が上がる。そしてこの世界ではその先まである。最速と言われたマルゼンスキー、史実ではジャパンカップで私とルドルフを抑えて勝利を収めたカツラギエース。彼らと競い合い、本気で切磋琢磨し、その先に迎える結末があるのならば。
「楽しくて仕方がないね!ふふふふ、あっはっはっは!」
頭を下げて一気に最終直線。目に浮かぶのは逃げるマルゼンスキー、先行でその横にならばんとするシンボリルドルフにカツラギエース、外国のウマ娘たちも一気に上がっていく中で、私はその横を全力で駆け抜ける。駆け抜けて駆け抜けて駆け抜けて―!
「ゴール!」
両の手を上げてみれば、そこにあったのはいつものターフ。他のウマ娘や、他のトレーナーたちは急に笑顔で叫びを上げた私を、怪訝な眼で見つめていた。
でも、今はコレでいい。今はコレで。楽しみは、本番まで取っておこう。
「おつかれ、シービー。上がり3F35秒。上々だな。ほい、ドリンク」
「ありがとうトレーナー。うん、冷たくて良いねー」
トレーナーから受け取ったドリンクを一気に飲み干せば、気持ちがすっと落ち着いていた。さ、舞い上がるのはここまでだ。
「どうだい、トレーナー。私の仕上がりは?」
「問題ない。踏み込みも十分、スタミナも着いてきた。この調子を維持していこう」
「わかったよ。トレーナー」
私はそう言いながら、トレーナーに拳を差し出した。間髪入れずにトレーナーも拳を作り、私の拳と軽く合わせてくれる。いいねいいいね。こういう相棒感が堪らない。
「楽しそうだな?」
「うん。楽しくて仕方がない。万全に、本気のみんなと走れるんだもの。良いトレーナーも横にいるしね」
「そりゃあどうも。さて、じゃあ今日の練習はここまでだ、一服しにいこう」
「判ってるねトレーナー。今日はブルボンでいいかい?」
「ああ、ジャグはアークロイヤルで頼む」
笑顔で頷けば、トレーナーは嬉しそうに目尻を下げてくれた。さてさて。いよいよ三冠への第一歩皐月賞が近い。どんなレースになるのか。ああ、本当に、本当に楽しみだ。