トレーナーとの休みを謳歌して、当然ながら特に男女の仲になることもなく、いつものように学業とレースの鍛錬に挑む日々に戻ったのが数日前。
私たちは再度、海辺へと繰り出していた。今回は休みというわけではない。ウマ娘的に大きな変化の時期、夏合宿に繰り出しているわけだ。トレセン学園ほぼすべてのウマ娘たちが各々のトレーナーと共に、一周りも二周りも成長ししようと努力する季節だ。無論、私も例外ではなく。
「全力ダッシュ!4本目!」
「やあああああ!」
足元の砂にパワーを持っていかれながら、浜辺を全力で駆け抜ける。距離にすれば1キロ程度の短距離走だが、この鍛錬が足腰の筋肉に非常に効いてくる。
「ふー。どうかな?トレーナー」
ダッシュを繰り出した後、息を整えながらトレーナーの元へと駆け寄れば、その顔に笑顔が浮かんでいることが読み取れた。
「流石のパワーだな。うん。十分に鍛え上げられているだろう。ここからは3000を走り切るスタミナを更に伸ばす」
「判ったよ。で、具体的には?」
「トライアスロン、の自転車抜きだ。1キロのランとスイムを交互に繰り返してもらう」
「1キロ…1000メートルランにスイムだね?オッケー」
「スタートしてからはまずランで目印のところまで走れ。そこからはスイムで戻ってこい。良いと言うまで繰り返せ。じゃ、早速行くぞ!スタート!」
トレーナーの合図で走り出せば、ぐっと脚に負荷がかかり、景色が後方に吹っ飛び始める。スイムねー。最近はクロールが出来るようになっているし、頑張ってみますかー!
■
「精が出るわね、シービーちゃん」
トレーニング上がり。合宿場という名の民宿で軽く風呂に入ってから、ロビーでのんびりと寛いでいると、見知った顔が私の前に立っていた。
「マルゼンこそ。昼間の爆走っぷり、調子いいじゃない?」
「あら、見ていてくれたの?お姉さんうれしくなっちゃう」
「あはは。そりゃあね。マルゼンとのレースも近いし」
そうなのだ。目下、菊花賞を狙って私はトレーニングしているが、菊花賞の2ヶ月後にはジャパンカップが控えている。つまりは、今の鍛錬はシニア級の相手もしなければならない私を底上げするという狙いもあるわけだ。
ま、問題があるとすれば、目の前のマルゼンも底上げされているということなんだけど。彼女の成長スピードを超えていかねば、勝利はない。
「それにしてもシービーちゃん、馴染んだわね」
「ん?」
その言葉に疑問をうかべつつ、マルゼンの表情を伺ってみれば、おだやかな彼女の顔が見て取れた。
馴染んだ、か。
この言葉の意味するところは、まぁ、この世界に馴染んだ。学園に馴染んだ。シービーとして、馴染んだ。そういう意味なのだろう。
「ま、大体1年は経ったしね。でも、馴染んだというか、なんだろうねー。私、としては何も変わってないんだけど?」
「そ・れ・で・も。それに、レースのキレも上がっているわ。だから、シービーちゃんと走るのが楽しみで楽しみで、仕方がないの」
キラキラと、ギラギラとした眼でこちらを見つめるマルゼン。これは、なかなか情熱的なお誘いだね。全く、マルゼンったらさ。
「そりゃあ良かった。アタシも楽しみにしているから。…あ、それで、マルゼンには一つ、お願いがあるんだけど。聞いてくれる?」
「お願い?私に?何かしら」
首を傾げたマルゼンスキー。何、そんなに難しいことじゃあないよ。
「菊花賞、見に来てくれるんでしょ?」
「もちのロンよ!だって、シービーちゃんの無敗の三冠がかかっているんですもの。ルドルフちゃんと一緒にしっかりとこの目に焼き付けるつもりよ?」
ぐっと笑顔で言い切るマルゼンスキー。うんうん。ソレなら良いんだ。ただ、私がお願いしたいのはそこじゃあない。
「ダービーでさ、来賓席で見てたよね?」
「ええ」
「今回も?」
「そのつもり、だけど?」
マルゼンの言葉に首を振る。
「それはダメだ。マルゼン、今回はスタンドに降りてくれない?」
「スタンド?別にいいけれど…」
なぜ?言葉にはしないけれど、ありありと浮かぶマルゼンの疑問の表情に、軽く頷きながらこう返した。
「ウィナーズサークル。あそこの最前列で待っていてほしいんだよね」
「ウィナーズ…?」
まだピンと来ていないようだね。マルゼンスキー。私がやりたいのは、こういうことさ。
「そ。無敗の三冠ウマ娘、クラシックの絶対王者としてあの場でマルゼンに宣戦布告するからさ。最前列に居てくれないと困るんだ。それで、マイクをキミに渡すから。パフォーマンス、今から考えておいてくれると助かるかな?」
にやりと口角を上げてマルゼンの顔を見てみれば、あっけにとられたような驚きの顔で止まっていた。1分ぐらい経ったときだろうか。マルゼンが急に満面の笑みを浮かべて、私にこう、言葉を返してくれた。
「…判ったわ。ウィナーズサークルね。一番いい位置で、私が、ミスターシービーの菊花賞を見てあげる」
「うん。よろしくね、マルゼンスキー」
お互いに自然と右手を差し出して、握手。マルゼンの眼に映るのは、青い炎。いい。実に良いぞ。その闘争心。全力でぶち当たるには最高の相手だろう。
「あーん、もう!せっかくお風呂も入って落ち着いたのにワクワクしちゃったじゃない!」
「あはは。ごめんごめん。じゃあ、そうだなー…走るのは…ちょっと身体がバッキバキだからダメだけど…」
昼間の鍛錬はキツイ。それこそ、鍛錬上がりは足腰が立たないほどに。それはマルゼンも同じようで、苦笑を浮かべていた。
「ってことで、どう、アタシの部屋で一緒にビールでも」
「あら、それ、良いわね。乗ったわ。確か、シービーちゃんのトレーナーも一緒なのよね?」
「うん。そうだよ。マルゼンが嫌じゃなければ、トレーナーも一緒に呑む、っていうのでどうだろう?」
そう提案してみれば、マルゼンの顔に笑顔が浮かんだ。
「良いに決まってるわ。じゃあ、早速シービーちゃんのお部屋に行きましょ!」
「うん。行こう行こう」
途中、自動販売機でビールを買いながら、私の部屋へと歩みを進める。道中、ジャパンカップの話題や、菊花賞の話題で話が絶えることはない。なにより、私は知ってしまっている。君の無念を。だから、その…。
ダービーを君に、なんてキザな台詞は言わないけれど。
「全力でぶち当たろう。マルゼン」
「当然。フルスロットルよ?」
■
「んー?」
ふと目が覚める。気づけば、酒を飲んだまま寝てしまったようだ。マルゼンスキーの姿は部屋のどこにもない。自分の部屋に帰ったか。そう思いながら上半身を起こしてみる。
「…ふとん?」
うーん?確か縁側でマルゼンとトレーナーと共に呑んでいたと思ったんだけど…。そう思って周りをキョロキョロしてみれば、隣のふとんではトレーナーが静かに寝息を立てていた。
「君とマルゼンが運んでくれたんだね。サンキュー」
ふとんから這い出て、トレーナーの頭をさらりと撫でてやる。全く、気持ちのいい顔で寝ちゃってさ。癖っ毛を弄るのが妙に楽しい。
そうやって、トレーナーの頭で遊んでいると、ふと、視界の端に、オレンジの光が舞い込んできた。
どうやら、もう夜明けが近いらしい。
「ちょっと、風にあたろうか」
縁側に出て、夏の朝を感じる。ほどよくぬるい夏の風が頬をなでていく。酒が残る頭が、クリアになっていく。
「…良い日々だ。実に、良い日々じゃないか。ただただ、ただただレースに明け暮れる日々。なんて、理想的な」
"遊び"は本気で。
これが私のモットーだ。
故に―。
この世の全ては、"遊び"に満ち満ちていると、いつも考えている。
これからもっと楽しい"遊び"が待っていると、いつも考えている。
仕事ですらも、きっとそれは楽しい"遊び"の一つ。
だからこそ。
「菊花賞は、楽しく走らないとねー」
ぐっと背を伸ばして、肺に、朝の新鮮な空気を入れた。