私は転生ウマ娘だよ。   作:灯火011

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―常識っていうのは、人が作るものに他ならない。

 例えばそう。大逃げじゃあ勝てないとか。

 例えばそう。骨折からの復帰は絶望的だとか。

 例えばそう。菊花賞の最終コーナーの坂はゆっくり登ってゆっくり下るとか。

 多くのウマ娘の経験値と、多くのトレーナーの経験値から導き出された常識。

 常識を守ってこそ、成績が残せるのだというトレーナーやウマ娘も多い。


菊の花が咲く前に

 夏合宿も終わっていよいよ、秋の空気が忍び寄る毎日。菊花賞を控えたウマ娘たちは、ピリピリとした緊張感でターフを走っている。無論、私も例外ではない。

 

「フォームが乱れてるぞ!地面から脚が離れた後も気を抜くなよ!」

「オーケー!」

 

 既にターフを走って1時間ほど。体力が削れてどうしてもフォームが疎かになる。疎かになるということは、力が逃げる。そこを指摘されてしまった。ならば、丁寧に、しかし、縮こまってはスピードが乗らない。身体を大きく使って、しかし、気を使いながら走るしかあるまい。

 

「日本武道の残心のイメージで」

 

 残心。技や動作の後でも、気を抜かずに心を緊張させたままでいる心の動き。油断せず。勝って兜の緒を締めよ。…は、ちょっと違うか。

 

「そういえば、ウマ娘って弓道も嗜む、とかゲームでは言ってたっけ」

 

 弓道は残心が動作の中に入っている競技だ。射、離れか、つまりは弓を的に打ち込んだ後、その体勢のまま的を見続ける。案外と、この動きを心得ているかどうかで命中率が変わるというのだから面白いものだ。

 

「後でルドルフに教えてもらおうか」

 

 多少、高校の時に嗜んだ事はあるけれど、とはいえ本格的にやったことはない。菊花賞が終わったら本格的にやってみてもいいかもしれないね。さて、とはいえ余計なことを考えるのはここまでだ。コーナーが近づいてきた。

 

「はっ!」

 

 息を吐いて、身体を傾け始める。菊花賞を同じ右回り。首を右にわずかに捻りながら、カーブの先を見る。ターフの状態、それに高低差。走る場所を、走るラインを見極めながらトップスピードを維持していくわけだが、重心の関係上どうしても右足を振り抜いた後、左足は若干力が逃げてしまう。このフォームは菊花賞までには改良は厳しいだろうね。

 

「マルゼンとやるまでにはもうちょっと改良したいねー!」

 

 直線を向いて左足を地面に叩きつける。カーブを抜けた後の重心の戻しは問題なし。一気に加速をかけてカーブでの遅れを取り戻すようにダッシュをかけていけば。

 

「ゴール!」

「ふー!トレーナー!タイムは?」

「3分15秒。ま、もう4本目だからタイムは気にするな」

「オッケー」

 

 そう言いながらトレーナーのもとに駆け寄れば、早速彼の口からはスタートとカーブの欠点を指摘される。

 

「スタートは得意なんだろうが、もう少し力を抜け。体力を無駄に使いすぎるな。お前は逃げウマ娘じゃないから、程よくでいい」

「うんうん」

「カーブについては…ま、自分でよくわかっているだろうが、2回目、3回目の時に軸足じゃないほうで地面を蹴る時にどうも上体が起きる。有り体に言えば力が逃げている。腰を落として上半身を下げたまま行ければ、もっと速度が乗るだろう」

「なるほどなるほど」

 

 予想通りというか。たしかにそうだと言えるご指摘だ。

 

「それと菊花賞のコースなんだが、最終のコーナーには大きな坂がある。登って降りてだ。セオリーはゆっくり登ってゆっくり下る。4コーナーを抜けたらよーいドンで最終加速のイメージだ。そこまで体力は温存しておきたい。それに距離が3000。お前の本来の適正距離から見れば…長丁場だ。余計にスタートはゆっくり出たほうが良い」

「うん…セオリーね」

「そう。セオリーだ。そしてその最終4コーナーではここはどうしても他のウマ娘たちと団子になりやすい。位置取りも重要になってくる。コーナーで踏ん張れるってのが一つキモなんだが…ってお前、その顔はどうした?」

 

 トレーナーはそう言ってこちらを覗き込む。まぁ、判りやすく不快感を覚えているからね。

 

「…んー、セオリーって言葉がちょっとね」

「まぁ、今ままでの菊花賞で結果を出しているウマ娘たちがそうしているからな」

「納得、いかないなぁ」

 

 史実のミスターシービーを知っているから、という以前に、セオリーという言葉はどうも好きではない。ま、セオリーを知っておくのは大切だけどね。

 

「納得いかない、か」

「そ、納得いかないんだ。その、追い込みとか、第四コーナーの坂とか。色々言われるの」

「うーん…とはいえ、セオリーだからな。シービー、お前、京都走ったことないんだから、伝えないわけにもいかないだろう?」

「確かに。ねー、トレーナー。ちょっとジャグやりながら話そうよー」

 

 そして迎えるのは煙草を燻らしながらトレーナーと2人、喫煙所で過ごす静かな時間。心地よいこの時間だからこそ、一つ、彼にはこう提案を投げておこう。

 

「トレーナー。その、実はさ。菊花賞の戦略だけど、私に任せて欲しいんだ」

「戦略を?」

「そ。今回、ちょっと考えていることがあってさ。ちょーっとセオリーを無視するんだけど、どうだろう」

 

 そう問いかけながら、トレーナーにコーヒーを差し出してみる。銘柄はいつものステイゴールド。味と香りが非常に好みだ。すると、トレーナーは軽く笑顔を浮かべつつ、頷いてくれていた。

 

「…ま、お前にも考えがあるんだろう?いいぜ。お前を信じるさ」

 

 何も聞かずにそう言ってくれたのは非常に有り難い。

 

「ありがとう。トレーナー」

「ただ、一つだけ条件をつけさせてもらう」

「条件?」

 

 トレーナーは真剣な眼差しでこちらの眼をしっかりと見つめる。さて、何を言うのだろう?

 

「3000メートル。必ずセンターを勝ち取れ」

 

 なるほど。それは確かに。お熱い一言だ。でも、私にとってはそんなもの朝飯前さと、笑ってみせよう。

 

「あはは!そんなこと?そんなことでいいの?」

「そんなことってお前な」

「だって、アタシは勝つから。条件にもなりゃしないよ」

 

 そう言ってパイプを深く吹かし、煙を天に放り投げた。

 

「その自信なら大丈夫、か。好きに走ってこい。俺は観客室から応援しよう」

「ふふ。頼むよー?あ、で、菊花賞って京都だったよね。移動日とか、アタシはどうすればいい?」

 

 そういえば今回、初の出張である。今まで中山レース場か、東京レース場でしか走っていないからねー。

 

「そうか。シービーは遠征は初めてだったな」

「そうだよー。トレーナーはどうするの?」

「俺は前日、土曜日の朝一に新幹線で行くが…シービーはバイクで来るか?」

「え?いいの?」

「好きにしろって。お前が気持ちよく走るのに必要な準備をしてくれればかまわない」

「じゃあ、バイクで行くよ。トレーナーも乗っていけばいいのに」

「そうもいかないさ。レースの最終手続きやら、あいさつ回りもあるしな。あ、ただ、帰りは乗せてくれると有り難いな」

 

 あいさつ回りかぁ。めんどくさそうだなぁと思うし、一緒に回ろうとか言われなくてよかった。ま、帰りは2人で色々楽しめそうだけどねー。

 

「帰り?もちろんだよ。じゃあ、えーと…アタシは何時ぐらいに京都に到着すれば良い?」

 

 いちばん大切な所。私の現地入りの時間はどうなのだろうか。

 

「そうだな。ステージリハーサルにコースの確認、あとは、最後の仕上げ含めて、ま、土曜の昼ぐらいに『京都レース場』に到着してくれればいい」

「昼ね。りょーかい。じゃ、それに間に合うように行くから。持ち物は…」

「練習用のジャージと靴関係、勝負服関係はこっちで持っていく。肌着、タオル、あとメイク道具…アメニティは自分で頼むぞ」

「判ったよ。トレーナー」

 

 そう言いながらお互いにジャグを吹かす。さて、もう僅かそこまでに菊花賞が迫っている。日々やることは変わらない。練習して、煙草を嗜んで。

 

「あとは度肝を抜くだけか」

「何か言ったか?シービー」

「いや、特に何もー?」

 

 

 いよいよ菊花賞の前日。土曜日。

 

 2時。目覚ましが鳴る。重い頭を持ち上げて、ベッドから洗面所へと歩みを進める。

 

 髪をクリップで止めて、まずは歯を磨く。マウスウォッシュ、フロス、そして歯磨き。のんびりと20分。

 

 次に洗顔。泡をしっかり立てて、両の手で泡を立てて。レモン一個分ぐらいの細かい泡を、Tゾーンにまずは優しく乗せる。

 

 指で肌を擦らないように、泡で汚れだけをこそぎ落とすように。そして少々冷たい水でそれを濯ぎ落とす。もちろん、指は顔に触れない。

 

 柔らかいタオルで顔に乗せるように水を拭き取り、化粧水、そして保湿。軽く下地を載せて、眉を整えて。軽く化粧を乗せて。

 

「よし」

 

 気づけば3時を回って、そろそろ家を出る時間。ライダースシューズ、パンツ、ジャケットをしかりと羽織り、必要な物をスーツケースに仕舞う。

 

 鍵を壁から毟り取り、バイクのキーシリンダーへと差し込む。セルを回せば、重い音と共に、相棒が目覚めた。暖気を行う間、スーツケースとトレーナー用のヘルメットをリアキャリアにしっかりと固定する。

 

「…」

 

 プリウスを見る。仕事のときのスイッチ。だが、ここ最近の私の中の心変わりなのだろうか?すべてが楽しい遊びに思えているからか、最近、めっきり使うことが少なくなった我が愛車。

 

「だから今日もバイクで行くんだけどねー。楽しい楽しい、遊びの時間」

 

 ぽつりと呟けば、相棒のアイドリングが落ち着く。ガレージのシャッターを開ければ、秋を感じる涼しい風が、私の顔にやさしく当たる。ヘルメットを被り、グローブを嵌め、スーツケースをキャリアに括り付ける。

 

「準備完了っと。さてさて、参りますかね」

 

 トレーナーは新幹線であちらに向かうという。だけど、私は道中、楽しく行きたい。ま、帰りは一緒に帰る約束をしているけどね。

 

 アクセルスロットルを捻れば、相棒は相変わらずいい加速を見せてくれる。漆黒の闇を切り裂きながら高速道路に乗ってしまえば、ぐんぐんと東京の街からは遠ざかっていく。

 

「リハねー。ウイニングザソウルは慣れたもんだし。あとは、先頭で駆け抜けるだけだね」

 

 さあ、明日はいよいよ待ちに待った菊花賞だ。マルゼン、ルドルフ、見ていて欲しい、とは言わないよ。ただ、結果を叩きつけるから、覚悟しておくといいさ。

 

 

「マルゼン、本当に良いのか?君だったら来賓席でシービーの走りを見れるというのに」

「ウイナーズ・サークルで見ていて欲しいってシービーちゃんから言われちゃってるのよ」

「変わったお願いをされたものだな」

「ええ。本当に。でも、彼女、勝つつもりよ?彼女のライバルは大変ね、ルドルフ」

「…ははは。何、ちょうどいい重みだ。無敗の三冠ウマ娘。この眼で誕生を見届けるさ」




 例えばそう。ミスターシービーは『まくり』が得意だ。という一つの常識。

 だが、きっと、その言葉を聞いた彼女は鼻で笑うことだろう。

 ―タブーを犯せ。3000メートルの、その先で。
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