菊花賞当日。前日の軽い夜更かしの影響はまったくなく、絶好調でお披露目を終えた私は、のんびりと、地下道の中で歩みを進めるウマ娘たちを見送っている。というのも、お披露目も終わりターフへの移動しようと思った所で、スタッフから。
「ミスターシービーは最後に登場をお願いします」
と、要望を受けてしまっているため、ちょっとだけ待機の時間だ。せっかくなので、ついでに、トレーナーと軽い雑談なんかもしちゃっている。
「3000メートル、持ちそうか?」
「うん。きっと大丈夫。それに、途中、戦略は組んでいるからさ」
トレーナーはやっぱり私のスタミナを心配している。トレーナーいわく、もともとミスターシービーは中距離ウマ娘らしいしね。実際、馬のミスターシービーもそうなんだっけなぁとぼんやりと思う。そして、トレーナーは、私の戦略を聞いてからは余計にスタミナを心配してくれている。
「心配はむしろ他のウマ娘たちだよ。驚いてくれるかな?」
とはいっても、スタミナは夏の合宿からの練習で相当伸びている自覚はあるしね。むしろ、戦略が外れるほうが心配だ。
「お前の戦略なら間違いなく今回は出し抜けるさ。なんてったって俺でも呆気に取られたぐらいだからな」
「そりゃあ心強いね。あとは、息を入れるタイミングが肝心なんだけど…皆、乗ってくれるか本当に心配だ」
きっと、私のやろうとしていることは安牌じゃない。新雪の上を行くようなもの。今までは、曲がりなりにも史実という獣道があった。だが、今回は。
「弱気になるんじゃない。絶対に乗ってくるさ。ミスターシービーが行けばな。特にこの菊花賞であれば」
―間違いないさ。そう、トレーナーの目が訴えてくる。うん。ここまでトレーナーが言うのであれば。
「そう。そうだね。ありがとう、トレーナー」
「ああ。じゃあ、俺はそろそろ観客席に移動させてもらうよ。今回も、しっかり楽しんでこい。ミスターシービー」
「もちろんさ。ミスタートレーナー」
トレーナーは踵を返して観客席へと姿を消した。そうやっている間にも、私の横を何人かのウマ娘が通り過ぎていく。ふと、一人のウマ娘が、私の前で立ち止まる。
「今度こそ、勝ってみせます」
「はは。カツラギ。それは無理だね」
そのウマ娘はカツラギエース。気合十分。日本ダービーの時よりも、きっと、仕上がっている。でも、今回はキミでも足りないだろう。
「今回のアタシは、ちょっとスペシャルなんだ。きっと、スタートした後に度肝を抜かれていると思うよ?」
「スペシャル…?」
「そ。スペシャル。今のカツラギじゃ、そんなアタシに着いてこれるビジョンが見えない」
きっと、カツラギエースだけじゃない。ブルーダーバンも、ウメノシンオーも着いてこれないだろう。私がそう言いながら笑って見せれば、カツラギエースはこちらの目を真っ直ぐに見てくれていた。
「…大丈夫です、シービーさん。絶対に、着いていって、着いていって、ゴールを先に切ってみせますから」
「そっか。じゃ、楽しみにしているよ。カツラギエース」
「私もです。ミスターシービー」
そう言って握手を交わした私とカツラギ。後はターフで決着を着けるだけだ。お互いにもう、目は合わせることもない。そうやってウマ娘たちの姿を見守りながら、そろそろ私の出番かなと、スタッフに聞こうと思った時、一人のウマ娘の姿が見えた。
「そんなところでぼうっと突っ立っちゃって。主役は遅れて登場するの?シービーちゃん」
現れたのはマルゼンスキー。どうやら、わざわざ観客席からこちらに会いに来てくれたようだ。
「まぁね。一番、期待がかかっているのはアタシだし。歌舞伎でも真打は最後に登場するのが、道理でしょ?」
「そうね。それで、どう?調子は。勝てそう?」
マルゼンはいつもの笑みだ。
「そうだね、…獲れれば、…良いかな」
曖昧に答えて彼女の眼を見つめる。マルゼンは、にこりと微笑んでくれていた。
「あら、三冠を獲って私と対決したい、って言っていた割に弱気じゃない?」
「ん?そう見える?それなら、ぜひ、走りをしっかりと見ていてほしいな」
「ええ。もちのロンよ」
マルゼンの言葉を聞いて頷く。そして、いよいよ、全員がターフに出たのであろう。私にスタッフからGOサインが出されていた。
「時間みたいだ。じゃ。マルゼン。ウィナーズサークルで」
「そうね。ウィナーズサークルで待っているわ。シービーちゃん?」
笑顔を浮かべたままのマルゼンに、手を軽く振りながら、踵を返してターフへと向かう。
『さあ、そして最後にターフに現れたのは9番!ミスターシービー!皐月、日本ダービーと未だ無敗!無敗の三冠ウマ娘としての期待がかかります!』
大きく降り注ぐ声援に右手を振って笑顔で答える。眼前に広がるのは淀の大舞台。3000メートル右回り。大きく息を吸い込んで。
「さあ、いっちょ、やりますか!」
■
「ターフに現れたウマ娘たちに、大きな声援と拍手が送られます。特に今回は大注目、ミスターシービー無敗の三冠ウマ娘になるのか。それとも、他のウマ娘が菊花賞ウマ娘の座を勝ち取るのか、非常に注目のレースとなっております。京都、3000メートル、右回り。芝の状態は良。さて、やはり我々も気になりますのはミスターシービーのレース運びでしょうか。どのような展開になるでしょうかね」
「そうですねー。皐月賞、日本ダービーを見るに、ミスターシービーは
「やはり菊花賞ですから、スタミナの配分と、位置取りが重要になりますか」
「ええ。特にこの京都レース場は淀の坂と呼ばれる高低差が最後に控えておりますから、下り切るまではスタミナを温存して、4コーナーを抜けたあたりで追い込みをかければ、あるいはと思いますね」
「楽しみですね。無敗の三冠ウマ娘。とはいえ、他のウマ娘たちも気合が入っておりますが、注目のウマ娘などはおられますか?」
「そうですねー。やはり、外せないのは皐月、日本ダービーと2着に滑り込んでいるカツラギエースでしょうか。惜しいところまでは来ておりますから、この距離が伸びた京都でそれがどう発揮されるかが楽しみです。他にもビンゴカンタ、ウメノシンオー、ブルーダーバンあたりも同じようにミスターシービーにあと一歩ということろまで迫っているウマ娘たちです。それに、今日、出場のウマ娘は全員調子が良さそうですから、ミスターシービーは油断できませんね」
「なるほど。やはり、どのウマ娘からも目は離せませんね。さて、スターターがスタート台へと上がりました。旗が振られますと、いよいよ、菊花賞のファンファーレです」
■
ゲートインをする中で、まず、異様な空気を感じたのは、ダイゼンキングとウメノシンオー。
異様な雰囲気は、大外で待つカツラギエース、最内で待つアテイスポートにすら届いていた。
ちらりと、各々がミスターシービーの顔を伺えば、そこにあったのはただただ真っ直ぐにコースを睨む鋭い眼光。思わず気圧されてしまいそうなその雰囲気に、ぞくりと鳥肌が立つ。
最後にゲートに収まったドウカンヤシマですらも、ぶるりと、全身を震わせた。
―ああ、これは、今日、ミスターシービーは本気の本気でヤル気だ―
ウマ娘たちがそう感じたと同時に、観客の声援と、風の音と、アナウンスの音の中に、あり得ない雑音が一瞬だけ交じる。
それはまるで、甲高いエキゾーストノーズ。それは、彼女らは知らない、12000回転を超える高性能エンジンの音。
一部のウマ娘から言わせてみれば、それは領域と呼ばれる、極限まで集中力が高まった状態。だがしかし、だからといって、そんな音がするわけがないと頭を横に振ったウマ娘も居る。
―ミスターシービーの気合に押されてなるものか。私が今日は一番速いのだ。このために練習してきたのだから―
そう意気込むウマ娘たち。多少のことでは度肝は抜かれまい。
観客ですら、当然のように驚きはすまい。
ミスターシービーはきっと、
誰もが、そう、思っていた。
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ついにこの瞬間がやってまいりました。
トゥインクルシリーズが始まって、三冠ウマ娘という言葉が出来て、初めての三冠ウマ娘は「セントライト」そして史上2人目の三冠ウマ娘が「シンザン」と2人のウマ娘が獲得。
果たして、史上三人目、そして史上初の無敗の三冠ウマ娘が誕生するのか!いよいよ、スタートです。
菊花賞のゲートが開きました。さあ21人のウマ娘の出はまずまずと言った所か。ミスターシービーはいいスタートを切れている。
ハナを主張するのはアスコットエイト、続いてリード―ホーユー。
リードホーユーのその後ろ、その後ろに駆け込んできたのは…ミスターシービー!?
いや、駆け込んできただけじゃあない!そのままリードホーユーを交わしてアスコットエイトと並んで
これはミスターシービー掛かってしまったか!?おっと!?
観客席からはどよめきが上がる菊花賞となりました!さあ各ウマ娘たちがホームストレッチに姿を表します。
先頭は大方の予想を裏切ってミスターシービー、次いでカツラギエース、その後ろにアスコットエイト。未だどよめき止まぬ菊花賞。さあここから各ウマ娘、どのような戦略で、この3000メートルのレースを展開していくのでしょうか!
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マルゼンスキー。キミに対して、強い言葉で煽るのもいいだろう。マルゼン、キミにクラシックを届けると、キザになるのもいいだろう。それか、強い眼で射抜くのも良いだろう。三冠を、追い込みで獲って見せてもいいだろう。
「でも、それじゃあマルゼンには『弱い』」
そうだ。言葉じゃマルゼンには弱い。楽しそうにしているけれど、きっとどこか、ミスターシービーは格下で、年下のウマ娘と軽く見られている。―つまり、私が、アタシが言いたいのはさ。
相手を本気にさせる挑戦状の叩きつけ方って言うのは、何も、強い言葉である必要は無いってことさ。特に、未練が残る人にとってはね。
「そうだね、(キミが得意な逃げで)獲れれば、(キミへの挑戦状としては)良いかな」